夢主が仲良くしている同僚に嫉妬するダイゴ
「きみの話にはいつも〝同僚くん〟が出てくるね」 一週間の疲れが限界まで溜まった週末の夜、一ヶ月ぶりに恋人のダイゴさんと共にする夕食での事だ。 個室だから寛いでいいんだよと甘やかされたわたしは大きく口を開けてデザートのティラミスを食べながら、いつものように職場での話を喋っていた。 「〝席が隣で仕事内容も同じ〟なんだっけ? 前にきみがそう言ってたよね」 スプーンを置いて目の前のダイゴさんを見る。ニコニコと音が聞こえてきそうな、完璧な笑顔があった。 両肘をテーブルに突き、組んだ手の甲に顎を乗せ、ダイゴさんは絶やす事のない笑みでわたしを見つめている。心臓がばくばくと動く。恋人の笑顔なんてご褒美である筈なのに、なぜだか怖くなる。 ダイゴさんが僅かに体を起こし、祈るように組んでいた手を解く。そうしてまだ使っていなかったスプーンを手に取るとティラミスを掬って弓形にしなった唇をゆっくりと開いた。スプーンが口の中へ吸い込まれ、ティラミスがダイゴさんの口の中へ消えていく。 ああそうだ、呼び方だ。ダイゴさんがわたしを名前で読んでくれない。そういう時のダイゴさんは、 「今週は忙しくてやっと今日会えたってのに、きみはずっと他の男の話ばかりだね」 お手本のような笑顔を湛えて、静かに怒っている。 どうにかしなきゃ。わたしは一生懸命釈明の言葉を考える。けれど全部ただの言い訳だった。 ダイゴさんの怒りは正しい。わたしだってダイゴさんが知らない女性の話を延々としたら絶対に拗ねてしまうし不安になって不機嫌になる。 でも、仕方がないって事も分かってほしい。席が隣で仕事内容も同じで、おまけに彼はチャンピオンの、つまりダイゴさんの大ファンだった。仲良くしてしまうのは仕方がなくて当然で。 そんな訳だから、どうしても彼の話が出てきてしまうのだ。 「あのさ、きみは何処に勤めているんだっけ」 ダイゴさんを納得させられる言葉を必死に考えていたら突然、意図の読めない質問が飛んできた。ダイゴさんが知らない筈ないのにどうしてそんな質問をするんだろう。戸惑って答えられずにいたら「答えて」と冷たいアイスブルーの瞳に睨まれた。 「デ、デボンコーポレーション、です」 「うん、そうだったね。じゃあそこの社長は知ってるかい?」 「ツワブキ、ムクゲ……さん」 「ちゃんと覚えてて偉いね。ところで、ボクの名前は?」 たまらなく嫌な予感がする。でも絶対にダイゴさんは逃がしてくれない。わたしに用意された選択肢はただ一つ、答えるしかない。 「……ツワブキ、ダイゴ…、さん」 答えても、ダイゴさんは黙ったままわたしを見つめるだけだった。その氷のようにひやりとした視線が恐ろしくて視線を逸らすと、重たい溜め息を吐き出された。怒ってる。ダイゴさんはとても怒っている。 「あ、あの――」 「あのね、ボクに人事権なんてないけど、一度くらいなら我儘を通せてしまうんだよ。誰だって次期社長かもと噂される男の機嫌は損ねたくないからね……ねぇ、ヒワマキにも小さな支社があるの、知ってるかい?」 飛ばされる。必死に勉強して念願のデボンコーポレーションに、しかもカナズミの本社勤務の座を手に入れたのに、飛ばされてしまう。 わたしがダイゴさんと知り合えたのも、こうして付き合えたのも本社勤務だったからだ。本社じゃなきゃ会う事すら叶わなかった。ヒワマキ支社に飛ばされたら、今でさえ会う機会があまりないのにますます減ってしまう。同僚と語り合う事で会えない寂しさを紛らわせていたのに、これじゃあ本末転倒もいいところだ。 「も、もう話さ――」 「なんてね。でも、ボクと居る時はボクだけ見てて欲しいな」 薄青の瞳がゆるりと細められ、ダイゴさんは穏やかそうに微笑んでいた。声も言葉も優しくて、ここだけ切り取れば甘い雰囲気で満ち溢れている。 でもダイゴさんの怒りは演技でも悪戯でもなく本物だった。 わたしは「ごめんなさい」と謝るとこれからは余程の事がない限り同僚の話は口にしないと心に誓った。 誓ったのはいいけれど。 わたしはこの部屋だけやけに無音の中、頭を抱えていた。 残業で疲れ切った思考は何をどう判断したのか、週のど真ん中だというのに同僚を飲みに誘い、カラオケへ連れ込んだ。潰れてとっとと寝てしまった同僚の醜態にようやく我に返った頃には時刻は朝と呼ぶ方が正しい時間だ。 代金さえ置いておけば一人先に出てしまっても問題ない。でもわたしもクタクタで今は一歩も動きたくない。着替えはないけれど最低限のメイク道具はあるしデボン本社にはシャワー室も備え付けてある。