夜が更けるにつれて鼓動が大きくなる。何をしていても意識はポケナビに注がれる。心臓が痛い。全然集中出来ない。
恐る恐るポケナビを見る。何の通知もない。けれどきっとその内電話が掛かってくる。昨日も一昨日も、チャンピオン戦を見に行ったあの日から、毎夜掛かってくるあの電話が、今夜も必ず掛かってくる。
室内は静寂に包まれていた。けれど次の瞬間、テーブルに置いたポケナビが音を鳴らした。ディスプレイには未登録の番号が大きく表示されている。全く知らない番号ならさっさと着信拒否して穏やかな夜を取り戻せばいい。
けれど私はこの番号を知っている。覚えてしまっている。ダイゴさんだ。ダイゴさんが夜になると電話を掛けてくる。
ダイゴさんのバトルに大満足し、ファンへと戻ると決めた日の、もう寝ようとベッドへ潜り込んだその時、ポケナビが鳴った。最初はディスプレイに映る番号に気付かず間違い電話か迷惑電話の類だと思った。
けれど鳴り止んだポケナビを手に取り番号を眺めていたら、この見覚えのある番号はダイゴさんだと気付いてしまった。
最初に感じたのは苛立ちだった。ようやく前を向けたのに、どうして、よりによって今日電話をしてきたのかと。間違い電話か操作ミスだったとしても、それにしてもタイミングが最悪すぎた。怒りで胃が気持悪くなる。私は着信履歴を消すと楽しい事を無理やり考え眠りに就いた。
けれど次の日も、その次の日も夜の遅い時間になるとポケナビが鳴った。あの番号からだった。
誰かと間違えて掛けているのなら、電話に出て間違っていると伝えた方がいいかもしれない。でも、半年前に繋がりの切れた相手を他の誰かと間違えるだろうか。
なら、毎夜鳴るこの電話は一体何だろう。あれから半年、何の音沙汰もなかったのに、今さら連絡だなんて、何を考えているのだろう。
鳴り続けていたポケナビに沈黙が訪れる。いつの間にか詰めていた息を吐き出してポケナビを掴む。今し方増えた着信履歴を消す為だ。でも、それは出来なかった。
昨日まで一度きりだった着信が、今日に限って二度鳴った。鳴り響く着信音に心臓が口から飛び出しそうな程驚いて、手が滑り、応答ボタンに触れてしまった。あっ、声が漏れ、すぐさま電話を切ろうと震える指をディスプレイへ押し当てようとして、
『もしもし?』
聞こえてきた声に体が固まった。
『やあ、ボクだよ、ツワブキダイゴ。……久しぶりだね{{kanaName}}さん』
ポケナビから聞こえる声は、はっきりと私の名前を呼んだ。聞こえた声に鼓動が大きくなって、体温が上がっていく。今すぐ電話を切れと頭の隅で誰かが叫ぶ声もする。
けれど私を支配したのは理性ではなくポケナビから聞こえるダイゴさんの声で、電話を切るどころか「おひさしぶりです」と震える声で挨拶を返していた。
『出てくれてありがとう、どうしてもきみと話がしたかったんだ』
電話越しに聞くダイゴさんの声は穏やかで優しくて、まるで私達に何の蟠りもないような口調だった。熱くなった体からは汗が滲んで、呼吸も浅く速くなっていく。何か返さなくては、と口を開いても喉の奥に忘れてしまった声は出て来ない。
『この前は本当に申し訳なかった。きみに酷い事ばかりしてしまった。反省……いや、後悔してる』
何一つ難しい言葉は使われていないのに、理解が出来ない。ダイゴさんが、何故か私に謝っている。半年も前の事を、今さら、つい昨日の事のように。
『だから……、お詫びにもならないだろうけど、次の土曜、十五時にカナズミの広場で待ってるよ。勿論、強制はしない。{{kanaName}}さんには断る権利がある。でも、来てくれたら……嬉しい』
今さら、なんで、突然。分からない、何も分からない。もうあの日の事は忘れようと決めたのに、ファンとして応援しようと決めたばかりなのに。
『用件はこれだけで、その、きみは……、いや、今話す事じゃないな。……ああ、そうだ、夜も遅いのに電話を取ってくれてありがとう。{{kanaName}}さん、おやすみ、良い夢を』
嵐のような電話は、優しい音色を響かせてぷつりと切れた。
どう、しよう。どうしよう。どうしたらいいのだろう。知らない。分からない、正解が、分からない。
半年間未練たらしく引き摺っていた恋は、所詮私が抱いていた一方的な感情だった。どの場面を振り返っても彼が好意を抱いていないのは明らかで、それどころか深い嫌悪すら向けられていた。
その筈、だった。
体が熱い。全身が心臓になったようにどくどくと煩い。
ダイゴさんの言葉を思い返す。断ってもいいと言っていた。選択肢を与えてくれていた。この前のように無理やり約束を取り付ける事はしなかった。
けれど。誘いを断った未来を思い浮かべる。あのデボンコーポレーションの社長子息でホウエンリーグチャンピオンが来る筈のない相手を待ち続けている。
そんな事、させたくない。私が胸を時めかせたのは、いつだって自信に満ちてキラキラと輝いたダイゴさんだ。惨めな姿は見たくなかった。
行くしかない。拒否は出来ない。
だからこれはあくまでチャンピオンの為で、彼の名誉を守る為で、私の気持ちは関係ない。私は本当は行きたくない、会いたくない、遠くから眺めているだけでいい。それでいい、それだけでいいの。
ポケナビのカレンダーアプリを開く。土曜日、十五時、カナズミ。必要な事を入力して、それから電話帳も開く。
優しい声が私の名前を呼んでくれた。少し上擦った声が会いたいと言ってくれた。柔らかな声でおやすみと囁いてくれた。私も、私だって、本当は、ずっと、ずっとずっと。
震える指でポケナビを操作する。そして、本当はそらで言えるようになっていた番号を、今度は私の意志で登録した。
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