カンパニュラの気づき

ダイゴに思いを寄せているリーグスタッフ夢主が思いがけない言葉を耳にしてしまう。

「その日は婚約パーティがあるんだ。ボクはいいって言ったんだけど彼女がどうしてもって言ってきかなくてさ」
 ノックをしてどうぞと言われて部屋のドアを開けた瞬間、ダイゴさんが苦笑まじりにそう言った。わたしはドアを閉めるのも頭を下げるのも忘れて目の前のダイゴさんを見つめる。
 今日は朝から快晴で気温も高く風がないから少し汗ばむ天気で、ダイゴさんもジャケットを脱いでシャツを肘まで捲り上げている。それから片手をポケットに入れ、もう片方は耳に当てていた。
 誰かと電話をしているようだった。どうぞと招き入れられたけれど電話中なら改めた方が良さそうかな、わたしは強ばる体を無理やり折り曲げた。
 けれどダイゴさんはポケットから手を出してわたしを呼び止めた。電話相手に頷きながら、「待ってて」と口だけを動かす。そう言われたら部屋も出れない。わたしは開けたままのドアを閉め、視線を靴へと落とした。でも気まずい。わたしが聞いていい話でもないし、かと言ってあからさまに耳を塞ぎも出来ない。
「そうだね、うん、分かったよ……日が決まったらまた連絡する」
 しばらくして電話が終わる。ダイゴさんがポケナビを机へ置いてわたしに向き直る。わたしも顔を上げた。
「待たせて悪かったね」
 にこり、そんな音が聞こえてきそうなほど完璧な微笑みがわたしを迎える。いつもならそれだけで胸が時めいて、わたしの頬もとろけるように緩んでいく。
 けれど今日は金縛りにでも遭ったように頬が動かない。うっかり聞いてしまった言葉が耳から離れずうまく笑えない。それでもどうにか微笑んで用件を伝える。
「ポケモン達の健康診断の結果です。アーマルドの足の怪我も良くなってきてますがまだ大きな負担は掛けないでください」
 一息でそう伝えてプリントアウトした診断結果をダイゴさんへ渡す。ダイゴさんが結果をちゃんと掴んだのを確認したら頭を下げてくるりと踵を返した。ドアまで十歩もない、手を伸ばしてドアを開けたらさっさとここを出よう。
 けれどそんなわたしの背中にダイゴさんから声が掛かる。
「何か急ぎの用でもあるのかい?」
 聞こえなかった振りが出来る距離ではないから無視できない。足を止めて振り返る。不思議そうな顔をしたダイゴさんと目が合った。
「いや…、いつもみたいに結果の詳細を説明してくれるのだと思ってたから。でも忙しいみたいだね。何かあったらボクから尋ねに行くよ」
「……すみません」
 急ぎの用なんてない。でも、一刻も早くここを出たかった。今はダイゴさんの笑顔がとても辛い。
 わたしはもう一度頭を下げると今度は何にも邪魔されずにドアを開け、部屋を出た。



 たまたまリーグ併設のポケモンセンターに配属されたとはいっても所詮は一般人、わたしに可能性なんてなかったんだ。ダイゴさんはわたしなんかにも優しいから淡い期待を感じていたけれど、それはあの人の性質でわたしにだけの特別な行為でも何でもない。他のスタッフにも優しくしている場面を何度も見てきている。そう、分かっていた。
 分かっていたはずなのに、いざ現実を突きつけられたらどうだろう、一丁前に失恋気分に浸ってしまっている。
 けれどそもそも、あんな素敵な人に恋人がいない方がおかしい。なんたって彼はあのデボンコーポレーションの御曹司、婚約者や許嫁がいても何ら不思議ではない。彼のあの余裕も優しさも恋人がいるからこそ、なのかもしれない。
 でも、そうだとしたら、ダイゴさんはあまりにも罪な人だ。
「{{kanaName}}、今いいかな」
 はっと我に返る。目の前にダイゴさんがいた。
 まだ仕事中、それも受付に立っているのにぼんやり考え事をしてしまっていた。心配そうに眉を下げるダイゴさんに「だっ大丈夫です」と慌てて返事をする。
「さっきの結果の事ですよね」
「えっと、いや、それも説明してもらえると嬉しいけど先に確認したい事があってね」
 薄く澄んだ青色の瞳がわたしを見つめ、何故か隣に立つ同僚を捉え、またわたしに戻ってくる。何だろう、言葉を止めてしまったダイゴさんにざわざわと胸が騒ぎ出す。
「ボクの杞憂ならそれで構わないんだ。でも、もしきみが誤解していたら困るから」
 一体何の話をしているんだろう。ただ思い当たるのは――
「さっきの電話、聞こえていたよね。あれボクのじゃないから。招待されただけ、ボクにはまだそんな人いないよ」
 いつも欠かさないお手本のような微笑みが、今だけはどこかへ行ってしまっている。ダイゴさんはまっすぐにわたしを見つめている。わたしも、ダイゴさんを見つめ返す。
「――あっ、と。さっきの結果、持ってくるのを忘れてたよ。取ってくる」
「え、あのっ」
 隣の同僚が気まずそうに咳払いをして、珍しくダイゴさんが慌てて笑顔を取り繕った。そうしてわたしの言葉も聞かずに部屋へと戻っていく。
「結果なら、ここですぐに見れるのに……」
 そう呟いたわたしはしかし、にわかに熱くなる顔を冷やす時間を貰えてほっとしていた。