二度目の告白

付き合っていると思っていたミクリと女優の熱愛報道を知って遊ばれていたと気付く一般人夢主
※ちゃんとハピエンです!

 朝、いつものように時計代わりにテレビを点け朝食の準備をしていたらよくよく知った名前が聞こえてきた。ちょうどコーヒーを淹れようと食器棚からマグカップを取り出したところで、それを片手にテレビへ顔を向けたら信じられないようなニュースに頭が真っ白になった。
 ガンッ――取っ手をゆるく摘んでいた手から力が抜けてマグカップが床へ落ちる。当たり所が悪かったそれが、大きく二つに割れた。反射的にマグカップへ視線を落し、けれどすぐにテレビへと戻る。
 女性コメンテーターが「おめでたい話題だけどファンとしては複雑な気持ち……、でも本当ならお祝いするのがファンですからね!」なんて動揺を隠せないまま発言して、壮年のメインキャスターが「まぁまぁ、まだ御本人達のコメントは出てませんから、続報を静かに、いや…覚悟してですかね、待ちましょう」と苦笑混じりにその話題を締めた。動揺するわたしを置き去りに次のコーナーへと移ってゆく。
「スババッ」
 ニュースに呆然として動けなかったわたしは、一足先に朝食を食べ終えたスバメの甲高い鳴き声ではっと我に返った。スバメは不思議そうに顔を傾けわたしと割れたマグカップを交互に見ると、ポールハンガー兼止まり木から勢いよく飛び立ち何故かマグカップ目掛けて急降下を始めた。
 破片を踏んでまた足に怪我をしたら大変だ、飛んでくるスバメを慌てて追い払ったら刺すような痛みが足裏に走った。陶器といえど鋭く尖った破片は痛くて、涙が出そうだった。
 驚いたスバメが向こうへ行っている間に片付けなくちゃ、床にしゃがみこんで大きな破片を一纏めに積み上げる。お気に入りのマグカップの無惨な姿は月曜の朝から見るものじゃないなと溜息が零れた。
「――っ」
 多分、それがスイッチだったんだろう。ぽたりと床が濡れた。留めきれなくなった涙が目尻から溢れ、頬を伝って床へと落ちてゆく。わたしは泣いていた。
 気付いてしまうと涙はどんどん溢れ、瞬きの度に雫が流れ落ちる。止めなくちゃと思えば思うほど、天邪鬼のように涙は勢いを増してゆく。
 朝食も、化粧もまだなのに、一体何をしているんだろう。早く片付けて、涙を止めて、出社しなくちゃいけないのに。
 ノロノロと手を動かしてマグカップを片付ける。これを買ったのはルネの小さな雑貨店で、カップを見つけたのはわたしの恋人のミクリさん。あの時は確かにわたしを見ていたのに、一体いつの間に遠くへ行ってしまったんだろう。
 誰も見ていないテレビは次の番組へと変わっていた。そこで最初に取り上げられたのもあのニュース、つまり、実力派女優とミクリさんの熱愛報道だった。

