「丁度この休みに洞窟へ行くつもりでさ、いつもはポケモンセンターに預けるんだけど今回は{{kanaName}}にこの二匹を任せるよ」
主人の帰りをとっしんで迎えるダンバルを受け止めながら、ダイゴさんが笑う。それから小さな足で駆け寄ってきたココドラの頭を撫でると「今日はイタズラしないで留守番出来てるね」ほっと胸を撫で下ろした。
何度か訪ねた事のあるトクサネの彼の家は、相変わらず鉱石の展示会場だった。私には違いのよく分からない地味な石が貴重な展示物のようにずらりと並んでいる。
ところがひとつ、以前と異なる棚があった。そこだけ色鮮やかな原石が詰め込まれている。あれは何の原石なんだろう、気になってまじまじと見つめていると突然ずしんと何かが足に当たった。
「ココドラ達がきみに挨拶したい、って」
ぶつかってきた白銅色の塊がじっと私を見上げていた。空色のまん丸な瞳はトレーナーに似て好奇心にきらきら輝いている。金属質の背中をそっと撫でるとココドラは喉を鳴らし、元気な笑顔を上へと向けた。視線の先を追うと、ダイゴさんの背中から覗く大きな赤い瞳とぶつかった。ダンバルだ。こんばんは、と手を伸ばすと「ダバッ」ゴツゴツした身体を擦り寄せ瞳をちかちかと光らせた。
ダンバルもココドラも街中ではあまり見掛けないポケモンではあるけれど、どちらも人懐っこく愛嬌もあって可愛らしいポケモンだった。自然と頬が緩む。
けれどこの二匹もチャンピオンの大事なポケモンで、いずれサイユウリーグで活躍する日がやって来る。そんなポケモンを、たった数日とはいえ素人の私が面倒を見るなんて、やっぱり出来ない。勢いで押し込めた筈の不安が頭をもたげる。そこへ、
「自慢じゃないけど、人を見る目はあるんだ。{{kanaName}}なら大丈夫だよ」
ダイゴさんの自信に満ちた瞳が私を照らす。
「ボクを信じてほしい。ボクはきみに嘘を吐いた事はないよ」
雨雲が晴れていくように、心へ重たく掛かっていた不安がかき消えていく。私を映すのは、人を導く強い意志を宿した瞳だった。ホウエンのトレーナーの憧れを全て受け止め、彼らの成長を楽しみに眺めている眼差しだ。そんな顔をされたら信じるしかない。
私がその言葉に頷くとダイゴさんが嬉しそうに微笑んだ。ほんの少し距離が近くなったような気がして、強ばっていた頬も僅かに緩んでいった。
日曜日の黄昏時、スーツの裾に泥の汚れを作ってダイゴさんが帰ってきた。ちょうど二匹がお昼寝から目覚める頃で、私は家に置いてあった鉱物図鑑を眺めていた。
窓の外からポケモンの鳴く声がして、まずダンバルが目を覚ました。赤い瞳をちかちかと瞬かせて寝ぼけ眼を私に向け、声の聞こえた窓へと向かう。そして、
「ダババンッ」
窓の外にダイゴさんとエアームドを見付けてぴょんぴょんと全身を揺らした。帰って来たのがとても嬉しいようだ。すぐにチャイムが鳴り、一緒に玄関に迎えに行こうと誘うと、ダンバルは赤い瞳を光らせて私の後ろに続いた。
ここはダイゴさんの家だから当然ダイゴさんは鍵を持っている。チャイムを鳴らすのは兎も角、私が鍵を開ける必要はない。けれど少し待ってみてもドアが開く気配はない。
どうしたのだろう、不思議に思ったけれどすぐに私が開けるのを待っているのだと気が付いた。心がそわそわし始め途端に落ち着かなくなる。
勝手に速くなる心臓に困りながらもダンバルにせっつかれて急いでドアを開けた。そこには笑顔のダイゴさんが待っている、筈だった。
けれど私が目にしたのは普段より少し小さく見える背中だった。腰に手を当て項垂れるように地面へ視線を落とした姿が、重たい息を吐く。
お帰りなさいと言おうと開いた口は声を掛けるのを躊躇って、代わりに「ダイゴ、さん?」遠慮がちに名前を呼んだ。視線の先の肩がぴくりと跳ね、ダイゴさんが笑顔で振り返った。
