狼でもかまわない

失恋した夢主に優しさを見せるダイゴ

 忙しくて忙しくて、たまの休みも生活維持のための必要最低限をするだけでエネルギーが枯渇してしまう。そんな中、どうしてもと懇願され、疲労の溜まった体をひきずって恋人に会いに行った。
 化粧乗りの悪い肌、しばらく美容院に行けず艶を失った髪、何度着たか分からない洋服につま先が少し剥げてしまったヒール、そんな酷い状態のわたしを見た恋人は労いの言葉よりも先に「別れよう」と言い放った。
 それが、つい一週間前のことだった。

***

「おっと、」
 肩がぶつかって体が傾く。ぶつかったその人は、久々のアルコールにぐらりと倒れようとするわたしの体を掴んで息を吐いた。すみません、謝ろうとクラクラする顔を持ち上げ、わたしは言葉を失った。あろう事か、ぶつかったのはあのツワブキダイゴだった。
「今日は体調が良くないのかな、いつもより顔色が悪いね」
 大丈夫かい。首を僅かに傾げる様子は彼を年齢よりも幼くさせる。可愛い、なんて絶対に本人には言えない感想を胸に「平気です」と返事をする。
 ダイゴさんと酒の席で一緒になるのは、定期的に開かれるこのリーグ関係者の慰労会だけで、片手で数えられるほどしかなかった。しかもその数回でさえ、まともに挨拶すら交わしていない。だから今の言葉には、正直困ってしまった。まるで親交のある友人に掛ける言葉だったから。
 廊下は薄暗く、また、酒も入った頭では普段よりも色々な事が覚束なくなる。だからきっと他の誰かと勘違いしてるのだろう。そうでもないと、一介のジム職員へチャンピオン様がこんな風に声を掛けるなんて有り得ない。だからそれとなく伝えようと口を開いたら、それより早く次の言葉が紡がれた。
「何か、辛い事でもあったのかな」
 鮮明に、一瞬で、一週間前の苦い記憶が蘇る。辛くはない。呼び出された時点で薄々気付いていたから。悲しくもない。話し合いの余地もなかったから。
「……事情を知らない相手の方が吐き出しやすい事もあるから、ボクで良ければ話を聞くよ」
 差し出されたハンカチで、頬を伝う涙に気が付く。あっ、と声が漏れ誤魔化すように手の甲で涙を拭う。けれど、気付いてしまったことが原因なのか、涙は止まることを知らず拭っても拭ってもすぐに流れ落ちる。
「どこか、落ち着ける場所に行こう」
 向けられた優しげな瞳はどこまで本心なのか分からない。それでも、それがまやかしだったとしても、今はその優しさに包まれたかった。
 わたしはハンカチを受け取り、乾いた涙の跡をそっと撫でた。