水のイリュージョニストがうっかり惚気配信したら翌日のエゴサで青ざめる話
「そういえばこの前ルチアちゃんの配信見たんだけど可愛かったなぁ」
思えばこの一言さえなければその後の惨事は回避できたのかもしれない。
* * *
この日わたしは飲みたいと言ったミクリのためにそれなりの量のお酒を持って彼の家にお邪魔した。わたしが持っていかなくてもミクリの家にはお酒が常備されているけれど、今日は飲みたい気分だとわざわざ言う時は質より量を望んでいるのだとつい最近気付いたから買い込んでいくようにしている。
この日はお酒に弱い女子にも人気な軽めの缶チューハイをいくつかとナッツ類を買っていった。こんなに飲めるかな、なんて困った風を装われたけれど日付が変わる頃にはこれら殆どは空になっていると断言出来る、彼はザルなのだ。
いつものダイニングテーブルではなくリビングのローテーブルへと缶チューハイを並べる。冷蔵庫に入れなくていいのかいと尋ねられたけれどわたしには分かっている、どうせすぐに冷蔵庫へ向かうことになるからここに出しっぱなしで何の問題もないのだと。
案の定、ミクリは自分では買わない缶チューハイに興味を示してラベルをまじまじと見ては「美味しそうだね」なんて笑っている。わたしは自分用に1缶だけ確保するとたんとお飲みと言わんばかりに乾杯と声をかけた。
そこからはあっという間の出来事だった。酔いとは無縁のミクリは気持ちの良い飲みっぷりで次々と缶を開けていく。わたしはまだ半分も飲んでいないのに一体それは何本目だと空いた缶を数えて少しだけぞっとする。
あれだけ喋りながらよくもまあそんなペースで飲めるなと始めこそ感心していたけれど、流暢にご自慢のポケモンたちの話をしながら片時も缶から手を離さないミクリはもはや化け物じゃないか。もしこれに付き合えと言われたら今後の彼とのお付き合いを真剣に考えなければならない。もっとも今のところそんな気配はなくむしろ女の子は無闇に飲んではダメだよとまで言われるから杞憂で終わりそうではあるけれど。
しばらくミクリの他愛もない話を右から左へと流していたら珍しくミクリが黙り込んだ。ぽりぽりとナッツを食べていたわたしはその無言に気付かずひたすらナッツを頬張っていたのだけれど不意に腕を掴まれる。
ぎょっとして顔を上げると物言いたげなミクリがじっとこちらを見つめていた。
「君、私の話を聞いてないだろう」
眉間にくっきり皺を刻んでいてもミクリの顔は綺麗だった。アルコールのせいか瞳は僅かに充血して潤んでいて、頬も珍しく赤く染まっている。掴まれた部分はやけに熱い。
もしやミクリ、珍しく酔っているんじゃないだろうか。そんな疑問が浮かんで「聞いてるかい」これは酔っているなと確信する。普段のミクリはこんな風に問い詰めたりしないもの。
「聞いてたよ」
「じゃあ何を話してたか言ってごらんよ」
えぇっと何を言ってたっけ。たしかそう、私の姪がうんたらかんたらと喋っていた気がする。きっといつもの姪自慢だ。
「ルチアちゃんの事でしょ」
ミクリは返事をしない。あぁもう、酔ったミクリはちょっとだけ面倒くさい。ルチアちゃんの何を話してたんだろう、あの子の最近の動向は何だったかな。あ、そうだ。
「そういえばこの前ルチアちゃんの配信見たんだけど可愛かったなぁ」
思えばこの時わたしも酔っていたのだ。ミクリはルチアちゃんをそれはとても可愛がっているけれどしかし同時に二人は歴としたライバルだ。
ミクリがする事はルチアちゃんも負けじと後を追う。反対にルチアちゃんが挑戦したことにはミクリも手を出していた。そう、自分にだってこのくらい、となかなかに軽いフットワークで何にでも手を出してしまう。
だからこの後の展開は容易に想像出来て阻止することが出来たはずだ。けれどわたしは酔っていた。不覚にも3%程度の缶チューハイ1本ですっかり出来上がってしまっていたのだ。
「私にだって出来るよ」
言うなり、ミクリは手を伸ばし床に転がっていたスマホを取り上げた。何が、と回らない頭を傾げたけれどそんな下らない質問は華麗に無視される。
あぁもう。仕方なくスマホをいじるミクリを見ていると、突然スマホを前に掲げ「これでいいのか……」と眉間に小さな皺を寄せて呟いた。
このタイミングで自撮りなんて一体どうしたの、心配になって声を掛けようとしたその時――ローテーブルに放り出していたスマホがピリリと鳴った。反射的に覗いた画面に現れた通知は誰かの『配信』開始、隣に表示されたアイコンはよくよく見知ったミクリの顔だ。
えっ?ミクリの顔?
