欠ける紅水晶




 ダイゴが{{kanaName}}との関係をやり直す為に最初に選んだのはサファリゾーンだった。まずはかつての最悪の思い出を楽しい記憶に塗り変えるべきだと考えたのだ。
 待ち合わせ場所に現れた彼女は少し不安そうで、ダイゴが笑えば微笑み返してくれるものの、ふとした瞬間に表情が翳る。わざわざ沢山作ってくれたポロックも本当は面倒だったんだろう、こっそり溜め息を吐いた彼女にダイゴの眉間にも皺が寄った。
 {{kanaName}}がポケモンへ向ける眼差しは相変わらず優しく穏やかで、ただダイゴを見る視線だけが怯えていた。予定ではその笑顔はダイゴにも向けられる筈だったのに、一つも思い通りにならない。ぎこちない微笑みがダイゴの心を不安にさせた。ほんの一片でも構わない、ダイゴは{{kanaName}}の好意を求めて声を掛ける。
 時間は夕暮れ時でポロックもなくなった。ダイゴは怖がらせないように笑顔を保って「夜の草むらは危険だから」と彼女へ手を差し出す。
 {{kanaName}}は暫く迷った後に、ダイゴの手の平へ自分の手を重ねた。自分のとは異なる熱にダイゴの心臓がどくんと跳ねる。逃げないように華奢な手を閉じ込めると彼女の瞳が揺れた。ほんの少し、熱を帯びているように見えた。
「きみが優しい人でよかった」
 ダイゴは握る手にそっと力を込めると、混じり合う体温に自然と頬を緩ませた。


 少しでも彼女と気安く喋りたい一心で選んだレストランは、狙い通り{{kanaName}}の緊張を和らげた。ダイゴがポケモンや試合の話をすると、硬い表情はあっという間に柔らかな笑顔に変わる。ポケモンの話なら彼女もダイゴに笑ってくれると気付くと、いつか自分のポケモンにも引き合わせようとダイゴはひとり次の予定を立て、唇に弧を描く。
 とても心地の良い時間だった。その時だけはまるで古い友人のように笑い合った。
 その後遅いからと彼女を家へと送り届け、いよいよ話す事もなくなり渋々帰ろうとした時だ。最後に見えた彼女の瞳に寂しさを見付けたような気がしてダイゴはエアームドに乗るのを止める。今ならもう少し欲張ってもいいんじゃないか。彼女へ振り返る。
「次からはきみのこと、{{kanaName}}って呼んでもいいかい?」
 驚いた顔がダイゴを見つめ返した。ぱちぱちと何度も瞬きして、ほんの僅かではあったが首が縦に揺れる。
 ダイゴは思わず抱きしめそうになる衝動をぐっと堪え、顔を上げてくれない{{kanaName}}の頭を撫でるに留める。しかし嬉しさを隠しきれず、浮かれた口が「夢でも会えるといいな」と口走り、エアームドへ跨る体もやけに弾んでいた。


 ダイゴは柄にもなく浮かれていた。彼女が彼に好意の一端を見せたのだ、浮かれるのも無理はなかった。そしてこの調子なら案外すぐにもう一度恋に落ちるに違いないと高を括っていた。
 だからゲンジの試合中に彼女を見付けた時には心臓が止まりそうな程驚いた。
 モニターに映る{{kanaName}}はすっかり興奮して頬を赤く染めていた。それ自体は何の問題もない。問題なのはその隣だ。隣の男がやけに親しげに彼女へ話し掛けている。誰だその男は。行けないと言っていたのに、どうして{{kanaName}}がリーグにいる。まさか。ダイゴの脳裏に最悪の物語が広がっていく。
 どくどくと脈打つ心臓を落ち着ける。今は試合の事だけを考えよう。ダイゴは深呼吸を繰り返す。しかし彼女の事が気になって仕方がない。後にも先にも、今日ほど試合が早く終われと願った事はなかった。


