リーグスタッフ夢主にバレンタインのお返しを贈るダイゴ
「ちょうど良かった」 廊下で偶然出くわしたダイゴはぱっと顔を明るくする。そしてごく自然な動作でわたしの腕を取ると「きみを探していたんだ」アイスブルーの瞳を細めた。 * * * バッジケースほどの大きさの小さな箱はどれも赤い包装紙に包まれ、金糸の織り込まれた白のリボンで飾り付けられていた。その中のひとつ――これだけリボンが白ではなく金だった――を紙袋の奥底に丁寧に仕舞い込む。その上に他のチョコレートを、数を確認しながら積んでゆく。いつもお世話になってる上司に仲良くしてる同僚、顔を浮かべながら最後の一つを詰めると任務の大半は完了したとほっと息を吐いた。 安すぎず高すぎず、見目も良いけど勘違いは生まないチョコレート、というのは案外難しいもので、いくつかのバレンタインフェアに赴いたりネットで調べるなど、予想以上の手間が掛かってしまった。 その労力に比べれば当日の配る作業はなんて簡単なんだろう。配給のように事務的に渡してゆく様を想像すると、この行為の意義を見失いそうになってしまう。 けれど一番下に隠したチョコレートについては一気に事情が変わってくる。その他のチョコレートと殆ど同じ大きさの箱のそれは、リボンの色だけでなく中身も他とは異なっている。 本命、と呼ぶには控えめな主張のチョコレートはドーム状でひとつずつが様々な色で彩られ、グラサージュが美しい。きっと彼、ダイゴは沢山の人から多くのチョコを貰うだろう。だからせめて僅かでも目に留まってほしい、とこのチョコレートを選んだ。 当日の配る作業が簡単だなんて、どの口が言うのだ。このチョコレートに限っては伝説ポケモンを捕まえる以上に難しい。 バレンタインなんてなければいいのに。吐いた息はどこか苦味を含んでいた。 * * * ポケモンリーグには四天王、チャンピオンそれぞれに控え室が用意されている。もう何年も入れ替わりがない事もあり、控え室は使用者の色に強く染まっている。たとえばプリムの控え室にはいつも美味しそうな菓子が備えられていて、夜中勝手に動き出すと噂のぬいぐるみは今フヨウの控え室で眠っている。他の控え室もそうだ、何かしらその人を感じるものが置かれている。 ところが、他の控え室よりひと回り大きなチャンピオン控え室だけは様子が違っていた。 目に付く大きなモニターとテーブル、小さなクローゼット、姿見は元からの備品で、それ以外で彼が持ち込んだのはソファくらいだろう。それだって備え付けの椅子がガタついて座り心地がすこぶる悪かったから、という消極的な理由によるもので。この部屋に限っては今すぐ使用者が変わっても何ら問題はなさそうだった。 そんな使用感の全くない控え室に通され、ダイゴに「そこ、座ってて」とソファを勧められる。黒革のひんやりとした触り心地を腿に感じながら端へ浅く腰掛ける。 目の前のテーブルには見慣れない石と、恐らくそれを手入れする道具が置かれている。これは珍しい石なんだろうか。気になって覗き込んでみるものの、わたしには道端の石にしか見えなかった。 「ああ、それはね……、いや、今はいいか」 お茶を用意したダイゴが石を端に寄せてティーカップを二つ置いた。この食器は以前ここを訪れた友人によって持ち込まれたものらしい。控え室であれど客人を招く事もあるのだから準備をしておけ、ときつく言われたのだとか。ルネの有名な食器ブランドのそれは、この控え室には不釣り合いだったけれどダイゴにはよく似合っていた。 「どう? この前よりは上手く淹れられるようになったと思うんだけど」 言って、カップに口をつけたダイゴが眉を顰める。同じように一口飲んでみて、顰め面の理由を知る。 底が見えない程濃い色をした紅茶は渋みが際立っていた。何事もそつ無くこなす人は、どうやら家事に関してはそうでもないようだ。またひとつ、ダイゴの事を知れたと思うとこの渋すぎる紅茶も悪くはない、ともう一口喉へ押し流した。 * * * 紙袋の中にひとつだけ残ったチョコレートを、わたしはどうしたものかと持て余していた。 同僚が渡す時に一緒に差し出せばよいと高を括っていたら何故か皆いつの間にか渡しに行ったらしく、気づけばどさくさに紛れて手渡すという姑息な手段は封じられていた。 縁がなかったのかもしれない、ふとそんな言葉が胸に落ちてくる。運命だとか巡り合わせといったものが本当に存在するなら、職場が同じ相手にチョコひとつすら渡せないなんて、つまりそういうことだろう。 引き出しの奥に仕舞い込んだ紙袋を取り出して席を立つ。部屋を出て初めて出会った同僚に渡してしまおう。少し値の張る品だけど、お世話になっているからの言葉で押し切れる程度のものだった。あからさまな本命チョコを買わなくてよかった、と過去の意気地ない自分を小さく褒める。 長い廊下に足音が反響する。それが妙に落ち着かなくて出来るだけ音を立てないように歩く。意識は足へ、それからヒールが鳴らす音へと向いていた。 不意に、自分のとは違う足音に気が付き顔を上げた。光沢の美しいスーツを着たその人は、わたしの視線に微笑みを返す。