デンファレをかそう(1)




 穏やかな午後の時間、私はホウエン東端の街に構えるサイユウリーグで四天王の三人とテーブルを囲んでいる。
 豪華な応接室の豪奢な革張りのソファに座る私は、三人のお喋りに耳を傾けては向けられる好奇の視線に言葉を返し、テーブルに広げられた沢山のお菓子を摘んで、喉が乾けば良い香りの紅茶に口を付けた。そう、これはフヨウさんとプリムさん、それから何故かカゲツさんも加えて開かれた〝女子会〟だ。
「そういや、」
 一人掛けのソファにどっかりと腰掛けていたカゲツさんが体を起こす。伸ばした手はマカロンへ伸び、けれど掴んだのはフエン煎餅だ。
「最近ダイゴのやつ、やたらと綺麗な石を集めてるみたいだけどよ、嫌なもんは嫌だと言えよ」
 太い眉を釣り上げ、威嚇するような凄みある視線が私を貫く。その容姿や雰囲気とは裏腹に、カゲツさんは親切で世話焼きなお人好しだ。今のも睨んでいるのではなく、私を心配して言ってくれたのだろう。
 けれど私は彼の気遣いに何も返す事が出来なかった。どうしていいか分からない視線はローテーブルいっぱいのお菓子を見つめ、カゲツさんをちらりと窺い、隣のフヨウさんへ助けを求める。
「{{kanaName}}、ダイゴくんは断られても全然気にしないから、いらない時はいらないって言っていいんだよ」
「色々と説明されて、『きみに似てると思った』とまで言われたら断りづらいのは分かりますけど、断る事も時には必要ですよ」
 助けを求めた筈が、フヨウさんはカゲツさんの言葉に同意して、更にはプリムさんまでそちら側へ行ってしまった。私はいよいよ困ってしまう。だって私は、何も分からなかったのだから。
 勿論、三人が何を言いたいのかは察している。ダイゴさんがプレゼントする石の全てを受け取る必要はないとアドバイスしてくれているのだ。
 分からないのは、彼らはダイゴさんに石を贈る癖がある事を知っていて、どうして私はそれを知らないのか、だ。私は今まで一度もそんな話を聞いた事がなければ、当然プレゼントされた事もない。
「もしかして皆さん、ダイゴさんから――」
 石を貰った事があるのですか。言い知れない不安が疑問の形となって言葉になる。
 けれどそれは勢い良く開いたドアの音にかき消されてしまう。皆の視線がドアへ向く。
「きみ達! ボクの{{kanaName}}に変な事吹き込んでないだろうね?」
 現れたダイゴさんは少し焦った様子で三人を睨み付けた。後ろに見えるゲンジさんが呆れたように溜め息を吐いている。
「女子会してただけだよ」
「オレはお茶会って聞いたけどな」
「あら、男性はあなたしかいないのだから分かっているのかと思ってましたわ」
 カゲツさん達三人がわあわあと言い争う様子を、ダイゴさんは険しい顔付きで眺めていた。けれど求める答えが返って来ないと諦めたのだろう、鋭い眼差しが私へ移る。
「なっ、何も……聞いてない、です」
 喩えるなら、ガラス瓶の中で弾けるサイコソーダの泡の激しさだ。言いたい事と隠したい事が大渋滞して、アイスブルーの瞳が慌ただしく色を変えている。でも決して目は逸らさず、じっと私だけを見つめていた。そうして、
「なら、ボクも誘ってくれたら良かったのに」
 僅かに尖らせた唇と不満げな瞳が三人に向けられた。カゲツさんが「まったく、我がままな坊ちゃんだなあ」やれやれと首を振って、「あなたがいたらあなたの話が出来ないでしょう」プリムさんも溜め息を零した。
 スマートで格好良くてトレーナーの憧れであるダイゴさんだけど、どうやらここサイユウリーグでは四天王の皆に可愛がられる立場のようだ。少し意外で、けれど石にポケモンに少年のようにはしゃぐ彼を思い出せばさほど不思議もなかった。
 そんなやり取りに、不安で強ばっていた体から力が抜けていき、思わずふっと小さく笑っていた。ダイゴさんが照れを誤魔化すように咳払いする。
「今日は今から練習試合の予定だった筈だよ。きみ達も早く準備をして。{{kanaName}}は……、良ければ見ていくかい?」
 きらりと輝く瞳が期待するように私を見つめる。そんな顔をされたら断れない。もっとも、私はダイゴさんの恋人である以前に彼のファンだ。こんな滅多とない機会を断る筈もなかった。
「迷惑じゃ、なければ」
 私の返事にダイゴさんが満足気に笑みを浮かべる。そして大股で私の座るソファまで近寄ると、「案内するよ」手を差し出した。
 いつものように手を取ろうとして、ダイゴさんのとは違う視線に気付く。三人がにこにこ笑って私達を見守っている。途端に恥ずかしくなって手を引っ込めるけれど、それより早くダイゴさんが手を掴んだ。少し熱い指先から体温が混ざっていく。「まぁ」と息を呑むプリムさんと「わっ」フヨウさんが上げた驚きの声が鼓膜を震わせた。
「わしは先に行っておるぞ」
 それまで黙っていたゲンジさんが踵を返す。カゲツさんも頭を掻いて「そういうのは家帰ってからやれよな」盛大に溜め息を吐いた。
 けれどダイゴさんは絡めた指を離さず、むしろ更に力を込めると立ち上がった私の体を引き寄せた。どくん、と心臓が跳ねる。
 それなのにローテーブルに並んだとあるお菓子が目に留まった瞬間、ぎゅっと胸が苦しくなる。宝石に見間違えてしまう程美しい琥珀糖が、先程の会話を思い出させる。
 どうしてダイゴさんは私に石をプレゼントしてくれないのだろう。
 ふつりと湧いた疑問はグラスに落ちた泥が水を汚していくように、何の曇りもなかった心を不安に染め上げていく。


