最近知り合った趣味友達のダイゴは金銭感覚が何だかおかしい。
友情には対等な関係が重要で、どこかにボタンの掛け違いがあると友人を続けるのは難しい。 それを教えてくれたのは最近知り合ったダイゴさんで、まさに今、彼とのボタンの掛け違いがわたしを大いに悩ませている。 ダイゴさんは友達のツツジちゃんから紹介された石友で、なんとあのデボンコーポレーション社長のご子息様。一目見て高級ブランド品だと分かるスーツを着こなし、連れ歩くポケモン達もみんなハイパーボールに入っている。以前、袖口からちらりと覗いた腕時計もすごく高そうで、ああこれが『本物』なんだって感心したのをよく覚えている。 そんな雲の上のような存在は、いざ話してみると意外にも気が合った。会話は途切れず、話はどんどん盛り上がって、更には向こうから「また語り合いたい」と熱くせがまれて、連絡先まで交換していた。 彼曰く「化石の話が出来て、かつ化石ポケモンを育てている人は少なくてね」との事で、化石だの発掘だのは男の子の趣味だと言われ続けたわたしでも、ダイゴさんには需要があったらしい。 わたしもわたしで、そういう理由でツツジちゃん以外に趣味友達がいなかったので、ダイゴさんという新たな趣味友達は大歓迎、絶対に大事にしようと心が燃えていた。 次にダイゴさんと会ったのはカナズミのカフェだった。ツツジちゃん以外の人と語り合ったのが楽しくて時間が全然足りなくて、わたしから誘っていた。 すぐに返ってきた返事は丁寧な文体で、続いてしっかりと場所の時間の提案があり、最後に笑顔で飛び跳ねるアチャモのスタンプが押されていた。約束は五分足らずで結ばれた。 その日、ダイゴさんはチケットを二枚持ってきた。ホウエン博物館の特別展──少し前に宣伝を見かけて、ツツジちゃんを誘って見に行こうかなと思っていた、様々な地方で発掘された貴重な化石を拝める特別展のチケットだ。 「{{kanaName}}は興味があると思ったから」 誰か友達とどうぞ、と渡されたチケット。わたしは呆気にとられながら受け取った。だってこういう時は『一緒に行こう』と誘うのが当然で自然な流れなんだから。嘘でしょ、とチケットからダイゴさんへ視線を向けてみるも、「ボクも今度見に行くから、また感想を語り合っていいかな」と呑気にコーヒーを啜っている。 わたしと行くのは嫌なんだろうか。それとも単に一人で鑑賞したいだけ? いや、好意と勘違いされないようにわざと誘わなかったのかも。 だとしても、わたしはせっかく出来た石友ともっと語りたい。出来れば同じ物を見て、その感動を共有したい。だからダイゴさんの気遣いだか線引きだかも見なかった事にする。財布からチケットの代金を出しながら、今から見に行こうと提案した。 「嬉しいお誘いありがとう、{{kanaName}}さえ良ければ喜んでご一緒させてもらうよ」 ダイゴさんはお手本のような笑顔で微笑むと、見た目の何倍も強い力でわたしの財布を押し戻してしまった。 「でも代金は受け取れないな。実はこれ、貰い物なんだ」 チケットに目を向ける。特別協賛の一番先頭にデボン名前が載ってあった。 なるほど、頼めば何枚でも貰えるんだろう。そもそも、ダイゴさんならチケットなしでも入れるのかも。さすが御曹司サマ、すっかり感心していると、当のダイゴさんはカフェの伝票を持って「先に出てるね」と行ってしまった。 慌てて後を追いかけ自分のコーヒー代を払おうとするけども、やっぱり丁重に断られてしまって、「早く行かないと見る時間が足りなくなっちゃうよ」と大股で先を歩いていく。 次、わたしが払えばいいか。ダイゴさんより先に伝票を掴んで支払いを済ませるのは少々手こずりそうだと思いつつ、この時のわたしはそれでも何とかなるだろうと思っていた。 数時間後、じっくり真剣に化石を見て回ったわたしは、お土産コーナーにポストカードを見つけた。それは特別展示の目玉である『ひみつのこはく』や『こうらのかせき』のポストカードで、神々しく神秘的で素敵な写真だった。 今日の記念に買って帰ろうかな、と手を伸ばす。と、隣から伸びた手が先にポストカードを掴んでいた。ダイゴさんだった。 