他地方の例に漏れず、サイユウリーグもかなり辺鄙な場所にあった。わざわざこんな所までバトルを見に来るのは余程の物好きだと以前は呆れていたけれど、父に強引に連れて来られ彼らの戦いを目にするとその考えはあっという間に改めさせられた。
ジムバトルとは一線を画した戦いがそこにはあって、人生を、命を掛けて戦う姿に私はすっかり魅了されてしまった。その中でも特に強く心を奪われたのが、チャンピオン・ダイゴだった。
いつものようにレンタルしたチルタリスが天使の歌声のような美しい声で一鳴きして、綿雲のようにふわふわした翼を優雅に羽ばたかせる。サイユウまでの道のりはこの子のお陰でいつも快適だ。
この子をダイゴさんに見せたかったな、ふとそんな思いが湧き上がってくる。自分のポケモンではなかったけれど、お気に入りのポケモンをあの人に褒めてもらいたかった。
そうなっていた筈のあの日はしかし、終始冷たい瞳が私を睨み付け、ポケモンに対する非情な振る舞いを言外に求められるだけだった。
何がいけなかったのだろう、どうすればあんな最後を迎えず、涙を流す事もなく別れられたのだろう。何度考えてみても正解は分からない。尤も、答えが分かったところで過去はやり直せず新たな後悔が生まれるだけ、結局何も変わらない。
それでもつい考えてしまうのは、まだ恋心が残っているからだろうか。終わりにした筈なのに、どうにも出来ないのに、それでも未だにどこかで何かを期待している。期待してしまっている。
でも、それも今日で終わり。ダイゴさんの戦う姿を見て、それを応援して、私はただのファンへと戻る。バトルでの勇姿に胸を躍らせ、偶のパーティで見かけたらラッキーだと喜ぶ、そんなかつての私へと、時間を戻すのだ。
リーグへ到着するとそこは既に大勢の観客で賑わっていた。特に混雑しているのは露店が立ち並ぶ一角だ。ポップコーン等の軽食を売る屋台には短くない列が出来上がり、その奥に見えるグッズ売り場にはさらに長い列が続いている。
よく見た光景だったけれど、改めて見ると人の多さに圧倒された。同時に彼にとって私の存在は、大勢の観客の中のたった一人に過ぎないのだと自覚させられた。
ちらりとグッズ売り場を覗くとダイゴさんのブロマイドが見えた。以前迷って結局買わなかったもので、今日も買わなかったら流石に次はないだろう。
けれど、私はすぐに決断出来なかった。もし新商品があればそれを口実にブロマイドも一緒に買うのだけど、残念な事に新商品はない。私は悩みに悩んだ挙句、帰りに覗いてまだ残っていたら買う事にした。それが今の私に出来る、精一杯の決断だった。
半年ぶりに見るダイゴさんは相変わらず格好良かった。相手がどんなトレーナーでも真摯に向き合い一切手を抜く事なく対峙するその姿は、ポケモンリーグの王として皆が望む姿で、私が胸を高鳴らせた姿だった。その期待に応えるようにチャンピオンは巧みにポケモン達を動かしてバトルを支配していく。
パーティでひたすら笑顔を振りまく姿と比べて、バトルフィールドに立つダイゴさんは何倍も生き生きと輝いていた。ぎらついた瞳にぐっと上がった口角は、お嬢様方が見れば下品だと眉をひそめて非難するだろう。けれど薄っぺらい笑顔で拒絶されるなら、手の届かない場所で何かに縛られる事なく笑っている彼を眺めている方が幸せだ。まだ心からそうは思えないけれど、きっと、この試合が終わる頃にはそう思える筈だ。
バトルは一進一退が続き、気付けばどちらの手持ちも残り一体になっていた。フィールドでは絶対王者のメタグロスが太く鋭い爪を地面に突き立て、勇猛果敢に立ち向かうバシャーモの猛攻を受け止めている。重い一撃の度に鋼鉄の身体がぐらりと揺れ、私には挑戦者が勝利を掴もうとしているように見えた。思わず拳に力が入って手の平に爪が食い込む。
そんな中、抉れた地面に足を取られたメタグロスをバシャーモの炎が容赦なく襲う。観客席まで届いた火の粉と熱風が喉を焼き、息苦しさを覚える。観客席ですらこれ程の熱さを感じるのだ、フィールドに立つダイゴさん達を襲う熱はこの比ではないだろう。
事実、大型モニターに映し出された挑戦者は垂れる汗を腕で拭い取り、吹き荒ぶ熱波に顔を歪めている。
ダイゴさんは大丈夫だろうか、メタグロスの後ろに構える彼へ心配の視線を向ける。
けれどそこには、熱さをものともせず場違いな程優雅に微笑む姿があった。見間違いかと何度瞬きをしてみてもやはりダイゴさんは静かに笑っている。背筋がぞくりとして、ドキドキと鼓動が騒がしくなって強い高揚感に包まれる。
次の瞬間、炎の勢いが弱まった僅かな隙を突いたメタグロスが、その巨体にエネルギーを溜めてバシャーモへと襲い掛かる。
