バレンタイン夢(2021) 直接渡すのが恥ずかしくてこっそりジムの受付に渡しに行く。
ここ一ヶ月街を満たす甘い空気に包まれながら、わたしはデパートを巡っていた。今日の目的はバレンタインフェアに赴いて良さそうなチョコを購入することだ。 どうして催事場は上階にあることが多いんだろう、と愚痴を零しては色とりどりのチョコレートを確認する。どれも美味しそうで、けれど何を選んでも必ず誰かと被ってしまうのは必至で。吐いた溜め息は重い。 いっそ手作りなら、お菓子の種類は被っても味までは瓜二つにはならず、選択肢の一つに加えてもいいかもしれない。食べるのが勿体無いくらい綺麗なチョコレートを眺めながらぼんやりと考える。 けれどすぐにそれはダメと否定する。こんな時にしか作らない素人のチョコなんてミクリにはあげられない。ショーケースに並ぶ、宝石のようなチョコレートを見慣れた相手に渡せるはずもない。 結局、最初に見たミナモデパートへ戻ってぎゅうぎゅうのエレベーターで最上階まで上がり、人いきれでむっとする催事場に乗り込んでチョコレートを買った。あと少し遅ければ目当ての品は売り切れていたから、どうにか買えたことにほっと安堵した。その道中で、量も価格もお手頃なチョコレートも見つけてちゃっかりと買っていた。幸運を運ぶバネブーのチョコレートだ。それらを持ってトロピウスの背中に乗るとルネシティを目指した。 そういえば、トロピウスの首元の果実はとても甘く、これにチョコを掛けて食べるのも絶品だと聞いたことがある。案外こういう庶民的な物の方が目を引くのかもしれない。それにミクリなら何を食べていても様になるだろう。 ぼんやりとそれを食べる彼を思い浮かべる。美味しいよと笑う彼は容易に想像できた。何を贈ってもそう言うんだろう、空想の中のミクリは終始笑顔でチョコを受け取っている。 だからこそ、手作りは渡せない。 しばらくして、眼下にルネの街並みが姿を現す。トロピウスは大きく羽ばたくと狙いを定めて一気に降下した。まだ何処に下りてとも言っていないのに、と目指す場所を確認すると慌ててトロピウスにストップをかける。今日はそこじゃないの、ジムに降りてちょうだい、と。トロピウスは首を傾げて着陸地点をミクリの家の前からジムへと変えた。 夕暮れに染まるカルデラ湖の中に聳え立つジムに降り立つ。今日はもう挑戦者はいないようで、ガラス製の自動ドアから覗き見るロビーにはあまり人影は見当たらない。 すぐに戻るから、とトロピウスをそのままにジムへと入る。このジムは右を見ても左を見ても美女ばかりで、今日の受付嬢も完璧な笑顔でわたしの訪問を迎えてくれた。反射的に視線を床に落とし顔を隠した。 「これをミクリ、さんに」 沢山のファンを抱えるミクリはこの時期大量のチョコレートを受け取る。今渡したこれも、その一つにカウントされ、彼の人気を示す指標の役目を果たすだろう。 「それからこれは皆さんに」 ミクリに贈ったのとはやや見劣りする、質より量を優先したチョコレートはジム職員への差し入れだった。 何度も観戦などでジムを訪れていると自然と彼女らにも情が湧くもので、そんな彼女らに日頃の感謝も込めて贈った。受付嬢の笑顔がより自然なものに変わって「ありがとうございます」と花がほころぶように笑う。チョコレート探しは大変だったけれど、この笑顔で疲れも帳消しになった気がした。 ジムから出ると、すっかり辺りは暗くなり夕闇に包まれていた。一番星を探して飛び回るトロピウスを呼び戻し家路へと就く。 飛び立ってすぐ、視線を感じて振り返ると、出入口に夕闇でもよく見える白い帽子を被った人影が見えたような気がした。 * * * 「やあ」 一日の疲れをたっぷりと溜め込んだ重たい体を引きずるように家へと帰ると、玄関の前に見慣れた姿があった。散歩と防犯も兼ねてボールから出していたグラエナがその人物、ミクリに大きく尻尾を振って飛びかかる。 そんな事で倒れてしまう彼ではないけれど、ミクリの陶器のような白い肌をグラエナがスキンシップと言わんばかりに舐め回すのは、見ているこちらが申し訳なくなって、慌ててボールへと戻す。ごめん、と駆け寄ると「君のグラエナはいつも元気で素晴らしいね 」と満足そうな笑みが返ってきた。 「それより、どうしたの」 右手を背中に隠しているのを一瞥して遠慮がちにミクリへと目を向ける。 ミクリは今日のこんな時間にこんな場所にいてはいけない人間だ。チョコレートを直接渡す勇気もなく、隠すようにジム経由で贈るような狡い人間の家なんかに、それもバレンタイン当日にやって来るなんて、少なくともわたしは許せない。