髭犬にすらなれない

ダイゴ視点
失恋した夢主と思いを寄せるダイゴ

 勝手知ったる我が家のように鍵を開けて家へと入る。一応チャイムを鳴らしたが家主は何の反応も示さない。玄関には脱ぎっばなしの靴が散らかっていてハンガーに掛けそびれたコートがぐしゃりと床に落ちている。自分の靴を揃えるついでに彼女のお気に入りのヒールを揃えてやり、落ちていたコートも皺にならないようハンガーに掛けておく。
 リビングの戸を開けると、ソファに家主である{{kanaName}}を見つける。大音量のテレビにはどこかのコンテストの風景が映し出されている。聞き覚えのある声がするなと画面を見ればダイゴの友人でありコンテストマスターと称されるミクリが何やら喋っていた。コンテストの審査員、もしくは解説者だろうか。ボクと違って彼はこういう露出が多い。知名度ではミクリの方が遥かに高いやもしれない。
 テレビへ向けていた視線を目下のソファへと落とす。{{kanaName}}は奮発したんだと自慢していたソファにごろりと横になって、昨日まで封印していたはずの菓子に手を付けている。
「ダイエットするって言ってなかったっけ」
 少し揶揄うように明るい声で言ってやればじろりと突き刺すような視線で睨まれる。その目元は腫れていて乱暴に拭ったのだろう、目尻でメイクが黒く滲んでいる。
「振られたからってヤケ食いはどうかと思うよ」
 ソファの肘掛に腰を下ろして乱暴に開けられたポップコーンの袋をつまむ。ほとんど重さを感じないそれの中を覗くとポップコーンは僅かに残るばかりで消えたポップコーンは十中八九不貞腐れている{{kanaName}}の腹の中に収められているのだろう。
「ダイゴさんには関係ないし、放っといてよ、それに勝手に入ってこないで、ばか」
 足を組み換えてポップコーンを一つ口へ放り込む。塩の効いたそれはなかなか悪くない。前に食べたのは確か彼女が見たい映画があるとかで連れて行かれた映画館の中だったか。その時食べたポップコーンは甘ったるいキャラメル味でその時も{{kanaName}}がほとんど平らげていたように覚えている。
「ならチェーンロックでもして絶対に入れないようにするべきだ」
 返事をしながらスラックスのポケットに手を入れればすぐさま目当てのものに手が触れる。理由は記憶の果てに置いてきてしまってもう思い出せないが、{{kanaName}}から渡されたこの家の鍵だ。彼女にとって何者でもない自分が持っていていいものではない。けれど自分から返すという選択肢はとうの昔に捨て置いてしまった。
 {{kanaName}}の氷のような視線がボクを刺す。薄い膜の張った瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。
「バトルでもしようか」
「わたしは、バトルなんかしない」
 視線が目の前のローテーブルに、そこに投げ置かれたポケナビに注がれる。鳴るかも分からないポケナビに向ける視線にはまだ淡い期待が残っていた。決してボクには向けられることのない眼差しだった。
「ねぇ{{kanaName}}、もう諦めなよ」
 怒りと悲しみの混じった瞳がこちらを睨む。それを無視して彼女の体を抱き締めた。大きく見開かれた瞳が助けを乞うようにポケナビを見る。その視線を遮るように顔を向けるとついに涙が頬を伝った。
「ボクならきみを悲しませたりしない。{{kanaName}}の全てを認めて、必ず幸せにする」
 いつものように馬鹿なこと言わないでと一蹴してくれたらいいのにと願っても、{{kanaName}}は顔を歪めて涙を流すだけだった。拒絶も許容も何もない、こんな時であっても彼女の視界にはボクは映らない。
 強く抱き締めていた腕の力を解いた。悲しみに暮れる{{kanaName}}の瞳が見つめるボクもまた深い悲しみを抱えていた。