他地方住みの夢主。旅先でミクリと出会い、ミクリに誘われてホウエンに旅行へ行く。
「ありがとう、でもその気持ちには応えられない」 嫌な場面に遭遇してしまった。わたしは息を殺して物陰に隠れた。 ルネの街には古い遺跡がいくつかある。その中のひとつ、何かを祀っていた神殿跡地はとても素敵な場所で、数日前に一目見て気に入った場所だった。もともと静かな街の、さらに喧騒から遠く離れた場所で、とてもルネらしい場所だと思った。 今日も何となく、ふらりと足が向いて此処へ来てしまったのだけれど、なんとも間の悪いタイミングでやって来てしまった。 音を立てないように、気づかれないように声のした方へ顔を出す。聞こえた声は男性で、良いのか悪いのかよくよく知ってるあの人のものだった。 その姿を探すように視線を巡らせると、白の柱の向こう側に緑の髪が見えた。ミクリだ。なんでこんな所に、そう零したくなる口を押さえる。彼がここにいるのは何ら不思議のない事なのだから。 「君が素敵な恋愛を出来ることを願っているよ」 よく通る声が朽ちた神殿の中に響き渡る。優しい声、優しい言葉なのに氷のような冷たさで心臓を掴まれた。 告白をした相手の声は聞こえない。 と、じゃり、と足元の砂を踏む音が響き、刹那、駆けるような足音と共に風が吹いた。 後ろ姿しか見えなかったけれど、綺麗な女性だと思った。すらりと伸びた手足は雪のように白く、揺れる髪は陽光に照らされ輝きを見せている。服装だって品の良いもので、きっとその顔もミクリの隣に立っても決して見劣りしない美人に違いない。そうでなければミクリに告白なんて、まず出来ない。 「盗み聞きはよくないよ」 白の街に消える背中に意識を奪われていたから、すぐ後ろに迫っていた足音にも、頭から落ちる影にも気づいていなかった。慌てて振り返れば少し呆れたような顔をしたミクリがそこにいて。 わたしは見えなくなった女性の背中に最後の視線を投げてから、「ごめんなさい」と頭を下げた。 「ふふ、偶然聞こえてしまっただけだろう、謝らなくていいよ」 そう言ってミクリが笑うから、あの背中も、ミクリの優しくて冷たい言葉も、全部ぜんぶ幻のように思えてくる。 ミクリから教えてもらったこの場所で、いつの間にか白昼夢でも見ていたんだろう。お気に入りの場所だと言っていたミクリと、何処かで見た彼の熱烈なファンの記憶が溶けあって見せた、現実に限りなく近い空想を。 けれど、そんな願いに近い思いは次の言葉で割れる硝子のように散ってゆく。 「いくら想いを募らせても伝えなければその恋は叶わないというのに、どうやら私のファンはロマンチストが多いようだ」 ふるふると首を振って、ミクリが息を吐いた。 「伝えて、伝わらなければ叶うものも叶わないというのに」 その目が、真っ直ぐにわたしを見ていた。 * * * 考え事をしたい時によく此処へ来るのさ、と教えてもらったその場所は、ルネの中にいくつか残る史跡のひとつだった。長い年月ですっかり朽ちた神殿は屋根に穴を開け、柱が折れ、石畳も割れて土が顔を出し控えめな緑が白の空間に色を添えている。 奥へと進んでゆくと天井の高い空間が現れる。その中央には見事な噴水が大きな損傷もなく残っている。仕掛けを動かせば水が吹き出し、窓から差す光がキラキラと飛沫を煌めかせる。そこへラブカスを出してやって、わたしは噴水の縁に腰を下ろした。 滅多に人の来ない忘れられた遺跡の噴水に水が張られているのはわたし以外の誰かが此処へ来たからだろう。それはおそらくミクリで、彼もここでポケモンを遊ばせたに違いない。だってこの噴水の仕掛けがまだ動くことを教えてくれたのもミクリなのだから。 ラブカスが噴水の中をゆっくりと泳ぐ。痛々しかった左の腹の傷もすっかり薄くなっている。それを見せるようにわたしの傍へと近寄り、浮かない顔のわたしへぴゅうっと水を吹いた。 数日前、この子と初めて出会った時もこんな風に水を吐いたことを思い出す。あの時は今と違って、酷い傷を負った自身を守るための威嚇であったけれど。 