今日でさえなければ、いつものように友人として快く招き入れるのだから。 「文句とお礼と、それからお願いを言いに来たんだよ」 ルネジムに寄った日のことが思い出される。帰り際に見た人影は間違いなくミクリだった。文句はきっとあの時のことだ。 案の定、ミクリは「数日前の、」とあの日の事を口にした。 「君は私に気づいたのに無視をして帰ったね。おまけに今年も受付に押し付けるから、可哀想に、彼女はひどく青い顔で『気付かずに預かってしまった』と私に頭を下げにきたんだよ」 ふっ、と吐き出されたのは溜め息なのに艶やかに見える。整った眉が八の字を作りあげ、切れ長の瞳からじとりと視線が向けられた。 ジムバトルの観戦や水上ショーの観覧で何度もジムに出向いているせいなのか、或いはミクリ本人が話しているのか、ジム職員は皆わたしの事を彼の友人として認識していた。だから先日も出来るだけ気付かれないよう顔を伏せ、声を低くして手短に用件を済ませたつもりだった。 でもあそこの職員はみな優秀だから最後の最後でバレてしまっていたようで。ミクリが外に出て来たのもタイミングが良すぎたと思ったけれど、彼女が急いでミクリに伝えたからに違いない。 「彼女たちをあまりいじめないでくれるかな」 それが文句。ミクリはわざとらしいしかめ面でわたしをじっと見つめる。 気まずさに視線を逸らすも今日は逃がしてくれるつもりがないようで、しつこく追いかけてくる。仕方なく、目を合わせて「そんなつもりはなかったんだけど」ごめんなさい、と頭を下げた。謝るのはあの受付嬢であって、ミクリへ謝る理由も必要もないけれど。とは言え、見目麗しい顔の眉間から皺が消え、微笑みが咲いたのは悪くない。 「ふふ、次はお礼かな」 そこで言葉を切って、一度瞳が伏せられて。そうして二つの若竹色がわたしへと注がれる。 「ありがとう、{{kanaName}}」 目尻に皺を寄せて笑う。日々の生活で何度となく見かける仕草なのに、相手がミクリというだけで心が跳ねる。 会いたくないからと逃げるようにチョコを贈ったというのに、我ながら随分と調子がいい。つられて口端に笑みが浮かぶ。 「じゃあ、最後はこれを受け取ってくれるかな」 背中に回されていた右手は小さな紙袋を持っていた。小洒落た紙袋には大きく花が描かれている。ホウエンではあまり見かけないその花はグラシデアの花、記念日などに贈るのだとか。 中に入っている円筒の化粧箱も花柄で彩られていて可愛らしい。どこのデパートだったか、このチョコレートは見覚えがある。たしかチョコレートもグラシデアを象っていて可愛いなと思ったのを覚えている。 「あ、りがとう」 痛みを感じるほど心臓がどくどくと動いている。息も苦しい。顔に血が集まっているのを感じて、赤くなった顔を見られないように、チョコレートを見る振りをして顔を伏せた。 けれど次の瞬間、顎に手を掛けられ視線がミクリのそれと絡み合う。息が、詰まる。 「来年からは、」 一瞬たりとも逸らされない瞳、力強くて、それでいて柔らかな陽射しのように暖かい。 「直接渡してもらえることを期待しているよ」 顎に掛けられた指がそっと唇を撫で、名残惜しそうに離れてゆく。 唇をなぞった親指の腹にはうっすらと口紅が着いている。まるでわたしの熱が移ったようなそれがとても艶めかしくて、心臓がまたひとつ、大きく跳ねた。 「良い夢を」 口紅で染まる指を、まぶたを閉じて唇へ寄せる。次にまぶたが開いた時、自信に満ちて強い光を湛える瞳がいつものようにわたしへ微笑んだ。 そうして何事もなかったようにその手を振ると、いつの間にか後ろに従えていたぺリッパーの背に乗り、月夜の空へ羽ばたいた。 ミクリの姿が小さな点となって見えなくなった頃、ようやく正しく動き出した脳がひとつの事実を思い出す、わたしが贈ったチョコがミクリに認識されていると。トロピウスの背中越しに見えたミクリの頬がほんのり血色が良かったのは、もしかして。 沢山のファンの中に埋もれるから、と今年は思い切ってラブカスをモチーフにしたチョコを選んでいた。ラブカスは愛情のシンボルで、今もなお沢山の恋愛のジンクスで名前を見かける。ミクリだって知らないはずはない。 なら、このチョコに込められた感謝とは一体何だろう。グラシデアの花に目を落とす。けれど求める答えはどこにもない。 再び夜空を見上げる。そこにはその光で柔らかに夜を包む月と、軽やかに瞬く沢山の星が見えるだけだった。