4.差す光とをなくす花(2)




 興奮冷めやらぬ会場で、私の視線もバトルフィールド中央に立つチャンピオンに釘付けだった。今月のリーグ挑戦者もかなりの実力で、だからこそダイゴさんも生き生きとバトルをしている。
 エアームドがタイプ相性の不利なライボルト相手にも健闘を見せ、ネンドールが強力な技でカイリキーを捩じ伏せる様はどんな言葉を重ねても言い表せない程興奮した。挑戦者も持てる全ての力でダイゴさんに挑み、終始劣勢ではあったものの、いつになく調子の良いダイゴさんからメタグロスまで引き出していた。
「きみ、すごいね」
 会場に設置された巨大モニターがダイゴさんを映し出す。つり目がちのダイゴさんの笑った顔は、時々ひどく悪い人のようにも見える。興奮を抑えられない時の笑みは特にそうで、だからこそ普段は控えめに笑って、口元を隠すようにしているのだろう。けれど今はそんな余裕もなければ、隠すつもりもないようで、悪の組織の幹部も顔負けする程ぞっとする笑みを湛えていた。
 傷一つないメタグロスと満身創痍のハリテヤマが対峙する。体力的にも相性的にもメタグロスの勝利は明らかだった。それでも何が起きるか分からないのがバトルというもので、決着はすぐには訪れない。
 ハリテヤマの攻撃の嵐を前にメタグロスは防御に回り、隙を突いて堅実に反撃したところで致命傷には至らない。それがどうにも焦れったくて、ダイゴさんに視線を向けると、バトルの最中とは思えない程落ち着いた眼差しが挑戦者とハリテヤマを見つめていた。その瞳は先日サファリゾーンでドードーを捕まえようと奮起していた少年に向けたそれとよく似ていて、その夜の食事でチルタリスの事を語る私へ向けた眼差しと同じ温もりを持っていた。
「いくよ、メタグロス!」
 ゆっくりと瞬きをひとつして、ダイゴさんの瞳の色が変わる。ホウエン最強の、チャンピオンとしての自信に満ちた表情に戻っていた。
 ダイゴさんの指示に合わせてメタグロスが動く。ハリテヤマの上方に浮遊していたメタグロスは四肢を折り畳んで巨大な天色の塊になると、木から木の実が落ちるように、空から隕石が降ってくるかのようにハリテヤマ目掛けて落下した。
 一瞬の出来事だった。技を繰り出したばかりのハリテヤマは避ける事も受け流す事も出来ず、立つのもやっとの体に強烈な一撃を喰らう。受けきれなかった衝撃がハリテヤマの体から地面へと伝わりフィールドが音を立てて崩れていく。なんて力だろう、ぞくりと背筋が震える。
 刹那、ハリテヤマの体がぐらりと揺れ、地面へと倒れ込んだ。チャンピオンの勝利が決まった瞬間だった。
 観客席から怒号のような歓声と割れんばかりの拍手が沸き起こる。私も無意識に止めていた息を吐き出し、両手が痛くなるのも構わず大きな拍手を送った。
 今回もすごいバトルだった。隣のバトル通らしき男性もすっかり興奮した顔で「よくやった! 最高だ!」と叫んでいる。目の肥えた人すら満足させてしまうなんて、やっぱりダイゴさんはすごい人なんだと少し誇らしくなった。
 だからこそ、本当は見に来ていると言えなかった事が悔やまれる。せっかく本人と連絡が取れるのにこの感動を伝えられないなんて、なんて馬鹿な事をしたのだろう。今日なら隣のバトル通の男性が親切に解説してくれたおかげでバトルの内容にもきちんと触れて感想を言えるのに、照れに負けた先週の自分が情けない。はあ、と大きな溜め息が零れた。
 ところが十数分後、私の後悔は内容を変える事となる。


