きぬぎぬはまだとおく

朝起きてダイゴさんのシャツを借りる

 目が覚めた時、部屋はまだ薄暗くしんと静まり返っていた。ぼんやりと天井を映す視界を90度傾ける。銀色の髪が見えた。向かい合って抱きしめられながら眠ったと覚えているけれど寝ている間に寝返りを打ったんだろう、背中に何本もの掻き傷を作ったダイゴさんは背中を向けている。
 耳を澄ますと、かすかに寝息が聞こえた。音を立てないよう慎重に体を起こして顔を覗き込むと、アイスブルーの瞳はしっかりと閉じられている。起きている気配もない。どうやらダイゴさんはまだ眠っているようだ。大きなあくびを手で押さえながら体を戻す。
 今また目を閉じればすぐにでも二度寝は出来そうだったけれど、少し喉の渇きを覚えた。何か飲みたい。けれど手の届く場所に飲み物は見当たらない。面倒くさいことに、飲めないと分かると余計に喉が渇いてきた。無視して二度寝は難しそうだった。
 仕方なく静かに布団から抜け出し、ダイゴさんを起こさないよう静かにベッドを下りる。それでもぎしりとベッドが軋んでしまった。はっとしてダイゴさんの様子を伺う。眠る彼に何の変化も見られない。ダイゴさんはまだ夢の中だった。
 ひとりベッドから起き上がると、床に散らばる衣服に目を向けた。いくらダイゴさんがまだ寝てるとはいえ、一糸まとわぬ姿で歩き回るのは憚られる。わたしの服はどれだろう。足元に見えたシャツを適当に拾い上げる。それはしかしダイゴさんのシャツだった。
 
(まぁ、これでもいいかな。ちょっと借りるだけだし)

 少しの間裸を隠せれば何でも良く、律儀に自分のを探すのも面倒だったから、ダイゴさんが寝てるのをいいことにシャツに袖を通す。脱ぎ散らかしたせいでシャツはひんやりしていて、ぶるりと背筋が震えた。
 手持ちのポケモンが大きくて力強い見た目をしているせいだろうか、ダイゴさんはさほど大きな人には見えない。事実、隣を歩いて横目で見る腰は薄いと表現出来てしまうほど細く、シルエットもかなり細身で時々隣に立つのが嫌になる。
 それでも昨夜のように肌を重ねた時にはダイゴさんもやっぱり男性なんだと気付かされる。自分とは異なるシャープなラインに程よく筋肉の付いた四肢、女のわたしの身体をすっぽり包み込める体躯はまぎれもなく男性のそれで、わたしよりも大きく強く逞しい。
 今借りているシャツもわたしには随分大きかった。ダイゴさんが着ているとそうは感じないのに、袖付の線は肩を越え、袖は手の平を飲み込み指の先がわずかに覗くばかり。裾もおしりを隠すには充分すぎるほど長さがあり、大きめの身ごろは体の曲線をすっぽりと覆っていた。ダイゴさんが着ているときとは全然違う。何だか別のシャツのようだ。
 そんなシャツに少し浮かれていると、ふわりと慣れ親しんだ匂いが鼻をくすぐった。清潔感のある爽やかな香りと、それに混じる少し酸っぱいような匂い。これは、ダイゴさんの匂いだ。一日彼を包んでいたシャツにダイゴさんの匂いが移っている。
 一度気付いてしまうと香りはぐんと濃さを増して、シャツを羽織っているだけなのに何だかダイゴさんに抱きしめられているような気分になった。
 でもここには匂いしかない。触れ合った肌から伝わる温もりも、ぎゅっと抱き合って感じる心地よい苦しさもない。物足りなさを感じた。
 後ろを振り返る。急にベッドで眠るダイゴさんが恋しくなった。早く何か飲んでベッドに戻ろう。
 部屋を見渡すとテーブルに飲みかけのペットボトルを見つけた。口を付けようとして、ふと手が止まる。袖から覗いた腕に紅い痕が見えたのだ。そういえば昨日は色んな場所に痕を付けられた気がする。これは確認しておいた方がいいかもしれない。小走りで洗面所へ向かう。
 パチリと明かりを点けると暖黄色が降り注いだ。その眩しさに目を細めつつ鏡の前に立つ。ダイゴさんのシャツに包まれた自分は、いつもより華奢に見えた。
 と、その時だ。鏡に自分以外の人影が浮かび上がる。あっ、と声を掛けようとした瞬間、その影は背中から腕を回し、わたしを抱きしめた。
 
「おはよう……、ございます」

 しかしダイゴさんはわたしを抱きしめうなじに顔を押し付けたまま、何も言わない。首筋に息が当たるのがくすぐったくて体を捩るけど、ダイゴさんの腕の力は強くてまったく動かない。欲しかったダイゴさんの温もりに内心喜びつつ、ぴくりともしないダイゴさんに困惑も覚えた。
 
「ダイゴさん?」

 返事はない。もう一度呼んでみる。けれどやっぱり動かない。
 ダイゴさんは朝が弱いということもないけれど、かといって強いとも言えない。ほんの少し前までぐっすり眠っていたから寝ぼけている可能性が高い。可愛い一面に頬が緩む、
 でも身動きが取れないのは困る。一旦離れてほしくて「起きて」とその頭に手を伸ばした。わたしの手の平がわずかに銀の髪に触れた瞬間、ようやくダイゴさんが顔を上げる。鏡の中のアイスブルーがわたしと視線を絡ませる。
 
「一体どこでそんなの覚えてきたんだい」
「えっ、と……、何のこと?」

 鏡の中からわたしを見つめる瞳は何故だかあまり機嫌が良くない。ベッドの中で見せていた安らかな寝顔はすっかり消え、眉間にはうっすらしわまで刻まれている。けれどその視線の理由も、言葉の意味も、わたしには分からない。答えの代わりに首を傾げる。その拍子にダイゴさんの髪がうなじを撫で、くすぐったさとは異なる甘美な感覚が背筋を伝う。
 
「朝から誘うような格好して知らない振りなんて、{{kanaName}}は悪い子だね」
「ち、ちがっ」

 熱を帯び始める体を無理やり後ろへ捻る。ダイゴさんはじとりと湿度の高い瞳をしていた。それは昨夜ベッドの上で見せた眼差しと同じで、けれどその時はあった余裕はどこにもない。昨夜のうちに衣服と一緒にベッドから投げ捨てられていた。
 
「まっ」
「待たない」


――――だってきみが悪いんだから。


 ダイゴさんのシャツを纏った体を、ダイゴさんがぎゅっと強く抱きしめる。
 濃くなる匂いに、触れ合う熱に、押し付けられる欲望になすすべはなく、わたしもダイゴさんの背中へ腕を回して熱く湿った吐息を零した。