振られた夢主となぐさめるミクリ
「飲みすぎだ」 グラスを掴もうとしたらミクリに取り上げられた。それはわたしの、じろりと睨みつけるけれどグラスは返ってこない。 「明日は休みだから何も問題ないのに」 「そういう問題ではないよ」 ミクリが向ける瞳は憐れみを含んでいた。それがなんとも煩わしくて、ふらつく体を無理やり立たせて「ちょっとトイレ」とその視線から逃げた。 それは突然のことだった。いつものように彼と待ち合わせをして食事をして、そして別れ際に次の約束をするはずだった。 けれど彼が口にしたのはもう会うのはやめようという別れの言葉。あまりにも突然で、けれど自分でも驚くほど心は凪いでいた。波は立たず風も吹かず、そんな心の内は彼にも伝わっていたようでそれきり何も言わず静かに去って行った。 勢いの強い水がばしゃばしゃと洗面器の周りに跳ねる。水を止めて洗い終えた手をぱっと振ると水滴が鏡に跳ねた。同じような汚れがいくつも残る鏡はわたしの酷い顔をより醜く映しているようで、それが何だか悔しくて再び手を振って鏡に水の跡を作った。 席へ戻るとわたしのグラスはなくなっていて、代わりにあるのはパイルジュースの入ったグラス。くんと香りを嗅いでもアルコールは感じられず、こんなの飲まないと言うとミクリがため息を吐いた。そんなミクリが手にしているのもパイルジュースで、普段はちっとも興味を示さなかったから不思議な光景だった。 「ねぇそれ美味しいの」 「さぁ、どうだろう」 パイルジュースはわたしが好んで飲むジュースだった。一人で飲むことも多いけれど誰かと一緒に飲むパイルジュースも好きだった。 すっぱいね、なんて笑いながら色んな場所で一緒に飲んでいた。けれどこれを一緒に飲んでくれるあの人はもういない。しんと静まり返っていた心に小さな波紋が生まれる。それは徐々に大きくなりやがて嵐のように心を掻き乱す。 「もっとはっきりと振られたかったなあ」 テーブルにぽたりと水滴が落ちる。トイレの鏡の染みを思い出した。涙が綺麗だなんてとんだ幻想だ。醜くて汚くて不要なもの、それなのに、ことあるごとに流れては思いもよらない場所に跳ねてゆく。 「ミクリなら、どう言って別れる?」 いつもわたしの欲しい言葉をくれるミクリだから、きっとこの問いにも最適解を返してくれる。声は違うけれどそれを彼の言葉としてこの気持ちにピリオドを打とう。 「……私は君に別れの言葉なんて言わないよ」 何それ、ミクリに視線を向ければ刺さるような痛みが心に生じる。波立つ心に何かが投げ入れられ、とぷんと静かに落ちてゆく。 「いつだって、君の隣にいるさ」 ミクリの瞳の奥に蕾が見え、心に落ちたそれが静かに芽を吹いた。