「良い写真だね」 そうでしょう、そうでしょう! わたしは嬉しくなって大きく頷いて、家に飾るつもりだと続けた。ダイゴさんは「それは良いね」と微笑んで、そのままレジに向かう。ダイゴさんも気に入ったんだとニコニコしていると、袋を差し出された。 「今日の思い出に」 受け取るべきか、断るべきか。一瞬悩んだものの、素直に受け取った。たかだか数百円で揉めるのも大人げないし、次に何かあった時にわたしがお返しすればいいだけの事だ。 ありがとう、と笑顔で受け取るとダイゴさんも満足そうに笑ってくれて、和やかな雰囲気のまま再びカフェに入ると化石への思いを熱く語り合った。もちろん、件の『ひみつのこはく』や『こうらのかせき』には特別熱を込めて語っていた。 どれだけ熱中していたのか、気付けば頼んだアイスティーが空になり、窓の外から見える空も随分暗くなっていた。わたしはちらりとダイゴさんを窺って、この後どうしようと思案する。 食事に誘ってもいいけれど、それじゃあ何だか下心があるように見られやしないだろうか。わたしは石友として、趣味仲間としてダイゴさんと親しくなりたいだけだ。下手に勘繰られて距離を置かれるのは避けたい。なら、わたしからそろそろ解散と── 「もうこんな時間だね。今日はありがとう」 充実した一日だったよ、とダイゴさんが青い目を細めて言う。 石への愛を語る時とはまた違う、大人の余裕をまとった微笑みに胸がとくん、と弾んだ。 下心なんて無いはずなのに、それでも一瞬固まったわたしを、ダイゴさんはどう思っただろう。良好な関係が崩れなければいいんだけど、祈りながら伝票に手を伸ばす。けれどさっきと同じく、先にダイゴさんの手の中に掠め取られ譲ってくれない。 「だってボクが{{kanaName}}と話したかったから」 でも、と食い下がるわたしを、ダイゴさんは笑顔で押し通した。なんて格好良くて、なんと狡い笑顔だ。 思えば、この時からダイゴさんの『アレ』は始まっていたのだけど、この時のわたしはまだ何とかなると思っていた。 数週間後、ツツジちゃんと女子会ならぬ石友会を開いていた時だ。ツツジちゃんのお仕事用ポケナビが鳴り響いた。ジムリーダーといえば街の治安維持にも協力している。だから何かあったのかも、とわたしも自分のポケナビでカナズミの事件事故を調べていると「{{kanaName}}さん{{kanaName}}さん」小声でツツジちゃんに呼びかけられた。 「今からダイゴさんもお呼びして構わないかしら」 なんと電話の相手はダイゴさんで、彼は戦利品を見せたいのだそう。御曹司の彼が自慢したくなる程の戦利品、見たいに決まっている。わたしは指で丸を作って大きく頷いた。 数十分後、颯爽と現れた彼は何やら大荷物だった。もしかして戦利品とやらを手に入れたその足でここまで来たんだろうか、驚いているとダイゴさんが少し照れた顔で「早く見てほしくて」と頬を掻いた。 「でもその前に、まずはこっち」 わたしとツツジちゃんの前に桐の箱が置かれる。ノートほどの大きさのそれに、何だろうとツツジちゃんと顔を見合わせるもどちらも答えは持ち合わせていない。 眉根を寄せ、もう一度箱へ目を向ける。一体何が入っているんだろう。わたしはそうっと蓋を持ち上げた。 「カロスのこの品種は味が良くてね。使い方は色々あるけど、ボクはそのまま食べる方がお勧めだよ」 箱の中に入っていたのはモモンの実だった。でもよく見かける物より大振りで色も濃く、蓋を開けるなり周囲に甘い香りが広がった。箱の中にはたった四つしか入っていないのに。 「それからこれも。一緒に食べよう。あっ、{{kanaName}}は甘いの大丈夫だったかな」 いかにも高級品のきのみに言葉が出ないでいるところへ出てきたのはチョコレート。それもカロスの有名ショコラトリーので、毎年のチョコレートフェアではすぐに完売している。勿論これも決して安くはない。 怒涛のお土産を目の前に、これはどうすればいいんだろう、とダイゴさんの目を盗んでツツジちゃんに目配せする。苦笑いが返ってきて、わたしも苦笑するしかなかった。 