寝心地は悪いけれど此処で寝て早くに出社する事にしよう。 ただ、万が一ダイゴさんにバレてしまったらどうなるか分からない。あの言葉はとても冗談には思えなかったし、そうでなくともこの状況は勘違いされても仕方がない。どうしたらいいだろう。 けれども大きな欠伸が二つ出て、欠伸をした時に閉じた瞼はもう開いてくれない。本当は今からでも帰るべき。分かってる。分かっているけれど、とにかく眠たい。 また欠伸が出る。瞼はもう当分開きそうにない。体が倒れる。丸めたコートを枕に、わたしは考える事をやめた。 *** 別フロアにお遣いを頼まれたその帰り、昨日の質の悪い睡眠のせいで何度も出てくる欠伸を噛み殺していると、前方によくよく見知った姿を見付けた。 深紅のアスコットタイに胸元できらりと光るラペルピン、つんと跳ねた銀の髪は歩く動きに合わせて小さく揺れて、わたしの視線に気付いたアイスブルーの瞳が僅かに見開かれる。 まずい、まずいまずい。必死で平静を保ちながら前へと歩く。通路にはわたしとダイゴさんしかいない。社内では他人の振りをするのが暗黙の了解だったけれど、こういう時のダイゴさんは決まって何かしてくるのだ。 でもわたしが心配してるのはそこじゃない。 心臓が今にも口から飛び出てしまいそうな程緊張しながらダイゴさんとすれ違う。他の社員にするように簡単な会釈を交わして、それを良い事に頭を下げたまま歩幅を少し大きくする。早く戻ろう、戻らなきゃ。 「ちょっといいかな」 がしり、そんな音が聞こえてきそうな程強く突然乱暴に、わたしの左手首は掴まれる。ひっ、と恋人に対して発するべきではない悲鳴が上がり、錆びたブリキ人形のようにぎこちなく振り返る。すれ違う直前まで穏やかな笑みを浮かべていた筈なのに、ダイゴさんの笑顔は険しさに塗り替えられていた。 「すぐ済むからさ」 そう言ってダイゴさんは近くの会議室へとわたしを引き摺り込んだ。そして丁寧にがちゃりと鍵を閉めると「あのさ、」眉間に皺を寄せた顔でわたしを睨んだ。 「それ、昨日と同じ服だよね。ホクの電話にも出なかったし、昨日は泊まり込みで仕事でもしてたのかい?」 バレたら大変だとは思っていたけれど、その実バレるとは思っていなかった。だって昨日ダイゴさんに会っていたから。 ダイゴさんは忙しい人だからそう毎日デボンに顔を出したり出来ない。だから次に社内で会うのは早くても明日だと高を括っていた。 疑問調の言葉だったけれど、ダイゴさんの顔を見る限り泊まり込みの仕事なんてなかった事は調べていそうだった。嘘を吐くのは絶対に悪手だと直感が告げる。でも事実を言った所で笑顔で帰してくれるとも思えなくて。わたしは言葉に詰まる。 「黙っているって事は昨日、ボクに言えない事でも起きたのかな?」 つり目がちの瞳はじっと見つめられるだけでも時々恐ろしくなるのに、今は明らかにわたしを睨んでいて怖い。嘘なんて絶対に吐けない。事実を隠した曖昧な言葉もきっと許して貰えない。正直に話すしかない。覚悟は決まらないけれど口を開く。 「――という訳です」 「まさか{{kanaName}}、その話を信じろ、って?」 「ほ、本当に何もないの!」 ダイゴさんの眉間に寄った皺は深く刻まれたまま動かない。バレたらこうなるって分かっていたのに、どうして昨日のわたしは家へ帰らなかったんだろう。こんなの絶対に信じて貰えない。わたしが反対の立場なら絶対に無理だ。どうしよう。大ピンチだ。 「ほ、本当に何もなくて、わたし……」 「うん、分かってるよ、{{kanaName}}がそんな事するような子じゃないって。でも少し勝手が過ぎるんじゃないかな」 手首を掴んでいたダイゴさんの手が緩められ、肌に触れたまま指先へと動いていく。驚いて反射的に腕を引こうとしたけれど、それは許してくれなかった。熱を持った指先が手の平を伝い、するりと指を絡められる。 ダイゴさんの顔は相変わらず険しいまま、物言いたげな瞳がわたしを睨んでいる。青く透明なソーダをガラス玉に注いだように澄んだ瞳へ、わたしの姿が閉じ込められる。つり上がった眉が八の字に下がって、ダイゴさんの唇がつんと尖る。 「もう二度とボクを心配させないで」 絡められた手が顔の辺りまで引き上げられる。一瞬伏せたアイスブルーの瞳が再びこちらを見つめて、そして、 「この指輪に誓ってくれるよね?」 銀のリングが薬指で光る。ダイゴさんを見る。相変わらず不機嫌そうに顔を顰めていたけれど、次の瞬間にはぎゅっと結んでいた唇が緩んで綺麗な弧を描いていた。