チャンピオンミクリの試合を観戦する
ざあざあと大粒の雨が降り続いていた。高い天井は黒く重たい雨雲で覆われ、その下には大嵐の海が広がっている。ここはよくある一般的なバトルフィールドであったはずなのに地面は水中の中に沈み、戦っているポケモン達は勿論のこと指示を出すトレーナーも膝下まで水に浸かっている。 大雨と大波でずぶ濡れになった挑戦者が声を張り上げポケモンへ指示を出す。けれど大荒れの天気の中ではうまく伝わらないようで、彼のオオスバメは右往左往するだけで。 一方、チャンピオンでありこの場を支配しているミクリはぞっとする程不気味な笑みを浮かべてフィールドを見つめている。彼のギャラドスも海の中心で身を潜め、静かにミクリの指示を待っている。 大粒の雨がオオスバメの体力をじわじわと削ってゆく。体勢を立て直そうにも辺り一面に広がるのは海ばかり、安全な場所は何処にもない。もうあのポケモンには勝つ以外安らぎの瞬間は訪れないのだ。けれどあまりにも不利な状況に、その可能性は限りなく低い。オオスバメはただただ自分がギャラドスの餌食になる瞬間を一秒でも先へ伸ばすしか出来る事がなかった。 ハラハラとしながらオオスバメを見つめる。徐々に羽ばたきが弱々しくなっている。雨に打ち付けられた体はもはや気力だけで飛び続けているのだろう。けれどそれも永遠には続かない。オオスバメの体が突然がくんとふらつく。それが、合図だった。 水中のギャラドスの影がオオスバメの真下まで一気に詰め寄る。水面が大きく揺れ、波立ち、そして次の瞬間、ミクリが大雨にも負けないよく通る声でギャラドスに指示を飛ばした。 水中から飛び出したギャラドスが空を飛ぶようにりゅうのまいを舞う。凶暴で荒々しい竜が嵐の中舞う姿はまるで竜巻のようで、それでいて不思議と優雅だった。 思わず見惚れていると次の瞬間、大きな口が落ち続けるオオスバメを捉えた。あっ、と思わず声が漏れる。ギャラドスがオオスバメへ噛み付いたまま破壊光線を放つ。容赦のない攻撃に、わたしは悲鳴を抑えるように両手で口を覆い、けれど視線は二匹に釘付けだった。 遠い昔から恐ろしい存在として語られるギャラドスが、物語の中から飛び出し挑戦者に牙を向いていた。彼がその実温厚だと知っているわたしでさえ、そのおぞましさにぞくぞくと背筋を震わせていた。 気づけば、永遠に降り続くのではと不安になるような大雨が次第に小雨へと変わっていた。黒く重たい雲が薄れてゆく。そうしてついに雨雲が消え、真夏の太陽のように強く眩しい照明がバトルフィールドを照らし出した。 「よくやった。素晴らしいパフォーマンスだ」 ミクリがギャラドスを戻す。ポケモンを入れ替えるのは挑戦者がライボルトを出したからだろうか。 しかしミクリが選んだのはまだ戦う余裕のあるルンパッパでもなければ相性の良いナマズンでもない。ミクリがこの試合のラストを飾るのに相応しいと選んだのは、ミロカロスだった。 徐々に引いていく水の中、ライボルトがフィールド全体に強烈な電撃を放った。ただでさえ水ポケモンに電気は大敵だというのに、フィールドは水びたしで攻撃を防げる場所は何処にもない。いくら挑戦者の最後のポケモンだからってミロカロスを出したのは流石に悪手だ、わたしは傷付くミロカロスを見たくなくて咄嗟に顔を逸らす。 けれどミロカロスが苦しむ声は一向に聞こえてこない。わたしの耳に届いたのはミクリの声、それから観客の沸き立つような歓声だった。予想と噛み合わない現実に、恐る恐る視線をバトルフィールドに戻す。ミロカロスの体を、小さな氷のドームが覆っていた。水を凍らせた作った小さな要塞だった。 透き通る氷の膜の中で乳白色の体が揺らめく。