デンファレをかそう(4)




 その電話が鳴った時、何故だか嫌な予感がした。珍しい相手だったせいだろうか、それともダイゴさんに関係する人物だったせいだろうか。プリムさんからの電話に不安を抱きながら出ると、こういう時だけ勘が当たってしまう。
『{{kanaName}}なら彼が何処へ行ったか知っているかと思ったのですが……』
 火急の用があるらしいプリムさんは困ったように黙った。私はこれが電話で良かったと頭の片隅で安堵しながら「すみません」と謝る。
『もし彼から連絡があったらすぐにリーグへ連絡するように伝えて下さるかしら』
「分かりました」
 電話を切ってベッドへ倒れ込む。休日の夜なのに一切連絡がなかったのはそういう事か、一人納得する。
 今頃ダイゴさんは何処でどんな石を見つけているのだろう。その石は一体誰の手に渡るのだろう。考えても分からない。分かるのは、私がその相手に選ばれる事は絶対にないという事だけだ。
 全部を話してとねだった彼こそ、私に何も話してくれなくなっていた。もう、終わりかもしれない。いや、既に恋は枯れ、惰性で続いているだけかもしれない。
 どうしよう。どうしたらいいのだろう。分からない。何も出来ない。
 瞼を閉じる。視界を滲ませていた涙が目尻から零れ落ちた。


『アイツ、一人で大人しく寝るヤツじゃないだろ。だから様子見てやってくれ。恋人の言う事ならダイゴも聞くだろうからよ』
 プリムさんの連絡から一週間、今度はカゲツさんから電話が掛かってきた。
『それと{{kanaName}}からも言ってくれ、体調が戻るまで絶対に家を出るな、ってな』
 体はトレーナーの資本だと常日頃から体調に充分気を付けていたダイゴさんが寝込んでいる、とカゲツさんは言う。
 どうやら行方が分からなかったあの日、雨に降られて体を冷やしてしまったそうだ。それなのにここ数日無理をしたらしく、リーグで青い顔をしているのを心配したカゲツさん達が家へと帰したらしい。
『頼んだぜ』
 私の返事を待たずに電話が切れる。
 正直に言えば、会いたくなかった。会うのが怖かった。けれどダイゴさんが心配なのも事実だ。あの最低限の保存食すらあるのか怪しい家で一人寝込む彼には看病の手が必要だ。カゲツさんもそう思ったから私に連絡をした。行くしかない。
 傍で電話に耳を傾けていたチルタリスを先頭に部屋を出る。家へ向かう前にまずは買い物だ。あの家には石しかないから色々買わないと。
 そうやって目の前の事だけを考えて余計な事――私やダイゴさんの関係は頭から追い出し目を瞑った。


 玄関のチャイムを鳴らすと十秒と経たない内にドアが開いた。ひょこり、顔を出したユレイドルが私の腕に触手を伸ばす。玄関にダイゴさんの姿はない。ドアを開けたのはユレイドルのようだ。
 ダイゴさんは寝ているのだろうか。音を立てないよう室内を進むと、ちょうどベッドの上で体を起こしたダイゴさんを見つけた。赤い肌をして、ぼんやりと辛そうな顔をしている。けれど私に気が付くと辛そうな顔に笑顔を浮かべた。
「カゲツには大丈夫だって言ったんだけどな」 「あの……、食べやすそうな物を買ってきました。食べられそうなら食べてください」
 反射的に目を逸らしてキッチンに向かっていた。無理をして笑う姿が体調のせいではなく私という存在がさせているようで見ていられなかった。背後から溜め息が聞こえた。
「ポケモン達にご飯をあげたらすぐ帰ります。もし何かあったら無理せず誰かに連絡して下さいね」
 私にとは言えなかった。言って困らせたくなかった。案の定、
「うん、分かった……ありがとう」
 ダイゴさんはそれだけしか言わなかった。頼る相手は私でなくていいのだ。
 買ってきた物を、使われなくて随分久しい棚に詰め込んでいく。けれど少し買い過ぎたかもしれない。収まりきらない食料を恨めしく見つめ、持ち帰る事にした。
 ダイゴさんを見たところ二、三日もすれば快復しそうで、こんなに沢山は必要なかった。必要な物ですら適切に用意出来ないなんて、なら私に一体何が出来るだろう。
「じゃあ……、お大事に」
 顔は合わせないようにして頭を下げる。玄関へと足を向け一秒でも早くこの場から離れようと歩き出す。
「待って{{kanaName}}」
 ダイゴさんの声に体が固まる。振り返る。朝靄を閉じ込めた瞳が私を見つめている。
「ごめん」
 ああ、何か言わないと。正しい返事を返さないと。
 でも、一体何が〝ごめん〟なのだろう。わざわざ呼び止めて、ダイゴさんは何について謝っているのだろう。分からない。分かりたくもない。
「気にしないで、ください」
 体調を崩してしまった事も、心が離れていく事も、ダイゴさんを責めてどうにかなるものでもない。辛くても仕方のない事だった。
 私の傍を離れないユレイドルに戸締りをお願いして家を出る。これが最後の訪問になるかもしれないと思うと、何故か涙ではなく乾いた笑い声を吐き出していた。


