サンタクロースは帰れない

クリスマス夢(2021)
イブもクリスマスも忙しいミクリに焦らされる

「おかえりなさい」
 言い慣れない言葉にどきどきする。玄関ドアを開けたミクリさんは、照れてすぐに顔を逸らしたわたしに小さく笑って「ただいま」と返した。24日の夜、ミクリさんの家での出来事だ。
 イブも明日のクリスマスもジムにショーと忙しいミクリさんは、わたしに家の鍵を差し出して「きみのサンタになりたいんだよ」とお泊まりに誘われた。鍵を渡してきた理由は帰りの遅い自分に付き合わせるのは悪いから、という事らしい。
 去年はどちらも日付の変わる時間にようやく帰宅出来たと言っていたから、確かにそんなミクリさんを何処かで待つよりは鍵を預けて彼の家で帰りを待つ方がわたしもミクリさんも楽だろう。てっきり会えないと諦めていたわたしは願ってもみないその誘いに二つ返事で鍵を受け取った。



 毎年この二日間は挑戦者が多くて大変なんだと苦笑混じりに話していた通り今年のミクリさんの帰りもとても遅くて、ようやくチャイムが鳴った時には時計の針はどちらも天井を指していた。
 船を漕ぎ始めていたわたしは少し不快な電子音に目を擦って大きな欠伸をして、何事だと辺りを見渡した。そこへもう一度チャイムが鳴る。途端に寝ぼけていた頭は一気に覚醒し、急いで玄関へ向かう。
 鍵を開けようとして今から言う言葉に緊張を覚え、少し硬い鍵を捻る手は一度空回りしてしまった。ゆっくり呼吸して落ち着いて、今度は焦らず慎重に回すとドアは無事に空いて、わたしの姿に頬を緩ませたミクリさんへ「おかえりなさい」とミクリさんを迎え入れた。
 疲れた姿を隠そうとするミクリさんを少しでも労わろうと羽織っていたコートを受け取って代わりにハンガーに掛ける。ポケモンの体調を最優先するミクリさんは滅多に香水を使わないのにコートからは甘くて美味しそうな香りが漂っている。それがミクリさん自身の匂いだと気付いていなかった頃に「この香水の匂いが好き」と言ってしまったのは今では笑い話だけれど、当時は本当に恥ずかしくて死にそうだった。
 ふう、と一日分の疲れをため息と共に吐き出して、ミクリさんがソファに沈んでゆく。
 ひどく疲れた姿に何か出来ることはあるかと訊ねると「抱き枕にでもなってもらおうかな」と声色だけが冗談の言葉が返ってきて。照れながらもこちらに伸ばされた両腕の中に体を預けると、ミクリさんにぎゅうっと抱きしめられた。
 急いで帰ってきたのだろうか、しっかりと着込んだミクリさんの体はいつもより熱くて、その分ミクリさんの匂いも強い。
 わたしの鼓動がにわかに早くなり、一人で家主の帰りを待っている間に考えていたあれこれが強い欲望に姿を変えてゆく。普段は恥ずかしくて絶対に自分から誘うような事は言えないけれど、今日という日付がわたしの背中をそっと押す。
「お風呂も一緒に入ってあげましょうか?」
 わたしが背中を流してあげる。下心にはしっかり蓋をしてあくまで親切を装って提案する。心臓はどんどん加速して、体もすっかりミクリさんより熱くなっていたけれど。
 ミクリさんは少し驚いた顔をして、けれどすぐに首を振る。
「明日も忙しいからね、それはまたゆっくり出来る時にお願いしよう」
 期待外れの返事に、それならジムを閉めちゃえばいいのに、と喉まで上がってきた言葉を既のところで飲み込む。
 イブとクリスマスに挑戦者が多いのは〝ミクリ様とクリスマスを過ごしたい!〟というファンが挑戦者として押し寄せるからだと聞いた。気持ちは分からなくもない。
 でも、ミクリさんはそんなファンのためにクリスマスの夜に特別ショーまで開いてくれるのだからそれで満足してほしい。そのせいで恋人のわたしが、本来なら最も優先されて然るべきわたしが、キスすらしてもらえない。
 「ごめんね」と謝るミクリさんの顔には疲れが見て取れる。わたしの前でも普段なら隠すそれを隠す気力もないなんて、よほど自分本位なファンばかりが押し寄せているんだろう。そしてそれは今まさに下心をぶつけたわたしも一緒だった。
 わたしは気にしないでと微笑んで、お風呂の準備が出来るまでミクリさんの腕の中で静かにしていた。



