二週間後、私はまたパーティの場を訪れていた。彼も出席していると父から聞かされていたから気が重い。今回は挨拶すら嫌がられるかもしれない。不安に胸が押し潰されそうになる。
なのにあの冷たい視線に気付いていない父によって彼の前に押し出されてしまった。
私のぎこちない笑顔に、ダイゴさんはあからさまに冷たい視線を返してきた。足が竦む。そんな表情をする彼を見たくなくて逃げ出したくなる。
けれどそれではこの前と変わらない。きっとこれは最初で最後のチャンスだ。必死に堪えて声を振り絞った。
「少しお話をしませんか。よければあちらで」
シャンパングラスを片手に指差したバルコニー。夜風がまだ肌寒いからか、人影は少ない。会場内と比べて暗がりでもあるそこは、私にも彼にも都合が良い。
ダイゴさんがバルコニーへ目を向ける。薄雲の掛かった空より憂鬱そうな瞳が私へ戻る。ずきり、胸が痛む。
一方、私の隣では父が嬉しそうに笑っていた。刺すような冷たい空気にまさか気付いていないのだろうか、一人納得したようにうんうんと頷いている。
いくら今しかチャンスがないからといって父の前で誘うのは間違っていた。後悔が押し寄せる。
けれど今更遅い。ダイゴさんは口だけの笑顔を見せて「人を待たせているんだ」と断りの言葉で私を拒絶した。
ああ、駄目か。ダイゴさんの背中を眺めながら父が肩を落とす。私は、駄目だったのはそのだらしない顔のせいだと言いたいのをぐっと堪える。だって彼の視線はずっと私へ向けられていた。彼は私だけを見て、極寒の地より冷たい視線で微笑んでいた。彼が断った理由に父が関係ないのは、誰の目にも明らかだった。
父はしょげた顔のまま「この後はお前の好きにしなさい。私は挨拶回りに行ってくるよ」と私の肩を優しく叩くと、煌びやかな輪の中へ消えてしまった。
どうしよう、途方に暮れる。私にはダイゴさんに挨拶する以外の目的もなければ、気持ちを切り替えてパーティを楽しむ気力もない。父が戻って来るまで壁の花を務めるしかなさそうだ。パーティの中心を離れる。
と、目の前に同じくパーティの中心から抜けてきた姿を見付けた。それは待ち人を理由に私の前から立ち去ったダイゴさんその人だった。分かっていたけれど、さっきの言葉は体のいい断り文句だったらしい。
ダイゴさんが私に気が付く。サイコソーダより透き通ったアイスブルーの瞳と視線が絡む。図らずもしっかりと合ってしまった瞳に、一瞬だけ恋心が息を吹き返す。
もしかしたら今なら。私は上擦る声で彼の名前を呼んだ。
興味のない目が私を見つめる。僅かに眉根を寄せたかと思うと「ボクも話がしたかったんだ」白々しい笑顔を浮かべた。温度のない笑顔は今までで一番綺麗に笑っていた。
バルコニーに出ると、冷たい風が頬に当たった。今夜は冷えますねと沈黙に耐えきれず口にするも冷ややかな視線は私を見下ろすだけだった。人の目がないとこれ程にも冷たい視線になるのか。少しでも場を和ませようと浮かべた笑みが強ばった。
ダイゴさんは多くのパーティへ参加を求められる地位の人ではあるけれど、彼自身はそんな生まれた時から用意された椅子などとうに捨て去っている。彼が今腰を下ろしているのは自らの力で勝ち取ったトレーナーの頂点、チャンピオンの座だ。
だからだろうか、彼は何の努力もなく、ただ与えられた地位にしがみつく人間にあまり良い印象を持っていないようだった。だから視線も冷たく刺々しい。
「それで、ボクに何の用かな」
手すりに体を預けた格好でダイゴさんが尋ねる。
けれど私は言葉に詰まってしまう。何を言っても拒絶が待っている瞳に臆してしまい、それでも今は私だけを見つめる視線に鼓動が加速してしまったせいだ。
私がもっと図太く鈍感で、ただ自分の感情だけを優先できる女だったなら。そうしたらこの胸の痛みだって感じる事もなかったのに。
「きみの話がどんなものかは分からないけど、ボクからもきみに伝えたい事がある」
なかなか話を始めない私にダイゴさんが呆れたように溜め息を吐いた。その一瞬、苦痛に歪む表情が見えた、ような気がした。でもそんな筈はない。単なる願望だ、ダイゴさんはただ嫌悪に顔を引き攣らせただけだ。
「悪いけどボクは誰かと付き合うとか、結婚とか、そういう事は一切考えていない。だからきみがどれだけボクに迫っても、ボクはそれに応えない」
ダイゴさんが言い寄る女性に手厳しいという話は聞いた事があった。相手からの好意を意図的に手酷く扱うのだと、ハンカチを涙で濡らしながら語る女性を何人も知っている。聞く度に大袈裟に言いすぎだと思っていたけれど、その証言は間違っていなかった。
僅かな好意さえ取り付く島もなく拒絶されてしまった。もっと露骨に擦り寄った女性ならより酷い言葉――それこそ罵倒に近い言葉を浴びせられても不思議ではない。そう思わせるだけの苛立ちや憎しみが言葉に棘を作って、私の心に深く突き刺さった。
でも、ここで怯んでしっぽを巻いて逃げ帰る事は出来ない。だってこれは、最初で最後のチャンスなのだから。
「私は」
シャンパンを手すりに置いてダイゴさんに向き合ってひとつ息を吐く。そうしてやっと用意した言葉を吐き出す。
「今夜あなたと一夜を過ごしたいです。あなたへの感情を思い出にする為に」
何処までも続く青空のように澄んだ瞳が大きく見開いて、私の真意を探ろうと睨みつける。
「既成事実を作ってボクを脅そうとするつもりなら――」
「そんな事が出来ないのは、ダイゴさんならよくご存知でしょう」
同じパーティに参加していても、私とダイゴさんではまるで立場が違う。デボンコーポレーションのようなホウエンを代表する大企業の御曹司を脅せる人物なんて、指折数える程しか存在しない。少なくとも私には、到底無理な話だ。
それなのにダイゴさんは何が信じられないのか、眉間に皺を寄せ険しい視線で私を刺した。
以前見たドキュメンタリー映像に同じ目が映っていた事を思い出す。手負いのグラエナが我が子を守る為に周囲へ向けた視線だ。見えるものを一切信用せず、警戒心を露わにし、敵意の滲む瞳が私を睨む。けれど、
「……わかった、いいよ」
一度伏せられた瞳が再び向けられる。疑いの眼差しは変わらず存在している。それでもダイゴさんは頷いた。
瞳に私が映る。初めて彼が私を見てくれた瞬間だった。
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