「ダイゴさんってこういう人なんです」 わたしの戸惑いにまるで気付かず、意気揚々と戦利品の数々をテーブルに並べているダイゴさんを遠巻きに眺めていると、ツツジちゃんがそっと耳打ちする。 「だから彼の前で欲しい物の話は気を付けてくださいね」 それはツツジちゃんからの忠告だった。けれどその時のわたしは意味を捉えきれず、形だけ頷くだけだった。 さて、ダイゴさんの戦利品とやらはというと、七色に光る不思議な鉱物だった。大きさは拳二つ分ほど、この輝きはアンモライトなんかでよく見るものだ。 でもそれにしてはわたしの知る形と随分異なる。ツツジちゃんにも見覚えはないようで、二人してダイゴさんを仰ぐ。にんまりと、自慢したそうに笑みを浮かべるダイゴさんは一つ咳払いをして「これはね」不思議な石をそっと持ち上げる。 「キーストーンの原石なんだ!」 キーストーンといえば、ポケモンの新たな力を引き出すという特別な石だ。けれど見つかった数はまだまだ少なく、カロス地方にしかないのかも、と噂されている。 そんな貴重な原石が、それもこんな大きさで手に入るなんて。石マニアとして、たしかにこれは『戦利品』と自慢したくなるのも納得だった。 それにしても、またカロスだ。今日のダイゴさんはやけにカロスにちなんだ物を持ってくる。まるでカロスにでも行ってきたみたい。 でもそれは有り得ない。だってここ数日メッセージをやり取りした中でカロスの話は一切出なかったし、ダイゴさんは昨日もトクサネで見付けたハート型のかわらずのいしの写真を送ってきていた。まさかあれからカロスへ行った? 流石に有り得ない。 「ボクの勘は良く当たるって有名なんだけど、昨日カロスで運命的な出会いをする予感がしたんだ。そうしたらこの通り、凄いだろう?」 きっとその時、わたしはすごく間抜けな顔をしていたと思う。ダイゴさんにくすっと笑われ、ツツジちゃんもさっと視線を逸らしてふふっと吹き出していたから。 でも、だって、隣町の感覚でカロスに行く人なんて初めてなのだ。頭がクラクラする。世の中にはわたしの想像しない人間があと何人いるんだろう。でもダイゴさんならその中でもトップ3に入りそうな気がする。 その後わたし達はキーストーンの原石を思う存分鑑賞して、「いわゆるクズ石なんだけど」と原石のかけらまでお土産に貰った。メガシンカには使えないとはいえ、貴重な石には変わりない。やっぱり貰えない、と返そうとしたけれどこの日もダイゴさんの笑顔に押し通されてしまった。 ツツジちゃんの忠告の意味を身を持って知る事になったのは再び訪れたホウエン博物館へ特別展示を見に行った時だった。 ダイゴさんから『今度の休日にまた見に行くんだけど{{kanaName}}もどうかな』とチケットが二枚写った写真と共に連絡があった。これを断れる人がいるなら教えて欲しい。わたしはすぐに返信して、そのまま石の話で盛り上がった。 一部の展示品は入れ替えがあり、この日のメインはそれだった。何でもカントーで見つかったドラゴンポケモンの骨格化石で、カイリューによく似てはいるものの、別種の可能性が高いのだとか。 「もしこれが復元出来たらどんなポケモンなんだろうね」 キラキラと目を輝かせるその横顔はまるで少年のようで、何だか可愛らしくて微笑ましい。眼福とはこういう事を言うんだろう。わたしは化石と鉱物と、それからこっそりダイゴさんの横顔を堪能した。 ここまでは、先日と変わらない。いや、カフェに行ってない分今日の方が伝票取り合い合戦がない分清々しい。問題はこの後、前回と同じくお土産コーナーを覗いた時に起こった。 つい、ぽつりと、呟いてしまった。どうしようかな、と。 隣に立つダイゴさんがわたしの視線の先を追う。そこにあるのは大きくて分厚い図鑑だ。様々な種類の石が載っていて、中には貴重な資料も多い。そしてそれ相応の値段がする。 ハッとして何でもないですと誤魔化すけれど、わたしが図鑑を買うかどうか迷っているのはバレバレで。ダイゴさんなら迷わず買うんだろうと思うと頬が赤く染まっていく。 御曹司のダイゴさんと違って、わたしは欲しい物を気安く買ったりできない。それは別に恥ずかしい事ではないとはいえ、積極的に見せたい姿でもない。だからもう此処を離れよう。