***

 ただのファンだったわたしがミクリさんの恋人になれたのは本当に奇跡に近い幸運だった。
 もしわたしが毎日のようにショーやコンテストに通い詰めていなければ、或いはあの日トウカ近くの砂浜へ行っていなければ、今でもミクリさんは遠い存在のまま、接点の一つもなかっただろう。
 けれどミクリさんはわたしの事を記憶していて、あの日サメハダーに追われたスバメを助けたのはわたしとミクリさんだった。
 それがきっかけでミクリさんの友人になって、助けたスバメを口実に何度も会った。そしてその口実もその日で最後となった別れ際に何のムードもなく突然「彼女にしてください」と叫んだわたしに、ミクリさんは少し驚いて「いいよ」と返してくれた。もう一年以上も前の話だ。
 あの日から今日まで、わたしはミクリさんの彼女のはずだった。ポケナビにはミクリさんのプライベート番号が登録されていて、わたしの自宅にもミクリさんの私物がいくつも置かれている。
 割れたマグカップも実は色違いでお揃いのをミクリさんも買っていて、今も食器棚に仕舞ってある。他にもお酒が好きなミクリさんが「グラスにもこだわった方がより一層美味しく飲める」とグラスを二つ食器棚へ加えていた。
 でもそれらはミクリさんへ渡すか処分した方がいいだろう。家へ帰ったら私物を纏めておこう。
 そんな事をずっと考えていたから、どうにか遅刻だけは免れたものの午前中はまったく仕事が手につかなかった。ただ、そんな状態なのはわたし一人ではなく、他にも複数いたからそれほど目立ってはいなかったと思う。
 お昼休憩になって、いつものように同僚達と昼食を取っていたら当然のように今朝の熱愛報道の話題になった。
 わたしがミクリさんのファンである事は知られているから、ファンとしての意見を求められるのもごく自然の流れで、みんなの視線を集めながら重たい口を開く。
「そういう話、滅多に出ないから驚いたけど、」
 少なくともこの一年はそんな話、デマでも出てこなかったし、そんな素振りも見せなかった。
「ミクリさんが幸せなら応援しないと」
 テーブルの下で密かに手のひらに爪が食い込むほど拳を握り締めながら無理やり笑った。同僚達からは大人な反応だと感心され、特にそれ以上話すことはなかったから別の話題へと移ってゆく。
 彼女達には遠い有名人よりも身近な社員の恋愛話の方が面白いんだろう。わたしはここでもひとり置き去りにされながら、少しずつ現実を受け入れていった。
 その甲斐あって昼食を食べきり、休憩時間が終わる頃には事実を認める事ができた。それは前から薄々感じていたもので、けれどなかなか信じたくないものだった。それでも熱愛報道が出た今はもう、認めるしかない。
 わたしはミクリさんの唯一の彼女じゃない。それどころか優先度も低い、気まぐれに声を掛けられるだけの都合のいい女だった。

***

 いつからか、ミクリさんに違和感を覚えていた。彼女になって、物理的にも精神的にもうんと近くなれたはずなのに、どこか壁を感じるようになった。わたしに向ける笑顔とファンに向ける笑顔が同じになり、ファンにしない事はわたしにもしなくなった。
 朝のニュースから一日経ってひとり寂しく夕食を食べ、疲れた肢体をソファに放り出していたら点けっぱなしのテレビにあのニュースが流れた。
 二週間ほど前から二人が密会している様子が頻繁に目撃され、渦中の一人である女優側の事務所は『本人に任せている』なんて肯定も否定もしない回答をしていた。
 ミクリさんの方は何のコメントもしていないけれど、今までこの手の話題をきっぱり否定していた彼が沈黙を貫くというのは報道を肯定しているのと何ら変わりなかった。
 そういえば、この一ヶ月は忙しいからと殆ど会っていない。件の女優と会う時間を増やしていたんだろう。いつもは慎重なミクリさんが人目も憚らずに彼女と会っていたなんて、よほど熱を上げていたんだろう。
 テレビには見た事のない、いつもと雰囲気の違う服ばかり着た映像と写真が次々と流れてゆく。あの女優の好みなんだろうか、あまりミクリさんには似合ってないように見えた。
 ちらり、ポケナビに視線を向ける。僅かな、ほんの少しの期待を寄せてミクリさんからの連絡を待っていた。
 でも何の連絡もない。ミクリさんにとってわたしはその程度の人間と突き付けられているようだった。報道について弁解する事も、それを理由に関係を終わらせる事もしない、否、しなくてもいい存在。
 わたしは乱暴にポケナビを掴むと充電コードを突き刺し電源を落とした。