数日でこんなにも快方に向かったのはミクリのお陰だった。帰る前にこの姿を見せれたらいいけれど、果たしてミクリとは会えるだろうか。カバンの中には何度もやり取りをしたポケナビが入っている。きっと連絡をすれば短くても時間は作ってくれるに違いない。 でも。昨日見たあの背中を思い出す。あれはわたしだったかもしれない、そう思うとミクリに掛ける言葉が泡のように消えていった。 * * * ミクリに会ったのは数年前の旅先の地だった。行く先々で顔を合わせたことから一緒に観光をすることになり、連絡先を交換し今に至るまで細々とやり取りをする間柄になっていた。 ミクリはホウエンの有名人だったけれど、生憎わたしはそれを知らず、ミクリも一切話さなかったから、後々知ってひどく慌てたことを覚えている。 教えてくれたら良かったのに、いつかの電話でそう言えば『ただのミクリでは君の友人に相応しくないかな』なんて狡い言葉を返されて。以来、遠いホウエンの地で水のプリンスと呼ばれる彼の活躍を追える限り追っては、たまにある連絡の際に賞賛の言葉を送った。 わざわざ調べなくていいよとミクリは言うけれど、別におべっかの為なんかではなかった。初めは揶揄うつもりで調べたのだけど、一度でもそれを見てしまえば誰だって、そうしたくなる。 見知らぬ地でその土地の名物を一緒に食べ歩きしたあの彼が、華々しくコンテストを彩り、華麗に勝利を収めている。旅先で感じた胸の高鳴りとはまた違う、けれど根底に抱えているのは同じ感情の拍動に、ひとり頬を赤らめていた。 そんな、少女が抱えるような恋心と分別のあるファンとして応援するという気概、そして有名人と親交のあることへの優越感に浸っていたある日、少し先のことだったがちょっとした旅が出来そうな休暇を貰えることになった。またどこかに旅行でも行こうかな、とミクリに話すと『ホウエンなら案内するよ』と明るい声が返ってきた。ホウエンは、まだ行ったことのない場所だった。 『手前味噌になるがホウエンは良いところでね、きっと良い休暇を過ごせると思うよ、このミクリが保証しよう』 その声に、出会った頃のミクリを思い出す。ミクリだってさほど詳しくもない土地で、共に一人旅だったからなんて可愛い理由で一緒に観光地を回ったあの彼を。 あの時のミクリは、本人曰く少しだけ地図に苦戦して、結局地元の人に行き方を尋ね、この事は忘れて欲しいとバツの悪そうな顔で頼んできた。流石に彼のホームであるホウエンではそんな事は起こらないだろうけど、もしまた焦るミクリが見れたなら。想像してくすりと笑みが零れた。 「ミクリがそう言うなら」 その返事にミクリが満足気に笑ったのを感じた。 そこからはあっという間で、相談をしながらホウエン行きのチケットを取り、ミクリおすすめのミナモシティのホテルを予約した。そのホテルは他の街にもあって、交通の便を考えるとカナズミシティの方が良かったのだけれど『ルネに近いのはミナモの方だよ』と言われたらミナモシティ以外のホテルは全て選択肢から外すしかなかった。 『ジムに挑戦者が来るからずっとは案内出来ないけれど、出来る限り案内するよ』 君にホウエンの美しさを知ってもらいたいからね、そう言ってどんなものが見たいかとあれこれと尋ねてくるミクリはやけに楽しそうだった。そう言えば事あるごとにホウエンは美しいと語っていたっけ。ミクリの、自分の生まれ育ったホウエンへの愛を感じてわたしも頬を緩ませた。 今からホウエン旅行が楽しみだった。わたしの視線は久しぶりに会える友人ではなく、その彼が愛しているホウエンの地に向けられていた。 だから、不意に訪れた静けさに、そこへ唐突に落とされた言葉に心臓が飛び跳ね、そのまま止まるかと思ったのだ。 『なんて、本当は私が君に会いたいだけさ』 少し落ち着いた声で、囁くように、ミクリは言った。 突然向けられた好意が鼓動を加速させ、体の芯から体温を上昇させる。鏡を見なくとも耳まで赤くなっているのは容易に想像が出来て、テレビ通話にしていなくて良かったと心底安堵した。 この人は本当に心臓に悪い。