わたしはダイゴさんに声を掛けた。 「分かった。じゃあちょっと待ってて」 にこっ、と笑うダイゴさん。わたしもつられて笑顔を返した。けれど彼が手にした図鑑に気付いた瞬間、笑顔が強ばる。 「実はボクも気になってたから」 言われてみればダイゴさんも真剣に見本を眺めていた。でも、きっとそれは真実じゃない。慌てて止めるけれど「ボクが自分の為に買うんだよ」と言われれば黙るしかなくて。 でもいざ支払いを済ませた彼は「帰りまでボクが持っておくよ」と平然と言うのだ。 「{{kanaName}}がこの図鑑でもっと化石を好きになってくれたら、もっと話が出来るから。それってつまりボク自身の為、だろう?」 そんなの言葉遊びに過ぎない。そんなの屁理屈だ。 『だから彼の前で欲しい物の話は気を付けてくださいね』 ツツジちゃんの言葉を思い出す。あれはこういう事だったんだ。でも、まさか、こうも気安く買っちゃうなんて。 わたしは心に誓う。たとえ缶ジュース一本でもダイゴさんの前では欲しいとは言わない、と。 けれどダイゴさんがそんな事では止まらないのを、わたしはまだ知らない。 それから数日、ダイゴさんから珍しい化石を見付けたと連絡があって、わたしはすぐさまトクサネシティまで飛んでいた。 何故トクサネかというと、ダイゴさんの家がそこにあるからで、つまり彼の自宅に呼ばれたのだ。 ダイゴさんの家には色んな石のコレクションがあって、ツツジちゃんが「一度は見せてもらうべきです」と息巻くほど凄いらしい。一体どんな石が、化石があるんだろう。胸を弾ませトクサネに向かう。 ダイゴさんの家は意外にも小ぢんまりとしていた。てっきり豪邸にでも住んでいると思っていたから少し肩透かしでもあり、過剰に気を張る必要もなさそうでホッとしてもいた。 そんなわたしは中へ案内されるなり、その認識を改める事になる。 それほど広くない室内に、さながら博物館のようにずらりと並ぶ陳列棚。そこには様々な地方の石が飾られている。希少価値はさほど高くないものの家主の拘りが強く現れたコレクションは、その話を聞くだけでも来た甲斐があった。 それ以外にも、やや強引に置かれた背の高い戸棚にはいくつもの標本ケースがあり、そこにも珍しい鉱物が沢山並んでいた。それらは一つずつ丁寧にラベリングされ、中にはぎょっとするほど珍しい鉱物もあり、ダイゴさんの石への熱量を思い知らされる。わたしは目的の化石の事もすっかり忘れて、それはもう夢中になって見学していた。 気付けば外は真っ暗で、空腹も感じて、だからダイゴさんから「まだ話し足りないから食事でもどうかな」と誘われても二つ返事で快諾していた。カフェの事も、お土産も、図鑑の事も、その時はすっかり忘れていたのだ。 トクサネは知り合いが多いから、と言われてやって来たのはミナモシティ。観光客も多いこの街は飲食店も数多くあるので、店選びには困らないだろう。 適当にファミレスでも、と探していたらダイゴさんに手を引かれた。「味は保証するよ」と自信たっぷりに言われ、わたしは期待してダイゴさんについて行った。なんて愚かなんだろう。 そうして着いた先には高級ホテルがあった。どうしてこうなると予想出来なかったのか、呆然とするわたしを他所にダイゴさんは悠々とした足取りで中へ入り、そして数分後、わたし達は夜景が一望出来るテーブル席に座っていた。 ダイゴさんを含め、他のお客さんが綺麗なドレスやスーツを身に纏う中、ドレスコードギリギリの自分が恥ずかしい。 もしわたしがジーンズだったら、ホテルレストランには来なかったのでは。なら次からはジーンズを履いて、もっとカジュアルな格好をしよう。でもダイゴさんの事だからドレスの一着や二着、ポンと用意してしまいそうだ。じゃあもう諦めてちゃんとした服を着るしかない。 そうやって頭の中でひたすら逃げ道を探していたせいか、ワインの味は分からないし、上品な味付けの前菜はちっとも食べた気にならない。メインディッシュも機械的に口に突っ込んで無理やり飲み込むしかない。当然さっきまでのように楽しく和やかに石トークなんて、出来やしない。 