4.差す光とをなくす花(1)




 秋晴れの土曜日、私はダイゴさんからサファリゾーンへ誘われていた。
 嫌な思い出しかない行先に最初は乗り気になれなかったけれど、『今度は必ず楽しい思い出にするよ』と電話越しに聞いたダイゴさんの声は半年前のあの日と違って優しい声だった。きっと大丈夫、私はダイゴさんを信じて誘いを受けた。
 ただこれはデートなんだろうか。チルタリスに乗りながら悩む。少し考えて首を振る。
 ルネの展望広場でダイゴさんは私の事をもっと知りたいと言ってくれた。けれどそれは私の抱く興味とは違う。私はダイゴさんに恋をしていて、だからもっと彼の事を知りたかった。その興味はダイゴさんのとは違って欲に塗れている。
 一方ダイゴさんの興味に下心はない。ダイゴさんは私に恋なんてしていない。だって恋なら私の願いを叶えたいなんて言う筈がない。だから今日のこれはデートじゃない、単なる友人として出掛けるだけだ。
 それでも私は嬉しかった。憧れて恋までしたダイゴさんが私の事を知りたいと言ってくれた。それだけで充分だった。遠くない未来に別れが待っていようとも、少しも辛くはない。だから今日の私の心はタマザラシよりも軽やかに飛び跳ねている。
 待ち合わせは前回と同じで、けれど前回と違ってダイゴさんの方が先に待っていた。待たせてしまった、とチルタリスをボールへ戻しながら駆け寄ると「ボクも今来たところだよ」ダイゴさんに爽やかな顔を向けられた。その顔にどきりとして、向けられる視線が恥ずかしくてつい顔を逸らしてしまう。逸らした顔の向こうで小さく笑う声が聞こえた気がした。
「チルタリスにポロックをあげなくていいのかい?」
 ダイゴさんの予想外の言葉に視線を戻す。目が合ったダイゴさんは不思議そうに肩を竦めながら笑っている。
 彼の言う通り、チルタリスには空を飛ぶ度にポロックをあげている。けれどダイゴさんの前であげた事は一度もない。ルネでショーを見た日は待ち合わせ場所から離れた場所に下りていたし、前回ここへ来た時は私の方が先に着いたから見られている筈がない。
 だから思わず「どうしてそれを、」訊ね返すと、思いもよらない言葉が返ってきた。
「実は見てたんだ、きみがチルタリスにポロックをあげていたのを」
 自分が先に着いたとばかり思っていたけれど、あの日もダイゴさんの方が先に着いていたのか。なんだ、と納得しようとして、恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになる。
 チルタリスにポロックをあげる時、つい癖であのふわふわの翼に顔を埋めていた。それはもう習慣のようなもので、はっきりと覚えていないけれどきっとあの日も抱きついている。チルタリスとポロックを見たのなら、それも見られた可能性がとても高い。大の大人がするには少々恥ずかしい、あの姿を。
「もしあげるなら、ボクにもチルタリスを触らせてほしいな。ずいぶんと気持ち良さそうだったから少し気になっているんだ」
 きらりと光る瞳が、私がチルタリスに抱きついた姿も目撃したと語っていた。恥ずかしくて穴があったら今すぐ入りたい。けれどダイゴさんはそんな私に「ポケモンと仲が良いのは素敵な事だよ」と嬉しそうに微笑む。揶揄する訳でも皮肉でもないその言葉に羞恥とは別に、胸の奥がじわりと暖かくなった。
「じゃあ行こうか」
 ダイゴさんが歩き出す。以前のダイゴさんはろくに視線も合わせてくれず、一人で勝手に歩いていた。
 けれど今日は違う。ダイゴさんは私を見て微笑んで、決して傍を離れずに歩いている。
 今日はきっと楽しい一日を過ごせる。そんな予感に心が擽られた。


