吐き出した泡は溺れて溶ける

お酒に自信があってトレーナーでもあるデボン社員夢主とダイゴ

 毎月開かれるその飲み会は部署の垣根を越えた“お得”な飲み会だと言われている。だから毎月上司に声を掛けられる度に「俺が呼んでやってるんだ、有り難く思えよ」と何度もしつこく言われる。確かにお金も地位もある男性とお近付きになれるのは“お得”ではある。けれどその実メンバーはほぼ固定されてて最近はそれほど“お得”でもない。
 しかし今回の飲み会は上司曰く超大物も来るらしく「玉の輿を狙うなら良い下着つけとけよ」いつになくセクハラ発言が酷い。仕事が出来なければとっくに報告するんだけどな、私はニコニコと笑顔でやり過ごしつつも誰が来るのか尋ねる。
「それは当日のお楽しみだろう」
 ああもう面倒くさい。上司のニタニタ笑う笑顔にうんざりしてため息が零れた。

***

 セクハラ上司の言葉に従うのは癪ではあったけれど、飲み会当日は足の先まで気を配って準備をしてきた。良い男がいるならチャンスを逃すなんて勿体ないし、そうでなくとも身だしなみを整えて悪いことはない。もしかしたら運命的な出会いをするかもしれないじゃない。
 私は気合いを入れて今夜の戦場、もとい飲み会の会場へと向かい、さっそく私は件の大物とやらを探す。上司のセクハラ発言は酷いものだけど仕事は出来る上司がオススメしてくるのなら優良物件には違いない。どこのどなたかしら、気付かれないようさり気なく上座へ視線を向ける。
「ちょっとあれ御曹司サマじゃない?」
 隣に座る同僚がぐいぐいと袖を引っ張ってきた。私もその人物に気が付きぱちぱちと瞬きをして見間違いでないことを確認する。なんだ、お偉いさんというのはツワブキダイゴなのか。残念だけどダ私にとって彼は“当たり”ではない。けれども「わたし頑張ろうかなぁ」あの男が他の女に手を出しても面倒だから、とりあえず様子は見ようと同僚には気のある振りを見せた。
 私がダイゴにそれほど関心がないのには理由がある。周りには黙っているけれど私はトレーナーでもあって、バッジも八つ集めるくらいには実力もある。そういう訳でチャンピオンとは何度か顔を合わせたことがあり、幸運にも既に彼の知人という地位は手に入れている。だから今日この場でダイゴに会うのはどちらかと言えば“外れ”だった。
 とは言え私が彼と会うのはいつもバトルコートの上、デボンでの彼を見るのは面白いかもしれない。いつも澄ました顔でバトルをする彼からは想像できない一面が拝めるかもしれない。
 なんてぼんやりと考えに耽っていたら、私の視線に気づいたダイゴと目が合った。ぱっと顔を明るくして私に微笑むダイゴ。隣の同僚達が小さく悲鳴を上げている。一体どうしたんだ、いつものクールなチャンピオンはどこに置いてきてしまったんだ。あんな人、知らない。ポーカーフェイスの下に闘争心を湛えるダイゴしか見たことがない。
「それでは皆さんグラスの準備は出来ましたか」
 音頭を取る声にはっとして慌ててグラスを掴んだ。金色に輝くそれを美味しいと思ったことはないけれどニコニコと笑顔を作ってグラスを掲げた。
「かんぱーい」
 それはまるで開戦の合図のようで。私はグラスになみなみと注がれたビールに口をつけながら辺りを見渡す。早速先輩に目を付けられた後輩が大量にビールを飲み干す羽目になっていたり、飲めない振りをした同僚が狙った上司に態とらしく肩を寄せている。
「えーっ! {{kanaName}}とダイゴさんて知り合いなんですかぁ」
 騒がしくて聞き零しそうな同僚の声はしかし、驚くほどクリアに耳に届いた。誰かが私の噂をしているな、声のした方を見やるとダイゴが綺麗な女性を両脇に据えているではないか。何故だかモヤモヤして少し青い顔をした後輩のグラスに、近くにあった冷酒をつっこんだ。恨むなら早々に冷酒を頼んだ馬鹿とダイゴにしてほしい、私はうっかり手を滑らせただけだもの。
「ほら、お前も来い」
 胸の蟠りに眉根を寄せていたら私を呼ぶのはあのセクハラ上司。まるでポチエナでも呼ぶかのように来い来いと手を動かす。今の私は少し機嫌が悪い。だから上司でも容赦はしてやらない。わずかにふらつく足に力を込めて上司の方へと向かった。飲み干したアルコールで思考回路がまともじゃなくなるのを感じながらも頭はガンガンに冴えている。つまり私は正気を保っている、ということ。まだ自分の言動には責任を持てる。
 ふらつく思考でようやく上司の元へと辿りつく。この男もまた若い女性を侍らかせていて、見てると苛々してくる。
「{{kanaName}}ちゃん」
 私が座ろうとした二つ右から、まるでエネコの鳴き声のような甘い声がした。背筋がぞわりとして耳がくすぐったい。
「グラス、空じゃないか」
 ニコニコした笑顔を見せているのは1番すごくて強い男であるはずのダイゴ。今はその白い肌を赤くしてひどくご機嫌で、そんな姿をチャンピオンに夢見る少年少女が見たらきっと幻滅するだろう。
 ダイゴは隣で必死にアピールしている女の子を「ちょっとここ空けてね」と無情にも退かすとポンポンと座布団を叩いて私を呼ぶ。そういうのは女の子がするから可愛いのであって、いつも不敵に笑っているダイゴがする仕草ではない。そんな、そんな可愛い事をされたら私、酔ってしまう。