「もしかして、口に合わなかったかな」 不安そうにわたしの顔を覗き込むダイゴさんに慌てて首を振る。 違う、違うの。わたしだって予め言ってもらえれば、高級レストランの食事も楽しめて話だって弾んだと思う。 けれど今わたしの頭の中は、場違いな自分への恥じらい、急な手痛い出費への焦りでいっぱいだったから、食事を楽しむ余裕も、ダイゴさんの石の話への興味も、何をどう頑張ってもある筈がなくて。 ところが、 「えっ食事代? どうして{{kanaName}}が払うんだい?」 嫌味でも何でもなく、ただただ純粋に疑問が返ってきた。見栄を張りたい訳でも、恩を売ろうとするでもなく、ダイゴさんは当然のように全て自分で支払うつもりだった。 でもそれは正しいようで間違っている。わたし達は単なる趣味仲間だから、これはデートではないのだから。 そう思っていたのに、今日こそ財布に出番を与える筈だったのに、わたしの知らない間に全て終わっていた。あのコース料理も、高そうなワインも、ついぞ値段を知ることが出来なかった。 呆然としたままホテルを出たら、その足でタクシー乗り場に連れて行かれた。今日はもう帰らせてくれるようだ。 食事の間もダイゴさんは楽しそうに話していたし、それでもまだ話し足りないという顔をしていたから、てっきりバーにでも向かうのだと思っていた。ほっと胸を撫で下ろす。少なくともわたしにはもう会話を楽しむ気力はなかった。 「楽しみを次に取っておくのも悪くないからね」 オオスバメタクシーに一人乗せられ「化石もまた今度だね」と笑うダイゴさんに反射で微笑み返す。大きな翼が力強く羽ばたいて籠が浮く。窓から外を見ると、ダイゴさんは見えなくなるまでずっとそこに居た。 一人の空間に大きなため息が染みる。 わたし、ダイゴさんの前で未だに財布を使った事がない。もう何度も会っているのに、お金を使わせてもらえない。ただの友人なのに。ため息が止まらない。 暫くしてオオスバメが家の前に降り立つ。やっと財布の出番だ。と思ったのにドライバーから『おつり』を渡される。 「行き先を聞かれた時に渡されてまして」 わたしに渡された数枚の高額紙幣を押し付け返す訳にもいかず、結局財布に入れるしかなかった。 いくら深夜料金だからって渡しすぎだ。もしかしてダイゴさんはタクシーも乗った事がないのだろうか。いや、きっと値段を気にした事がないのだろう。 タクシーを降りたわたしは今日一番の重たい息を吐いた。人柄は良くて話も合うのに、会う度に居心地の悪さが溜まっていく。 あの日以降もやり取りは続けつつ、化石を見に行く事だけは先延ばしにしていた。言い訳はいくらでもでっち上げられた。 けれども、そろそろ心が苦しくなってくる。ポケナビ越しには楽しく会話しているのに会わないだなんて、いくら何でも自分勝手な気がして辛くなる。 そんな折、本当に全くの偶然で、ダイゴさんと出会した。場所はカナズミの繁華街、ちょうどお昼時、どちらも一人、軽い会釈ですれ違うには目が合いすぎた。 「もし時間があればお茶でもどうだい? この前見つけた水の石の話を誰かにしたくて堪らないんだ」 わたしの誠意のないメッセージのやり取りを気にもせず、ダイゴさんは変わらず人の良さそうな笑顔を向けてくる。それに、ダイゴさんが話したくてウズウズする水の石も気になって仕方ない。わたしもそれなりの石馬鹿だから魅力的なお誘いを断れないのだ。 でも、この前みたいに味のしないお茶は飲みたくない。 だから、咄嗟に背後にあるカフェの看板を指差し「ここで良いなら」と微笑んだ。それは最近ショッピングモールの中にできたバトルカフェだった。 ダイゴさんは腰にハイパーボールを携えてはいるけれど、きっとアクセサリー感覚で付けてるだけに違いない。これならきっと向こうから断ってくるだろう……なんて高を括っていたら。 「へえ、{{kanaName}}もポケモン勝負の腕に自信があるんだね。どんなポケモンを使うのか楽しみだな」 キラリと目を輝かせて、自ら率先してカフェと向かって行く。 もしかしてバトルも得意なの? もしかして店選びに失敗した? 嫌な予感がするけれど、もうどうしようもない。わたしはダイゴさんの後を追い掛けた。