恋色の溜め息

ルネジムで働くポケモンドクター夢主と、思わせぶりな態度のミクリ

「本当に素晴らしいバトルだったよ。君にも見せたかったが処置の最中だったようだね、残念だ」

 患者用の丸いすではなく私が使う少々値の張る椅子に足を組んで優雅に腰掛けるミクリさんが芝居がかった様子で溜め息を吐いた。
 薬の仕舞われた棚から振り返ってミクリさんを見てみれば、わたしの視線に気付いた彼が綺麗に整えられた眉を八の字に下げて悲しそうに笑う。どんな笑顔でも思わず見惚れてしまうのは彼の努力の賜物だろう。
 さらに普段と違って視線の高さが逆転しているからだろうか、ここぞとばかりにミクリさんが上目遣いでわたしの視線を奪う。どくん、不意に心臓が大きく跳ね上がった。ファンではないわたしですらこの有り様だ、彼に想いを寄せていたらきっとこの後暫く何も手に付かなくても不思議ではない。
「少し滲みますよ」
 スターの熱烈な視線を断ち切り目当ての薬剤とガーゼなどを棚から取り出すと、治療を待つミクリさんの元へと向かう。先程見せた含みのある笑みは消え、人の良さそうな穏やかな笑顔がわたしを迎えた。
 何故かわたしが患者用の丸いすに座って、ぱっくりと裂けたミクリさんの腕の怪我の処置を施す。
 挑戦者のポケモン技が当たって出来たらしい。普段の彼なら優雅に避けてしまえそうだけど、蒸発した水が霧のように視界を奪って避けきれなかったんだとか。何をすれば目隠しになる程の水蒸気で溢れるのか、残念ながらバトルに疎いわたしには全く想像できなかった。
 実はミクリさんがこういった怪我を作る事自体はさほど珍しくはない。意外な感じがするけれど、妥協の言葉を知らない彼は傍から見れば無茶で危険な指示や訓練をしがちだ。だからこうやってミクリさんの手当てをするのはよくある事だった。あまり嬉しい出来事ではないけれど。
 それでも今回のように皮膚がぱっくり裂けて血が流れるものはそう頻繁にはなく、治療するわたしは思わず「気を付けて下さいね」普段は抑えている小言をつい口にしてしまった。ミクリさんが小さく笑う。

「このジムには君のような優秀なドクターがいるから少し無茶をしてしまうんだよ」
「わたしはポケモンドクターで人は専門外です」
「君の手に負えない怪我はしないさ」
「そういう問題じゃ」
「そういう問題だよ。コンテストでもバトルでも無様で美しくない姿は決して見せられない。{{kanaName}}の手に余る怪我をしたらその時点で私は負けなのさ。だからこれくらいは大目に見てもらえないかい?」

 新緑の瑞々しさをルネの海へ閉じ込めたような煌めくエメラルドグリーンがわたしを見つめる。どくんと騒がしくなる心臓に、流されるものかとキッと視線を鋭くするとしかし、ミクリさんは艶やかに光る唇に弧を描いて「尤も、私はそんなヘマはしないけどね」ぱちん、と音まで聞こえてきそうな完璧なウインクが投げ掛けられた。

「ミロカロス達の治療も頼んだよ」

 信頼を示すようにわたしの手を一度ぎゅっと握ってそのまま颯爽と医務室を出ていってしまう。
 ばたんと扉が閉まって足音が遠くなり、やがて聞こえなくなる。
 わたしは上手く力の入らない体を持ち上げ目の前の座り心地の良い椅子へと移る。肘掛に腕を置き、背もたれに体を預ける。そうしてひとつ息を吐くと、本来の仕事であるジムリーダーのポケモンの治療へと向かった。