 サファリゾーンに行くならポロックを沢山持っていった方がいいだろう――ポケモン達が美味しそうに食べる姿をもっと見たくて、今日はチルタリスの分とは別にポロックを作ってきた。
 でも少し張り切りすぎたかもしれない。小さなケースには収まりきらず別の容器に詰めたポロックを見たダイゴさんに「ずいぶん沢山作ったんだね」と、少し呆れた顔をされてしまった。前回ほんの少し褒められたからって何を勘違いしたんだろう。空回りしたやる気と、ダイゴさんとの熱量の差に恥ずかしくなる。
「相変わらず、きみのポロックは人気だね」
 ポロック目当てに近付いて来たナゾノクサにきいろいポロックを手渡してダイゴさんが顔を上げた。前もそうだったように、ダイゴさんはスーツが汚れるのを一切気にせず地面に膝をついてポケモンと触れ合っている。ポケモンの事となると自分が後回しになるその姿は何だか小さな男の子のようで、普段感じる格好良さとは異なる、胸がぽかぽかと暖かくなる可愛らしさがあった。
「もし余ったら貰ってもいいかい? ボクのポケモン達にも食べさせたいんだ」
 にこりと笑うダイゴさんに「も、もちろんです」と即答した。けれどすぐに安易な返事を後悔する。
 素人の趣味にも満たないポロックをチャンピオンのポケモンに食べさせていい筈がない。そもそも今の言葉はお世辞に決まっている。また浮かれて勘違いして恥ずかしい。
 私は慌てて断ろうと口を開く。けれど、
「ありがとう。きっとメタグロス達も喜ぶよ」
 ナゾノクサにもう一つポロックを与えて、ダイゴさんが立ち上がる。いつもより唇が描く孤が大きくて、機嫌の良さそうな笑顔だった。そんなダイゴさんにやっぱり駄目とは言える筈もなく、私は逃げるように顔を伏せた。こんな事になるならもっと練習すれば良かった。気付かれないよう小さく溜め息を吐く。
 その後もポケモンを見掛けてはポロックを与え、草むらに隠れてポケモン達の姿を観察して、或いは他のお客さんがポケモンを捕まえる様子をこっそり応援したりして、サファリゾーンを存分に満喫した。最初は緊張で強ばっていた頬も、いつの間にか程よく力が抜けて自然と笑えるようになっていた。ダイゴさんから向けられる柔らかい眼差しも心地良かった。この前の事が嘘のように、幸せな時間だった。


「そろそろ出ようか」
 サファリゾーンに紛れ込んだキャモメがポロックを啄む様子を眺めていたら、ダイゴさんが空を見上げて言った。空にはいつの間にか茜色が混じっている。
「それが最後の一粒だし、風も冷たくなってきた。出るのにちょうど良い頃合だよ」
 そう言って、ダイゴさんが手を差し出す。その手は私の手を待っていた。
「夜の草むらは危険だから」
 私を見つめるダイゴさんの瞳は、何の曇りもないキラキラと輝いた色をしていた。澄み切った空を切り取りその中に太陽の眩しさも一緒に詰め込んだ瞳が、困惑する私を見つめている。
 きっと、伸ばされた手には言葉以上の理由はない。ポケモンを持たない私の安全の為、ただそれだけだ。分かっている。分かっているけれど躊躇ってしまう。
 手を繋ぐのはこれが初めてではない。逃げないように手首を強く掴まれた事もあれば、カナズミやルネで観劇した時にも握られた。どれもダイゴさんから半ば無理やり触れてきたもので、私に拒否権はなかった。
 でも今は違う。私が自ら手を取らなければならない。私は言葉の裏に真意を求める心へ何度も安全の為だと言い聞かせて、そっと手を伸ばした。
 指先がダイゴさんに触れて、その刹那、私の右手は温もりに包まれる。ダイゴさんが私の手を握っていた。途端に右手が熱くなる。心臓が胸を突き破ってしまいそうな程強く速く鼓動する。胸が苦しくて、けれど同時に心が満ち足りていく。
「――った」
 ぽつり、ダイゴさんの声が聞こえた。けれど舞い上がる心にいっぱいいっぱいで聞き取れず、聞き返すとしかし「何でもないよ」と首を振るだけで、何と言ったのかも口角の上がった理由も分からなかった。