 人々でごった返すロビーを抜けて建物の外へ出ると、空はぶ厚く暗い雲に覆われていた。今にも降り出しそうだ。早く雨雲を通り抜けなくちゃ、私はチルタリスのボールを取り出そうとバッグを開ける。
 とその時、ポケナビに着信が入った。誰だろう。チカチカと点滅する着信ランプに急かされ、ろくに相手も確認せずに応答すると、
『まだ帰らないで』
 それはダイゴさんの声だった。
『中央ロビーのポケモンセンター傍の関係者用通用口、そこに来て』
 ダイゴさんはそれだけ言うと返事も聞かずに電話を切った。
 何が起こったのか分からなかった。ポケナビにはほんの数秒の通話履歴が表示され、耳に残るのはどこか棘のあった声。唯一理解出来たのはダイゴさんに呼び出されたという事だけ。それだってよくよく考えれば筋の通らない要求だ。
 試合の感動で溢れていた頭は突然の難題にうまく回転してくれない。何かを考えようとしても、どうしての一言ばかりが浮かんで思考は先に進まない。
 けれど足だけは磁石で引き寄せられるように通用口へと向かっていて、人の波に逆らいながらポケモンセンターまでやって来ていた。
 私のようなポケモンを持っていない人間にとってポケモンセンターは縁遠い場所だ。だからリーグ内のポケモンセンターも、場所を知るだけで寄った事は一度もない。そのせいだろうか、胸がざわついて不安で胸が苦しくなる。受付の女性が私に笑顔を見せるけれど、その笑顔が何だか申し訳なくて隠れるように通用口の方へ駆けた。
 壁に紛れるようひっそりと設けられた扉を隣に呼吸を整えていると、ドアノブを回す音がして壁に人ひとり通れる隙間が出来た。驚いて振り向くと、そこから覗くダイゴさんと目が合い、「こっち」私の手首はぐいと掴まれ扉の中へ引き込まれた。
「今日も来てくれていたんだね」
 にこりと微笑むダイゴさんはまだ試合の興奮が冷めていないのか、いつもより少し頬が赤く、瞳も大きくぎらりと光っていた。挑戦者に向ける顔だった。ぞわり、小さな恐怖が背筋を撫でる。
「ねぇ{{kanaName}}、今日のボクはどうだった?」
 ダイゴさんの足が一歩こちらに近付くから無意識に後ずさっていた。近付かれると煩い心臓の音がダイゴさんに聞こえてしまう。それなのに私が逃げると逃げた分だけ近寄って来るから、私の背中はすぐに壁にくっ付いてしまった。
「きみの感想が聞きたいんだ」
 声と共に吐き出される息が頬に掛かる程、ダイゴさんは私に詰め寄っていた。騒ぐ心臓の音は間違いなく届いてしまっている。頭の中は真っ白で、観客席では溢れていた感想の言葉はどこを探しても見当たらない。
 そんな私を熱っぽい瞳がじっと見つめる。熱い。熱くてますます思考が溶けていく。
「かっこ、よかった……です」
 やっと言えた言葉はありきたりで陳腐な言葉で、恥ずかしさと情けなさに目を合わせていられず謝るように頭を下げた。ぴかぴかに磨かれた床へ不細工に歪む顔が写る。
「それだけ……、かい?」
 そんな訳がない。今言葉に出来ないだけで、感じた事は沢山あって、伝えたい言葉はもっとある。僅かに残念の色に染まったその一言へ、せめてそれだけでも伝えなければと落とした視線をダイゴさんへ戻したら。
「冗談だよ。来てくれてありがとう。雨が降らないうちに気を付けて帰ってね」
 重たそうな扉はダイゴさんの手で軽々と開けられ、そのダイゴさんに手を引かれて扉の外へと押し出された。振り返ると重さのある扉がゆっくりと閉まるところで、ダイゴさんが徐々に狭くなるその隙間から私を見つめていた。赤らんだ頬に満足そうな笑みを浮かべる彼は、目が合うと熱っぽい瞳をゆるりと細めた。
 扉が完全に閉まってようやく、私は自分の体を動かせる事を思い出して、震える指で唇に触れた。まだ感触が残っている。顔を上げた私に不意打ちで寄せられた唇の感触が、じわりと唇を侵している。
 唇が触れるだけのキスだった。思春期のカップルでさえもっと先の事をしていても不思議でないのに、たったそれだけの事で私の心臓は破裂しそうな程速く鼓動して体が芯から熱を帯びてくる。初心な生娘でもないのに、触れた唇と鼻を擽った彼の匂いに色情が溢れそうになっている。
 その後何とか雨が降る前に家へと帰ったものの、眼下に広がっていた綺麗な街並みも、チルットの群れと並んで飛んだ事も、相棒のオオスバメのスピードを自慢してきた短パン小僧の事も何もかも、目に写すばかりで覚えていなかった。


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