私はズキズキと痛んできた頭に耐えながらそこへ座り、押しのけられた女の子は可哀想にセクハラ上司へと捧げられる。
「{{kanaName}}ちゃん、明日って何時にしてたっけ」
ニコリと笑うダイゴに頭が痛くなる。だってダイゴの右隣にはまだ別の女の子がいて、そうでなくとも周囲には私達の会話に全神経を集中させている野次馬達が沢山いる。変な言い方をしないで、何も言わないで。
「明日のバトルの約束ですよね、11時ですよ」
「ふふ、そっか」
 ふにゃりと笑う彼を見て、ダイゴが今とても酔っていると気が付いた。もう少し酔わせたら大人しくなるのかな、そうなら変なことを言い出す前に一思いに潰してしまうのも良いかもしれない。私の方はまだ大丈夫、だってこんなにまともに思考出来ているもの。
「ダイゴさんのグラス、空ですね」
 誰が頼んだのか分からないワインボトルに手を伸ばし2つのワイングラスにそれを注ぐ。乾杯、チリンとグラスを鳴らすとダイゴも私もぐいと口を付けた。私よりも先に空になったグラスがテーブルに置かれる。早く注げ、ということだろうかか。赤くなる顔を見ていると、それほど強そうには見えないけれど大丈夫なんだろうか。
 米粒程度の理性が今ならまだ止めれるぞと警鐘を鳴らす。でも何を気をつけろと言うのだろう。ダイゴは飲みたそうで私も飲ませたい、完全に利害が一致してるじゃない。
 よし、とりあえずこのワインを空けてしまおう。ラベルの向きなんて気にして酒が注げるか、零さずにグラスに入ればそれでよし、零したら零したで新しく頼めばいい、さあ飲み干そう。
 と、意気揚々とダイゴのグラスにワインを注いだらあっという間になくなって。仕方ない、近くにあったピッチャーを引き寄せてワインの代わりにそれを飲むことにする。
 しばらくそんな無茶な飲み方をしていたら、ふと傍で後輩がぐったり倒れ込んでいるのが視界に入った。ぐらりと揺れる体でバランスを取って立ち上がる。足がふらつくけどまだ大丈夫、私はとても正気だ。
「どこ行くの」
「あそこの彼を介抱しないと」
 答えたら右手を引っ張られた。危ない、転んでしまうところだ。
「じゃあ僕が潰れても介抱してくれるかい?」
 私を見上げるダイゴの頬は赤く染まり瞳はじわりと滲む涙で潤んでいる。僅かに開いたままの口元が「ねぇ{{kanaName}}ちゃん」と私に問いかける。
 そんなの、そんなの介抱するに決まってるじゃない。私以外に誰が下心なく介抱出来るというの。明日のバトルの約束だってあるんだから、私が、私がちゃんと正しく介抱を、してあげるわよ。
 座り直して適当に近くのグラスを掴んでまた乾杯をして、セクハラ上司が青い顔してやめろと言うのも無視してグラスを空ける。
「大丈夫ですよ、だって私ダイゴ…さんの家知ってるしダイゴ、さんのエアームドとも仲良しだから運ぶのも問題ないです」
 そう、何も問題ない。そんなことより少し苦しそうにお酒を流し込んでるダイゴをゆっくり鑑賞したい。ほら、うまく飲めなくて口元からすこし垂れている。私も口端が少し濡れているけどダイゴの方が子供みたいに零している。
「{{kanaName}}ちゃん、」
 そういえば、どうしてダイゴは今日に限ってちゃん付けするんだろう。少し、とってもこそばゆい。
「もう無理かも」
 ガシャンとグラスがテーブルに振り下ろされ、ぷつりと糸の切れたマリオネットのようにテーブルに突っ伏した。ダイゴはそれきり静かになる。あっ、まって、そこで完全に潰れられるの困る。エアームドに乗せるまでは踏ん張ってもらわないと。
「私、送ってきます」
 青い顔の上司を押しのけザングースを出してダイゴの肩を預ける。今ほどポケモンを持っていて良かったと思ったことはないかもしれない。
「靴履くまでは頑張って、ほらぁ」
 うう、と呻いて頭を抱えるダイゴを引っ張って外へと連れ出す。ダイゴの肩を支えるザングースも困った顔をしているじゃない、まだ寝ちゃダメと何度も声を掛ける。
 ダイゴの腰からモンスターボールを一つ外してエアームドを出す。「一人で乗れる?」と声を掛けるけれどふるふると首を振られてしまう。
「でもエアームドには二人は乗れないよ」
「くっつけば乗れるよ」
 言うなり背中から抱きすくめられる。さっきまでの千鳥足はどこに消えたのか、わたしを掴む体にはしっかりと力が入っている。何か、おかしい。
「お酒が入ると{{kanaName}}は積極的になるんだね」
 耳元で囁くのはいつものチャンピオン然としたダイゴだった。もしかして今の今まで潰れた振りを……だとしたら途端に立場が入れ替わってしまう。ふらふらした足はダイゴに支えられないと一人じゃ歩けない。酔った頭では一人でポケモンにも乗れやしない。それでも、そうだとしても。
「私が、私がダイゴを持ち帰るんだからね」
 そこだけは絶対に譲るものか、エアームドの羽ばたきに負けないよう声を張り上げる。けれど背中から伝わる彼の熱がじわりゆるりと浸食して、私の理性も何もかもが溶けてゆくのを止めることは出来なかった