 サファリゾーンの面する121番道路には夕暮れ時にも関わらず沢山のトレーナーの姿があった。特訓に励むトレーナー達をダイゴさんは楽しそうに眺めて「いつかボクの所まで遊びに来てくれるのかな」なんていたずらっぽく笑う。自信に満ちた瞳はきっとこの場にいるトレーナーが束になって挑戦しても輝きを失う事はなく、あっさりと倒してしまうのだろう。
 見てみたいと思った。サイユウリーグの広いバトルフィールドとは違う、フィールドとして全く整備されていないこの場所でどんな風に戦うのか、少しでいいから見てみたかった。だからもし誰かがバトルを申し込んできたら私に構わず戦ってほしいと言おうと、果敢な挑戦者を今か今かと待っていた。
 けれどダイゴさんはぎらついた瞳でバトルを申し込んできた青年に「悪いね、時間がないんだ」と言って取り付く島もなく断ってしまった。前と同じだ。振られて落ち込む青年を背中に、私の事は気にしないでとダイゴさんを説得しようとするとしかし「それは無理だよ」ダイゴさんが首を振る。
「だって今日はきみと過ごしたいんだ。その為に時間も作ったんだし、バトルはまた今度でいいよ」  そう言って笑うダイゴさんに、顔が熱くなる。向けられる柔らかな眼差しに好意が見えた気がして、ドキドキと胸が高鳴った。そんな事を言われたら恋する心はどんどん勘違いしてしまう。
「それに、バトルが見たいならリーグにおいでよ。ちょうど来週はリーグ戦なんだ」
 言われて思い出す。私がダイゴさんのバトルを見てもうすぐ一ヶ月経つ。もう決して話をする事もないと思っていた相手と、毎週のように会うようになって、一ヶ月になる。
「よければ席を用意するよ」
 自信に満ちた瞳がきらりと光る。まだ相手すら分からないのに勝利を確信している目だった。よければ、なんて控えめな言い方をしているけれど、瞳が、態度が、見に来てほしいと言っていた。
 けれど、その誘いは断るしかなかった。だって私は既にチケットを持っている。貰う必要がないのだ。
 それを伝えようと「大丈夫です」と首を振ったものの、続けて理由を話そうとしたら何だか少し恥ずかしくて言葉が続かない。チケットは持っています、そのたった一言が声にならない。するとその沈黙をどう捉
えたのか「先約があるなら仕方ないね」とダイゴさんが眉を下げた。 「来月は開催日程が決まったらすぐに連絡するから、是非見に来てほしい」
 来月はもちろん、来週のリーグ戦だって見に行くのに。私はどうにか誤解を解こうと言葉を探す。けれどダイゴさんの興味は既に近くで特訓するライボルトに移っていて、今さら実はチケットを持っているとは言い出せなかった。
 素直に話せばよかった、罪悪感がじわりと滲んだ。


