大切な物を分け与えられない私は、本当にダイゴさんに好かれているのだろうか。
私は珍しい石を集める事も、ポケモンを育てて戦わせる事もしていない。ダイゴさんと繋がっているのは〝好き〟という感情だけ。でもその感情は、恋は、永遠ではない。
もしかしてダイゴさんが石を贈らないのは、彼には終わりが見えているからかもしれない。いつか別れる相手には気前の良い彼でも宝物は託せないのだろう。なら、私がダイゴさんの取った石を家に飾る日は訪れまい。
こんな時こそ約束を思い出してダイゴさんと話し合うべきだった。この不安は私の杞憂で、石を贈らないのは何か他の理由があるかもしれないのだから。
けれどもし杞憂ではなく事実だったらなら。わざわざ気持ちを確認する女をどう思うだろう。返事の代わりに終わりを告げられるかもしれない。だってダイゴさんはかつて私に言ったから、付き合う事もその先も全く考えていないと。
勿論、それはかつての話で今は考えを改めているかもしれない。だとしても今の私にそれらを問い質す勇気は、ない。
どうしよう。チルタリスの夕食をぼんやり眺めていたら溜め息が零れ落ちた。お茶会から数日、溜め息を零してばかりだった。
気の重くなる溜め息にチルタリスもうんざりしたのだろう、黙々と啄んでいた皿から顔を上げじっと私を見つめる。文句の一つでも言いたげな瞳だった。
「どうしたの」
尋ねると、チルタリスはまだ半分ほど残ったポケモンフーズを放って回れ右して歩き出した。けれど向かう先にめぼしいものは何もない。
「チルルッ」
壁際まで辿り着くとチルタリスはひと鳴きして、目の前の窓を嘴でコツコツとつついた。私が眉を顰めても知らん振りして、今度は何度も窓をつつく。
「今日はもうどこにも行かないし、窓も開けないよ」
日は沈み、空には星が瞬き始めている。出掛ける予定もなければそんな気分でもない。
けれどチルタリスも引かない。つぶらな瞳を今だけは鋭くする。こんな事、初めてだった。
「少しだけだよ」
にらめっこに勝ったのはチルタリスだった。私は窓を開け、行先も目的も分からないまま彼の背中に飛び乗った。
レンタルポケモンとして幾度となくホウエン中を飛び回ったチルタリスにとって、夜の帳が下りた空も慣れたものだった。一切の迷いもなく何処かを目指して大きな綿雲の翼を羽ばたかせる。
ふと視界を通り過ぎる景色へ落とすと、夜景の綺麗なキンセツシティが見え、その先におくりびやまの影を見つけた。チルタリスはその先を、恐らくトクサネシティを目指していた。
この子に乗った時から何となく予想は付いていたけれど、チルタリスはひとり悩む私をダイゴさんに会わせようとしている。なんて賢いチルタリスなんだろう。でも私は不安をぶつけて真実を受け入れる覚悟がまだ出来ていない。
「会わないから」
私の言葉を無視してチルタリスは飛び続ける。やがて前方に灯台よろしくぴかりと光を放つ何かが見えてくる。宇宙センターだ。大きな商業街のないあの街の、唯一と言っていいランドマークだった。
「だから、私はダイゴさんに会わないから」
ところが、ずっと真っ直ぐ飛び続けていたチルタリスが突然体を傾けた。トクサネが視界から外れていく。チルタリスの嘴は、かつて隕石が落ちた街を向いていた。
どれほど優雅に大空を舞うポケモンも、降り立つ時はそうもいかない。ばさばさと羽音が立ち、音に気付いた彼が空を見上げる。
「おや、珍しいお客様だね」
ミクリさんはチルタリスから振り落とされた私に手を差し伸べ、驚きのまじった顔で微笑んだ。首に巻いたサテンのストールはとても華やかだけど、よく見るあの衣装と比べてずいぶん控えめな服装で、後ろのジムもすっかり明かりが消えて真っ暗だ。ミクリさんがジムを閉めて帰途につこうとしているのは明らかだった。
「ジムへの挑戦……、ではなさそうだね。どうしたのかな」
手を取り立ち上がった私へ緑玉色の瞳が問いかける。けれど此処へ来たのは私の意思ではない。チルタリスに無理やり連れて来られたのだ。
「とりあえず中へお入り。今日はもう誰もいないから」
ダイゴさんの自信に満ち溢れた瞳が太陽なら、この人の穏やかな眼差しは月だろうか。それは夜の闇の中、私には道しるべに見えた。私はどこか得意げなチルタリスをボールへ戻すと、真っ暗なルネジムへと足を踏み入れる。