 腕の立つ挑戦者を捩じ伏せ試合を終わらせたダイゴは、短い待ち時間で探し当てた{{kanaName}}の座る方へ一瞬だけ視線を向けた。けれどダイゴは彼女が隣の男と仲良くしているのを見ていられず、挑戦者への挨拶もそこそこに控室へと戻った。
 乱暴に開けたドアが閉まるよりも速くポケナビを掴み、コール音が鳴り止んだ瞬間に「まだ帰らないで」と彼女に言い放った。自覚できるほど不機嫌な声だった。心臓は未だに煩く鳴り響く。
 呼び出された彼女は困惑した表情をダイゴに見せた。今にも逃げたいと顔に書いてある。ダイゴはそんな彼女に苛立ち、自分を抑えきれず、そして虫が花の蜜に誘われるように赤く色付いた唇を奪った。
「冗談だよ」
 顔を真っ赤にしてダイゴだけを見つめる瞳に心が満たされていく。あの男か何者であろうと彼女は自分に惹かれている。そうに違いない。ダイゴは緩む頬をどうにか取り繕って笑顔を作ると、その日は戸惑う彼女を解放した。
 二度目の口付けは、虎視眈々とそのチャンスを窺っていた。そわそわと落ち着かないくせに無防備に隙を見せた彼女へ望み通りキスをすると、薄暗い水族館でも分かる程頬を赤く染めた。言葉では嫌がる素振りを見せたが体は正直だった。
 そんな彼女に、ダイゴの昂った感情が言葉になる。
「ボクが、そうしたいんだ」
 此処で好きと言わなかったのは僅かに躊躇いが残っていたからだ。彼女はダイゴの好意に応えはするが、それだけだった。だから無意識に愛を告げる言葉を避けてしまった。
 ダイゴは知らない。もし素直に告白出来ていたらこの後すれ違わずに済んだ事を。土壇場で怯えなければ苦しまずに済んだ事を。
 しかしこの時の彼は自分に微笑み返す彼女にすっかり心を奪われ、自身の生んでしまった誤解の種に気付く事はなかった。


「まさか君からそんな事を訊ねられる日がくるとはね」
 詳細は一切伏せ〝友人〟の話として恋人への振る舞い方をミクリに訊ねれば、ニヤついた声がダイゴを揶揄った。聞く相手を間違えたと後悔するが、ミクリは大層真剣に向けられる瞳にゆるりと目を細めると〝友人〟へアドバイスを送る。
「――ただねダイゴ、結局はどれだけ相手を思いやれるかだよ。今から付け焼刃のテクニックに頼るようじゃ先が思いやられるよ」
「〝友人〟の相談だよ」
「おっと、失礼」
 愉快そうにニヤつくミクリにダイゴは文句の一つも言いたくなったが、アドバイス自体は間違いない。ぐっと堪えて礼を言うが「私に紹介するまでに別れない事を祈ってるよ」縁起でもない言葉を掛けられた。ダイゴが機嫌を損ねたのは言うまでもない。


 ミクリはやめろと言ったがダイゴは一向に鳴らないポケナビに痺れを切らしてメッセージを送った。ゲンジから聞き出したチルタリスの豆知識を必ず添えていると次第に彼女からもダイゴを頼るメッセージが届くようになった。
 ダイゴは懇切丁寧に言葉を選び、頻度を考えてメッセージを送った。声が聞きたくなった時には思い切って電話もした。今まで煩わしいと思っていたそれらは、相手が{{kanaName}}になった途端に幸せに満ちた時間になった。
 勿論、彼女に会う事も欠かさず、今日こそは彼女の口から好きの一言を引き出そうと毎回色々と手を尽くした。しかし彼女は頬を赤く染めダイゴの鼓動を速める笑顔を見せたが、ダイゴが一番欲している言葉だけは決して言わなかった。
 この日は火球の話を口実に{{kanaName}}を家へ招いていた。二人で満天の星を見れば今度こそ彼女も好きだと言ってくれるに違いない。赤く色付く唇に自分のそれを重ね、ダイゴは今か今かと言葉を待つ。
 大事なコレクションを熱く語っても嫌な顔ひとつせずに聞いてくれた彼女が、今更ダイゴを拒絶する理由など何処にもなかった。ダイゴはそう信じていた。
 だから「こんなに色々してもらって、何だか申し訳ないです」と何故か負い目を感じているような言葉に思わず首を傾げた。
「だってほら…――」
 ダイゴは自分でも気付かない内に意固地になり、此処でも素直になれず曖昧に誤魔化してしまった。それでも散々態度で示していたから気持ちは十二分に伝わっていると信じてその言葉の真意を深く考えなかった。
 そして彼女が僅かに瞳を大きくしてその後顔を伏せたのも単なる照れ隠しだと思い込み、一瞬見えた動揺も見間違いだと気にも留めなかった。