はっとして慌ててミクリを見れば「やあこんばんは」なんてスマホに向かって挨拶なんかしちゃってて。ちょっと待って、もしかして対抗心から思いつきで配信を始めたの、この酔っぱらいは。
慌てて止めようとするけれどうっかりカメラに映ってしまったら大炎上待ったなし、それだけは何としても避けねばならない。一気に酔いのさめた頭が自分の存在を隠せと喚き立てる。
幸いにもわたしとミクリは向かい合って座っていて、わたしの存在はまだカメラに捉えられていない。今のうちにわたしの私物を隠してしまおう。画角ギリギリのカバンを引っ張り脱ぎ捨てたカーディガンを回収してナッツの入った皿をミクリの方へと押す。
本当はわたしの飲みさしの缶チューハイも隠したかったけれど最悪なことにばっちり映っている。あれくらいならどうか怪しまれませんように、滝のように流れるコメントを必死で追いながら変わらず挨拶しかしないミクリへ目を向ける。
「これってもう配信始まってるのかな」
艶やかに笑みを浮かべるミクリにコメントが湧き立っている。これが酔った勢いの奇行でなければわたしだって一瞬たりとも目を離さずに配信を見ていただろう。今も一時も目が離せないけどそれはドキドキのせいじゃない、ハラハラのせいだ。
「最近若い子がやってると聞いた配信を私もしてみようと思ってやってみたんだ」
どこかの日記を思い出すような言葉にコメントが『そういやルッチーがやってたな』と反応する。
やめて、今のミクリにその名前は禁句なの、頼むから盛り上がるなコメント。でもダメだ、まだ始まったばかりの配信への期待が高すぎるのか皆も夜中の変なテンションなのかすでにコメント欄では二人のコラボ配信を期待する声でいっぱいだ。
「と言っても話すことは考えてなくてね」
よしじゃあもう配信を終わってしまえ。終わった瞬間褒め殺して満足させてベッドへぶち込んであげる。だから失言する前にどうか我に返るなり寝落ちするなり配信を止める理由を寄越してください。
「そうだな……」
目を伏せて考え事をするミクリが画面に映っている。そういえばずっと手を掲げて一番良い映り方をキープしてるけど腕はしんどくならないのだろうか。
と思っていたら「あっ」と声を上げスマホをテーブルに伏せると四つん這いでのそのそと移動してミロカロスの入ったモンスターボールを引っ張り出してきた。嫌な予感がする。ミクリはテーブルの横にミロカロスを出すとその尾びれにスマホを乗せ、角度を調整して「これでよし」と満足気に再び座り込んだ。
立てた片膝に腕を乗せたラフな格好、そんなのファンの前でしないでよ、それが見れるのは彼女であるわたしの特権でしょと文句が飛び出そうになるのを必死に抑え未だかつてないほどミクリを睨めばこちらへ視線を向けることなく大人しく座り直す。その時くすりと笑ったのが腹立たしい。
そんなわたしとミクリを冷めた目で見つめるミロカロスは間違いなくこの場の一番の被害者だったけれど、悲しいことにまともな判断が出来る人間はこの場に誰一人としていない。奇行に走る主人と何だかんだ思うことはあっても配信を止めない恋人、それらを前にミロカロスの吐いた溜め息はやたらと重たかった。
「あぁそうだ、タマザラシの話を聞いてくれないか」
ぱぁっと目を輝かせカメラへ向けられた顔はそれはもうキラキラとしていてコメント欄は『聞く!』だの『なになに?』だの次の言葉を待つコメントがどんどん流れていく。こんな真夜中のくせに視聴者が多過ぎないかと嫌な汗を掻いたけれどそれ故にもう事故でも起こらない限り無理やり配信を止めるのは無理だと気付く。ミクリに彼女がいることはごく一部の親しい友人を除けば厳重に秘匿されているのだから。
「あの子、とびきり可愛いんだよ」
しかし当の本人は何も考えてないのかうっとりとした視線でタマザラシへの愛を語る。
