名前を呼んで

酔ったミクリが甘えてくる

「君が私を愛しているならそれを証明してほしい」
 本当に、本当にごくまれにミクリさんはタチの悪い酔い方をする。
 いつもはザルどころか枠のような酒豪っぷりで頬ひとつ赤くしないのに、何が原因なのか、飲めば飲むほど酔うことがあった。
 今、目の前のミクリさんは白くてすべすべの綺麗な肌を火照らせ、とろんとした翠玉の瞳をゆらゆらと揺らしている。男性特有の丸みの少なく綺麗に筋肉のついた身体は、今ばかりは色香を放ち艶やかで。わたしが同じようにテーブルに突っ伏した顔を上げてみてもこんな風に色気を漂わせるのはきっと出来ない。
「はやく」
 駄々っ子になったミクリさんへ、恥ずかしさに耐えながら求められた言葉を、愛している、と口にする。好きという言葉を百回言うよりも恥ずかしくて、なかなか声が出なかったけれど、どうにか音になって伝えられた。ほっと胸を撫で下ろしてミクリさんの反応を待つ。
「そんなの証明にはならないよ」
 酔っているくせにそういう所は冷静で、わたしの渾身の愛の言葉はばっさりと切り捨てられる。素面のミクリさんなら今の言葉にどれほど愛が詰まっているか分かるはずなのに、これだからタチの悪い酔っ払いは面倒くさい。
 ならどうしたらいいのと彼を仰ぐと「行動で示すんだよ」とさも当然のように言われてしまった。
 もっともらしい事を言って、結局そういう事なのかとため息がこぼれる。ミクリさんの頬に両手を添えて、その額に唇を寄せた。
「唇じゃないんだね」
 今にも夢の中へ落ちそうだった瞳が鋭くなる。あからさまに不機嫌な顔になって、咎めるように手首を掴まれる。
「やっぱり君は、」
 錐のような鋭さは瞬きのうちに消え去り、残ったのは弱々しく歪む瞳だった。そういうのも、いつもはわたしの専売特許なのに、酔ったミクリさんはまるで人が変わったようにわたしの知らない一面をさらけ出す。
「いや、何でもない。今日は酔ってしまったみたいだ、もう寝るよ」
 そう言ってわたしに謝って立ち上がり、けれど手は離してくれなくて。これじゃあ帰れないよと聞いてみたら、今にもくっついてしまいそうな目蓋を懸命に押し上げて、掴んだ手首をしばらく眺められた。やっぱり離す気配はない。
「帰るの、かい?」
 雨で濡れそぼったポチエナのような弱々しさがわたしを見下ろしていた。
 こんなミクリさんを置いて帰れる人がどこにいるんだろう。本当に面倒くさい酔い方をしているんだから。
 もしわたしの背がもっと高ければ、今すぐミクリさんのエメラルドの髪を優しく撫でて不安がちな瞳をまっすぐ受け止めその頬にキスをしたのに。生憎わたしはそこまで背が高くなく、ミクリさんもこんな時に限ってすっと背筋を伸ばしてるから思うように撫でることは出来ない。これはベッドで横になるまでおあずけだ。
 わたしは小さな子どもになったミクリさんの前に立って寝室へと向かった。
 何もかもそのままに放り出して、着替えすらせずに一緒にベッドへ沈み込む。明日のミクリさんが青ざめる姿が一瞬浮かんだけれど知らんぷりをした。
 明日のミクリさんはいつものミクリさんに戻っているのだ、わたしが心配しなくても何も問題ない。そんな事よりも、今のミクリさんをどうにかする事が重要で。
 予定通り頭を撫で、頬にキスをした。焦がれるような熱を持った視線がわたしの唇に向けられ、ゆっくりと下がってゆく。
「{{kanaName}}、」
 名前を呼ばれて、もう一度、今度は唇同士の触れ合うキスをする。ミクリさんの舌が唇を割ろうとするから自分から口を開き、咥内へ入ってくるそれに歯を立てた。驚いた隙をついて唇を離す。糸が垂れた。
「どうして、」
 怒ったような、今にも泣き出しそうな、ぐずつく少年のような顔が目の前にあった。それをあやす様に頬を撫でる。
「もう寝るんでしょう?」
 酔ったミクリさんが要求することは決して受け入れられないものではない。だからお願いを叶えてもよかった。
 けれどそうすると明日のミクリさんが面倒な事になってしまう。今のミクリさんより明日のミクリさんの方が面倒なのを知ってるから酔ったミクリさんには我慢してもらおう。
「明日もお休みだから、ね?」
 迷う瞳がせわしなく動いている。わたしを見つめ、視線を逸らし、また戻ってきて凝視し、瞳を伏せた。蚊の鳴くような声で「わかった」と聞こえた。
「おやすみ、ミクリ」
 ミクリさんの宝石のような瞳が大きく開いてくしゃりと歪む。大きな身体がわたしを包み込んで離さない。その力強さに苦笑していたら、耳元に愛が届く。
「おやすみ、{{kanaName}}、愛してる」
 目をつむると、見えない視界の中に彼がいて、ぐりぐりと頭を胸に押し付け眠りに落ちた。