後の朝は明るい

酔った勢いでミクリに告白をして一夜を共にする

 覚醒は突然訪れた。
 起きた、と自覚すると共に体を起こして辺りを見渡す。見慣れない室内に一糸まとわぬ自分、蘇る昨夜の記憶に体の芯が再び熱を帯びてくる。きゅうきゅうと腹の奥が何かを求めるように疼いて、それを与えた人物、ミクリさんを探して視線が室内を見渡す。
 けれどこの部屋にはわたしひとり、他には誰もいない。人恋しくて堪らない指が握るのは滑らかなシルクのシーツだけ、そこには温もりすら残っていない。
 半ば酔った勢いで強引だったとはいえ、甘い朝を迎えられなかったのは存外ショックで、体に色濃く残るミクリさんの痕跡にひとり切なさを覚えてしまう。それを紛らわせるように昨夜ミクリさんの手で剥ぎ取られた服を探す。
 ゆっくり焦らすようにボタンを外されたブラウスや、慣れた手つきで脱がされたスカートはどこへ投げ捨てられたのか、ベッドの上からは見当たらない。その代わり傍の椅子に薄手のカーディガンを見付けた。
 手に取ると、わたしの好きな香りが鼻を掠める。ミクリさんがよく使っている香水の香りだった。すんすんと匂いを嗅いで、今ここに誰も居なくて良かったと安堵の息を漏らした。
 少し借ります、と呟いて袖を通す。体躯が随分違うこともあって、カーディガンは女性のわたしにはかなり余裕があった。
 肩のラインがまったく合わない袖は指先までしっかり隠してなお余り、太腿も優に半分ほど隠れた。唯一の問題は深いVネックだったものの、腕で胸元を隠せば何ら支障はない。とりあえずはこれを着ておこうとボタンを留めた。
 厚めのカーテンから漏れる朝日はか細い。まだ夜明けと呼ぶ方が正しい時間だった。
 そんな早い時間にミクリさんは起きて何をしているんだろう。ひっそりとした寝室のドアを開けてリビングを探す。
 昨日の記憶は所々曖昧で、寝室での時間は忘れられないほど強く脳へ刻まれているのに、この部屋までの記憶は少し覚束ない。
 確かリビングからこの廊下を真っ直ぐ通って、開けたドアから見えたベッドに妙な気恥しさを覚えて素敵なゲストルームですねと誤魔化したらミクリさんが「ここは寝室だよ」とわたしの腰を強く抱いて、そして──
「おや、起こしてしまったかな」
 目の前のドアを開けるとミクリさんを見付けた。糊のきいた白いシャツは上の方のボタンがいくつか開けられていて、黒のサテンパンツは動く度に裾がひらりと揺れる。
 服装こそわたしがいつも見るものとは違うものの、そこにいるのは皆が憧れるジムリーダーでコーディネーターのミクリさんだった。それはまるで清廉潔白が服を着ているようで、未だ昨夜の熱で火照ったわたしとは大違いだ。
 そんな人が昨日、家まで送ると言いながら向かった先はわたしの自宅ではなく彼の自宅で、酔いに任せた乱暴な告白に口付けを返したなんて、身体で記憶していてもまるで夢のように思えてくる。
「ミロカロスがこの時間帯をとても気に入っていてプールに出さないと一日機嫌も調子も悪いんだよ」
 そう言って、ミクリさんの視線がわたしから窓の外の庭へと向けられる。
 綺麗に芝の整えられた庭には小さなプールがあった。その中でミロカロスが気持ち良さそうに泳いでいる。夜明けの柔らかな光を受けたミロカロスは神々しく、昨夜の熱を引き摺るわたしには少しばかり眩し過ぎた。
 ミクリさんはもう新しい一日を始めている。余韻に溺れたままの浅ましい女は早く離れた方が良いに決まっている。それに、よく思い返せば勢い任せだったとはいえ、わたしの告白にミクリさんは何の言葉も返していない。それなのに恋人気取りで長居しでもしたら恥をかくだけだ。
 ミクリさんの言葉を確認すれば解決する問題ではあったけれど、頭を冷やして落ち着くためにも今は一度帰ろう。体の芯で燻る炎はしばらく燃え続けそうだったけれど、無理やり吹き消した。