* * *

 あの報道から一週間、新たな一報は出ず、ミクリさんから連絡もなかった。暗い顔で出社するわたしはどうやら〝ミクリロス〟に陥ってると思われているようで、同僚達がほんの少し優しく接してくれる。今日の合コンにも誘われ、画面越しの絶対出会えない存在に恋するよりも身の丈にあった恋愛をすべきだとまで言われてしまった。
 たしかにそうだと思った。わたしみたいな平々凡々な一般人よりもあの女優の方がお似合いだ。現実に目を向ける良い機会かもしれない。
「{{kanaName}}好みの男もいるから楽しみにしててよ」
 自信満々に言われた通り、容姿の整った男性ばかりが集められた合コンだった。けれど誰もミクリさんには及ばなくて、この中の誰かと関係を築こうとは思えなかった。
 それは顔にも出ていたようで、同僚達にトイレへ連れ出されて注意されてしまった。ひとり浮かない顔した人がいると盛り上がらないでしょ、というのが彼女らの言い分だった。
 本音が見え隠れする建前に体良く口実に使われたんだと気付いて、帰ることにした。気になる人もいなかったし、スバメが待っている。マグカップやワイングラスは処分できてもスバメはそうはいかない。あの子はもうわたしの家族だから。
 特に誰にも引き止められることもなく店を出たら満月が明るく光っていた。告白した時もちょうど満月が出ていて、月明かりに照らされたミクリさんは神秘的で、同じ人間とは思えないほど美しかった。
 わたしの縋るような告白にいいよと返したミクリさんは、その後続けて「きみが言わないなら私から言おうと思っていたんだ」と微笑んで、そして――
「やあ」
 不意に声がして意識をそちらへ向ければ、今一番会いたくない人が軽く手を振っている。数メートル先のわたしの家の前に、ミクリさんが立っていた。
「連絡しても返事がなかったから、悪いとは思ったけれどここで待たせてもらったよ」
 うっすらと笑みを浮かべるその顔に、はっとしてポケナビを奥へ仕舞い込んだ鞄を見る。マナーモードにしていたそれが何度か震えていたのは気づいていたけれど、逐一確認するのが億劫で帰ってから見ようと思っていた。
 ミクリさんからだと分かっていたら無理にでもあの場に残って明日の朝まで相手してくれる人を捕まえたのに。そして平気な顔をしてミクリさんが本気じゃなかったことを許して、今後は一切連絡も取らなければ何かを暴露することもないと伝えたのに。
 でも現実は理想とはほど遠く、あの割れたマグカップすら処分出来ずに残してある。
「{{kanaName}}、話をしたいから家へ入れてくれるかな。これからの話をしたいんだ」
 ぐしゃりと心臓を鷲掴みにされたような苦しさと不快さに襲われた。ミクリさんの用件の見当はついている。今までの関係をなかった事にして今後は赤の他人に戻ろうと言われるか、もしかしたら今までの関係を続けようと言われるのかもしれない。
 けれどわたしは、そこまで分かっていながら正しい返事だけは思い付かなかった。有無を言わさぬ強い眼差しから視線だけは逃がしてミクリさんを家へと招き入れた。

