疲れの溜まったミクリが夢主を家に招いて甘える
ジムにコンテストにと、最近のミクリは多忙を極めている。会うのは勿論のこと電話もあまり時間を取れず、近くにいるのにどこか遠くに感じていた。 その多忙もようやく一段落して久々に明日は一日自由だと連絡があったのは夜のこと、珍しくミクリの声に疲れが見え、会えなくてちょっぴり拗ねていた自分が恥ずかしくなった。 「明日はゆっくり休んでね」 本当は会いたいけれど。もしもわたしが少しでも会いたい気持ちを漏らしたら、優しいミクリはきっと会おうと言ってくれる。 でも明日は自分を優先してほしい。だから淋しい気持ちにしっかりと蓋をして見つからないよう腹の奥へと仕舞い込む。 『{{kanaName}}は……君は明日どうするつもりだい』 さあどうしよう、ミクリも明日空いていると聞いた瞬間は一緒に過ごせるんだもあれこれ予定を考えた。 けれど次の瞬間には疲れているミクリに無理はさせちゃいけないとその予定はすぐさまキャンセルして。 「わたしもゆっくり休む、かな」 本当は数日前から買い物をしたり映画を見たりといくつか候補を挙げていた。でも今はそのどれもがつまらなくどうでもいいと感じていた。それこそ今から誰か友人に声を掛けるのも億劫になるくらい。 『なら、私の家へおいで』 会いたい気持ちは確かにちゃんと隠していた。それでもミクリにはお見通しだった。 でも、疲れているミクリに必要なのはわたしじゃなくて休息、ぐっと我慢をして首を振った。 「わたしの事はいいから、ちゃんと休ん」 『私が{{kanaName}}に会いたいんだ』 そんな事をミクリが言うのは滅多になくて、だから何と返せばいいか分からなくて。わたしはにわかに上がる体温をただ感じることしか出来なかった。 『君の休みに合わせて時間を作ったんだ、{{kanaName}}に会えないなら意味がないのさ』 そこまで言われてしまったなら、断る理由はもうどこにもなくて、わたしはやけに熱い体を抱えながら「行く」とだけ返事をした。 ▼ 楽しみで眠れなかった、はさすがに言い過ぎだけれどいやに早く目が覚めたのは嘘じゃない。落ち着かない心と共に朝食を食べて身支度をして、ぐずぐずとして進まない時計の針を睨んでフンと鼻を鳴らした。 信じたくないけれど約束の時間までまだまだ時間がある。観葉植物に水をやり、読みかけの小説を開く。けれどすぐさま閉じて鏡の前に立って何度目か分からない身だしなみの確認を繰り返す。 耳元で揺れるピアスは以前ミクリから貰ったもの。それに気づいてもらいたくて髪を耳に掛けてみる。鏡の中のわたしはピアスを何よりも目立たせていた。これは少し主張しすぎかな、今日はやめておこう。不満顔の鏡の中の自分に言い聞かせて髪を戻した。 ふと時計を見れば出掛ける頃合で、最後にもう一度だけ鏡へ向くと笑顔を作って家を出た。 いつの間にか通い慣れた道を、逸る気持ちを抑えながらゆっくりと進む。それでもあっという間に目的の場所、ミクリの家へと辿り着いてしまう。早くに着きすぎていないか時刻を確認すると約束の時間の5分前、うん、これくらいなら問題ない。 家の前に立つ。何度も訪れた場所なのに久々だと思うと体がやけに緊張してくる。チャイムを鳴らそうと伸ばした手は躊躇いに負けて動きを止める。 それでも引っ込めた手を再び前へと押し出し覚悟を決めてチャイムを鳴らす。ボタンはわたしの覚悟なんて素知らぬ顔でいつも通りにわたしの来訪を告げる音を響かせた。 ドアが開くのを待ちながら息を整える。大きくひとつ息を吐くとガチャリと鍵を開ける音がして、そろりと開いたドアからミクリが顔を覗かせた。笑ってはいるけれど顔色はあまり良くなくて、本当に忙しかったんだと改めて実感する。それなのに本当に来て良かったのかな、ちょっぴり不安になった。 