 視線を庭からミクリさんへと戻す。何故かこちらを見ていたミクリさんが艶やかな微笑みを零した。それは薄暗い寝室で何度も見た表情、ミクリさんへの気持ちを吐露する度に返ってきた眼差しだった。
 鎮めたはずの劣情が再び頭をもたげ、甘い期待が心の奥底から這い上がってくる。消したはずの淡い恋の灯火も輝きを取り戻して勢いを増した。
 吹き消そうとしても、今度はなかなか消えてくれなかった。
 ミクリさんが微笑みを湛えたまま視線を下げ、くすりと笑った。つられてわたしも目を伏せればカーディガンから胸が露わになっていた。
 あっ、と小さく悲鳴を上げて両腕で隠すものの、昨日どれだけ見られ、触られたのかを思えばただの出来の悪い茶番でしかない。恥ずかしくて顔から火が出てしまいそうだ。
「服が見当たらなくて…。でも、すぐ着替えて帰ります」
 すみませんと謝って、逸らした瞳を恐る恐るミクリさんへ戻すと、常に絶やすことのない微笑が僅かに歪み、夏の木々よりも生に満ちた鮮やかな緑の瞳がうっすらと陰っている。普段、負の感情をあまり表に出さないミクリさんにしては珍しいことだった。
 向けられた感情は決して良いものではなかったけれど、それでもわたしの心は大きく跳ねた。普通に接しているだけでは味わえない視線からは禁断の味がした。
「まだ朝も早い。急いで帰る必要もないだろう。昨夜は少し無理をさせてしまったから、もう一眠りしておいで」
 ミクリさんのエメラルドにも負けない鮮やかな緑がきらりと輝いて、柔和な笑みがわたしを見つめる。
 木漏れ日に眩しさを感じた時のように、思わず視線を下げた。目を合わせられないのは眩しさだけではなく、優しい声音のせい、引き止める言葉のせいでもあった。今や消せなくなったミクリさんへの想いがますます大きく育ってゆく。
「で、でも…」
 この家の主が起きているのに二度寝なんて出来やしない。そもそも、これほどまで胸が高鳴り、更に朝日の差し込む中で眠りに就けるはずもない。
 それに、ベッドへ戻ったら昨夜の色事を思い出してやはり眠れない。わたしに残された選択肢は家へ帰ることだった。
「言い方を変えよう。先に寝室へ行っておいで、すぐに行くから。朝をやり直そう。私の胸の中で{{kanaName}}が目を覚ましたら、おはようのキスをしよう」
 爪の先まで優雅に満ちたミクリさんの手が頬をつたう。触れた手のひらから仄かに熱が移る。頬を撫で、耳に触れ、「いいね?」日なたのような心地良い熱を持った眼差しがわたしの鼓動を速めてゆく。そこにむき出しになった感情を見つけて、昨夜も同じような瞬間があった事を思い出しながら小さく頷いた──……



 ゲストルームにしては大きめのクローゼットや日当たりの良い部屋だと思った。
 目の前のベッドは一人で使うには少しばかり広すぎるようで、ミクリさんも一緒に寝てくれるのだろうかと考えてしまって、熱くなった頬が更に温度を上げてゆく。それを悟られないようミクリさんから顔を逸らして「素敵なゲストルームですね」と降り積もる沈黙へ言葉を落とす。
「ここは寝室だよ」
 酔ってふらつくわたしを支えるように肩を掴んでいた手が腰へと回る。びくりと身体が震え、触れた部分が熱を帯びた。
 そして返ってきた言葉に驚いて顔を上げると、妖しく揺れる瞳に視線を絡め取られた。
「{{kanaName}}、さっきの返事がまだだったね」
 ミクリさんのすらりとした指がわたしの唇を撫でる。どくんと心臓が跳ねた。
「じゃあ、こちらへおいで」
 ミクリさんが寝室へ足を踏み入れる。腰に回された手からは力が抜け、非力なわたしでも難なく抜け出せたけれど、振り払うことなく素直にその後へ続く。後の朝は明るいと信じて、真っ白なシーツの海へと身体を沈めた。