ジンクスは恋に微笑む

バレンタイン夢(2022)
コーディネーターの夢主と時々面倒を見てくれるミクリ

中に甘いチョコレートが香るこの季節、ミナモシティでとあるコンテストが開かれた。
 バレンタインカップと称したそれは普段と違ってかわいさ部門のみのコンテストで、出場者には制限はないものの圧倒的に女性が多かった。名前も理由の一つだろうけど、何よりこのコンテストで優勝するとバレンタインでの告白が成功する、なんてジンクスのせいだろう。かく言うわたしもまさにそのジンクスにあやかろうとエントリーした。
 わたしがバレンタインで告白したかった相手はこのコンテストの審査員も務めるミクリさん。幸運にもミクリさんに気に掛けてもらえて、アドバイスを貰い特訓に付き合ってもらっている内に尊敬とは異なる感情を抱いていた。それを恋と自覚するのはナマケロを捕まえるよりも簡単で、このコンテストで優勝したらチョコレートと一緒に自分の恋心を贈ろうと決心した。
 今、わたしの腕の中には優勝楯がある。苦しい戦いだったけれどどうにか勝ち取った楯だった。
 自分の演技の最中は演技に必死だったから他の出場者の演技中にそっと視線をミクリさんへ向けると、顎に手を当て悩ましげに舞台を見つめていた。何をしても絵になる人だからこんな時でもつい見惚れてしまって、パートナーのマリルリに尻尾で脛を叩かれてしまった。
 そんな苦労もしながら勝ち取った優勝はしかし、そのジンクスの効果を確かめる事なく記憶の隅に追いやられる事となってしまう。
 だって見てしまったから。クチートの演技そっちのけでミクリさんへ向けた瞳が、その左手の薬指にきらりと光るシルバーのリングを、見つけてしまったから。



 ルネジム公式サイトと公式アカウントに〝重大なお知らせ〟が掲載されたのはバレンタインカップにエントリーした翌日だった。
 よくあるショーの案内と違って物々しい雰囲気のそれはミクリさんへの差入れに関する内容で、一言でまとめると『食品は一切受け取らない』だった。バレンタインの文字こそなかったものの、食品の例にチョコレートが挙がっているあたり、バレンタインチョコへの注意が第一の目的であるのは明らかだった。
 わたしは他のファン同様、このお知らせにひどく動揺して、エントリーも取り消そうかと悩み、けれどどうにか踏みとどまった。
 たしかにルネジムからはファンの差入れを禁じられたけれど、個人的にチョコレートを送る事までは禁止されていない。屁理屈だと言われようがわたしはミクリさんと個人的な付き合い――特訓を見てもらっているだけなんだけど――もあって歴とした友人だ。だからきっと大丈夫、ミクリさんだって友人からのチョコレートは流石に拒否はしないだろう。
 そう無理やり自分を納得させ、コンテストに向けて特訓に励んでは時間を作ってチョコレートを探し回った。ミクリさんに安っぽいものや趣味の悪いものは贈れない。そんな訳で悩んだ時間は演技構成よりチョコレート選びの方が長かったかもしれない。


 そうして迎えたコンテスト当日、わたしとマリルリは舞台から見える大勢の観客と審査員席のミクリさんに向けて今出来る最高の演技を行った。観客席からの割れんばかりの拍手にミクリさんの笑顔、最後でミスはあったものの優勝は出来たと確信した。
 その通り、わたしとマリルリは優勝出来た。指輪に気付いていないマリルリはぴょんと可愛らしく飛び跳ねて全身で喜びを表現して、他の参加者も優勝を褒め称えてくれた。わたしはにこりと笑顔を作って、優勝を喜ぶ乙女を演じた。
 コンテストの後にある恒例の優勝者インタビューでは当然のように誰かに告白するのかと尋ねられた。数時間前に描いてた未来では、相手の名前こそ伏せつつその質問には『はい』と答えるつもりだった。
 でも現実はどうだ。ミクリさんも見ているかもしれないインタビューで、わたしは曖昧に笑って返事を誤魔化す事しか出来なかった。