果たして一時間も経たずしてほぼダイゴさんの実力で全てのバトルは終わってしまう。 後から知ったのだけど、実はダイゴさんはチャンピオンで、ツツジちゃんとは仕事上の付き合いで知り合ったんだとか。だから仕事用のポケナビに連絡があったんだ。 と、全てが終わってから気付いても後の祭り、今回もまた財布の出番は一瞬たりとも貰えなさそうだ。この前のタクシー代のお釣りさえ「じゃあ今度トクサネから帰る時に使ってよ」と受け取ってもらえない。 そして肝心の水の石はというと、悔しいくらい石マニアの心を擽る逸品だった。わたしは食い入るように写真を見つめ、その美しさに惚れ惚れした。 大きさから何から桁違いで、まるで水を閉じ込めたように透き通ったそれは言葉も出ないほど美しかった。 実物が見たい。出来るなら手に取ってみたい。その質感を、温度を、肌で感じたい。わたしの石マニア魂が燃え滾る。 「{{kanaName}}ならいつでも大歓迎だよ。それまでにもっと石を増やして待ってるよ」 本当に、本当に良い人だと思う。 だからこそ、申し訳なくて、気が重い。 カフェを出たわたしは、これ以上一緒にいるのは危険だと思い、わざとらしく時刻を確認して全身で時間がないとアピールした。 「そっか、残念……と言いたい所だけど実はボクも人を待たせててね」 カゲツにまた怒られるよ、とダイゴさんは苦笑する。 わたしには分かる。ダイゴさんは遅刻の詫びに何か手土産を買うなり奢るなりするんだろう。そこに追い打ちを掛けるように整った顔で謝られたら、そんなの許すしかない。『カゲツサン』も大変だ。 そういう訳で急ぎ足で出入口に向かっていたら、ダイゴさんがふと足を止めた。わたしも立ち止まって振り返る。丁度そこはハイブランドの並ぶエリアで、ダイゴさんはジュエリーショップを覗いていた。 店舗に掲げられたロゴは、ブランドに疎い人間にもよく知られてる、イッシュの有名ブランドで、少なくともわたしは気軽に立ち止まれない。予算が足りないし、客を値踏みするような店員の目を耐える自信もない。 ダイゴさんはしばらく展示ケースを眺め、いくつか店員に確認をしたと思ったら顎に指を掛けて考え込んで「ツツジちゃんに似合いそうだ」と呟いた。えっ、と呆気にとられるわたしの目の前で購入の手続きがどんどん進んでいく。 皺ひとつない背広の陰からケースを覗き込む。果たしてそこに並ぶ数字は想像通り0が多い。勿論わたしには即決出来る金額じゃない。 もしかして、もうすぐ誕生日なのかな。きっとそうだ。だとしても目を疑う値段ではあるけれど、ツツジちゃんとは随分仲が良さそうだし、有り得なくはない。わたしには信じられないけれど。 と、半ば現実逃避のような考え事をしていると、ダイゴさんがすぐ傍に戻っていた。ハッとして顔を上げると「今日は付き合ってくれてありがとう」と小さな紙袋を渡される。ここのブランドロゴが印刷された、紙袋を。 「急いで選んだけど、{{kanaName}}に似合うのは間違いないよ。ぜひ使って欲しい」 目が、耳が、流れ込んでくる大量の情報を拒絶する。 わたしに? 使ってほしい? 何を? まさかこれを? 受け取れない。受け取れる訳がない。 でも、周りの目がそれを許さない。断れる筈がなかった。震える手で紙袋を受け取る。 その時、ダイゴさんがもう一つ紙袋を提げているのに気付く。 あっちはツツジちゃんの分かな。もしかしてあれも誕生日プレゼントでも何でもなくて、単純に『似合いそう』だから買ったのかな。でもそんな事、本当にある? そんなの、普通は有り得ない。普通なら。 でも、相手はダイゴさん。今までの少ない付き合いで垣間見えた彼の金銭感覚なら、恐ろしい事に十二分に有り得てしまうのだ。 家に帰って意を決して中身を確認すると、青く澄んだ宝石のピアスだった。アクアマリンだ。その輝きにダイゴさんの屈託のない笑顔を思い出す。 アクアマリンのピアスには、そっと身を寄せるように煌めく透明の宝石が、ダイヤモンドが輝いている。この大きさは、この数は、そしてこのブランドなら。ずらりと並んだ0が脳裏を過ぎった。 ポケナビをベッドに投げ捨てる。