夢見る蕾が開く(3)




「好きな人が出来ました」
 私の告白にダイゴさんが大きく目を見開いた。口端には笑みが浮かび、白く滑らかな肌が淡い桜色に染まる。
「本当かい? それは良か――」
 私はダイゴさんの祝福の言葉を遮るように言葉を続けた。


 私は、ダイゴさんが何を考えているか全く分からなくなっていた。
 誰か他の人を好きになってこの関係を終わらせる必要があるのに、ダイゴさんは私の心も体も離してくれない。なのに離れない私へ険しい視線を向ける。
 どうすれば良いのだろう。恋人役を頼まれて二ヶ月程経ち、燦々と降り注ぐ太陽の下で若葉は生き生きと育っていくのに、私の心は冬の枯れ木のように痩せ細っていく。
 もう、限界だった。
 そんな季節ばかりが希望に満ち溢れたある日、呼び出され食事をした帰り道にダイゴさんから次の予定を告げられる。
「ねぇ、{{kanaName}}」
 いつになく真剣な眼差しに、とうとうダイゴさんから不要宣告されるのかと覚悟を決める。ところが続いた意外な言葉に眉を顰める。
「今度リーグ主催のパーティがあってね。急な頼みだから無理にとは言わないけど……、どう、かな」
 どこか歯切れの悪い、曖昧な言葉だった。不思議に思いながら返事をしようと口を開いて、けれど言葉が止まる。
 リーグ主催なら四天王といったダイゴさんと親しい人達も参加するのではないか。そんな場所に偽の恋人が参加していいのだろうか。
 地面へ落としていた視線をちらりと上げる。いつになく真剣な眼差しが私を見つめていた。とても断れる雰囲気ではなかった。頷くしかなかった、出席しますと。
 私のぎこちない笑顔に、ダイゴさんが嫌味な程綺麗な笑顔を見せた。僅かに強ばっていた頬にはうっすらと赤みが差し、「本当かい?」瞳の中のダイヤモンドが煌めく。
「実はきみの事、前から皆に紹介したかったんだ。ありがとう、{{kanaName}}」
 私は本当の恋人じゃないのに? そう聞き返そうとしたけれど、返ってくる言葉が怖くて唇は動かなかった。
 そんな臆病な唇をダイゴさんが奪う。触れるだけのキスは恋心に棘を刺す事はあっても、時めかせてはくれなかった。


 ダイゴさんの出席するパーティには著名人が多く、今回のパーティも有名な人達ばかりだった。しかも今日この場の著名人は皆バトルの才で名を轟かせた人達で、私のようなポケモンと縁遠い人間はとても肩身が狭かった。それなのに、
「ダイゴくんっていつも石とポケモンの話しかしないけど無理してない?」
「あら、わたくしのバトルも見て下さってて? 有難う、嬉しいわ」
 声を掛けてきた四天王の二人は暖かい眼差しを私に向ける。妬みや嫉みは勿論の事、蔑む視線でもない。
「ダイゴくん、最近調子が良いの。多分あなたのお陰、ダイゴくんは幸せ者だね」
 ゴーストポケモン使いとは思えない天真爛漫な笑顔でフヨウさんが笑う。
 二人からどんなポケモンを持っているのか尋ねられ、一匹も持ってないと正直に話したら驚かれたものの「ダイゴくんってトレーナー以外にもちゃんと興味持つんだ」とフヨウさんが好奇心でキラキラ輝く瞳で驚いて、プリムさんも「そうね」と小さく頷くと「そうだわ、今度わたくし達とお茶でもどうかしら。リーグでの彼の様子も聞きたいでしょう?」とにこりと微笑んだ。二人につられて私も頬を緩ませる。
 でも次の瞬間、偽物のくせにと責め立てる声が聞こえた気がして頬が強ばった。軋んで砕けそうな心に大きな棘が刺さっていく。
「ダイゴがやたらとこっちの方を気にしてると思ったら、噂の彼女さんがいたんだな」
