2. 香り立つ花弁に差すは影(3)




 ダイゴさんはしっかりとした足取りで何処かを目指していた。歩みには迷いがなく、どうやっているのか、草むらに潜んでいるポケモンも華麗にかわしている。
 そのお陰で、こんな草むらだらけでポケモンが沢山いる場所だというのに、ポケモン達と鉢合わせる事は殆どなかった。運悪く出くわしてもポロックで上手く気を引いてやり過ごした。
「今、ピカチュウが想定以上に繁殖してるらしいんだ」
 しばらくポケモンの姿も見えず、かといって会話をする事もなく、妙な気まずさを感じていたら不意に、少し前を歩くダイゴさんが振り返った。
「ピカチュウならきみでも平気だろう?」
 探るような瞳に、ぎこちなく頷く。ナゾノクサにだってポロックを与えられたのだ、愛らしいピカチュウも恐らく大丈夫だろう。
 そのまま歩いていくと突然、草むらから特徴的な尻尾が飛び出した。黄色の、稲妻のようなギザギザした尻尾は、今し方話に出たピカチュウのものだ。
 ダイゴさんが足を止め、一番近くのポロック置き場へ残り少ないポロックをいくつか置いた。元々数も少なかったから今ので空になったかもしれない。
「ほら、出て来たよ」
 がさがさと草むらが揺れたかと思うと黄色い姿がぴょこんと現れた。ピカチュウ達はポロックの美味しそうな香りに鼻をひくひくさせている。
 何かとマスコットに使われるピカチュウは目にする機会も多いけれど、野生でも充分愛想が良い。私の視線に気付いて愛らしく「ピカ!」と鳴く子や、物怖じせずにすぐ傍まで寄ってくる子もいた。可愛い。どの子も可愛くて思わずぬいぐるみのように抱きしめたくなる。
「頬袋は触らない方がいいよ」
 ぐりぐりと、存外強い力でピカチュウを撫でていたダイゴさんがぽつりと呟く。私は慌てて手を引っ込め、頬袋に気を付けながら頭を撫でた。静電気で逆立った黄色の毛は柔らかくて撫で心地はとても良かった。
 横目でダイゴさんを見る。私には必要最低限の会話しかしない彼は、今はピカチュウだけを見ている。私の為に時間を割いたと言ったのに、私にはまるで興味を示さない。当然、此処へやって来た意図も分からない。
 まさかこの子達を私に見せる為では、なんて可愛い推測が頭を過ぎるけれどすぐに打ち消す。そうする理由が見つからない。私はダイゴさんに背中を向けると、慰めるように近寄って来たピカチュウ達を優しく撫でた。


 どれくらい経ったか、屈んで何匹ものピカチュウを撫でていたら「それで、」上から声が降ってきた。顔を上げるとポケットに両手を突っ込んだダイゴさんが見下ろしている。顔は影になっていて表情はよく見えない。それがそら恐ろしく、もっと撫でてとせがむピカチュウから手を引いて立ち上がった。笑顔も浮かべていなければ、不機嫌でもない顔がじっと私を見ていた。
「気に入ったのはあったかい? どれか欲しいのがあれば取るのを手伝うよ」
 ダイゴさんの視線が私の瞳から足元のピカチュウへと移る。ピカチュウが不思議そうに首を傾げた。
 どの子も可愛くて連れて帰ってしまいたい。けれど仲良く暮らしているピカチュウを一匹だけ捕まえるのは可哀想だ。そもそもポケモンを育てた事もないから捕まえようなんて考えてもいなかった。人懐っこいピカチュウにはとても惹かれてしまうけれど、それとこれは話が別だ。
 それでも申し出を断るのが心苦しく、恐る恐るダイゴさんの様子を伺う。ダイゴさんは返事を待つように私を見つめている。
 その時おかしな事に気が付く。ダイゴさんの言葉を思い返す。『あった』『どれか』『取る』……、どれもダイゴさんらしくない言葉だった。まるでポケモンを物のように捉える言葉ばかりだ。
 あっ、と声が漏れる。どくどくと心臓が大きく鼓動する。
 試されている。どう返事をするのか、ポケモンをどう見ているのか。
 いいや、違う。試される程信用もされていない。
 私を見る目は、私が心無い返事をする事を待ち望んでいる。それしか受け入れないと瞳が語っている。
 胸が苦しい。出番を失っていた涙が顔を覗かせる。目頭が熱を帯びていく。
「一匹だけ捕まえるのは可哀想だから、見てるだけで充分です」
 涙が零れてしまいそうだったけれど、どうにか耐えた。案の定、ダイゴさんは私の答えが気に入らなかったようで、ほんの少し眉間に皺を寄せている。
 期待に沿えなくてごめんなさい。でもその期待には応えられない。だって私は、ポケモンの強さもトレーナーとしての実力も全て自分を着飾るアクセサリーとしか見ていない女性ではないから。ダイゴさんが毛嫌いする人達を、私だって快く思っていないから。
「私は、あの人達とは、違います。どんなに試されたって、無駄です。だから、」
 気付けば心の内が声になって溢れていた。言葉を紡ぐ度に呼吸よりも大きな息を吐いては涙を堪える。
 視界はぼやけ、目の前のダイゴさんが歪んで見える。
 けれど、まだ泣いてはいない。もう少しだけ耐えて、と叱咤して再び口を開いた。
「こんなの、やめましょう、もう。ごめんなさい。ありがとう、ございました」
 ダイゴさんがこんな風に人を試す人物とは思いたくない。これは私が馬鹿げた願いを押し通したせいだと信じたい。
 だから、ここで終わりにしよう。嫌いになりたくない。思い出を、汚したくない。
 来た道なんて覚えていなかったけれど、私は走った。その場から逃げ出した。


back