ミクリが手持ちのポケモンを褒めることはよくあるけれどそれにしてもこんな風に特定のポケモンを贔屓するような褒め方はしたことがない。しかも褒める対象は彼の相棒とも呼べるミロカロスではなくタマザラシだなんて、スマホを持つ為だけにボールから呼び出された彼女が可愛そすぎる。わたしなら今頃もう知らんとスマホを投げつけている。
「私が撫でてやると嬉しそうな顔になってね、笑いかけたら照れて顔を背けるのもとてもキュートなのさ」
手持ち無沙汰だった右手がわたしの飲みさしの缶チューハイに伸びて勢いよく煽る。『可愛いの飲んでる』なんてコメントが見えたがそりゃそうだ、それはわたしが飲んでたんだから。もっとも、散らばる空き缶はどれも可愛らしいので今飲んだ缶チューハイからそこに女が居ると名推理する危険な視聴者はいなかった。というかもうこれ以上飲むなばか。
「夜も可愛いんだ。一緒に寝たいくせに自分から言うのは恥ずかしいみたいでもじもじしてるのがいじらしい。おいでと呼んだ時のあの満面の笑み、皆にも見せたくなるけどあれは私だけが見れるのさ」
流れる水のようにタマザラシトークをしているけれど、しかしわたしはそんなタマザラシを知らない。そもそもミクリは夜寝る時ポケモンをボールに閉まっている。そんなペットのような扱いは見たことがない。
じゃあ一体ミクリの言うタマザラシとは何なんだ。まさかわたしの知らない所でタマザラシを溺愛していたのだろうか。それはいくらポケモンとは言えちょっと妬けてしまうじゃない。
「それからタマザラシは何でも美味しく食べるんだ。だからつい料理に力が入ってしまう。苦手なものでも私が作った料理なら頑張って食べてくれるから食事の後にとびきり褒めてやるのが最近の密かな楽しみなんだよ」
タマザラシには厳選したポケモンフーズではなく手料理を与えてる?そこまで手を掛けたポケモンをそこそこの頻度でお邪魔してる彼女のわたしが知らないなんて有り得るのだろうか。
というか今の話、どうにも引っ掛かる。そういえば最近ミクリが振る舞う料理に必ず一品嫌いな食材が入っていたんだけれどまさかもしかしてこのタマザラシって。
「風呂で体を洗ってやるのも楽しくてね、されるがままに体に触れられるあの子の気持ちよさそうな顔が堪らないよ。あぁしまった、少し飲みすぎて今日はまだ風呂に入れてやってないな」
はたしてミクリは意図してそんな発言をしているのだろうか。コメント欄には当然の如く『シャワー配信全裸待機』の文字が踊っている。『タマザラシになりたい!』『タマザラシ視点で動画撮って』なんてのもある。最後の一本を手に取りぷしゅりとプルタブを開けながら流れるコメントに気をよくしたのかミクリはニコニコと笑ってしかし、
「このタマザラシはまだ君たちには見せれないよ」
笑みの消えた瞳でカメラを睨んだ。
「私は早くお披露目したいのだけどね、あの子にはもっと愛を注いで美しくしてやりたいんだ」
わたしは今聞いてはいけないもの聞いてるのではないだろうか。うるさくなる心臓と真っ赤になる顔に困惑しながら助けを求めるようにミロカロスへ視線を向ければやれやれと溜め息を吐く彼女の瞳とかち合った。いつもの事だ、ミロカロスの瞳はそう語っている。
「ふふ、もちろんミロカロス達も大好きさ。それは間違いない。でもこればかりは許してほしい、私にだって最優先したくなる子が出来てしまうんだよ」
もう聞いてられない、堪えられない。これなら直接ミクリに好きだの愛してるだの囁かれる方が何百倍もマシだ。
「ん、一番のエピソードか……」
初めての配信のくせに、しかも相当酔ってるくせにコメントに目を通す余裕があるなんて信じられない。わたしは一刻も早くこの配信を止めたくてたまらないのにミクリはまだまだ続けてタマザラシに見立てたわたしの話を続けるらしい。もう本当にやめて、一体何人が聞いてると思ってるの!