 決定的な一言こそ互いに口にしていなかったが、互いの心は通じ合い、幸せな時間はこの後も続くものだとダイゴは思っていた。
 しかし現実は首を振る。{{kanaName}}がダイゴの誘いを断るようになり、彼女から笑顔が消え、触れる事も出来なくなる。恋愛事に疎いダイゴでも彼女の気持ちが離れていて、もう自分にない事は明らかだった。
 けれどダイゴには理由が分からなかった。そして分からないからこそ諦められない。
 ダイゴは散々悩んだ挙句、本人に直接訊ねるしかないと腹を決める。こんな退屈なパーティに参加している場合ではない、今すぐ帰って{{kanaName}}に連絡を取ろう、と。
 その時だ。視線を感じて振り返る。{{kanaName}}だった。思わず名前を呼ぼうとして思い留まる。彼女は見知らぬ男性に寄り添うように立っていた。しかもダイゴが視線を向けた瞬間、逃げるように青い顔を背けた。掛ける言葉も行動も、何も出てこなかった。
 それでも姿だけは視界の端に捉えていたら突然、ぐらりと彼女の体が傾き隣の男性の胸元へと倒れ込んだ。男性のワインが彼女のドレスを汚す。赤い染みが彼女を穢す。
 男の汚い笑みが見えた瞬間、ダイゴは考えるよりも先に周囲の女性を押し退け、行く手を阻む人々を掻き分けて{{kanaName}}に駆け寄っていた。
「{{kanaName}}!」
 声に反応して顔を上げた彼女の顔は青く恐怖で酷い顔をしていた。その瞳が、ダイゴを見つけて助けを求めた。ダイゴが彼女を救うのにそれ以上の理由は必要なかった。
 彼女に纏わり付く男の腕を引き剥がし会場を二人で抜け出す。用意した客室に連れて行くと、動揺して震える彼女を休ませた。本当はもう大丈夫だと抱き締めたかったがそれを堪え、替えのドレスの用意を口実にダイゴは一度部屋を出た。彼女を余計に怖がらせたくはなかった。
 しかし部屋に戻ったダイゴは眉間に皺を寄せて非難めいた言葉を投げ付けてしまった。彼女が落ち着くのを待つ間にあの男の事を調べたらどうにも怪しく、ダイゴが助けなければ今頃彼女がどうなっていたか分からないのだ。つい厳しい口調になるのも仕方がなかった。
 けれどそんな話をしたいのではなかった。感情的に吐き出した言葉に項垂れていた頭はそのままに、ダイゴは視線だけを彼女へ向ける。一瞬絡んだ視線はすぐに床へ落ちたから名前を呼んで、逃げられないよう彼女の目の前まで近付いた。
「さっきの言葉、暫く否定しないでほしいんだ」
 あの男から彼女を引き離す為に咄嗟に出た恋人という言葉。言った直後は失言だと後悔したが、ピンチはチャンスにも成り得る。
「暫くボクの彼女の振りをしてくれないかい?」
 賢い彼女が断れない事は今までの経験で確信していた。卑怯な手だとも分かっていた。
 けれどこれがきっと最後のチャンスだ。ダイゴは何としても彼女を手に入れたかった。その口から好意を告げられる日を、夢なんかで終わらせたくなかった。
「よろしく、{{kanaName}}」
 手を伸ばし頬に触れる。緊張して少し冷たくなった指先に彼女の熱が灯る。唇を重ねて熱を分け合うと、今にも泣き出しそうな{{kanaName}}へ微笑んだ。


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