しばらくして、無心で打ったお礼のメッセージに丁寧な返事が返ってきたけれど、確認する気力はなかった。 ダイゴさんの事は嫌いじゃない。機知に富んだ話は面白く、美しい所作はつい見惚れてしまう。 かと思えば石を語る姿は少年のようにあどけなく、恋心というよりむしろ母性を擽ってくる。ダイゴさんは、とても魅力に溢れた男性だ。 けれどあの人は、違うのだ。あの人の金銭感覚は、あまりにも掛け離れ過ぎている。そのせいで彼の厚意を素直に受け取れない。胃がキリキリする。肌が震える。頭も痛くなる。 せっかく出来た趣味友達だけど、趣味しか合わないのも考えものだ。でもどうしようもない。わたしはただの趣味友達で、彼の価値観に口を出せやしないのだから。 わたしは少しずつ連絡を控え、石の誘惑にも耐えてお誘いを断り、しばらくはツツジちゃんと会うのも我慢して、ゆっくりと距離を置く事にした。 最初の内はダイゴさんも素っ気ない返事にめげずに返していたけれど、徐々に頻度は減って、そうして今週やっと一度も連絡が来なくなった。胸は痛むけれどそれ以上にホッとしていた。 それから更に一週間ほど過ぎた頃、帰路に着くわたしを呼び止める声がした。 「アンタが{{kanaName}}……だよな」 振り返って思わずギョッと目を見開いた。そこに立っていたのはいかにも悪そうな男性だ。 深紅の髪は火の玉のようなモヒカンにセットされ、同じ色をした眉は厳しくつり上がっている。光沢感のあるサテンの黒シャツは胸元が大きく開いており、肘まで捲り上げた袖口からは筋肉の張った腕が覗いている。八分丈パンツは髪と揃えた深い紅色をして、足元を飾る革靴はピカピカに磨かれ明かりを不気味に反射している。わたしの周囲にはいないタイプの人間だ。 そんな男性がわたしの名前を知っていて、わたしを待ち伏せしていた。危険な香りしかしない。思わず足が一歩下がり、視線も逃げ道を探す。 「おっと、怪しいもんじゃねえよ。オレはカゲツ。ダイゴの同僚だ」 男の口から知った名前が飛び出して意識が彼へと注がれる。そういえばダイゴさんの口からその名前を聞いた事がある。まさかこんな人とは露にも思わなかったけれど。 「ちょっとアンタに聞きてえことがあんだ」 そう言われて半ば強制的に連れて来られたのは近くのファミレスで、「飯まだだろ? 何か食えよ」とメニューを押し付けられた。わたしは目に留まったパスタを頼み、カゲツさんはアイスコーヒーを頼んだ。 「最近ダイゴのヤツの様子が変なんだよ。妙に塞ぎ込んでやがるし態とらしくため息も吐くし、鬱陶しいったらありゃしねえ。だから問い詰めてやったら『友達に嫌われたかもしれない』ってオマエの名前を吐いたんだ。なあ、あの坊ちゃんは一体何やらかしたんだ?」 ダイゴさんが何かやらかしたと言えばそうだし、何も悪い事はしてないと言えばそうでもある。どう、伝えたらいいだろう。正解の言葉を探して喉の奥から唸っていると、脳裏にタクシーのお釣りが過ぎった。 そうだ、あれだ。わたしは未だ返せずにいる紙幣を引っ張り出してカゲツさんに押し付けた。カゲツさん経由で返してもらおうという訳だ。 「受け取って貰えない釣り……? あっ、アイツのコレが原因なのかよ」 どうやらカゲツさんにも思い当たる節があるのだろう、手の平を天井に向け、親指と人差し指で輪っかを作って目の前に掲げる。わたしが勢いよく頷くと「ったく、どうせそんな事だろうと思ったんだよ」と大きなため息を吐いた。 「オマエ、良い奴だな。だからこれからもあの坊ちゃんと仲良くしてやってくれよ、金の事はオレから言っといてやるからよ。取り敢えずコレは返しゃいいんだな」 丁度その時、注文した料理がテーブルに届く。こんなに早く話が終わるなら、わたしも飲み物だけにすれば良かった。カゲツさんはストローも使わずコーヒーをがぶ飲みして、数秒で飲み干してしまっている。 「じゃ、宜しく頼むぜ。ああ、でもたまにはアイツにもカッコつけさせてやれよ? 多分アイツ……いや、やぶ蛇だな」 にいっと笑うその顔はダイゴさんより凄みがある。けれど実は良い人だと知るとその笑顔にも愛嬌を感じるようになっていて、わたしもにこりと微笑み返した。 