 気だるげに体を引きずりながら浴室へ向かったミクリさんをベッドの上で待つ。洗いたてのシーツは肌触りが良くて、このシーツとミクリさんに抱き締められるのはさぞかし良い気分になれそうだった。
 甘い時間も過ごせたらなおのこと最高の夜になりそうだったけれど残念ながらそれは叶わない。明日も、いや、明日こそ一日中忙しいミクリさんにそんな余裕はない。分かっていても、受け入れたばかりだけど、それで淋しさが消えるわけじゃなかった。
「寝ててよかったのに」
 寝る支度の出来たミクリさんがベッドへ上がってわたしを抱き寄せる。パジャマの上からでも火照った肌を感じ、いつもよりも強いボディソープの香りについ先程まで拗ねていた心はすっかりドキドキと浮かれ始める。
「{{kanaName}}からも私と同じ匂いがする」
 それはミクリさんの帰ってくる前にお風呂を借りたから当然で。でも改めて指摘されると恥ずかしくて、ふいと顔を逸らした。
 その拍子に露になった首筋をミクリさんの長くてしなやかな指がそっと撫でる。ぞわぞわと、けれど体の奥を甘く刺激する感覚に色に溺れた吐息が零れた。今日は我慢と決心した心が簡単にぐらつき始める。いたずらに戯れるミクリさんが少し恨めしい。
「ふふ、良い子はとっくに寝る時間だ。眠らないとサンタも来てくれないよ」
 わたしの体を押し倒したミクリさんは自分の体もベッドへ横たえると、ソファの上でもしたように体を寄せてわたしを腕の中に閉じ込めた。心臓の鼓動すら聞こえてくるこの距離にとても眠れそうになかったけれど、触れた肌から響く鼓動は落ち着いたリズムを刻んでいて、サンタが来るまでは良い子でいないと駄目だと気が付いた。
 そろり、首筋に埋めていた顔を上げたら瞼を閉じて眠ろうとするミクリさんが見えた。重そうな瞼はきっと太陽が朝を告げるまで開くまい。この収まらない熱はクリスマスが終わるまでわたしの中で飼うしかない。
 わたしは駄々を捏ねそうになる心を宥めて目を閉じた。



「鍵はまた会う時に返してくれたらいいから」
 わたしより早く起きたミクリさんはそう言うだけで甘い言葉もなくジムへと出掛けてしまった。
 今日も朝から挑戦者が押し寄せてくるから普段より少し早くジムを開けるらしい。夜にはショーもあるから今日もとても忙しそうだ。来年は恋人を優先してくれないかな、と用意された朝食を腹へと収めていく。
 まだ寝てていいよの言葉に甘えて布団の中に残るミクリさんの体温を抱きしめている間にわたしの分まで作っていたなんて、有り難くもあり申し訳なくもあった。
 せめて食器くらいはピカピカにしておこう、使った皿を重ねてキッチンへと向かうと場違いな紙袋を見付けた。わたしの進路を邪魔するように置かれたそれを無視する訳にもいかず、食器をシンクへ置くと袋の中を覗いた。
 案の定、綺麗にラッピングされたプレゼントらしき物が見える。わたしのサンタはこんな所にプレゼントを置いて行ったようだ。朝起きて枕元になくて不思議だったけれど、どうしてこんな場所に。首を傾げながらプレゼントを取り出す。その拍子にひらりとメッセージカードが落ちる。オドシシとデリバードのイラストが描かれたそれを摘み上げ、ミクリさんの綺麗な文字を目で追った。
『サンタさんへ
私の可愛い彼女がこれを着て待っててくれますように』
 口では帰っていいなんて言っておいて、こんな事するんだから。ミクリさんの可愛い部分に頬が緩む。
 どんな服なんだろう。どくんと鳴る心臓と共に期待を込めて包装を開く。ミクリさんが出掛けてからプレゼントに気付くようにこんな場所へ置いたのだから、きっと正面から渡されたら断るような代物なんだろう。何となく予想はついたけれど、それでも逸る心は落ち着きを知らない。
 そして現れたのは、赤と白だった。
「これは……」
 両手で摘んで広げてみる。丈の短い赤のワンピースは裾を白いボアで縁取って、胸の辺りには白いポンポンが二つ付いている。もっとも、一応ワンピースと呼んだけれどこれはどう見てもコスプレだ。それも胸の辺りが少し際どくて少し腰を屈めたら下着が見えてしまう、いかがわしいタイプの。
 普段のわたしなら、こんなの検討する余地もなく断っている。でも昨日の疲れた顔と今朝の後ろ髪引かれるような表情を見てしまったらそうはいかない。わたしが我慢したようにミクリさんだって我慢しているんだと突き付けられたら観念するしかない。
 ああ、もう。何だかよく分からない息を吐くとワンピースがしわにならないよう丁寧にハンガーへ掛けた。



「おかえりなさい」
 昨日とは別の気恥しさに包まれながら発した言葉は、玄関ドアを開けて中へ吹き込んだ風に拐われていった。
 嵌められた仕返しにせめてビックリさせようと外から見える灯りを消して、ジグザグマを湯たんぽ代わりに毛布を被って玄関前で待っていたわたしは、ドアの向こうに人の気配を覚えて慌てて立ち上がると照明を点けて急いで鍵を開けた。勢いよくドアを開け、驚いた顔のミクリさんににんまりして、けれど自分の姿を思い出したらゴニョニョより小さな声しか出なかった。
「ポケナビのメッセージにも返事しないで何をしてると思ったら。指先が氷のように冷たくなっているね、早く暖めないと」
 びゅう、と吹く風に可愛くないくしゃみが出たわたしへ、ミクリさんが苦笑混じりにため息をつく。そんなミクリさんだって鼻の頭は少し赤らんでいて、皮の手袋を取った指も決して暖かくはない。
 それでもわたしの手をぎゅっと包み込む手の平はじんわりと温かく、やっとミクリさんを独り占め出来る時間になったんだと嬉しくなる。
「来年も可愛いサンタに会えるよう、今からたっぷり〝おもてなし〟させてもらうよ」
 エメラルドグリーンの瞳がゆるりと細められる。クリスマスはもう終わろうとしているけれど、そんなもの関係ない。
 返事の代わりに顔を上げて背伸びをしたら冷たい唇がいくつも降り注いだ。