 現れたのはカゲツさんだった。彼も二人と同じく私の事を何一つ知らないのに好意的な目を向けてくれる。
 どうして、とよぎった疑問はすぐに答えに辿り着く。誰も彼もダイゴさんを好きで信頼している。だからその彼が連れて来た相手も暖かく迎えてくれるのだ。
 胸が苦しい。目の奥が熱くなってじわりと視界が滲み出す。疎ましい目を向ける人達を騙すのとは違う、彼の親愛なる友人達を騙している事実が私をひどく苦しめる。
 心が痛まない訳がなかった。耐えられない。今すぐ逃げ出したい。皆が優しくすればする程、未だに一縷の望みに縋り付く自分が地獄へと追い詰められていく。
 つらい。もう、こんなの耐えられない。
「ほらほら、興味が尽きないのは分かるが彼女が困っているよ」
 爽やかな香りが鼻を擽る。ルネジムリーダーのミクリさんだ。彼は興味にキラキラ目を輝かせた四天王の皆を諌めると「ちょっといいかな」私をその輪から連れ出した。その背中を追いながら、悪意のない善意と好意から逃げ出せてほっと安堵の息をついた。
 人々の賑わいから少し離れた場所で「ダイゴときたら、彼女を放って何をしているんだか」やれやれ、とミクリさんが肩を竦めた。浮かぶ微笑みはダイゴさんとはまた違う温もりがあって、この人にもファンが多い理由が何となく分かった気がした。
「顔色があまり良くないようだ。ダイゴを呼んでこ――」
「だっ、大丈夫です、ダイゴさんは忙しいみたいだから、本当に、大丈夫です」
 一瞬の安らぎも束の間、早口で捲し立てるようにミクリさんの親切を断る。今ダイゴさんが隣に並んだら、先程より沢山の優しい視線が私を襲う。今までとは桁違いの嘘の重みが私を襲う。そんなの、耐えられない。
「ふむ、ダイゴと喧嘩でもしたのかな。でもあれは見た目程スマートではないから、あまり落ち込んだり自分を責める必要はないよ」
 柔らかな眼差しが慰めるように私へ向けられる。ミクリさんはショーで見せる艶っぽい瞳で微笑むと「そもそも、」と言葉を続ける。
「ダイゴは綺麗な女の子より綺麗な石を選ぶ奇特な人間だ。そんな男が何も聞かずに彼女を満足させられる訳がないだろう? 気まずくても一度はっきり言わないと、石頭のダイゴには伝わらないよ」
 私の態度だけで何かを察したミクリさんの言葉は的確だった。もしこれがミクリさんの想像通りただ喧嘩をしただけなら、これ程正しく背中を押してくれる言葉はない。私は勇気を貰ったと感謝して話し合う決意を固めただろう。
 けれど現実は違う。私が腹を括ってダイゴさんに話すべき事はこの関係を終わらせる一言で、ミクリさんの想像するような明るい明日への話ではない。
 でも今の私にとっても、ミクリさんの言葉は正しいアドバイスには変わりなかった。
「大丈夫、きっと伝わるよ」
 エメラルドグリーンの瞳はまっすぐこちらを見ていた。この人も〝ツワブキダイゴの恋人〟だから親切にしてくれる。柔らかな眼差しは、私がダイゴさんと上手く付き合う事を望んでいる。
「仲直り出来たら水上ショーに招待しよう。二人で私のラブカス達の華麗な演技を見においで」
 こんなにも優しい人達まで騙してダイゴさんは一体何がしたいんだろう。こんなの間違っている。これ以上嘘を重ねたらいけない。誰も幸せになれない。
 限界を超えた心がやっと覚悟を決める。
 悲しむだけ悲しんで流されるままの悲劇ごっこはもうお終いにしよう。私は私の物語に自分でピリオドを打つ。あの夜出来なかった事を、今日こそ果たそう。