ミクリさんに案内された応接間はサイユウリーグのそれとは違い、洗練された気品が漂っていた。調度品のどれをとってもミクリさんのこだわりを感じる。恐らく一点物かオーダーメイドだろう。
腰掛けたソファの白にルネの白磁のような山肌を思い出していると、ふと目の前に思いがけない物を見つけた。無造作に放り出されていたのは、深い青が印象的な石だ。
「ああ、それかい? お察しの通りダイゴだよ」
ダイゴさんのコレクションを思い出す。けれど見覚えはない。あの煌びやかな原石の詰まった棚を思い返しても、やはり深海の闇を掬ったような青い石は見当たらない。
「ダイゴも相手の趣味に合わせてると言うけど、だからって石ばかり飾る趣味はあの男くらいだろう。厚意を無下にするのは心苦しいだろうが、あんまり甘やかすとインテリアが石だらけになってしまうよ」
ミクリさんが肩を竦めて溜め息を零した。それまでいじっていた青い石をテーブルへ戻し、改めて私を見つめる。
「ダイゴと何かあったのかな」
何か、あったのだろうか。返事に詰まり、視線が青の石へ落ちる。
四天王の四人も、それからミクリさんも幾度となく石を貰っている。ダイゴさんと親しい人は、宝物を分け与えられている。
目の前の青い石はきっと私が最後に彼の家を訪ねてから新たに採掘したのだろう。でも私はそれを知らなかった。毎日のように連絡をしているのに、石を取りに行った事すら知らなかった。
勿論、彼の行動全てを知りたいと言うつもりはない。けれど、以前は楽しげに話してくれた事を隠されていたのだ。どうしても不安になる。嫌な予感に怖くなる。
「ふふ、素敵なレディと過ごせるとは、相談相手というのも役得だね」
そう言って微笑むミクリさんに、私は曖昧に笑う。口ではそう言うけれど約束もなしに突然押し掛けたのに用件も言わず黙り込む女に何も思わない筈がない。それに本当は予定だってあるだろう。今すぐ帰るべきだ。そもそも私はチルタリスに無理やり連れて来られただけなのだから。
けれど。以前ミクリさんの一言がきっかけでダイゴさんに話が出来たのも事実だ。今回も相談すればまた背中を押してもらえるかもしれない。
ミクリさんを見る。ちょうど紅茶に口を付けていて、瞳を私に向けた。新緑の煌めきを湛える眼差しが話してごらんと語り掛けていた。自然と口が開く。
「実は――」
とは言え正直に『石をくれない』とは言いづらく、悩みは曖昧な言葉に包まれる。ミクリさんにとってはよくある事を相談するのだ、憐れみの視線が怖くて正直になれなかった。
「〝してくれない〟……か」
時々相槌を挟みながら静かに耳を傾けていたミクリさんがぽつりと呟く。顎に指を掛け考え込むように目を伏せた。沈黙が流れる。
こんな要領の得ない話をされて、ミクリさんも困っているのだろう。申し訳なさに慌てて「すみません」と頭を下げた。けれどミクリさんは微笑みを私へと向けた。
「ダイゴが〝してくれない事〟というのは、君からは出来ないのかい?」
探る瞳が私を映す。真夏の海が広がる瞳に、不安に揺れる私が沈んでいく。けれど底まで沈む前に引き上げられる。
「案外あちらも君がしてくれるのを待っているかもしれない、という事さ」
「そんな事」
ない。そう言おうとして、けれど何かが引っ掛かって言葉が止まった。
言われてみれば私がダイゴさんへ石は勿論、何かを贈った事はない。そして私達は以前、どちらが先に好きだと白状するのか〝我慢比べ〟をした過去がある。
「試してみる価値はあるだろう?」
ミクリさんが片目を瞑る。その完璧なウインクに頬が緩み「そうですね」私は頷いた。
私はミクリさんに深く感謝すると、甘酸っぱい香りの紅茶を飲み干して立ち上がる。ミクリさんがにこりと微笑んだ。
「上手くいく事を祈ってるよ」
ひらひらと手を振るミクリさんに背中を押されるようにしてルネを飛び立つ。
勿論、全ての不安が吹き飛んだ訳ではない。不可解な点も残っている。それでも、私が動かないときっと何も変わらない。
ダイゴさんに贈るなら何がいいだろう、明るい笑顔を浮かべるダイゴさんを思い浮かべながらプレゼントを考える。沈んでいた心に微かな光が差し込んでいく。
夜明けはまだまだ先だったけれど、すぐ目の前にあるようだった。
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