「ああ、ただいま。ココドラ達の世話はどうだったかな?」
ダイゴさんの視線が私の足元へ落ちる。いつの間にかココドラも起きていた。ココドラは寝ぼけ眼で辺りを見渡し、目の前の彼が主人だと気付いた瞬間、嬉しいのかお腹が空いたのか大きな声で鳴き始めた。
「ふふ、どちらも元気だね」
ダイゴさんは彼の周りをぐるりと飛び回るダンバルを撫で、後ろ足で立ち上がったココドラを抱きかかえると家の中へと入った。
気の所為だろうか、私へ向けられた視線は意図的に外されたような気がした。
部屋に入るなりダイゴさんは椅子に腰掛け大きく息を吐いた。表情は柔らかく笑顔ではあったけれど無理をしているように見えた。私はお茶を用意しながら思案する。
ダイゴさんはずいぶん疲れている。あまり長居しない方がいいだろう。ココドラ達の様子を伝えたら今日はもう帰ろう。
問題は帰る方法だ。今日はチルタリスがいないからミナモまで船に乗る必要がある。すぐにでも連絡船の出港時間を調べないと。
そんな事を考えていると、背中に鋭い視線を感じてテーブルを振り返った。ダイゴさんが二匹とじゃれ合いながら視線だけは私に向けている。目が合うと一瞬だけ視線を逸らされ、けれどすぐに戻った瞳でにこりと微笑まれた。今のは、何だろう。初めての態度に戸惑いを覚える。
「ココドラもダンバルも良い子にしてたかい?」
二人分のお茶を用意して席に着くと、目の前のダイゴさんが楽しげに尋ねてきた。帰って来た時に見せた浮かない顔も今し方逸らされた視線もただの偶然だと言わんばかりにやけに明るい笑顔だった。
「コッコ!」「ダババッ!」
私が返事をするより早く、二匹がダイゴさんへ答える。元気いっぱいの返事に私が少し遅れて頷くと、ダイゴさんは至極嬉しそうに頬を緩め「よかった」と二匹を撫でた。
和やかな空気が流れる。私はティーカップを摘むと、ふつりと湧いた靄を紅茶と一緒に飲み込んだ
二匹はとても良い子だった。人慣れしてきちんと躾られた彼らは、ポケモンに不慣れな私のぎこちない世話にもとても寛容だった。だから世話をしたというより、彼らのお膳立てで楽しくお世話ごっこをした、と言った方が正しいのかもしれない。
それでも私が自信を持つには充分で、数日前に比べてチルタリスの世話への不安もずいぶん薄れていた。
「{{kanaName}}もありがとう、きみのおかげで助かったよ」
日が沈むのを待つ星たちより一足先に輝くアイスブルーの瞳が私に微笑みかける。きらりと光る透き通った水色は私を褒めていた。それが何だか照れくさくて、逃げるように目を伏せる。
と、テーブルに出しっぱなしの鉱物図鑑に気付いた。そうだ、ダイゴさんはどうだったのだろう。顔を上げて尋ねる。
「何か、素敵な石は見つかりましたか」
「ん、ああ……。それなりに、かな」
「そう、ですか」
目の前の彼は笑顔ではあったけれど、それ以上何かを話す事はなかった。石の話でダイゴさんが言い淀んで黙ってしまうなんて珍しい。いつもならよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに嬉々として話し出すというのに、一体どうしたのだろう。けれどこういう時に掛ける言葉が見つからず、少し気まずい沈黙が流れる。
「今はボクの話より{{kanaName}}の話が聞きたいな。ポケモンの世話には慣れたかい?」
何かを期待するように輝く瞳に、私はゆっくりと頷いた。影の落ちていた顔がぱっと明るくなってダイゴさんが満面の笑みになる。