ミクリがミクリ様と呼ばれるほどファンから心酔されているのはこういう言動のせいだった。 この人は分かっているのだ、どのタイミングでどんな言葉をどのように投げれば良いのかを。今もきっと電話越しにあのキラキラした微笑みを作っているに違いない。 『当日は迎えに行くよ』 じゃあ、その時に。余韻を残して切れた電話はツーツーと鳴るばかり。それを放り投げ、煩く拍動する心臓を抑えるようにベッドへと倒れ込んだ。 * * * 「ここ、素敵な場所だね」 石畳に響く足音に、視線をラブカスから音の方へ向ければ果たしてミクリの姿があった。そよ風に羽衣のような衣装が揺れている。白の帽子から覗く青磁色の髪がさらりと動き、やあとミクリが手を振った。 「他にも見て欲しい場所は山とあるのに、余程ここを気に入ったんだね」 向けられた視線はわたしから噴水の中のラブカスへ、そして綺麗な曲線を描く噴水へ。それを追って水しぶきを視界に収めているとすぐ隣にミクリが腰掛けた。片手を水の中へ、もう片方は組んだ足の上へと添えられる。 「もうすっかり良くなっているね」 水中の手に頬を寄せるラブカスにミクリが微笑む。献身的に世話をしたのはわたしなのに懐いているのはミクリの方だなんて、彼のカリスマ性はポケモンにも有効らしい。少し妬けちゃうな、と思うも小さな理解者に向ける眼差しは柔らかい。 「これなら海に帰しても大丈夫だろう」 どうするんだい、視線が問うてくる。僅かに重くなった空気にラブカスが不思議そうな顔をして、ミクリの手から離れるとぴゅい、とその顔に向けて水を吹いた。 頬に届いた水滴がまるで涙の筋のように頬を伝い流れる。怒ることもなく弧を描いた唇は、あの日と同じ微笑を見せていた。 ホウエンに着いた日、約束通り迎えに来たミクリとミナモの浜辺を歩いた。夕暮れに染まる海はわたしの知る陳腐な言葉では到底表すことの出来ないほど綺麗な色をしていて、ミクリの繊麗さの理由をこの景色に見つけたような気がした。 ルネから眺める海も美しいけれど、とミクリが言葉を紡ぐ。 「ここからの眺めも素晴らしいと、私は思ってるよ」 夕陽に照らされたミクリの頬が赤く色付いていた。わたしの頬もきっと同じくらい赤くなっているだろう、理由はきっとミクリとは違うけれど。 「君が隣にいるだけで、いつもより美しく見えるようだ」 隣に立つミクリの視線を火照る頬に感じる。けれどそれに向き合う勇気などなかった。逃げるように顔を逸らしたその時、波打ち際に見つけたのがラブカスだった。 瀕死の重症を負ったラブカスは恐怖に染まった瞳でわたし達を睨みつけ、最後の力を振り絞って水を吐いた。 ミクリは水に濡れるのも構わずラブカスへ近寄ると慣れた手つきで応急処置を施し、素手で触るのは良くないからと一時的に捕獲をしてポケモンセンターへと駆け込んだ。 ミクリの適切な処置のおかげでラブカスは一命を取り留め、そのつぶらな瞳にすっかり絆されたわたしが保護を名乗り出た。ミクリは何か言いたそうだったけれど何も言わず、どう世話をすれば良いか丁寧に教えてくれた。 そうしてラブカスは順調に快方へと向かったのだ。 「連れて帰ろうかな」 言って、ミクリの反応を伺う。ミクリは小さく頷くだけで、否定の言葉も肯定の言葉も返さなかった。代わりに、 「ならその子は私からの贈りもの、になるのかな」 と肩を竦めた。 ミクリが思わせぶりな事を言うのには慣れたつもりだった。その度に大袈裟に反応する自分の身体と心を必死で押さえつけ、それはいつものリップサービスだと言い聞かせる。 テレビの中のミクリは、いつだってこんな風に女心をくすぐる言葉を惜しげもなく喋っていた。だから今の言葉も、今までの言葉だって深い意味はない、あるはずもない。 思い出すのは昨日の背中。振られた彼女とミクリの関係は分からない。でもきっと今のわたしのように惑わされ、期待させられ、堪えきれなくなって、想いをぶつけたんだろう。 なのにその結果があれだなんて、随分と意地の悪い人だ。溺れさせるだけ溺れさせて、掴もうとしてもどこも掴めない。