 大丈夫、きっと上手くいく。私の結末は涙で終わるけれど、今日まで沢山の思い出を貰ったから、きっと明日も笑っていられる。だから、ダイゴさんにはっきり言うんだ。
 ミクリさんと入れ替わるようにダイゴさんがやって来る。私は見納めになるその笑顔を記憶に焼き付けながら微笑み返した。


 パーティ中はあまり話せなかったから、とダイゴさんに誘われミナモの海岸を歩く。広大な海を目の前にすると自分の悩みが何だかちっぽけな気がして、今なら言えそうな気がした。今日出会った彼の友人達について楽しそうに語るダイゴさんの笑顔に私も少し頬を緩ませ、言葉が途切れる一瞬を待つ。
「でもまさかあんなに騒ぎ立てられるとは思ってなかったよ。ボクだって誰かを好きになるのにさ」
 ふっと吐いた息は憂いを帯びていた。その目は私ではない遠くの誰かへ向いている。ずきり、決心していても変わらず胸は痛む。
 でもここで黙っていたら何も変わらない。ミクリさんの言葉を思い出す。
「ダイゴさん、」
 行く先も決めず取り留めもなく歩いていた足を止める。ゆるく絡めていた指も解き、ダイゴさんが私へ視線を向けるのを待った。
 不思議そうにこちらを見つめる瞳はこんな時でも宝石のようにキラキラして、綺麗な顔立ちを一際輝かせている。
「好きな人が出来ました」
 私の告白にダイゴさんが大きく目を見開いた。口端には笑みが浮かび、白く滑らかな肌が淡い桜色に染まる。
「本当かい? それは良か――」
 私はダイゴさんの祝福の言葉を遮るように言葉を続けた。
「だから、最後の思い出に私と一晩過ごしてください」
 顔を見続ける勇気は流石になくて、勢い任せに頭を下げた。口に出した言葉は、喉元では酷く痛くて飲み込む事も吐き出す事も出来そうになかったのに、いざ声にすると馬鹿みたいにすんなりと吐き出された。少し意外だったけれど、考えてみれば一度言った事のある言葉なのだから、当然かもしれない。
 ほっと胸を撫で下ろしているとしかし、「ちょっと待ってくれ」今し方見えた眩しい笑顔からは想像も出来ない焦った声が降ってくる。
「今何て……最後、って、意味が分からないよ。だって、だってきみは、」
 声は僅かに震えて、動揺が滲んでいた。思ってもみない反応だった。
 でも今顔を上げたら揺らいでしまう。ここで終わりにすると決めたのに、またずるずると物語を伸ばしてしまう。
「断る事も出来たのに、なのに{{kanaName}}は今日……、此処に、来たじゃないか」
 それは風に吹かれれば簡単に飛んで行ってしまいそうな程弱々しい小さな声だった。
 でも分からない。ダイゴさんの動揺の理由も、言葉の意味も。好きな人を作れと言ったのはダイゴさんなのに、断れない頼み事をしたのもダイゴさんなのに、何でそんな事を言うの。どうして惑わすような事を言ってくるの。
「……じゃあ、さ。きみが好きになった人の事、教えてよ。誰なんだい?」
 思わず拳を強く握りしめる。そんなの、ずっと前からダイゴさんで、今だってダイゴさんで、きっとこの先も変わらずダイゴさんだ。諦めきれなくて、期待して、現実を突き付けられてもなお好きな人はダイゴさんしかいない。
 けれど私は終わらせると決めた。だから口を噤む。
「ボクを見て」
 強い力で肩を捕まれ無理やり体を起こされる。両肩が痛くて顔を歪めたらダイゴさんに険しい顔で睨まれた。けれど何故かダイゴさんの方が辛そうな顔だった。
「そ、れは……」
 耐えきれずに視線が砂浜へ落ちる。でも次の瞬間、
「ボクの知ってる人? だから言えないのかい?」