そこからダイゴさんに請われるままココドラ達の様子やその時私の感じた事、それから何故かチルタリスの話もして、結局最後にはムロにある石の洞窟で採れる珍しい鉱石の話になっていた。今回行った場所とは違うらしいけれど、楽しそうに語るダイゴさんにわざわざ水を差すのも悪いと思って黙って耳を傾けていた。
どのくらい時間が経ったか、一息つこうとカップを手に取り口を付けたら「あっ」と声が漏れた。紅茶はすっかり冷めている。窓に目を向けると茜色が地平線に僅かに見えるばかり、慌てて調べてみても連絡船はとっくに本日の営業を終えてしまっていた。
「それなら泊まっていけばいいよ」
ダイゴさんはそう言うけれど、どこか本調子でない彼にこれ以上気を使わせたくなかった。とは言え私はひとりでこの島を出る事が出来ない。仕方なくミナモまで送ってほしいと頼む。チルタリスがいれば迷惑を掛けずに済んだのに。申し訳ない気持ちが重たくのしかかる。
「……分かったよ。でもその代わり家まで送らせてほしい。だってこれが最後かもしれないからね」
どうして最後なんて言葉が。あまり耳心地の良くない言葉に眉根が寄る。
けれどすぐに気付く、チルタリスを引き取ったらダイゴさんのエアームドに一緒に乗る事もなくなるのだと。そんな事、考えもしなかった。心に別の感情が湧き起こる。
「お願い、します」
現金な私はあっという間に申し訳なさを吹き飛ばし、ダイゴさんの小さな我がままを受け入れた。
エアームドは中型のポケモンだから大人二人を乗せて飛ぶのは大変だ。それを無理やり乗るのだ、必然的に密着状態になる。分かっていても未だに慣れない。
ダイゴさんの背中から両腕を回すと、ぴったりとくっついた背中から私のとは違う、けれど私のと同じように少し小走りの鼓動が伝わってくる。恥じらいつつも更に体を寄せてぎゅっと抱き締める。鼓動が大きくなって体が少し熱くなる。
空の上は風が強くてあまり会話が出来ない。以前はそれが不安だったけれど、今はこの静かな時間も嫌いではなかった。ダイゴさんと過ごす沈黙を受け入れらるようになっていた。
「ほら見て、今日は満月なんだね」
大きな雲を三つ通り過ぎた頃、ダイゴさんが天を指した。指の先に真ん丸な月が浮かんでいる。僅かに赤みがかった満月はとても綺麗だった。「そういえば」ダイゴさんが言葉を続ける。
「カントーのおつきみやまでは満月の夜にピッピが踊るそうだよ。あそこはつきのいしも見つかるからボクもいつか行ってみたいんだ」
明るく艶のある声は、やはり疲れを含んでいた。何ともない顔をしていたけれど、山に篭もって石を掘り出すのは決して楽な趣味ではない。いくら彼がトレーナーで野宿に慣れていても、疲れは確実に溜まっている。ダイゴさんのお願いだったとは言え、家まで送ってもらうのは断るべきだった。
でも今その話を蒸し返したところで一層疲れさせてしまうだけだろう。私はぐっと堪えて意識をおつきみやまへ向ける。ピッピにつきのいし、私も見てみたい。
「その時は私もご一緒していいですか」
「そうだね。でもその話はまずカントー出張か休暇が取れてから、かな」
いつになるかな、そう言ってダイゴさんが溜め息を吐く。いよいよ疲れを隠さない彼に心が固まっていく。
いつか来るその日の為に一人でチルタリスの世話が出来るようになっておこう。そしてもし余裕があったなら、他にもポケモンを捕まえて少しでも彼の役に立てるようになっていたい。
つい数日前まで不安で堪らなかった私の心は、ダイゴさんの優しさで今ではすっかり前を向いていた。少し困ったところもあるけれど、この人と出会えて良かった。私はダイゴさんの背中へ頬を寄せる。
雲の掛かった満月が静かに輝いていた。
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