何も知らされていなかった夢主と知っているから戸惑うダイゴ
「あ…、ありがとう」 わたしは去年と同じようにチョコレートを渡しただけなのに、何故かダイゴさんは驚いた声を上げ困惑した顔で受け取った。 * わたしはデボンコーポレーション化石研究ラボに所属する唯一の女性で、入社して数年経った今でも後輩が出来ず未だに新人研究員をしている。そんなわたしは普段から可愛がられているのだけど、冬のこの時期は特に凄い事になる。みんなが異様なまでに優しくなるのだ。 理由はもちろんバレンタインのチョコレート。義理でも構わないから欲しいのだとか。普段からお世話になっているから構わないのだけど、所長から「業務の一つと思ってくれ」とまで言われた日には何だか哀れに思ってしまった。 業務と言われると途端に面倒臭く感じたけれど、有り難い一面もあった。気になっている人にも自然な流れでチョコレートを渡すことができたのだ。わたしは「いつも手伝ってくれてありがとうございます」と日頃の感謝を口実に、チョコ購入という業務命令を笠に着てその人――ダイゴさんにチョコレートを贈った。ダイゴさんは社交辞令だった可能性もあったけど笑顔で嬉しそうに受け取ってくれたから、その時は所長とチョコをねだる先輩達に感謝をした。去年の話だ。 その日、いつものように出社すると先輩たち男の視線はわたしの手荷物に集中した。視線をひしひしと感じながら持ってきたチョコレートを片手に所長のデスクへ向かう。皆さんへどうぞ、とホウエンのポケモンがプリントされたチョコレートを渡すと「ご苦労」と一大プロジェクトが無事に成功したかのように満足気に頷かれた。コスパ重視で選んだチョコレートは先輩の手によって休憩室の冷蔵庫に丁重に仕舞われた。 そうしてしばらく何事もなく仕事を進めていると、ラボに客人がやって来た。 「{{kanaName}}さんいるかな」 寝付けない子供が少し困ったように親の寝室の扉を開けるように、ダイゴさんはどこか落ち着かない様子だった。わたしは入力しかけのデータを放り出してダイゴさんの元へ向かう。意中の人に会えた喜びもあるけど、わたしも化石一筋の変人集団の異名を持つこのラボの一員で、研究馬鹿の一人なのだ。わざわざ研究の協力を買って出てくれたダイゴさんの時間を1秒も無駄にせずに研究を進めたかった。 「待ってたんです、来てくれてありがとうございます!」 ぺこりと頭を下げると、ダイゴさんがアイスブルーの瞳を滑らかに細めて笑みを返した。 ダイゴさんは忙しい人にも関わらず、最低でも月に2回、多い時には毎週のように顔を出してくれた。化石ポケモンの扱いに長けた人はまだまだ少なく、ダイゴさんのような存在はとても貴重だった。 それに好きな人に会えるのはそれだけでモチベーションにも繋がる。おまけに今日はバレンタイン、今年もやっぱり好意は伝えられそうにないけどチョコレートを渡すことは出来る。わたしはいつ渡すのが最も自然だろうとチャンスを窺いながら、いつものようにダイゴさんへ様々な無茶をお願いした。 「そろそろ行かないと」 ダイゴさんがラボへやって来て数時間、データ収集に一段落ついた時だった。壁の時計に目をやったダイゴさんが申し訳なさそうに告げる。 「今日はここまででいいかな」 「はい、ありがとうございました」 頭を下げるものの、内心焦っていた。結局研究に夢中になってチャンスはいくらでもあったのにチョコレートを渡せていないのだ。 かくなる上は、と「わたしも別棟に用があるんだった!」とバレバレもいいところの口実をでっち上げてダイゴさんと一緒にラボを出る。ダイゴさんはそんなわたしにも「じゃあ途中まで一緒だね」と愛想の良い笑顔を向けてくれた。 広くて、けれど人通りの少ない廊下を二人で歩く。いつもなら化石の話やポケモンの話で盛り上がるのに、何故かダイゴさんは黙っている。わたしも背中に隠したチョコレートをいつ渡すかで頭がいっぱいで会話ができる状態ではなかった。 だからあっという間にエレベーター前まで辿り着いてしまう。ダイゴさんとはここでお別れだ。もう最適なタイミングがどうだとか言っていられない。わたしは「あの、」と声を掛け、隠していた紙袋をダイゴさんへ見せる。 「沢山貰ってるかと思いますが、これ…、ダイゴさんに」 タイミングは最悪だったけれど、いつもの調子で、所長の出張土産をお裾分けする時のようにチョコレートを差し出した。