 ダイゴさんから電話があったのは二日後の夜だった。ポケナビのディスプレイに名前が大きく表示される。見間違いかと思った。けれどポケナビは鳴り続け、ダイゴさんの名前はいつまでも消えない。
 何の用だろう。不安で胸が締め付けられる。このまま無視をしてしまおうか。けれどコール音を無視できない。出るしかない。
『ダババン!』『ココ、コッコ!』
 通話ボタンを押した瞬間、鼓膜が破れそうなほど大きな鳴き声が耳をつんざいた。ダンバルとココドラだ。二匹は私が電話に出た事に気付いていないのか、大声で叫び続けている。その必死な様子と、いつまで経ってもダイゴさんの声がしない事に嫌な予感が体を震わせる。
 私は二匹に「待っててね」と声を掛けて電話を切る。チルタリスは気持ちよさそうに寝床で丸くなっていたけれど、構わず叩き起して家を飛び出した。
 丸い月が浮かぶ空を西へ西へと飛んで行く。


 トクサネはすっかり夜のしじまに包まれていた。チルタリスが羽ばたく音が大きく響く。ポケモンセンターを通り過ぎ、ダイゴさんの家のある北へ足を動かす。ココドラ達の切羽詰まった声がまだ耳の中で響いている。
 私なんかが行っても迷惑だとか、他のもっと適切な人――四天王やミクリさんのような、ダイゴさんに慕われている人を呼ぶべきだったとか、今になって思い浮かぶ。けれどもうここまで来てしまった、今から他の誰かを呼ぶより私が行く方が早い。
 住宅地の外れにダイゴさんの家が見えた。チルタリスから飛び下りる。そして、
「ダババッ」「ココッ」
 家の前で楽しげにぴょんぴょん飛び跳ねる二匹に歓迎された。危機的状況はどこにも見当たらない。呆気に取られ、ぽかんと二匹を見下ろす。訳が分からない。
「わっ、え、なっなに……」
 戸惑う私の背中をダンバルが押し、ココドラがドアに頭突きをする。合図を受けて中からユレイドルがドアを開け、触手を私の腕へと絡めてくる。そのまま家の中へ引き込まれると、ベッドに腰掛けタブレットに目を落とすダイゴさんが視界に入った。
 ジャケットもベストも脱ぎ、勿論アスコットタイも締めていない。袖は肘まで捲り上げられ、いつもよりずいぶん着崩している。ダイゴさんにしては珍しい格好だ。
 けれどそれは決して病人の服装ではない。疲れの浮かぶ顔はまだまだ休養を欲しているというのに、ダイゴさん自身に休む気はなさそうだった。
「えっ? どうしてきみが」
 物音に顔を上げたダイゴさんが大きく目を見開く。けれどその顔が一瞬だけ歪んだのを、私は見逃さなかった。来るんじゃなかった。彼と親しい別の誰かに任せるべきだった。来るまでに振り切った筈の不安が私を責め立てる。
 無意識に足が一歩下がる。けれど腕を掴むユレイドルの力は強く、背中のダンバルも後退を許してくれない。そんな私達と足元のココドラに、ダイゴさんが眉を顰める。
「まさかきみが{{kanaName}}に電話を?」
 棘のある言い方に、言葉の先のココドラはぶんぶんと大きく首を振って頷いた。その拍子に咥えていたポケナビが飛んでいきダイゴさんの足元に落ちる。ぴかりと光った画面には私の連絡先が浮かんでいる。ダイゴさんが呆れて息を吐いた。
「悪戯に巻き込んでしまって申し訳ない。えーっと…、少しこの子達に付き合っ――」
「ダバンバ!」「コッコ!」
 二匹の大きな声は、私とダイゴさんを驚かすには充分だった。その隙をついてユレイドルが触手を伸ばす。ダイゴさんからタブレットと、床に落ちたポケナビを取り上げた。
「あの……、まだちゃんと、休んでください」
 ユレイドルの瞳に促されてそう言えば、三匹がダイゴさんへつり上がった瞳を向けた。私を呼び出したのはこの為だったのだろう。
「でもこれは……、いや、そうだね、分かったよ」
 何か言いたげなダイゴさんも、可愛いポケモン達に睨まれては我を通せないようだ。諦めたように息を吐く。
「ずっと横になってるのに飽きちゃってさ。少しのつもりだったんだ」
 ダイゴさんがベッドに倒れ込む。その様子をじっと見つめていたユレイドルが私の腕を引いた。視線を下げるとタブレットとポケナビを手渡される。
 長時間使っていたのだろう、タブレットはほんのりと熱を帯びている。困った人だ、私はそれらをテーブルへと置く。
 テーブルには書類が散らばっていた。見るつもりはなかったけれど、鮮やかな色が視界に映り込んでつい、見てしまった。
「あっ、」