* * *

 いつもなら籠から出せと煩いスバメが、今日は何故かひどく静かだった。
 テーブルに対面で座ったミクリさんも黙ったままで、家の中は不自然に静まり返っていた。耐えきれず口を開くとしかし、何かに気づいたミクリさんの声に阻まれた。
「そのダンボールは?」
 部屋の隅に置いた、エネコがすっぽり収まる程の小さめのダンボールにはミクリさんの私物を詰めていた。処分しようとして、処分出来なかった思い出の品だった。
 中身に気づいたミクリさんの顔が僅かに歪み、うんざりとした溜め息が吐き出される。未練があってもなくても、あれはさっさと処分すべきだったんだと後悔した。
「どうやら話さないといけない事が沢山あるようだね。{{kanaName}}、きみは告白してきた時に私に何と言ったか覚えているかい」
 重ねた両手へ顎を乗せて、ミクリさんが尋ねてきた。唇には綺麗な弧が描かれこのまま写真集に収めても問題ないほど様になっていた。ミクリさんはこんな時ですら〝ミクリ様〟だった。
「きみは私に彼女にしてくださいと言って、私はそれに対して、今から私は{{kanaName}}の彼氏だよと答えた。それは覚えているね」
 忘れるはずがない。あの時のミクリさんは余裕のある微笑みではなく、バトルに勝った少年みたいに感情がはっきりと表れた笑みを浮かべていた。そんな顔もするんだとちょっぴり驚いたこともしっかりと覚えている。
「あの時の言葉に嘘偽りはないし、今だってそれは変わらない。私は{{kanaName}}の彼氏だよ」
 エメラルドグリーンの瞳がじっとわたしを見つめる。真っ直ぐな視線が苦しくて思わず逸らしてしまったら「{{kanaName}}」名前を呼ばれて視線を戻すしかなかった。
「だから、よく聞いてほしい。これはまだ発表されていないんだが今度、ミナモでイベントを予定しているんだよ。ホウエンは勿論、他の地方のトップコーディネーターも招いた豪華なイベントをね」
 一体何の話だろう。ミクリさんの言いたい事が分からない。
 これからの話というのは〝わたし達〟のこれからではなくて〝ミクリさん〟のこれからの話なんだろうか。だとしても、どうしてそんな話を今わざわざするんだろう。
「ところで、一週間前に話題になった彼女はアパレルブランドを立ち上げるそうだ」
 話が全く見えてこない。何だか話をはぐらかされているように思えてきた。目蓋の裏に控えていた涙もとうに引っ込んでいる。
「そんな彼女が、極秘に進めてたはずのイベントの事を何処かで耳にして提案してきたんだよ、私の衣装を作らせてくれ、って。この私を宣伝塔にしようというわけさ。彼女とはそれだけの仲……仲というほど親しくもなっていないよ」
 そんなはずない。だって、この一ヶ月頻繁に密会してると芸能ニュースで取り上げられていた。証拠の写真もある。仕事上の関係だけだなんて、そんな見え透いた嘘を信じられるはずなかった。
「彼女、週明けにブランドについて会見をするそうだ。でもただ会見するだけじゃあ大した関心を向けてもらえないと思ったらしい。私の方も、折角のイベントだからより多くの人に知ってもらいたい気持ちがあった。{{kanaName}}、ここから導き出される結論が、分かるかい?」
 まさか。わたしは疑いの眼差しでミクリさんを見る。まさか注目のためにわざとらしく密会を重ね報道させたとでも言うんだろうか。芸能記者が難しい顔をして言っていた通り、裏があったということなのか。
 たしかに話の筋は通っている。女優が曖昧に答えたのも、ミクリさんが沈黙するのも、会見までの話題のためなら納得できる。
 でも、だとしても。それならどうして、わたしに一言もなくそんな事をしたんだろう。本当にあの女優と何でもないのなら、予め彼女に、わたしに一言あるはずで。ミクリさんの行動がよく分からない。
「本当ならきみに事前に伝えるべきだった。でもそうしなかったのは…、試してしまったんだ、{{kanaName}}のことを」
 ゆっくりと瞬きをして、ミクリさんが再びわたしを見つめる。怒ったような悲しんでいるような、よく分からない顔をしていた。ずきりと胸が痛む。
「{{kanaName}}、どうして一度も連絡しなかったのかな。きみには私を問い質す権利があるというのに」
 だってそれは、わたしは本命じゃなくてただの遊び相手だから、問い質すなんて、そんなこと、
「いつ、誰が、{{kanaName}}への想いは本気じゃないと言った?」
 だって態度が、余所余所しくて、ファンを相手してる時のようで、だから、
「それはね、きみがファンとして振舞ったからだよ」
 頭の中はぐちゃぐちゃだった。絡まった糸のように思考がめちゃくちゃだ。それでも、ミクリさんの言っていることはすとんと胸の中へ落ちてゆく。霧が晴れるように今までの捻れた思考と認識がクリアになってゆく。
「{{kanaName}}は私の〝特別なファン〟になりたいのかい? それともあの告白通り〝彼女〟でいたいのかい?」
 ああ、そうだ。態度を変えたのはわたしの方だった。
 ミクリさんのために〝良い彼女〟になろうと、実際の自分より何倍も出来た人間を演じようとした。わたしとは何もかも異なるミクリさんへ理解を示そうと、大人の余裕を見せようと必死だった。その時に目標にしてしまったのが、行儀の良い〝ファン〟だった。
 いつの間にかわたしはファンへと戻っていた。
 だから、恋人として振る舞うミクリさんが異質に見えた。それどころか、わたしに合わせて〝ミクリ様〟を演じてくれた彼のことを、その時だけは彼女面してちゃんと愛してくれないとショックを受けていた。
 全部ぜんぶ、わたしが招いたことなのに、ミクリさんが変わってしまったと思い込んでいた。
「さあ、きみの答えを教えておくれ」
 きらりと輝く瞳は、陽光を浴びた若葉が爽やかな風に揺れる様を思い出させた。綺麗だった。
 ついさっきまで恐ろしく見えたそれは、もう何も怖くなかった。その瞳が仄かに色づく。その色はわたしの頬もうっすらと染めてゆく。ひとつ呼吸をして口を開く。答えは決まっている。
「わたしを、彼女にしてください」
「もちろん。{{kanaName}}は私の〝彼女〟で、私は{{kanaName}}の〝彼氏〟だよ」
 新緑の生命力を湛えたように輝くエメラルドグリーンの瞳がわたしに微笑んでいる。二度目の告白は穏やかな眼差しに優しく包まれた。