 目の前の訓練用バトルフィールドでボスゴドラとヤミラミが対峙している。鋼の巨体が繰り出す激しい一撃を宝石の瞳が冷静に見極め、華麗に避けていく。けれど反撃の一手は大きなダメージにはならず、どちらも相手の出方を窺っているようだった。
「いつだったか、ダイゴがわしにチルタリスの事を尋ねてくるようになってな」
 隣のベンチに座っているゲンジさんがおもむろに口を開いた。組み分けのクジでハズレを引いた彼と一緒に試合を見学していたけれど、話し掛けられたのは試合の終了が近付いた今が初めてだ。びくりと震えた体を落ち着かせて仰ぎ見る。
「やたらと熱心に聞いてくるから捕まえたのかと思ったらおまえの為だったらしいな」
 険しい視線はそのまま、口角がぎこちなく釣り上がる。思わず顔を伏せていた。けれどそれはゲンジさんの不器用な笑顔のせいではない。照れのせいだ。
 ダイゴさんが何でも答えてくれるから、ポケモンの事なら何でも知っていると思い込んでいた。けれど何百種類といるポケモン全てに詳しいなんて、ポケモン博士でも難しい事だ。ダイゴさんは私の為に調べてくれていたのだ。その事実が嬉しくて顔が熱くなる。思わず手で顔を扇いだらゲンジさんがふっと小さく笑った。
「〝初めてのポケモンなのによく育ててる。幸せそうで時々羨ましくなるよ〟」
「えっ」
「ダイゴがそう言っておった。あやつも可愛いところがあるな」
 子供達から怖いと不評のゲンジさんは今、とても自然な微笑みを浮かべている。以前ダイゴさんが話していた通り、ゲンジさんの笑った顔はとても素敵だった。
「でもダイゴさんの方が断然上手ですから、羨ましいだなんて……。ダイゴさんはいつも大袈裟なんです、本気にしないで下さいね」
 そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、ダイゴさんは少々買い被り過ぎだ。私が上手に育てられているのはダイゴさん達のお陰なのだから。
「む、{{kanaName}}よそれは――」
 ゲンジさんの声はバトルフィールドから響いた大きな音にかき消えてしまった。はっとして二人でフィールドを見る。奥のフィールドでアブソルとトドゼルガの攻撃がぶつかり合い、激しい衝撃を生み出していた。
 視線を手前の、目の前の二匹へ向ける。岩が突き出て所々抉れたフィールドの中央で小さな体がぐらぐらと揺れている。しかし次の瞬間、ぽてっ、と地面へ倒れ込んだ。
「フヨウもよくやった」
 ゲンジさんの声は決して大きくなかったが聞こえたのだろうか、フヨウさんが私達の方を向いて大きく拳を振り上げた。負けが大層不満のようだ。ダイゴさんの方に視線を向けるとその勢いに苦笑していた。
 聞こえない二人のやり取りを想像して笑っていると、ヤミラミが立ち上がりダイゴさんの足にしがみついた。おやのフヨウさんではなくどうしてダイゴさんに。不思議に思っていたら、ダイゴさんがヤミラミを撫でてポケットから何かを取り出した。
「あれは……」
 石だった。観戦で忘れていた不安が心をかき乱す。真夏の晴天のように明るく眩しかった気分が、冬の夜ほど寒く冷たい暗がりの中へ落ちていく。
「ヤミラミは石を好んで食べる。ダイゴが美味そうな石を持ってるのを覚えて時々ああやって欲しがるのだ」
 ポケモンに優しいダイゴさんの事だから、きっと喜んで与えているのだろう。遠目でもヤミラミに向ける表情が笑顔だと見てとれた。
「わしらにも渡して、ヤミラミにも分けて、その上家にも石が山ほどあるのだろう? ダイゴの石好きは筋金入りだな」
 呆れた口調でゲンジさんが言う。私は下がる眉をぐっと持ち上げ口角も押し上げると「そうですね」とどうにか笑顔を作った。本当は、気を抜けば今にも泣いてしまいそうだった。
 私だけがダイゴさんから石を貰えない。なぜ、どうして。疑問と不安が込み上げる。
 ダイゴさんは言葉でも態度でも私に好意を示している。きっとそこに嘘はない。
 でも、ダイゴさんが大切にしている物を、宝物のように大事に集めている石の一欠片さえ、私は分け与えられない。私は彼の大切な人である筈なのに。
 これを些細な事だと言い切る自信を、私は持ち合わせていない。不安が雪のように降り積もっていく。
「{{kanaName}}!」
 ダイゴさんの声が近付いてくる。隠さないと。咄嗟に笑顔を貼り付けた。折角の楽しい時間を台無しには出来ない。
 こちらへ手を振る恋人に手を振り返しながら、私は笑顔を保つ事だけを考えていた。


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