けれどダイゴさんは「えっ、」とひどく驚いた声を上げ、わたしとチョコレートを交互に見比べてほんの少し眉間にしわを寄せた。不快、というより困惑した顔だった。それにはわたしの方が困ってしまい、ダイゴさんへ突き出した腕がわずかに震える。しかしわたしが動くよりも先に、 「あ…、ありがとう」 ダイゴさんが手を伸ばし紙袋を受け取った。 この反応を見るに、義理チョコすら想定していなかったんだろう。自分はそこまで眼中にないのか、とあまりのショックに胸が押し潰されてひどく痛んだ。その痛みに耐えているとダイゴさんが「一応聞くんだけど」おそるおそる口を開く。 「今日のこと、連絡届いているよね?」 「れんらく……、ですか」 困惑した顔のダイゴさんがうんと頷く。けれどわたしには一切覚えがない。今日はバレンタインで、所長も先輩たちもしつこいくらいにチョコレートを用意しろ持って来いと言っていただけだ。他には何も聞いていない。わたしは重大な連絡を見逃している可能性に不安を覚えながら首を振った。 「あぁ、そうなんだね……えっと、実は今日に限り物品の授受――平たく言えば社員間でバレンタインに関するやり取りは原則禁止されたんだよ。恥ずかしい話だけどちょっと色々あってね」 そんな話、聞いたことがなかった。所長たちはまったく逆の言動をしていた。何がなんでもチョコレートを用意させようと、躍起になっているようにすら感じていた。 「でも社内恋愛を禁止している訳じゃないからさ、義理や形式的な物でなければ許可されてて……」 ダイゴさんの言葉は少し回りくどく、珍しく言い淀んでいる。そんなダイゴさんを不思議に思いながら言われた言葉を噛み砕く。原則禁止、でも義理でも形式的な物でもないチョコレートなら……つまりそれって、 「ぁあっ!」 ダイゴさんが驚いたのも、困惑したのもようやく合点がいった。本命以外が禁止された中、特に告白の言葉もなくチョコレートを渡されたら誰だって戸惑うに決まっている。 わたしは慌てて紙袋を引っ掴む。義理か本命かと問われれば間違いなく後者だ。でも、このまま彼の善意に寄りかかってチョコレートを押し付ける訳にはいかない。 「すみません! ちゃんと連絡事項確認してなくて…、こっ、これは持って帰ります!」 これはわたしが責任を持って回収しなければ。離したばかりの紙袋を掴み直す。なのにダイゴさんは持ち手を握ったまま、こぶしを緩めない。 「{{kanaName}}さん、」 名前を呼ばれ、反射的に紙袋からダイゴさんに顔を向ける。困惑の表情は消え、けれど普段の柔らかな微笑みも見えない。夜空で輝く一等星のように澄んだ青の瞳がまっすぐ真剣にわたしを見つめている。心臓が急速に加速する。どくどくと大きな音を立て始める。ダイゴさんが次の言葉を紡ぐその一瞬までが、永遠のように感じられた。 「ボクはこのチョコレートを、受け取りたい」 予想外の言葉ではない。むしろダイゴさんの真剣な表情から容易に想像が出来た。でも予想できるのと反応できるかは全く次元の異なる話であって。あ、とか、え、とか、声にもならない声が喉からせり上がり、けれど開いた口からは何の音も出ない。 「だってボクも{{kanaName}}さんの事が好きだから」 血液が熱湯のように沸き立つ。顔が熱くなって耳まで真っ赤になるのを感じる。全身から力が抜けて、わたしの手が紙袋から離れた。ダイゴさんは紙袋を胸まで引き寄せると、ポケモンのタマゴにするようにそっと優しく抱きしめた。綺麗な微笑みに感情が高ぶって目尻に涙を感じる。 とその時ポン、と音が鳴ってエレベーターが到着する。ダイゴさんが申し訳なさそうに眉を下げた。わたしと違ってダイゴさんは忙しい、もう行かなければならない。 「良ければ今日、一緒に食事でもどうかな」 薄ら赤くなったダイゴさんの顔に微笑みが浮かぶ。わたしは反射的に大きく何度も頷いて、けれど目を合わせるのが恥ずかしくて視線を床へと落とす。綺麗に磨かれたダイゴさんの靴が視界に映り込む。 「じゃあ後で迎えに行くよ」 また後でね。視界に見えていた靴が消える。あっ、と顔を上げ時にはもうダイゴさんの姿はなく、エレベーターは上の階へと向かっていた。 わたしはしばらく立ち尽くし、恐らくわたしの帰りを楽しみに待っている所長達に文句とお礼のどちらを先にぶつけてやろうかとため息を吐いた。