恋人役自体は何も難しい事はなく、ただダイゴさんの隣に立って微笑んでいればよかった。好奇の眼差しや冷ややかな視線はひどく痛くて逃げ出したくなる事もあったけれど、その度にダイゴさんが過保護なくらい気遣ってくれて、その瞬間だけは本当にダイゴさんの恋人になった気がした。
そんなダイゴさんは別れ際、必ず深々と頭を下げて「今日はありがとう」と礼を言う。浮かれた気持ちが一気に熱を失うこの瞬間が、所詮私は恋人役に過ぎないと嫌でも自覚させられるこの瞬間が、大嫌いだった。でもそれより何より嫌なのは、その後に続く言葉だ。
「そういえば、誰か気になる人は出来たかい?」
求められている返事は分かっている。それは私が少しだけ幸せになる返事でもあった。でも言えない。私はこの期に及んでまだダイゴさんの傍を離れられなかった。首を振る。
「そう、か」
何かを期待した顔から明るさが消え、残念そうに溜め息を吐く。胸が張り裂けそうな程痛くなった。それでも、ダイゴさんの期待に応えられなかった。
一度、返事の代わりに「ダイゴさんは?」と聞き返した事がある。少しでも何か言ってくれたのなら、私だってもう諦めるしかない。
なのにダイゴさんは大きく目を見開いて、それから眉を下げると、ふいと視線を逸らした。
「ボクの事はいいんだよ」
腕をさすりながら吐き出された言葉は、私が関わる事を拒絶していた。
きみはボクの友人だから――そう言ったダイゴさんは恋人役を頼んだ後も色々な場所へ私を誘った。カイナにやってきた移動遊園地やミナモの海で開かれるポケモン水上レース、それから話題の映画など、仲の良い友人がするように様々な場所で多くの時間を過ごした。
ダイゴさんには好きな人がいる筈なのに、彼の個人的な時間は私に費やされていた。
そしてそれは私も一緒だった。理由を作って誘いを断るにも限度があって、断りきれない誘いを受けていたら私の時間殆どがダイゴさんに染まっていった。
約束をする瞬間と待ち合わせ場所に向かう間、それから別れた後の心に広がる虚しささえ無視できるなら、幸せな時間だった。真意はどうであれ好きな人と過ごせるのだ、胸が弾むのは当然だ。
けれど私がダイゴさんの大切な存在になるのは万に一つ有り得ない。親密な時間を重ねれば重ねる程、私は上手に笑えなくなっていった。
この日もまたダイゴさんに呼ばれてポケモンの世話の手伝いをする。もう何度目か分からない手伝いに体はすっかり慣れ、ポケモン達もずいぶん私に懐いていた。
硬い毛のブラシでメタグロスの汚れを落とす。手に力を込め、小さな凹みに詰まった泥や砂粒を掻き出していく。大きな前脚を磨き上げてふぅと一息つくと、それまで大人しかったメタグロスが目をチカチカと光らせ礼を言うように一鳴きした。
「どういたしまして」
そう返して、この時間もいずれなくなるのだと気が付いた。
恋人の振りが終わってダイゴさんに恋人が出来たなら、こんな風には会えなくなる。彼らはバトルフィールドで戦う存在に戻り、二度と私が触れる事はなくなってしまう。その時私は、かつてのように応援出来るだろうか。
出来る気がしなかった。きっと今までの楽しい記憶を思い出してしまう。離れるには、私達は近寄りすぎてしまっていた。
視界が滲む。瞳に薄い膜を張った私にメタグロスがもう一度鳴く。心配しているのが分かる。その声を聞きつけたダイゴさんも「どうしたんだい?」手入れ中のボスゴドラの背中から飛び降りて駆け寄って来る。
私は砂が目に入ったと嘘を吐いて、近寄るダイゴさんをやんわり拒絶した。視線を逸らす瞬間に見えたダイゴさんの心配そうな表情に、胸がぎゅっと痛くなった。
ある夜、いつものようにダイゴさんから電話があった。ダイゴさんと会うのが辛くて逃げていた時でさえ途切れなかったこの習慣は、今も尚変わらず続いている。
そんな時間があるなら想い人と連絡を取ればいいのに、何故かダイゴさんは私に電話をする。私から断ろうとした事もあった。けれど結局いつも言い出せなくて電話はまた掛かってくる。
『そう言えば、昨日のパーティできみのお父様に会ったよ』
他愛もない話をした後、少しの沈黙を挟んでダイゴさんが口を開いた。思いがけない言葉に驚きの声が漏れる。
パーティでの騒動は当然父にも伝わっていた。けれどどう話せばいいか分からず、父からも尋ねられなかったから今日までそのままにしていた。だから父は私達が本当に付き合っていると思っている筈だ。
そんな父とダイゴさんは一体何を話したのだろう。思い違いしたままの父を、ダイゴさんはどう思っただろう。確認するのが怖くて言葉が出てこない。
『前も思ったんだけどさ、良いお父様だね』
声はいつも通りで、皮肉を含んだり不快を帯びてはいなかった。とても悪い印象を持ったようには聞こえない。
『{{kanaName}}がボクに興味を持ったのも彼がボクを応援していたからだって聞いたよ。ふふ、今度からチケットは二枚用意しないとね』
明るげな声は一向に不満や文句を言う気配がなかった。もしかしたらその話は一切しなかったのかもしれない。ほんの少し、緊張の糸が解れる。けれど次の瞬間、
『それより{{kanaName}}、きみはボクらの事を何も話していないんだね』
ダイゴさんの声から暖かな空気が消えていく。恐れていた言葉が鼓膜を殴り付ける。私は責めるような口調にすっかり震えてしまって、謝罪の言葉も何も返せない。
そもそもろくに話をした事がない二人が、ただの他愛ない話だけで終わる筈がなかった。どちらから声を掛けたにせよ〝ツワブキダイゴの恋人〟が理由なのは明らかだ。それなのに何も話していないと勝手に安堵した自分はなんて愚かだろう。掠れる声でどうにか音を紡いで「ごめんなさい」と謝る。
『どうして謝るんだい? {{kanaName}}が謝る事は何もないよ。ボクがちゃんと話しておいたから、気にしないで』
優しい声色はしかし、これ以上この話はしないと強い意志を持っていた。言葉の端々に怒りが見えた気がした。
その後も何か話をしたけれど、頭の中は後悔でいっぱいで何一つ覚えていなかった。
ただ電話を切る直前の、ダイゴさんが愛おしそうに「おやすみ、良い夢を」と言うその言葉だけが耳に残る。
トクサネの夜空を見たあの日から、良い夢なんて一度も見ていなかった。
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