 ミナモシティに着くとダイゴさんは「近くにお気に入りのお店があってさ」と繋いだままの手を引いて小ぢんまりとしたレストランへと向かった。てっきり高級レストランかと思ったらそこは大衆向けの家庭料理を出すお店で、店内は賑やかな雰囲気に包まれていた。入った瞬間こそダイゴさんのイメージと少し違うような気がしたけれど、明るく親しい空気はまさにダイゴさんに良く似合っていた。
 食事の間、ダイゴさんは色んな事を話してくれた。珍しいポケモン、出会ったトレーナー、それから採掘した石の事を楽しげに語る姿は宝物を自慢する少年のようで、熱く語る内容の半分程も理解出来なかったけれど聞いてるだけで楽しくなった。
 一方の私はダイゴさんのような楽しい話はちっとも出来ない。ポケモンも持っていなければ面白いバトルを見る訳でもない。どこかへ出掛けた話だってダイゴさんも行った事のある場所ばかり。唯一話せそうな事はレンタルしているチルタリスの事くらいだけど、それだってきっとダイゴさんからすれば大した話ではない。
 申し訳なさを感じて謝ると、驚いた顔が返ってきた。
「ボクは{{kanaName}}さんの事を知りたいんだ。だから何も気にせずに話してほしいな」
 私を見つめるダイゴさんの瞳は眩しいくらいにキラキラと輝いた色をしていた。その言葉は嘘でも何でもなくて、本当に私の話を聞きたいと言っていた。
 戸惑って、嬉しくて、私は請われるままチルタリスの話を喋った。あのふわふわの羽に顔を埋めるのが気持ちいい事も話したら「ボクもやってみたいなあ」羨ましそうな声が返ってきた。チャンピオンでもやった事がないのかと少し嬉しくなって得意げな気分になっていたら、「ボクのメレシーだってフワフワのヒゲを持ってるよ」そこからダイゴさんのポケモン自慢が始まった。競うようにチルタリスの自慢をして、気付けば昔からの友人のように軽い口調で喋っていた。


 話をしていたら時間はあっという間に過ぎていて、賑やかだった店内には落ち着いた空気が漂っていた。もう夜も遅い。自宅のカナズミまで帰る時間を考えればそろそろ帰らないといけない。
 店を出ると冷たくなった風が頬を撫でた。その冷たさに心が冷静さを取り戻していく。
「家まで送るよ」
 私へ差し出された手はひどく魅力的で、今すぐにでも掴みたかった。
 けれど私はダイゴさんの手の代わりにバッグの中のボールを掴んだ。勘違いして期待する心を窘める。ダイゴさんの向ける好意はどれだけ熱を持っていても友愛で、私の望む形はしていないのだと。
 ミナモからカナズミまでの空の旅は長いようであっという間だった。いつもならゆっくり飛ぶチルタリスがエアームドに対抗意識を持ったようで、大きな翼で力強く羽ばたいてぐんぐんとスピードを上げたせいだ。
 もっとゆっくりでいいのに。チルタリスにスピードを落とすようにお願いしても聞き入れてもらえず、今なら流れ星にも勝てそうな速度で空を駆け抜けていった。


「今日はありがとう、すごく楽しかったよ」
 楽しかった一日もとうとう終わりを迎える。家の前まで送ってくれたダイゴさんが、夜空の星より煌めく瞳で微笑んだ。好意的な眼差しに胸の奥がじわりと熱を持つ。
 この瞬間がずっと続けばいいのに。幼子のように駄々を捏ねたくなる。
「次は{{kanaName}}さんの行きたい場所に行こう。予定が分かったらまた連絡するよ」
 じゃあまた。ダイゴさんが軽く手を振ってエアームドの背中に跨ろうと足を掛ける。
 けれどその体がぴたりと止まり、再び地面へ足を着け、私の元へ戻ってきた。
「あの、さ。次からはきみの事、{{kanaName}}って呼んでもいいかい?」
 どこか照れた感じのする姿は、普段の格好良い彼とは違って可愛いさが勝っていた。
 こんな顔もするんだ、心臓がどくどくと煩くなる。私は火照ってきた頬を隠すように俯きがちに頷いた。
「良かった、ありがとう。おやすみ{{kanaName}}、夢でも会えるといいな」
 私より一回り大きな手がくしゃりと頭を撫でた。優しい温もりが心に火を灯す。
 しばらく惚けていた頭がやっと我に返った頃には、ダイゴさんの姿はとうに夜空の星の中に消えていた。


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