丁寧に磨かれ傷ひとつない革靴が奏でる足音はまるで演奏のようで、鍵盤の上で跳ねる指を思い出す。 すぐ傍までダイゴがやって来て、とっさに紙袋を背中へ隠した。 渡すなら今が絶好のチャンスだった。周りに人影はなく、ダイゴも急いだ様子は見せていない。上司や同僚へ手渡したように、ダイゴにも日頃お世話になっているからとチョコレートを渡せばよい。 けれど、体は動かなかった。かなしばりに遭ったように、息をするのさえ苦しい。 「ちょうど良かった、少し外へ出てくるからもし何かあったら、」 カタッ、と背中から音がした。弾かれたように振り返ると、しっかりと持っていたはずの紙袋が落ちている。 あっ、と声が漏れ慌てて拾おうと手を伸ばす。けれどそれより早く、ダイゴの骨ばった指が紙袋の取っ手を掴む。雲が混じって薄青になった空のような淡い青が金のリボンと赤い包装紙を映していた。 「大丈夫かい? 中のチョコレート、割れてないといいね」 にこりと微笑むダイゴは、それが自分宛とは露とも知らずわたしへと差し出す。 ここで受け取ったら絶対に渡せない、わたしは紙袋を掴むとダイゴの胸へ押し付けるように前へ突き出した。先程までの臆病な心も、半ばやけくそ気味に勇気を振り絞っている。 「これ、ダイゴさんに、…、捨てても、いいので、」 幸いな事にダイゴは紙袋の取っ手を持ったままだった。紙袋をくしゃりと掴んでいた手を開く。そしてそのまま逃げようと足に力を込め一歩を踏み出した。 「まって、」 踏み出そうとしていた二歩目がその場に落ちる。 「これを、ボクに?」 困惑したような声に、俯きがちだった視線を上げる。 見たことのない表情だった。 普段から表情を隠すのが上手なダイゴが、取り繕う余裕もなく頬を赤らめている。宝物を見つけたと言わんばかりに輝く瞳が、わたしを見つめている。 「ありがとう」 縁なんて、運命なんて、自分では到底判断出来ないものだと思い知らされた。 * * * 「紅茶は、また練習しておくよ」 空になったカップをそっとテーブルに置いて、ダイゴが苦笑した。そしてソファへ片手を付いて腰を浮かす。ココドラ一体分の隙間がモンスターボール一つ分へと縮まる。鼻を擽る爽やかな香りはダイゴの香水の匂いだ。大事な時に付けると言っていた。 「それより、これ、{{kanaName}}に渡したくて」 いつの間にか二つのカップの間に小さな紙袋が置かれていた。見覚えのある柄の紙袋に手を伸ばして中身を見る。 ポケナビくらいの大きさの箱が入っている。隣に座るダイゴはじっと息を潜め、わたしの言葉を待っていた。 いつも自信に満ち溢れ、キラキラと星屑を散らしたように輝く瞳が、今だけは心許ないかすかな光を灯すばかりだった。 再び箱へと視線を落とす。キンセツシティにある有名パティスリーの、この箱の形はマカロンだろう、それを宝箱のように丁寧に取り出す。 食べれるなら何でもいい、と食に無頓着なダイゴが何を考えどうやってこの箱へ行き着いたんだろう。じんわりと胸が熱くなる。 「ありがとう」 ダイゴの瞳が空に輝くどの星よりも煌めく。頬に差した赤色は深雪に散る薔薇のようだった。髪で見え隠れする耳も熱に染まっていて、わたしのたった一言で全身に喜びが満ちていくのが手に取るように伝わってきた。それがわたしにも伝播してゆく。静かに鼓動していた心臓がどくどくと音を立て始めた。 けれど、その顔へふっと灰色が降る。不安に移り変わる瞳がわたしを見つめる。 「本当に? お返しは三倍にすべきだって聞いたんだけど」 問うてくる瞳があまりにも真剣だったから、思わず笑ってしまった。好きな人が自分のために選んだ贈り物に、どうして金額でケチを付けられるだろう。それなのにダイゴはまだ信じていないのか、もしくは笑ってしまった事が不満なのか、眉間に皺を寄せ険しい視線を向けてくる。 「ボクが満足できないんだけど」 近い顔が、より近付いてくる。恥ずかしさに揺れた瞳が、自然と動くものを追って唇に向いてしまった。慌てて逸らした視線がダイゴのそれと絡む。 あっ、と息を呑むと香水の香りが身体を巡った。大事な時に付けるといった香りが細胞に染みてゆく。 その時、けたたましいアラームが鳴り響く。首から提げた小型の職場用ポケナビだ。はっとして壁掛け時計に目をやると、とっくに休憩時間は終わっていた。 「先月もこうだったね」 ダイゴが身体を離して息を吐いた。ダイゴの言う通り、ひと月前の今日、チョコレートを渡して二人して照れていたら上司から呼び出されたのだ。今の着信も、その上司だった。 「……、行ってらっしゃい」 揺れる瞳が心奥の言葉を飲み込んで、ゆっくりと微笑みを作った。 「ねえ{{kanaName}}、」 後ろ髪を引かれる思いで控え室を出ようとしたわたしに声が掛かる。振り返ると、ダイゴが伏せた瞳をおそるおそるこちらへ向けた。 「今日の夜、空いてるよね」 細胞に溶けた香水が再び香りを放つ。甘い痺れを内側から感じる。 わたしは小さく頷くと、火照る肌に気付かれる前に控え室を去った。 夜はまだ遠く、空に見える太陽は眩しかった。