「お邪魔します」 久しぶりのミクリの家に妙な緊張を覚えながら玄関へと入った。わたしの家とは違う、ミクリの匂いが鼻を掠める。 と、ぐいと腕を強く引かれた。 バランスを崩したわたしの体はそちらへ、ミクリの方へ倒れ込む。するとまるでそこがあるべき居場所だと言わんばかりにすっぽりと腕の中に収まって、途端に体が熱くなる。体を包むミクリの温もりは心地良く背中に回された腕にどきりと心臓が跳ねた。 けれどここはまだ玄関で、わたしはまだ靴すら脱いでいない。ぎゅうっと抱きしめてくるミクリの顔を見上げ「靴、脱がなきゃ」熱っぽい瞳に戸惑いながら眉を下げた。 「分かってるよ」 ミクリはそう言うけれど解放される気配は全くなくて、それがまるで小さな子どものようだから戸惑いも覚えつつも何だか可愛らしくてつい頬が緩んでゆく。わたしの腕もミクリの背中に回してぎゅっと抱きしめた。 その瞬間わずかにミクリの瞳が見開き、そして目を細めた。もう一度靴を脱ぎたいと言うと今度は素直に腕を解いてくれて、わたしは急いで靴を脱いだ。それを整えようとしたらそれより先にミクリの腕に再び捕まってリビングへと連れていかれる。ミクリはいつも紳士で優しくて、こんな強引なことは今までに数えるくらいしかない。この前は、確か珍しく悪酔いしてた時だっただろうか、あの時も言葉よりも先に体を動かしていたっけ。 そんな風に記憶を辿っていたらリビングのソファにすとんと座らされた。隣には一人分の空間があるからここにミクリが座るんだろう。 けれど一向に隣は埋まらない。わたしの目の前に立つ彼はぴくりとも動かずにわたしを見下ろしていた。 「どうしたの」 「あぁ、いや、」 何でもない、首を振ってようやくわたしの隣にミクリが腰を下ろした。つい先程までの勢いをどこへやってしまったのか、萎びた草木のように弱々しい。 疲れが出てしまったのかとも思ったけれど、どうやらそうではないようで。何か思い悩んでいるような、躊躇っているように瞳を震わせていた。 そんな瞳がわたしへと向けられた。本人には決して言えないけれどまるで一人で寝るのが怖い小さな子どもみたいだと思った。 「ひぁっ」 不意に重力が強くなる。それは隣のミクリがこちらへ倒れるようにわたしを抱きしめてきたからで、肩に埋められた顔は甘えるエネコのようにぐりぐりと押し付けられていた。 「君に会えないだけで……こんなに、こんなにも参ってしまうとは思っていなかったよ」 独り言のような言葉はいつもは見せてくれない弱い部分で、胸がくすぐったくなる。それが嬉しいからだと気付いてじんわりと心が暖かくなる。いつだって何でも見透かしているミクリがこんな風にわたしを頼るなんて事、数える指が要らないくらいだったから。 「{{kanaName}}、」 名前を呼ぶ声に頷いて、それからそっと背中に腕を回す。大きな背中が今は少し小さく感じた。 「もう少し、このままでいさせてほしい」 「気が済むまでこのままでいいよ」 よしよしとその頭を撫でた。ぎゅ、とミクリの抱きしめる腕に力が入った。可愛いなあとしばらく撫でていると「{{kanaName}}」名前を呼ばれる。 「もう一つ、我がままを聞いてもらえるかい」 ミクリの体が離れ、そのエメラルドのような瞳が真っ直ぐにわたしを見つめる。吸い込まれそうなほど綺麗な瞳と視線を絡めているとミクリの目がわずかに横へとずれる。 何だろう、不思議に思っていたらミクリの手が頬に触れた。そしてそのまま伸びた指が耳を撫でた。 「このピアス、危ないから外していいかな」 その言葉の意味することにあっ、と声を上げてしまう。まってと制止の言葉を発しても聞こえない振りをされあっという間にピアスは外されて。 「疲れてるんだから休まなきゃ」 「もちろん休むさ」 そういう意味じゃないのに。 しかしわたしの言葉は音となる前にミクリに飲み込まれた。