炎に太刀打ち出来ず防御に徹していたと思われたメタグロスは、ダイゴさんの指示が出るまで虎視眈々と反撃の瞬間を待っていたのだ。そして今、ようやく動き出す。
メタグロスが炎で変色を始めた鋼の身体に渾身の力を溜め、バシャーモに飛びかかった。バシャーモの体力は残り僅か、メタグロスの技を受け切れる余裕は、ない。
挑戦者がパートナーの名前を叫ぶ。刹那、弱まりかけていた炎が勢いを増す。
けれど、そこまでだった。
ぐらり、体が揺れ、どう、とバシャーモがフィールドに倒れ込む。
今回の〝チャンピオン防衛戦〟も、フィールドに堂々と立つメタグロスで終わりを迎えた。途中、ひやりとする場面もあったものの、終わってみれば物語を盛り上げる為の見せ場の一つに過ぎなかった。
大型モニターに、ダイゴさんが大きく映し出される。抑えきれない興奮が頬を紅潮させ、自然と上がる口角はまだまだ戦い足りないと言っている。
けれどカメラに気が付くとそちらへ顔を向け、滾る熱をぐっと抑え込んだ微笑みで一度だけ手を振った。それまで聞こえていた声援に黄色い声が混じる。私も声こそ出なかったけれど、その笑顔に胸を高鳴らせた。
その後ダイゴさんは威風堂々と胸を張ったメタグロスへ近寄って、大きな身体を労うように撫でながら声を掛けた。メタグロスの赤い瞳がチカリと光り、ダイゴさんも小さく笑う。つい今し方までギラギラと瞳を光らせ非情な捕食者のように危ない笑みを浮かべていた人物とは思えない程、優しく穏やかな表情だった。それは彼の中で燃える闘志を全て受け止め、全力を振るうポケモン達への感謝と信頼が見せる笑顔だった。
この人はポケモンが好きで、バトルが好きで、今この瞬間が大切なのだ。そして私は、そんな彼をずっと見ていたい。彼を煩わせる存在には、なりたくない。
胸に甘酸っぱい痛みがじわりと広がる。でももう間違えない。これは恋なんかじゃない。強い憧れが胸をひりつかせているだけだ。
フィールドの中央で二人が握手を交わす。もしまた彼が挑戦するのなら、その時はダイゴさんも今日程余裕を保てまい。或いはもしかしたら。
どくどくと煩くなる心臓に急かされるようにバッグからポケナビを取り出す。考えるよりも先に指が自然に動いていく。そして無意識に詰めていた息をふっと吐いた頃には、来月のチャンピオン戦チケットの購入が完了していた。
「オレこれ欲しい!」
試合の余韻と人波が収まるのを待ってから外へ出ると、目の前を歩いていた少年がバタバタと駆け出した。何度もモニターに映った少年だった。熱心にバシャーモを応援する姿が印象的だったから覚えている。
そんな少年の目に止まったのは、私が買うか迷って保留にしたあのブロマイドだ。あんなに必死に挑戦者を応援していたからてっきりダイゴさんの事はあまり好きではないのかと思っていたけれどそうではないらしい。彼の母親も戸惑っていたが少年はそれが欲しいと言い張り、買ってくれるまで帰らないとまで宣言した。
「試合前にバッジを買ったでしょう」
「でもこれも欲しいんだもん!」
そんな会話を聞きながら、ちょうど列の途切れたグッズ売り場へ向かう。勿論どうにか残っていたダイゴさんのブロマイドを買う為だ。残っていて良かった、売り切れていたら試合前の優柔不断な自分を恨んでいるところだ。
無事に会計を終え、傷付けないよう慎重にバッグへ仕舞って、ふと気になって先程の少年を探す。まだお品書きの看板前で粘っていて、一生のお願いなんて言葉も使って母親を説得しようとしている。そんな必死な姿につい笑ってしまったら次の瞬間、少年が思いがけない言葉を叫んだ。
「敵の顔は覚えとかなきゃダメだから! オレが代わりに倒すんだから!」
もしこの場にダイゴさんがいたらどんな反応をするだろう。ブロマイドに写る彼のように好奇心に満ち、星屑を閉じ込めたようにキラキラした瞳を輝かせるのだろうか。それとも試合前に浮かべる新月の夜のような不敵な笑みだろうか。案外、爽やかに笑って「楽しみにしてるよ」と返すかもしれない。そんな想像をして、ダイゴさんの事を自然に考えている事に気が付く。胸の痛みも、ない。
もう、大丈夫。私はボールからチルタリスを呼び出す。大きくて温かいチルタリスの背中に体を預け今日の試合を思い返す。
どの試合も素晴らしかった。ここへ来るまではちっとも気乗りしなくて足も重たかったけれど来て良かった。来月の試合も今から楽しみで仕方がない。
夕闇に染まる空に吹く涼やかな風が頬を撫でる。心地良かった。半年前の空とは大違いだった。ようやく、前へ進める。やっと、思い出に出来る。
電話が掛かってきたのは、その夜の事だった。
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