水のプリンスなんて呼ばれているけど、ミクリは水そのもののようだった。 ラブカスが全身に力を込めて大きく跳ねた。ぱしゃりと水がかかり、ミクリが「すっかり元気だね」と笑う。 「君は知らないだろうけど、本来ラブカスはミナモシティの辺りでは滅多に見かけないんだ」 歌うような声でミクリが話し出す。わたしは小さく頷いて、ラブカスに微笑むミクリの横顔をひっそりと見つめた。 「傷を負って、潮に流されたんだろう、そうでもなければまず見ないポケモンでね」 そこで言葉を切って、わたしの瞳と視線を絡ませる。バトルでポケモンを出す瞬間のような、緊張と興奮で描かれるマーブル模様が見えた気がした。 「君とラブカスを見かけたのが私でよかった」 手持ち無沙汰だった手がわたしの指に伸びてきて。 自惚れるなと臆病な心が喉を枯らして叫んでも、絡む指が、伝わる熱があっという間にわたしを支配する。胸は大きく上下するのに呼吸は浅く、息をするのさえ苦しい。向けられる視線が痛くて、それなのに逸らすことも出来ない。 静けさに包まれ、一瞬とも永遠とも思う時間が肌を撫でる。夢ならばまだ覚めないで、現実ならはやく此処からわたしを逃がして。 遠くで、もしかしたらすぐ近くだったかもしれない、鳥ポケモンの羽ばたく音が静寂を破る。それを理由に音のした方へと瞳を逃がす。絡んだ指が、ゆっくりと解かれた。 「昨日、ここで私に熱い想いを打ち明けてくれたあの女性は、私の返事を聞いて信じられないという顔をしたよ、私の言葉はよほど予想外だったんだろう」 逃げてしまった視線を再び向けるのが怖くて、ミクリが今どんな顔で話しているのか分からない。 落ち着いた声は天気の話をしているかのようで、なぜそんな話を始めたのか、理由を声に探しても何も見当たらない。 「あの時は不思議に思ったものさ、どうして自分の想いは伝わっていて受け入れられていると信じきっているのかと、拒否をしないことと許容することは全く別の話だろうに。 でも今は少し彼女の気持ちが分かるよ、伝えているつもり、伝わっているつもり、受け入れられているつもりなのは私も同じだからね」 ミクリの口から零れる言葉には、いつものような、心をそれ一色に染め上げる煌めきも、熟した想いへ深く刺さる矢のような鋭さもなかった。 悟られないよう視線をゆっくりと隣へ動かすと、先程までわたしの指に絡んでいたミクリの手がゆるく拳を作っているのが見えた。 「明日は朝からジム挑戦者が来る予定で、君を見送りには行けなさそうなんだ」 こんなにも取り留めもなく話すミクリは珍しく、どんな顔をしているのだろう、と下げていた視線をナマケロの歩みほどの速さで上げてゆく。 ゆっくりと、上げた視界に大きく上下する胸が映る。 「だから、私も覚悟を決めて此処で伝えよう」 顔まで上げた目が深緑の瞳を見つける。ミクリと目が合った。 「好きだよ、{{kanaName}}、君のことが」 そう言っていつものように笑うから、どこにも現実を感じられなくて。いつの間に白昼夢を見てしまったんだろう、と目の前の幸せを素直に受け取れない。 「もし私の気持ちを受け入れてくれるなら、今度そちらへ行く時に案内してほしい、君の生まれ育った街を、君の大切な場所を、私がしたように」 まるで絵画のような微笑みで、そのままルネの白に溶けてしまいそうだった。 やっぱりこれは夢なのかもしれない。きっとそう、だってそうでもなければミクリが「返事は、いつでもいい……と言いたい所だが、あまり待たされると催促してしまいそうだ」なんてちょっと慌てたように顔を逸らすはずもない。 なのに、相手をされなくて拗ねたラブカスの撒いた水が、赤く染まる皮膚から熱を奪って心地よい冷たさを運んでくる。五感はたしかに正しく働いていると示される。白昼夢なんて始めからなかったと、逃げ道を塞がれた。 「さあ、ホウエンにはまだまだ見て欲しい場所が沢山あるんだ、案内するよ」 何事も無かったように差し出された手。返事の言葉が出てこない口の代わりに、その手に指を絡めて「うん」と頷く。彼女の背中はもう見えなくなっていた。