Candytuft smiles, love comes true.

初恋の少女と憧れの人

I see her again in my dream.


 幼い頃の夢を見た――ずっと昔、たった一度だけ訪れたルネでの小さな冒険の夢を。
 それは水を零した水彩画のように色が混じり合い、輪郭を失い、事実は夢に紛れてひどく曖昧で。
 けれどただ一つ、これだけは確かと言える事があった。それはあの日の空の色。あの日は朝から晴天で、綺麗な青空が広がっていた。





 鮮やかな色で彩られた夢の中、まずわたしの目が見つけたのは絵の具の青じゃ表せない澄んだ青空だった。高さによって異なる青がグラデーションを作っていて、その中に浮かぶ雲はクリームのよう。手を伸ばしたら一欠片掬えて、食べてみたけれどあっという間に口の中で消えてしまった。
 直感でルネだと思ったその場所は、周囲をぐるりと山に囲まれていた。金魚鉢みたい――口に出したか心の中で思ったのか、次の瞬間空気が水に変わって、わたしはふわふわとする足で先に進む両親の背中を追った。でも水の中で歩くのは大変で全然前へ進まなくて、よく知らない道をよく分からないままノロノロと歩いていると、辺りには両親も他の人もいなくなっていた。
 ぷつん、場面が途切れる。


――――


 わたしは波止場に立っていた。見慣れたカイナともミナモとも違う、トクサネでもない、知らない港だ。そこを“わたし”は歩いている。視線を左右に揺らし、必死で何かを探している。わたしは、そんな不安でいっぱいの自分を少し上から俯瞰していた。
 そこへ人影が現れた。視界が幼い自分のそれとリンクする。目の前にいたのはセーラー服を着た人魚の女の子だった。
 といっても彼女の足はちゃんと人間の足をしていたし、耳も人間のそれ、肌に鱗がある訳でもない。両手で抱きしめていたハスボーだってよくいるハスボーだった。
 それでも彼女は人魚だった。人魚の彼女はハスボーと同じようにくりくりしたまんまるな瞳でわたしを見つめていた。

「だいじょうぶ?」

 綺麗な声はハープか何か楽器を奏でたような心地良い音をしていた。人魚だから当然だろう。彼女らの声は悪い魔女が欲しくてたまらないほど綺麗なのは誰もが知っていて、もちろんわたしも知っていた。

「こっちにきて」

 日焼けのない、真っ白で華奢な手が差し出される。指の間に小さな水かきがあった。ほらやっぱり人魚だ! わたしは女の子にワクワク心を躍らせ手を伸ばした。
 けれどふと、自分の腕に目を落とす。小さい頃の自分は毎日外で元気に遊び回っていて、夢の中でも当然こんがり小麦色に焼けていた。
 そんなわたしが新雪のように白く透き通った肌に触れたらどうなるのか。人魚は泡になる前に溶けて消えてしまう。死んでしまう。手を引っこめる。

「だいじょうぶだよ」

 女の子が笑ってわたしの手を取った。少しひんやりしていた。
 その子はお人形みたいに肌が真っ白なだけでなく、白い帽子から覗く髪も海の色そっくりで、ルネの海から生まれた人魚姫だった。エメラルドグリーンの髪はつやつやとして、太陽の光できらきら輝いていた。
 人魚姫がわたしの手を掴んで歩き出す。空気が再び水に変わる。足が水に取られて重たくなる。
また置いていかれる。必死で足を前に出す。繋いでいたはずの手が水だけを掴む。


――――


 ひゅんっ、周りの景色が飛んでさっきとは違う場所に、今度は座っていた。

「ここ、ひみつのポケモンがいるんだよ」
「ひみつ?」
「うん、ひみつ。とくべつに見せてあげる」

 視界が空へと上っていき、再び人魚とかつての自分を空から見下ろしていた。二人は手を繋いでルネの波止場を駆けてゆく。向かう先は波止場の端で、消波ブロックや大きな岩が目立つ場所だった。
 人魚姫は慣れない人間の足なのに器用にそれらの上を歩く。わたしもよたよたと後を追った。

