きみは特別

コンテストスタッフ夢主とミクリ
テレビの企画でミクリと親しくなった少女に嫉妬する

 よくあるテレビの企画モノ、夢に向かって努力する少年少女の元へ憧れの著名人がサプライズで訪れる――今画面に映っているのも、よくあるそれの一つだった。
「うわ……」
 本番前の舞台袖で震える少女、傍らに立つのは番組が彼女の元へ寄越した水のイリュージョ二スト、ミクリさん。緊張した彼女を落ち着かせるため、ミクリさんは「きみなら出来る」とその華奢な身体をすっぽりと胸の中へと収めてしまった。
 それは時間にして大した事のない、ほんの僅かな時間だった。けれどテレビはその瞬間を何度も何度も、まるで重要な場面だと言わんばかりに繰り返して複数の視点からの映像を流すものだから、何十秒も抱き合ったような錯覚に陥ってしまった。
 呆然と眺めていたわたしは我に返ると、勢いよく掴んだポケナビでSNSをチェックする。
 案の定このハグに触れた内容が滝のようにいくつも流れている。そこに同じ意見を見つけて少しほっとして同じような事を感情に任せて書いて、けれどすんでのところで送信するのはやめた。
 ミクリさんは自分の言動にファンがどんな反応を見せるか分からない人ではない。反応したら彼の思う壺だ。
 わたしはSNSを閉じると、いつの間にか膨れた頬をへこませて再びテレビへ視線を戻す。
 コンテスト優勝のため当日まで練習を重ねた少女が懸命に演技を披露している。あれほど不安そうに青い顔をしていたのが嘘のように、明るく元気な笑顔だった。
 正直なところ、彼女の実力では優勝は厳しかったけれど、あのミクリさんに特別に指導してもらえたのだ、良い成績は残すだろう。毎日コンテストスタッフとして何人ものコーディネーターを見ていることもあって、そういう目は素人よりは肥えていると自負している。演技が終わって晴れ晴れとした笑顔を見て、それは確信に変わる。
 もう一度ポケナビへ目を向ける。閉じたばかりのSNSを開いてひとこと『ずるい』と残した。そのアカウントはミクリさんに知られていたけれど、残さずにはいられなかった。面倒臭い女だなと自分でも呆れてしまう。
 けれど自分よりも年下の少女へ抱いた嫉妬と、少し過剰なファンサービスを敢えて行うミクリさんへの不満をどうしようも出来なくて、わたしにも構ってよとその三文字に詰め込んだ。

* * *

 あれから数日後、先日行われたマスターランクコンテストのエキシビションがここミナモシティコンテスト会場で開かれた。スタッフは皆朝から忙しく働いて、勿論その一人であるわたしも額に汗を滲ませながら準備に駆け回っていた。
 エキシビションはいつも賑わうものだけど、今回はあの番組でミクリさん自らが宣伝していた事もあっていつも以上の賑わいになっていた。会場までまだ数時間もあるのに会場前には長蛇の列が出来上がっていて、改めてミクリさんの影響力を思い知る。
 会場時刻も近づき準備に追われていると、ポケットに入れていたポケナビがささやかな音を立てた。勤務中は個人のポケナビは使用禁止だったから平静を装いながらトイレへ駆け込んで確認する。あの少女のSNS更新の通知だった。
『今日のエキシビションとっても楽しみです!』
 すっかり有名人気取りの彼女は、あの番組でミクリさんから直接受け取ったチケットを見せびらかすような写真をアップしていた。
 番組内で今日の宣伝をしていたから、チケットはミクリさんの意志ではなく決められた筋書きによって渡されたものだろう。ミクリさんが自由席なんて渡すはずがないのだから。
 それでも、ミクリさんから何かを贈られた事実は変わりなく、数日かけてようやく収まった腹の虫がまた騒ぎ始めようとしている。落ち着こうと数度深呼吸をして、苛立ちの原因となるポケナビは電源を落とすことにした。
 けれどその時、もう一度ポケナビが鳴った。またあの子が神経を逆撫でする内容を投稿したのかと確認するとしかし、届いていたのはわたし宛てのメッセージだった。
『これを見たらすぐに控え室に来るように』
 ミクリさんからだった。仕事用の番号も知ってるのに、わざわざこちらへ連絡するのが憎らしい。
 わたしはポケナビをミュートにするとポケットへ押し込んで、しばらく占拠していた個室から飛び出した。向かう先はもちろんミクリさんの控え室だった。


