ルチアに誘われて、ミクリと3人で夏祭りに行き花火を見る。
全ての始まりはルチアちゃんの一言だった。 「ルネのお祭り行きましょ!」 そう言ってわたしを引っ張って向かったのは何故かミクリの家。大きな鞄を肩から提げたルチアちゃんがチャイムを鳴らせば、驚いた顔でミクリがドアを開けた。わたしが状況を分かっていないように、ミクリもまた突然の訪問に虚をつかれたようだった。 「おじさま、着付け出来るでしょう?」 ルチアちゃんの持ってきた荷物の中身は3枚の浴衣だった。2枚は女性用でもう1枚は男性用。わたしとルチアちゃんと、それからミクリの分。 「だってその方が楽しいもの!」 ルチアちゃんは満面の笑みでそう言うと「まずはお姉さまからね!」とミクリとわたしの背中を客間へと押す。戸惑うわたしを他所に、いち早く状況を受け入れたミクリがため息を吐いた。 「ルチアのわがままにも困ったものだね。さて、早く着替えてしまおうか」 ミクリが笑う。わたしも微笑み返したら部屋の外から「おじさま早く!」ルチアちゃんの声が響いた。 *** 青く遠くまで澄んでいた空がいつの間にか茜色に変わり、空の端が藍色に染まっていく。わたしはわたあめを、ルチアちゃんはりんご飴を片手に屋台を見て回っていた。白地の浴衣を着たミクリはその後ろでわたし達の巾着とルチアちゃんが射的で取った大きなミズゴロウのぬいぐるみを預かってくれている。 ちらりと後ろを振り返ったルチアちゃんが「ね、おじさまも誘って良かったでしょ?」にんまり笑って耳打ちする。ちょっと申し訳ないかもと心配になってわたしも振り返ってミクリを伺う。当のミクリは演技にしては自然な笑顔を終始浮かべていて、わたしと目が合うとルネの海と同じ色をした瞳がゆるりと細められた。その表情は特別珍しいものではないのに夕闇が色付けるのか、それとも普段と異なる見慣れない浴衣姿が珍しいのか、わたしの心臓は水風船のようにぽんと跳ねる。 「ねえおじさま、花火はおじさまのお家で見るのはどう? 綺麗に見えるんでしょう?」 ぽん、と手を叩いてルチアちゃんが言う。人混みの中ぐっと空を仰いで見る花火は夏祭りに来た実感をとても強く感じられるけれど、その分疲れるという欠点がある。その点、ミクリの家ならゆっくり落ち着いて眺められるだろう。庭に繋がる大きなガラス窓を開け、そこに腰を下ろして見る花火はきっと良い思い出になる。期待を込めてミクリを見ると「あぁ、成程ね」ふっと小さく息を吐いて、 「急いで帰ろうか。花火までそれ程時間はなさそうだから」 淡い桃色に染まる唇に綺麗な弧を描いた。 *** 「あー! わたし、ハルカちゃん達と花火見る約束してたんだー!」 ミクリの家に戻って中へ入ろうとしたその時、後ろを歩いていたルチアちゃんが大声を上げた。振り返ると「うっかり忘れてた!」妙に芝居がかったルチアちゃんがコツンと頭を叩いた。隣からミクリの大きなため息も聞こえる。 「じゃあわたしはハルカちゃん達と見てくるから、おじさま達はここで!二人で!隣に座って!花火を見てね!」 行くわよチルル、素早くボールから飛び出たチルタリスの背中にルチアちゃんが飛び乗る。そしてわたしの止める声も聞かずにあっという間に飛び立ってしまった。 どんどん小さくなるその姿を呆然と見つめ、はっとして隣のミクリを見上げる。ミクリはいつものように微笑んで、「花火は見ていったらいい。ルチアの言う通り、ここからの眺めはとても良いから」ゆっくりと玄関ドアを開けた。 ミクリの家の庭には彼の水ポケモン用の小さなプールがある。そこにわたしはアメタマを、ミクリがハスボーを放す。二匹が楽しそうに遊ぶのを視界に収めながら空を見上げる。藍色の空にチカチカと星が瞬いているけれどまだ花火は上がらない。庭の方へ下ろした足をぷらぷらと揺らしながら、わたしは缶チューハイを開けた。 「ミクリもこういうの飲むんだ」 ミクリならもっとオシャレなワインや通好みのお酒を飲んでいそうなイメージがあったから、そんな彼が缶チューハイを持ってきたのが意外だった。隣に腰掛けるミクリがちょっと肩を竦めて「ああ、それはね」一番星を見上げる。 「おませなお節介さんが手土産に持ってきたのさ」 そう言って小さく息を吐いてプルタブに指を掛けた。プシュッと小気味よい音が鳴ってミクリが一口呷る。飲むのに合わせて喉仏が上下して、わたしは思わず前を向く。不意に見付けた男らしさに胸がどくんと高鳴った。 いつもならぽんぽんと勝手に溢れる話の種が、今日はどうしたんだろう、頭の中が空っぽになって何も思い付かない。目の前のプールで遊ぶ二匹を可愛いねと言えば会話はすぐに始まるのに、それすらも出来ない。 だからなのか、普段は気に留めたことすらないこの沈黙がやけに煩い。それは自分の鼓動のせいで、声にはならずに脳内を飛び交う色んな声のせいで、つまりまんまとルチアちゃんの作戦に嵌ったということで。 いつも通りにと息を吐いてみたけれど、尚さら意識するだけだった。花火はまだ始まらない。 少しして、隣のミクリの視線がわたしへ向けられるのを感じた。視界の端にミクリの艶やかな髪がちらりと映る。 「履きなれない下駄で足を痛めてないかい」 「だっ、いじょうぶ」 「そう、それはよかった」 裏返った返事にミクリがくすっと笑う声が聞こえる。照れを隠すように甘酸っぱさを売りにした缶チューハイを飲み込む。しゅわしゅわと口の中で弾ける炭酸は、何だかわたしを囃し立てているようだった。 「ふふっ、もしかして{{kanaName}}、緊張してるのかい?」 「まさか!」 揶揄うような声に、思わずミクリの方を向いて答えていた。ミクリと目が合う。声とは裏腹に、嫌に真剣な瞳がわたしを見つめていた。木々の生命の煌めきを湛えた鮮やかな緑が、その視界にわたしだけを映している。息をするのも忘れて、わたしはその眼差しに見入っていた。 「{{kanaName}}…、」 名前を呼んで距離を縮めるミクリに、わたしは自然と目蓋を閉じていた。一秒が永遠のように長い。徐々に近付いてくるミクリの気配にどくどくと鼓動を高鳴らせ、もう触れてしまいそうなその瞬間、 ドンッ―― 遠くで太鼓を打つような大きな音が響いた。 はっと目を開いて逃げるように空を見上げる。キラキラと火花が空を彩っていた。ようやく、花火が打ち上がった。 「花火、始まっ」 この空気を誤魔化したくていつものように笑ったわたしを、ミクリが強い力で抱き寄せる。 次の瞬間、ミクリに唇を奪われていた。真っ白な頭がそれを理解した頃にはもう2回ほど唇は重なっていて、その次のキスはそれより少し艶やかなものだった。 「美しいね」 離れた唇が緩やかに動いて最後に弧を描く。わたしを見つめていた瞳は今はもう夜空を見上げ、あっという間に消える光の輝きだけを映している。わたしも同じように花火を見る。 ミクリの言葉通り、夜空に咲く大輪はどれも美しかった。