 体を強く揺さぶられ、一歩距離が縮まる。思わず上げた顔がダイゴさんの瞳とかち合う。気色ばんだ顔には焦りも浮かんでいる。いつも爽やかに笑っているダイゴさんには似つかわしくない、試合で劣勢の時ですら見た事がない表情だった。
 どうしてダイゴさんがそんな顔をするのだろう。未練があるのは私なのに、ダイゴさんの方こそ私を引き止めるような事をして、これじゃあまるで立場が反対だ。頭がぐらぐらする。心臓が痛い。胸がとても苦しくなる。
「ダイゴさんには、関係な――」
「関係あるんだ!」
 荒らげた声が鼓膜をびりびりと震わす。私を掴む手が肩へ食い込む。大きく見開きギラギラした瞳が私を睨み付ける。ダイゴさんは必死な顔をしていた。試合の時によく見掛ける表情だった。
 けれどそれはダイゴさんのではなく、彼とは逆の立場の人間――挑戦者が追い込まれ最後の足掻きに見せる、強い煌めきだった。余裕は一切なく、自分を顧みる意識もない、そんな満身創痍の挑戦者に、何故かひどく似ていた。
「関係あるよ。だってボクは、」
 どくどくと心臓が騒ぎ始め、私はひとつの事実に気が付く。
 はっきり言わないのは私だけじゃない。ダイゴさんだって、肝心な事は何一つ言ってくれない。曖昧な言葉ばかりだった。でも。
「ボクは……、{{kanaName}}が好きだから」
 目の前の彼が薄い膜の張った瞳を揺らめかせている。
「{{kanaName}}は、違うのかい?」
 例えばそう、ルネの展望台でのあの言葉。終わらせたくないなんて、好きでもなければ出てこない。
 たとえお遊びみたいなキスだとしても、嫌いな相手にはきっとしない。
 大切なポケモンの世話を任せるのも、人を招くのに適さないあの家へ招待するのも、ダイゴさんならいずれ縁の切れる人間には絶対しない。私はそれを知っていた筈なのに、どうして忘れていたんだろう。
「だから教えてくれないかい? きみが誰を好きになったのかを」
 真夏の太陽に翳したガラス玉のようにきらりと光るアイスブルーの瞳が、私をまっすぐに見つめている。私が恋に落ちた瞳に、私だけが映っている。
「私の好きな人は、」
 声が掠れて上手く出てこない。言葉を切ってひとつ呼吸をする。
「今もずっとこれからも、ダイゴさん、です」
 震えた声で名前を紡いだ瞬間、全身を暖かな人肌が包み込んだ。瞬きをしたら私はダイゴさんの腕の中だった。触れた肌から自分のとは異なる、けれど自分のと同じくらい速くて煩い鼓動が伝わってくる。
「じゃあどうして……、いや、そんな事どうでもいい。今の言葉、本当だよね? 信じていいんだよね?」
 大きな手は私の体を愛おしそうにぎゅっと抱きしめて離さない。頭を撫でる手の中でこくりと頷き顔を上げた。ダイゴさんと視線が絡む。夜空で光る星々よりもキラキラした眼差しだった。目が離せない。
「{{kanaName}}」
 揺れる瞳が私に微笑んで、熱を灯した指先が頬へ添えられる。
「好きだよ、{{kanaName}}」
 花の蜜より甘い声が名前を呼んで、どんな花より美しい笑顔が私を見つめる。心を満たす暖かな感情にゆっくりと目蓋を閉じた。
 ひとつ呼吸を置いて唇が触れ、静かに離れる。目を開ければ照れた顔のダイゴさんが視線を逸らしながらもまた唇を寄せてきて。自然と頬が緩んでぽろり、涙が零れる。
「泣かないで」
 そう言うダイゴさんの瞳も今にも涙が落ちてしまいそうな程潤んでいる。二人で小さく笑うともう一度、誓いを立てるように唇を交わした。


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