 控えめなノックをして返事を待って、中から聞こえる「どうぞ」の声を合図にドアを開ければ、にこりと微笑むミクリさんに出迎えられた。
「早かったね」
 室内を満たすのは淹れたばかりの紅茶の香りで、機能を最優先した質素なローテーブルの上に置かれた、これまた情緒も何もない量販店の安いティーカップから漂っていた。
 ミクリさんはそのテーブルの前のソファに腰を下ろし、長い足を優雅に組んでいる。さほど厚くはない生地からはその引き締まった脚のラインがよく見えていて、物腰は柔らかく丁寧な口調で笑顔を絶やさないミクリさんも歴とした男性であるのだと見せつけられているようだった。匂いの元を辿っていた視線が色香にあてられ、脚へと釘付けになる。
「それで、要件は……」
 わたしの視線に気づいているのかいないのか、ミクリさんが足を組むのをやめる。そんな些細な動作すらパフォーマンスのひとつのようで、心臓がどくんと跳ねた。
「ちょっとしたお願いだよ、愛しい{{kanaName}}にハグをしてもらいたくてね」
 両手を軽く広げたミクリさんは相変わらず微笑を浮かべている。ラックに押し込まれた雑誌を取ってと頼むような調子で言うものだから、反応するタイミングを失ってしまってパクパクと口を開いては閉じてを繰り返し、結局「どう、して」と聞き返す言葉だけが喉から零れ落ちた。
「ふふ、これでも緊張しているんだよ。{{kanaName}}のハグでリラックスさせてくれないかい?」
 わざとらしく胸に手を当て眉を下げ、大きな溜め息を吐き出す様はあきらかに芝居じみていて、どう見ても緊張してるようには思えなかった。
 そもそも、こんな点数も勝敗も決めない気楽なエキシビションで、ミクリさんのようなスターが緊張するというのも信じられない。何か裏があるに違いない。けれど、
「これは、きみにしか頼めないんだ」
 いつもの柔らかな微笑みが一変して、新緑よりもエネルギーに満ちた力強い瞳が真っ直ぐにわたしへ向けられる。理由を見付けてミクリさんの言葉から逃げようとしていたわたしを、エメラルドよりも惹き付ける輝きで捕らえて離さない。
 ドアの前で固まっていた体をミクリさんへ向ける。ぎこちなく足を動かしのろのろとソファまで歩けば、ようやくミクリさんの頬が緩んだ。緊張のきの字も見当たらない穏やかな顔をして、一体何処の誰が緊張しているというのだろう。やっぱり腑に落ちない。それでも、わたしを迎えるように広げられた両手は嫌になるくらい魅力的だった。
 わたしは座っているミクリさんへ手を伸ばし、頭を包み込むように抱きしめた。どくどくと鳴る心臓の音が、胸の奥から触れた肌を通してミクリさんの身体へと伝わってゆく。
 リラックスの一助になると聞いた事があるけど、早鐘のように煩い鼓動に果たしてその効果はあるんだろうか。むしろ緊張が移ってしまいそうだ。
 背中に回された腕に、上がる体温と速まる鼓動を感じながらミクリさんの頭へ視線を落とす。背の高いミクリさんの頭を見下ろすことは滅多になくて、妙にそわそわして落ち着かない。
 気を紛らわすように錆びたブリキ人形のようなぎこちなさで頭を撫でると、胸に顔を埋めたミクリさんが「ふふっ」と小さく笑った。
「私にハグされる子は沢山いても、私をハグ出来るのは{{kanaName}}だけだよ」
 ミクリさんが顔を上げる。濡れた新緑のような艶やかさを湛える瞳が、わたしの視線を受け止めて煌めいた。
 ぶわり、頬が火照る。その熱をすくい上げるようにミクリさんの大きな手が頬に添えられ、「だから」言葉が続く。
「今日は今までで一番のパフォーマンスが出来そうだ」
 ありがとう。真夏の太陽よりも輝く顔がわたしに最高の笑顔を見せる。
 そうだ、ミクリさんを抱きしめていいのはわたしだけ。そして、こんな風にミクリさんが抱きしめてくれるのも、わたしだけ。心に暗い影を落としていた嫉妬の暗雲が静かに消えてゆく。
「まだ暫くこうしていたいけど、続きはショーが終わってからにしよう」
 あっさりと離れた身体、向けられた笑顔はテレビ越しに見るいつもの〝ミクリ様〟だった。
 一瞬だけあの子の顔が脳裏にチラつく。けれど額に落とされた口付けがそんな些末な存在を一瞬にして吹き飛ばす。
 ポケットの中のポケナビが音を立てずにSNSの更新を知らせていたけれど、そんなものに向ける感情は綺麗さっぱり消えていた。