 インタビューを終え、ショックでのろのろとしか動かない体でどうにか帰り支度を済ませて会場を出る。予定ではミクリさんへ連絡をして明日――バレンタイン当日に会う約束を取り付ける筈だった。でも指輪をしているミクリさんにそんな事は、出来ない。
 わたしが今日の優勝の為に必死に特訓している間に、どこかの誰かがミクリさんに告白をして恋人の座に収まってしまった。わたしが的はずれな努力をしている間に、見知らぬ彼女は正しく行動していた。悔しいけれど、ジンクスに頼らなきゃ告白する自信すらないわたしより余程お似合いだと思った。家に帰ったらあのチョコレートは捨ててしまおう。
「お疲れ様、{{kanaName}}」
 声がして、地面に伸びる影を見つめていた視線を上げる。新雪のように真っ白なコートを羽織っていつもの帽子を脱ぎ、あまり変装の役に立っていない伊達眼鏡を掛けたミクリさんがひらひらと手を振っている。鮮やかなエメラルドグリーンの髪に夕陽が当たって、誰かが演技で使っていたひのこを思い出す。星が瞬くような煌めきは片思いに揺れる心のようだった。
「優勝おめでとう。今日の{{kanaName}}の演技はとても素晴らしかった。マリルリのコンディションが最高だったのは勿論、他の参加者をよく見てパフォーマンス出来ていたね。君の強い意志を感じられたのも、良かったよ」
 わたし達の演技を思い出してしているのだろうか、記憶を辿るように瞳を閉じるミクリさんの白い肌に長い睫毛の影が落ちる。その影さえ綺麗に見えて、慌てて視線を逸らして「ありがとうございます」と返した。
「だからこそ、最後のパフォーマンスは残念だった。マリルリが機転を利かせなければ優勝は無理だっただろう」
 ゆっくりと開いた瞼から鋭い視線が向けられる。ミクリさんが指摘したのは正にわたしが指輪を見つけた瞬間の事だった。
 指輪なんて今まで一度も着けなかったミクリさんの、よりによって左手の薬指に指輪を見つけてしまったあの瞬間、頭が真っ白になって今どこで何をしているのか何も分からなくなった。
 マリルリの尻尾でぴしゃりと脛を叩かれても飛んでしまった意識はすぐに戻って来れず、結局マリルリが独断で演技を行った。わたしはふらふらする頭で指示を出した振りをするので精一杯で、ミクリさんの険しい視線でようやく我に返った。
「舞台に立ったら幕が下りるまで決して自分に戻ってはいけない。たとえ何があったとしても」
「すみ、ません」
 辛辣な言葉が胸に突き刺さる。いつの間にか終わってしまった片思いだけでも苦しいのに、コーディネーターとしても見放されそうでとても目を合わせていられない。逃げるように頭を下げた。
 その時。
「――えっ、」
 頭を下げる瞬間、一瞬だけ見えた――否、見えなかったそれに声が漏れる。ばくばくと大きくなる鼓動を抱えながらほんの少しだけ視線を上げる。胸元で組んだ腕をもう一度見つめる。
 腕を掴む指はわたしより太くて逞しくて、けれど無骨な感じはせずどの指もすらりとして綺麗だった。でも、審査員席に座っていた時と比べると物寂しい。
 あの時は確かに嵌めていた指輪が、今は見当たらなかった。
「どうしたのかな」
 動揺がした瞳が声に呼ばれるようにミクリさんを見上げる。つい先程まで冷たさを纏っていた眼差しは雪解けの頃のじわりと滲む温かさを湛えていた。
 わたしはうららかな緑玉の瞳と銀細工を失った左手を交互に見つめ、口を開いたものの尋ねるのが怖くて口を噤んだ。ミクリさんが目を細める。
「あれは可愛い姪っ子から魔除けと渡された物でね……ふふ、魔除けなんて言うと熱心なファンに失礼だったかな」
 消えそうになっていた恋の炎が息を吹き返す。ちろり、静かに燃える火が心の温度をじわりと上げていく。
「ところで{{kanaName}}、私に黙ってまで参加して手に入れたジンクスは君の恋を叶えてくれそうかい?」
 夏の海が広がるその瞳の中に、期待と不安で困った顔をしたわたしが写っている。
 ミクリさんは今、魔除けだと言った指輪を外している。わたしの前では必要ないから、と外している。
 どうして。期待して瞳を覗き込んでも真意は分からない。舞台の上で見せる完璧な笑顔が答えを隠している。
「私はね{{kanaName}}、君の恋は叶うと思うよ」
 背中から吹いた風が海へと抜けていく。わたしのスカートを揺らし、ミクリさんの髪をなびかせ、吹き抜けていく。空には一番星が浮かび、満ちゆく月が夜に染まる空を優しく照らしている。
「頑張って」
 そう言って笑って、唇が声のない言葉を紡ぐ。
――待ってる。
 ミクリさんはもう一度微笑むと、声を掛けた時のように手をひらひらと振って歩き出した。飛び出しそうな心臓を押さえながらミクリさんを呼び止めたわたしが見つけたのは、どんなチョコレートよりも甘くてとろけてしまいそうな笑みだった。