お気に入りのものでも躊躇なく譲ってしまうダイゴに不安になる夢主と、誰にも譲れないものも持っているダイゴ
ポケモントレーナーとは一言で表すならポケモンが大好きな人間だ。ホウエン地方で最も強いトレーナーを見ればよく分かる、彼――ダイゴさんはポケモンを戦わせることも育てることも大好きだった。 ダイゴさんは普段連れ歩くポケモンとは別にココドラやダンバル達を家の中に住まわせ、趣味の石集めにメタングを連れて行く。他にもよその地方の化石ポケモンを復元したりポケモンを捕まえては、愛情込めて育てていた。中にはたまごから育てたポケモンもいるようだった。 秋晴れの空が美しいその日、作り過ぎたポロックを口実にわたしはトクサネのダイゴさんの家へ向かっていた。 ダイゴさんとは恋人同士ではあるけど彼はいつも忙しくあちこちへと飛び回るから、なかなか会う約束も取り付けられない。わたしの“会いたい”はポケナビの青いランプより後回しにされる事も多いし、そもそも電話を掛けても通じない事の方が多い。リーグに挑戦するトレーナーは多くはなくても何かとリーグに関する仕事もあって、そうするとやっぱりわたしの順番は後へ後へとなっていく。 だから今日、わざと大量に作ったポロックでダイゴさんを捕まえられたのは滅多にない幸運だった。電話から聞こえた恋人の声が明るく嬉しそうに聞こえたのも気分が良かった。わたしから掛ける電話に出る彼は大抵ちょっと気まずそうに断る事が多いから、「ボクもきみに会いたかったんだ」と言われて心に羽が生えて飛んでいってしまいそうになったのは言うまでもない。 トクサネシティは小ぢんまりとした島で、宇宙センターで大きな企画でもあれば大都市に負けない賑わいを見せるけれど今日のような何でもない休日は穏やかな雰囲気に包まれている。小走りで駆けるのは、逸る気持ちが抑えられないわたしくらいだろう。 ダイゴさんの家は街の中心から少し離れた場所にある。だからポケモンセンターからの道は特に人通りが少なく、誰かと出くわすことは殆どない。この道では人の足音よりポケモンの鳴き声の方が耳慣れた音だった。 だから前方に人影が見えた時は少し驚いてしまった。この辺りの住人だろうか。でもそれならダイゴさんから一度は話を聞いたことがあるはずだ。それもダンバルを連れているトレーナーなら嬉々として話すに違いない。けれどそんなトレーナーの話は聞いたことがなかった。 それにしても。まだ遠くに見えるダンバルを見つめる。遠目でも綺麗に磨かれていて手入れの良さが分かる。ダイゴさんが知ったら目をキラキラと輝かせて飛び付くのが目に浮かぶ。本当によく手入れされて……。 「えっ?」 少年トレーナーがわたしの視線と声に振り向く。不審そうな瞳がわたしを窺う。逃げるように視線を逸らすと、早く立ち去ろうと慌てて足を動かした。 ばくばくと煩くなる心臓を抱えてダイゴさんの家へと急ぐ。混乱する頭では上手く思考できなくて、とにかくダイゴさんの家へ急ごうと必死に脚を前へと送った。だからダイゴさんの家へ着いても困惑した顔はそのままで、出迎えたダイゴさんを「どうしたんだい」困った顔にさせてしまった。 「今そこで、ダイゴさんのダンバルを見掛けたんだけど、」 「ああ、彼に会ったんだね」 やっぱりあのダンバルはダイゴさんのポケモンだったんだ。けれど“おや”であるはずのダイゴさんは特に驚いた様子もなくにこりと笑う。 「ダンバルに興味を持ってくれてね、彼なら任せても大丈夫だと思ったからちょうど今譲ったところなんだ」 すれ違った少年は良いトレーナーに見えた。貰ったばかりのダンバルと仲良くなろうとボールから出して連れ歩く姿は、根っからのポケモン好きにしか見えなかった。きっと彼は苦労を乗り越えメタグロスまで育てるだろう。ダイゴさんのダンバルだと気付いた時は盗まれでもしたのかと焦ってしまったけれど、正しく譲渡されたポケモンと分かってほっと胸を撫で下ろす。 けれどそれなのに心にはまだモヤが残り続ける。そのせいでうまく笑顔が作れない。今日は偶然予定が決まってないと言ったはずのダイゴさんがどうしてダンバルをトレーナーに譲っているのか、あんなに大事に育てていたポケモンすら笑って譲ってしまえるだなんて、と直接ダイゴさんへぶつけるには意図の曖昧なもやが心に陰を落としていく。そのもやを振り払うように、無意識に下がった視線をくいっと上げて「だったらあの子にもポロックあげれば良かったな」今作れる唯一の表情を――残念そうに眉を下げ惜しむようにため息を吐いた。 「{{kanaName}}は優しいね」 「ダイゴさんだって、優しいですよ」 特別気に入ってると言っていた石がケースから姿を消したのを視界の端に収めながら言葉を返す。“一番”ですら手放せるダイゴさんの傍に、自分はあとどれだけ居座れるのか不安を覚えずにはいられなかった。 何度も口実の為に作ってきたポロックも今ではすっかり様になっていた。