尾の方を染める鮮やかな青と薔薇を思い出させる紅色の触覚と耳が、彗星が空を駆けるように氷の中を動く。 次の瞬間、薄氷が鋭い音を立てて粉々に砕けた。氷の粒が照明に照らされキラキラ光る。まるで星屑のように綺麗だった。 ため息の出る美しさに目を奪われたわたしは、だから気付いていなかった。長いミロカロスの体が、渾身の放電を繰り出して息を整えているライボルトを捕まえ全身で締め付けようとしている事に。 はっとして二匹の姿を視界の中心に収める。空色の胴体は艶々と煌めく鱗の体に巻き付かれ、すっかり身動きが取れなくなっていた。ミロカロスがその顔をライボルトへと寄せる。 「残念だけどもうフィナーレだ。ミロカロス、れいとうビーム」 ロウソクの火を消すように、戦意の灯火を吹き消すように、ミロカロスが体の芯から凍える冷気をライボルトへ向ける。ひやりとした空気が観客席にまで届く。 空気中の水分が氷となり、ライボルトの体が毛先から凍ってゆく。そして最後にその体を尾ひれでひと撫でするように挑戦者の方へ追い返した。 彼の最後のポケモンも、戦えなくなっていた。 一瞬の沈黙を越えて大きな歓声が観客席から沸き起こる。わたしも悠々とお辞儀をするミクリを見つめながら、手が痛くなるのも忘れて大きな拍手を送っていた。 あの歓声が嘘のように静かになったサイユウリーグの一室、ミクリが使う控え室をわたしは訪れていた。コンコンとノックをしてドアを開ければ、まだ試合が終わったばかりだというのに早速今の試合を見返すミクリを見つけた。ミクリはわたしに気が付くと映像を止め、柔らかく微笑んだ。さほど大きくないモニターには、踊るようにやどりぎのたねを撒くルンパッパが映っていた。 「今日の試合は何点だったかな」 ミクリがいつものように訊ねる。わたしは大袈裟に考え込む振りをして目を伏せ、3つ数えてミクリに目を向ける。宝石を嵌め込んでいると言われたら信じてしまいそうな程きらりと輝くエメラルドグリーンの瞳がわたしの返事を楽しみに待っていた。 「……6点、かな」 「おや、相変わらず君は手厳しい。理由を聞いても?」 肩を竦め立ち上がって、ミクリがソファへとわたしを連れてゆく。つい小一時間前には非情に冷酷に挑戦者を追い詰めた人物とは思えないほど穏やかな表情を湛えている。そのミクリが隣に座らせたわたしの腰へ腕を回してわずかに首を傾げる。言葉には出さないけれど点数に少々不満があるようで、ほんの僅かに眉間にしわが寄っている。 「何がいけなかったかな」 バトルに関して素人のわたしが付ける点数なんて何の意味もないのにミクリは必ずこれを聞く。素人の、何となくの気分で付けた点数にどれだけ意味があるのか、わたしにはさっぱり分からないけれど、ミクリが欠かさず訊ねるからわたしも素人なりに真剣に考える。 「だって…、」 「だって?」 口を開いて、けれどすぐに口を噤む。6点は流石に低すぎた。だって10点満点で12点あげたって何の問題もない試合だったのだから。でも今さら訂正したところでミクリはきっと納得しないから、思ったまま素直に言うしかない。 「ドキドキワクワクはしたけど、ヒヤヒヤはしなかったから」 「そ、れは……、ふむ、どうしたものかな。ヒヤヒヤ、か」 考え込むようにミクリが目を閉じる。眉間のしわはより深くなり、けれどすぐにぱちりと目を開け困ったように笑う。腰に回されたミクリの手が腰を撫でる。 「ポケモンバトルでもコンテストでも、{{kanaName}}をヒヤヒヤさせるパフォーマンスは見せるつもりがないからね、それは採点項目から外してもらおうか」 ミクリの桜色の唇が綺麗な弧を描く。そうしてわたしを抱き寄せると、鼻先へキスをひとつ落とした。