ダイゴさんに会ったのはそれからたったの三十分後だった。 「カゲツからきみに会ったって聞いたら居ても立ってもいられなくて」 突然ごめんと謝るダイゴさんは、さっきまでカゲツさんが座っていた席に着いている。 カゲツさんが先に帰ってすぐ、ダイゴさんから連絡があった。文面はいたってシンプルに、『今から会いたい』とだけ。今までの爽やかな挨拶も、連絡する理由も、わたしへの気遣いもない、彼の感情がむき出しになった言葉は初めてだった。 「ボク、{{kanaName}}と石の話をするのが好きなんだ。新しく出来た石友だからってのもあるけど、一番は純粋にきみと過ごす時間が楽しいから」 そこで一度言葉を切って、ダイゴさんは頼んだアイスティーにストローをさして、くるりとかき混ぜ一口啜る。それからふうっと細く息を吐いてわたしを真っ直ぐに見つめる。 銀髪につり目がちな青い瞳、初対面で顔を覚える為に記号的に捉えたそれらは、改めてみると羨ましいほど整っている。嫌う人間の方が少ないだろう。 そんなダイゴさんから熱い眼差しを向けられて、じわりと汗がにじんで肌も熱を帯びてきた。 「昔からそうなんだ。気に入ったものには手を掛けすぎるというか構いすぎるというか……、何でも与えたくなっちゃうんだ」 わたしにも覚えがある。祖父母の飼っているジグザグマが大好きで、幼い頃のわたしは何度も追いかけ回したり強引にポケモンフーズを口の中に押し付けたりして、すっかり嫌われてしまった。お陰で今でもわたしが近付こうとすると絶対に身構える。それによく似ている。 「でも、きみの気持ちを無視してまでする事じゃなかった。ごめん{{kanaName}}、反省してる。これからは気を付けるから、まだボクと友達でいて欲しいんだ」 子供の頃でさえ、こんなにまっすぐに仲直りをしたり友達になりたいと言う機会は少ないのに、ダイゴさんは真剣に、誠意を持ってわたしに向き合っていた。その瞳はアクアマリンにもブルートパーズにも負けないほど煌めいて、その光がわたしの胸を焦がす。断る理由は、一つもなかった。 「ああ、良かった。{{kanaName}}とはまだまだ話したい事が沢山あるんだ。それにほら化石だって、水の石だって見てないだろう? そうだ、今度はきみも一緒に──」 ぱあっと花が咲くように、ダイゴさんの顔に笑顔が咲く。 少しぎこちなかった言葉は今では雄弁に石トークを始め、その流れはしばらく止まりそうにない。頼んだ飲み物を飲み干しても、ダイゴさんの楽しい話は続いていた。 「おっと、話し込んでしまったね。続きはまた今度……って、またやっちゃうところだったね」 ダイゴさんはすんでの所で伝票から手を離し、けれど「きみがいいならボクが払うけど」とほんのり唇を尖らせる。 そんな顔をされると心がぐらついて、別にこれくらいならいいかな、いや甘やかしちゃだめ、塵も積もれば何とやらって言うじゃない、でもダイゴさんにだけ我慢をさせるのもそれはそれで問題だし……会計を済ませゆったり歩きながら悩んでいると、背後から「{{kanaName}}」と呼び止められた。考え事に夢中で、ダイゴさんが立ち止まっていた事にも気付いていなかった。 「改めて誓うよ、{{kanaName}}を困らせるような事はもうしない。何でも奢ったり、お土産や贈り物も控えるよ。でも、さ」 強い光を宿した瞳がわたしを見据える。沈黙が降り立ち、意味深に微笑むダイゴさんに鼓動が加速する。 「それがデートだったら、ボクの好きにしてもいいかな。いつか、ボクらにそんな日が来る気がしてるんだ」 「じゃあ、また」 手の中に紙幣を握らされ「乗り場はあっちだよ」ダイゴさんが指を差した。指の示す先を追って体を捻っていると、大きな風が吹いた。 あっ、と空へと視線を向ける。月光を羽根に宿したエアームドが夜空を飛んでいく。背中に乗ったダイゴさんの顔はもう見えない。 大変な事になってしまったかもしれない。何だかすごい事を言われた気がする。ダイゴさんは言った。確かに言っていた。デートと。いつかデートをする、と。 今後もしあのピアスより高価なものを貰ってしまったら。全身がぶるっと震えたのはきっと夜風のせいだけじゃ、ない。