「それならちょうど先週の」
その刹那、ピーッとけたたましい音が部屋に鳴り響く。直後、唐突に配信は終了した。
「おや、電池切れだ」
残念だな、ミクリはがっくりと肩を落としてミロカロスからスマホを受け取るとのろりと立ち上がり慣れた手つきで充電器を傍のコンセントに突き刺すとふうと息を吐く。そんなミクリはわたしの視線に気がつくと少し眉を下げた笑顔で微笑んだ。
「タマザラシよりシャワーズの方が良かったかな」
誰もそんな事まったくちっとも気にしてない。それより話した内容の方が百万倍問題なのだ。今の話、ミクリをよく知ってる人が聞いてたら絶対に色々と気付くじゃない。どうしてくれるのよ、この飲んべえが!
しかしミクリはわたしの怒りに気付いてないのか知らんぷりなのかどこかに酒は残ってないかと立ち並ぶ空き缶を振っては溜め息を吐いている。
そして重い腰を上げ冷蔵庫を覗いたと思ったら「君は何か飲みたいものはある?」と財布を掴んでふらつく足で玄関へと向かおうとして。待て待て待て、慌てて腕を掴んで引き止める。
「一旦寝ない?」
「……寝るのかい?」
あっこれ違う意味に取られてる。まずいかもしれないけど今はもうそれで構わない。どうせベッドに連れ込んだら何をする前にキルリアの催眠術で眠らせてやるんだから。絶対に一発で決めてやる。
「寝るの!」
財布を取り上げ主人の醜態に目を逸らし続けるミロカロスに手伝わせてミクリをベッドまで連行すると、その手がわたしを捉えるより先にキルリアを出して催眠術を掛けさせた。あぁでもまずい、不運にも抱き着かれたわたしまでミクリと一緒に催眠術の餌食となってぷつりと意識を失ってしまった。
* * *
はっと目を覚ますと分厚いカーテンから朝日が射し込んでいた。朝だ、朝になってしまっている。慌ててベッドから飛び起きリビングへと走る。
何故かって、わたしより遥かに飲んで酔っていたミクリの姿がどこにもないからだ。あの男いつ起きたんだ、よもやもう一度配信なんてしちゃいないだろうな。
「ミクリどこに…………ミクリ?」
果たしてリビングにはミクリがいた。しかしどうにも様子がおかしい。ソファにどっかりと座ってスマホを凝視していたのだけれど、あまり動揺を見せないその顔が見事に青ざめていた。嫌な予感がして、恐る恐るスマホを覗き込む。
「何も、覚えてないんだ」
ぽつりと呟く声が震えていた。
ミクリはあんなにも自信満々でキラキラしているくせに毎日のようにエゴサをしてる。以前悪口見つけたら嫌でしょと聞いたことがあるけどその時は「批判なら受け止めるべきじゃないか」と殊勝な答えを返されたっけ。いやでも本当は自分を賞賛する言葉を浴びたいだけでしょ、分かってるんだから。
で、今朝も懲りずにエゴサをしちゃった訳だ、あんな配信をした翌朝に。
「何故止めてくれなかったんだい」
止める暇さえなかったんでしょばか!本当は無理やりにでも止めたかったけれどそんな事したら今頃エゴサなんて必要ないくらい大問題になってたんだから。
スマホにはミクリのエゴサの結果がありありと表示されている。そのどれもが昨日の配信のことを語っていた。その中のひとつに動画が添付されていて、本当はもう二度と聞きたくはないのだけれど確認しないのも怖くて意を決して再生した。
「やめてくれ」
震える声がすぐさま動画を停止する。
「本当にこれを私がやったというのか……」
その動画に映っているのがミクリ以外の誰に見えるんだ。これは間違いなくミクリが配信して大勢の人の前でタマザラシもとい彼女であるわたしを大好きだと語ったんだ。恥ずかしいのはわたしの方なのに、どうしてミクリがそんなにもショックを受けているの。
「次やる時は」
えっ、次?今もしかして次って言った?こんなにもダメージ受けてるはずなのにまさか次の話をしようとしてるの?
「タマザラシじゃなくてシャワーズにするよ」
あぁもう!だから誰もそんな話はしてないでしょばか!