 散らばる書類にはいくつも似たような指輪が描かれていた。指輪のデザイン画だ。小粒だけれど沢山の宝石を石畳のように敷き詰めた、花束のような指輪だった。中に見つけた字はダイゴさんのそれで、宝石の名前などが書き込まれている。
 はっとして展示棚へ目を向ける。この家には珍しい色鮮やかな棚は、絵の中の指輪と同じ色を抱えている。
「{{kanaName}}!」
 ダイゴさんがベッドから飛び起き慌てて書類をかき集める。そして何か言おうと口を開いて力なく閉じ、誤魔化すように手を掴んできた。
 けれど私の頭の中は指輪でいっぱいで、そんな事はどうでもよかった。ダイゴさんは一体誰へこれを贈るのだろう。私以外の誰が、その幸運を手に入れるのだろう。
「やっぱり欲張り過ぎたかな」
 俯く私を下から覗き込んでダイゴさんが眉を下げる。意識がダイゴさんに向く。
「それとも、指輪よりネックレスやイヤリングの方が良かったかい?」
 一瞬、誰の何の話か分からなくて思考が止まる。けれどダイゴさんの青い瞳はまっすぐに私を見つめている。
 視線をダイゴさんからデザイン画の束へ落とす。沢山の宝石は一つ一つ名前が異なっていて、そこにはルネジムで見た青い石、サファイアの名前も含まれている。
 まさか。いつも悪い方にばかり考えがちの思考が珍しく前向きになる。でも確証はない。これは勝手な推測だ。私は問うようにダイゴさんに視線を戻す。
「折角きみに渡すんだ、絶対に気に入ってもらいたくてさ。でも全然一つに絞れないからいっその事出来るだけ詰め込んでみたんだけど……、駄目だったかな」
 普段より自信のない声だった。淡い青を閉じ込めた瞳も不安に揺れている。私はふわふわする思考の中で首を振った。勘違いと思い込み、不安と疑心が晴れていく。
「本当かい?」
 花が綻ぶようにダイゴさんの顔に笑顔が広がる。
「なら、早く作らないといけないな」
 私の両手を、ダイゴさんの一回り大きくて力強い手が包み込む。指先に熱が灯る。熱くてやけどしそうで、けれど手を離したくない。
「出来上がったらすぐに渡しに行くよ。だから、」
 ダイゴさんの白い肌は赤く染まっていた。二つの瞳はダイヤモンドよりもきらりと輝いている。こんなにもまっすぐに私を見る人に、どうして不安を覚えたのだろう。気持ちを全部教えてと言った彼を、どうして信じなかったのだろう。時々言葉が足りなくなるだけで、この人はいつも私を見てくれているのに。
「{{kanaName}}とこの先の未来を歩む為に受け取ってくれるかい?」
 熱っぽい瞳だった。心なしか私の手に重ねた両手も熱くなっている。
 いや、本当に体温が上がっていた。浮かれた瞳は赤らむ頬ばかり見ていたけれど、よく見ればダイゴさんの肌はひどく青白い。そう、彼はまだ病人だ。
「さ、先に風邪を治して下さいっ」
 ダイゴさんと同じくらい熱くなった手を振り解く。心臓は全力疾走したばかりのようにばくばくと騒ぎ息が浅くなる。ダイゴさんの強い眼差しを感じるけれど、恥ずかしくてとても目を合わせられない。
 だって今のは、今の言葉こそ、私が欲しくて欲しくてたまらない言葉だったのだから。
「分かった。風邪を治したら改めて言うよ」
 ダイゴさんが手を伸ばす。私の手は再び彼に捕えられる。でも今度は振り払えなかった。触れた肌が熱を帯びる。吐く息も熱くなるのが自分でも分かった。
「{{kanaName}}、ボクは本気だよ。それにきみが嫌だと言っても、聞いてやらない」
 ふふ、そんな笑い声が聞こえてダイゴさんを見れば、ひどく満足そうな笑顔がそこにあった。試合中、技が上手く決まった時に見せる笑顔に似て、それからベッドの上で愛をささやく笑みを思い出す。私を魅了する笑みだ。
 どうして、一体どうしてダイゴさんはこんなにも身勝手で我がままな人なんだろう。心の内は見せてくれず私の事を置いてけぼりにして、いつだって自分の思うように行動する。こんな人だと知っていたら憧れから恋が芽吹く事はなかったかもしれない。
 でも。
 私は熱い息を吐くダイゴさんの胸の中に収まりながらひとつ息を零す。
 きっと私は何があってもダイゴさんを好きになる。心に恋の火を灯して、語られる愛に何度でも満開の花を咲かすだろう。
「風邪、移したらごめん」
 ダイゴさんが笑う。
――思ってもないくせに。
 そう言おうと開けた口は、いつもより温度の高い唇に塞がれた。


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