「ここだよ。ハスボー、よんでこれる?」

 人魚姫が腕に抱えたハスボーが勢いよくジャンプした。すると瞬きの間に体がどんどん大きくなってゆく。そしてホエルコほどに膨らむと、ぽちゃんと海へ潜った。

「すごい!」

 水に顔を付けれるなんて! わたしは叫んでいた。大きな葉っぱを海面に残して水中を探す姿にすっかり感銘を受けていた。夢の中のわたしは泳げなかったから、心底驚いてはしゃいでいた。

「それくらいもできるよ」

 ぷくっと頬を膨らませた人魚がわたしに言う。瞬間、視界が元に戻る。目の前に不機嫌な美少女が立っている。

「ルネの子はね、みんな水にあいされてるんだよ。だからもハスボーより長くもぐれるもん」
「すごい!」

 わたしの声にが嬉しそうに笑う。人魚だけど、その時は天使のように見えた。

「あっ、ほら、くるよ!」

 ハスボーが海面に顔を出すとその体がガスの抜けた風船のようにしゅるしゅると小さくなった。
 直後、ハスボーのいた辺りの海面が不気味に泡立って大きな波が起こる。じっと見つめていると、その中心から青くて細長い何かが飛び出してきた。
 見たこともないポケモンだった。ハブネークのように細長い体には白い斑点があり、オレンジの背びれは体のうねりに沿って揺れ動く。大きな口から覗く無数の牙はそれほど巨大ではなかったけれど、小さな子供を怯えさせるには十分に凶悪だった。
 わっ、と驚いたのも束の間、世界が再び水に包まれる。でも今までと違って地面も消えて本当に海中の中にいるようだった。違う、これは夢が作った幻想ではなく実際に海に落ちた時の記憶だ。飛び出したハンテールに驚いて足を滑らせた直後の背中への衝撃が思い起こされる。
 暗い海の底へ沈んでゆく体を必死でばたつかせ水面を、光を目指す。けれど泳げないわたしはどんどん悪い魔女の住む闇へと落ちていく。しんじゃう、ゴボゴボと泡にしかならない声で人魚姫の名前を呼ぶ。

「{{kanaName}}!」

 光の方へ目を向けると何かがこちらに近づいていた。人魚姫だった。あの子が人魚の姿に戻ってわたしを助けてくれたのだ。

「ごめんね、ごめん、ほんとうにごめんなさい」

 ハンテールとハスボーの助けを借りて消波ブロックに体を引き上げられたら、人魚姫が真っ青な顔でわたしに謝った。よく分からないけれど、落ちたのはのせいらしい。


――――


「{{kanaName}}!」

 また場面が飛ぶ。わたしは人魚姫と手を繋いでいて、目の前には両親がいる。そうだ、わたしは迷子になっていたんだ。

「{{kanaName}}のおとうさんたち?」

 が淋しそうに訊ねる。わたしが頷くと「よかったね」と笑ったけれど淋しそうな顔は変わらなかった。

「またくるよ」

 わたしは肩から下げていたポシェットのファスナーを開けると、その中から指輪を取り出した。数日前のカイナのお祭りのクジで当たった、宝物になったばかりの指輪だった。

「あそんでくれてありがとう」

 彼女へ指輪を渡す。ひみつのポケモンを見せてくれた対価であり、迷子で不安だったわたしを助けてくれたお礼だった。

「また来てくれる?」
「うん!」
「やくそくだよ。ぜったいのことわすれないでね」
「うん!」

 でも結局わたしはその後ルネに行く事はなく、あの子の事はもちろん、ルネに行った事さえ思い出せなかった。この小さな冒険は、ずっと記憶の中で眠っていたのだ。

「ルネの子は“イチズ”なんだよ。{{kanaName}}がわすれてもはぜったいわすれないから」





 あの子は今、どうしているんだろう。このまま夢の中に留まっていたら何かもう少し思い出せるかな。
 でも遠くから目覚ましの音が聞こえている。もう起きなきゃ。今日は絶対に寝坊も遅刻もできない。
 だって今日は、わたしがルネジムで働く最初の日なんだから。



夢の中で思い出したのは“彼女”
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