見た目はもちろん、味にも自信がある。その証拠に、始めの頃はそっぽを向いていたメタグロスも今では美味しそうに食べている。今日の出来も上々で、ココドラがもうお代りを欲しがった。わたしはポケナビのメッセージに返信をしてからポロックをココドラの皿に入れてあげた。 ポケモン達がポロックを食べる様子をダイゴさんもとても嬉しそうに眺めていた。テーブルには余った木の実で作ったクッキーも用意していたけれど、にこにことポケモンを眺めるダイゴさんはまだひとつも口にしてくれない。仕方なく一枚目をわたしが齧る。生地に練り込んだモモンの実が甘くて美味しくて、ポケナビに返信する間にぺろりと一枚食べてしまった。 と、向かいに座るダイゴさんの視線に気が付く。 「きみも美味しそうに食べるね。そうだ、差し入れでチョコレートを貰ってたんだ。それも食べようか」 ダイゴさんが立ち上がって小さなキッチンへ向かう。後を追うようにココドラが歩き出し、興味を持ったユレイドルも長い首を伸ばしてその背中を見つめる。 「きみ達にチョコレートはダメだよ。それに{{kanaName}}のポロックを食べてるじゃないか」 ココドラが足にぐりぐりと頭を擦り付けるのをダイゴさんが優しく窘める。諦めの悪いココドラはそれでもなおダイゴさんへ頭突きをやめないから鋼の体へため息が落ちる。その姿に思わず笑うとダイゴさんが肩を竦めて苦笑を返した。 わたしの手作りクッキーと違って差し入れのチョコレートは高級ブランドのそれで、一粒が宝石のように綺麗だった。食べるのが勿体なく、どれにしようかと迷っていたらテーブルの端に置いたポケナビがまたチカチカとランプを光らせた。 「珍しいね」 ダイゴさんの視線がわたしのポケナビに向けられる。 「同僚が仕事を持ち帰ったみたいで。それは勝手にすればいいんですけど、困ったらすぐ連絡してくるんです」 チョコレートを食べる前に手早く返信する。せっかくの休みでダイゴさんと一緒に居られるのにいい迷惑だ。でもこれで一段落ついたからもう邪魔はされ「聞いてもいいかな」……ないと思ったのに。 「『お礼にまた2人でご飯行こう』、だって。前にも食事に行った事があるのかい?」 わたしが確認するより早く、ダイゴさんがポケナビを掴んだ。その顔からは感情は読めなかったけれど、先程までの笑顔は引っ込んでいるのは確かで、じっと探るような瞳がわたしの返事を待っていた。 「その時も手伝ったお礼で。前にほら、行っていいか確認したあの彼です」 「……ああ、ちょうどボクが誘った日だったっけ。あの同僚って男だったんだ」 ふぅん、と頷くダイゴさんはわたしから再びポケナビの画面に目を向ける。品定めするようにメッセージを見ているようだった。 あの日は終業間近にダイゴさんから突然夕食に誘われて、同僚との先約を断ろうとしたら「そっちを優先していいよ」とダイゴさんがあっさりと身を引いた。その時に同僚は男だと伝えたはずだけれど、ダイゴさんの反応を見る限り言いそびれたようだ。元からわたしの交流関係にも何も言わない人だから、言わなかったのかもしれない。それに言ったところで快く送り出されたのは変わりなかっただろう。でも今回は腹の居所が良くないのかもしれない。 「あの、わたしそれ断り――」 「行ってきたらいいじゃないか」 ダイゴさんがにこりと笑う。少し、ほんの少しだけ期待したのとは正反対の言葉だった。今まで彼を見てきてそういう人だと分かっていても、寂しくなる。 彼は自分が自由であるように相手が自由であることを認められる人だった。だから、もしわたしが他の人に心惹かれても怒ったり失望したりはしないんだろう。引き止めることもなく、手放されるに違いない。容易に想像できた。 だから、 「ただし、」 鋭いナイフのような険しい視線を向けられたのにはびっくりした。ダイゴさんがわたしを怒ったり非難したことは今まで一度もなく、初めての事だった。 「食事の日時と場所は絶対に教えて。帰る時も連絡して、迎えに行くから。それから、これ」 ぐい、とやや乱暴に引っ張られた手の中に押し付けられたのは指輪をだった。ダイゴさんがいつも身に付けているものの一つで、いつも左手の薬指に嵌めていた。 「着けて、絶対に、いいね」 太めのリングは女性が着けるには少し無骨なデザインだった。それにイメージに反してしっかりと骨太な指を持ったダイゴさんの指輪はわたしには少し大きい。わたしは突然の事にぽかん、とひどく間抜けな顔でダイゴさんと指輪を交互に見返した。 「でもこれ、落としちゃいそうで、」 「返事は?」 「えっ、あ、は、はぃ」 一瞬見えた鋭い視線は今はもう消え去って、いつものどこか飄々とした微笑みがわたしに笑いかけている。ダイゴさんの瞳は快晴のように青く透き通って綺麗な色をしていた。 わたしはもう一度掌の中の指輪を見る。ダイゴさんの体温を移したそれは、光を反射してきらりと眩しく光っていた。