洋菓子店店員夢主と夢主に会うために毎週通うミクリ
コトキタウンのポケモンセンターの近く、青い屋根が目印のそこは昔から地元の人間に親しまれている小さな洋菓子店だった。ここのケーキはどれも絶品で、太るのは困るけれどついつい廃棄されてしまうケーキをいつも持ち帰ってはその日のご褒美にと食べてしまう。 このお店の人気はケーキだけではなく、ポケモン用の焼き菓子も美味しいと有名だ。遠い所からわざわざ買いに来る人や、大量に注文する人も少なくない。一度でもここの焼き菓子を与えてしまうと他のお菓子は食べなくなってしまう、そんな事を言われた事だってある。 そんなポケモン用焼き菓子を陳列棚に並べているとドアに付けたベルがカランと鳴った。木曜日の午後、必ずやってくるお客さんだ。 振り返っていつものように「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶をする。するとテレビや雑誌で見かけるのとは違う、優しい笑顔が返ってくる。 「いつものクッキーですか」 「あぁ、そうだね」 いつも決まってこの時間にやってくるお客さん、それはルネのジムリーダーをしているミクリさんだ。きっと忙しいはずなのに毎週欠かさず買いに来るものだから、本人から頼まれたことは一度もないけれど店長指示でこっそりとミクリさん用にクッキーを取り置きしている。 「新作のスコーンもありますがどうですか」 店長の自信作なんですよ、そう言って陳列棚から可愛くラッピングされたスコーンをひとつ摘む。ミクリさんの目の前に差し出すと「どうしようかな」くすりと笑みを返された。 何か試されるような視線だった。ここはわたしのプレゼン能力が問われているのだと気が付く。 こほん、小さく咳払いして他のお客さんにも伝えた言葉をなぞってゆく。 「このままでも美味しく食べてくれますし、ドライフルーツにしたパイルのみがちょうど良い甘さで人が食べても満足できちゃいます」 わたしの言葉にミクリさんはうんうんと頷き、スコーンを一瞥するとわたしに微笑んだ。 「君のお勧めは間違いないからね、是非頂くとしよう」 ミクリさんは口もお上手だからいつもこんな風にわたしの気分を良くしてくれる。マフィンをお勧めした時も「君が勧めるものを断る理由はないよ」と言って買っていった。その時も今のようにしっかりと目を合わせて微笑むものだから、勘違いしないようにするのに苦労したものだ。 ミクリさんは丁寧な人だから深い意味はない、そう言い聞かせて赤くなる頬や上昇する体温をどうにか隠す。店長には秘密だよとウインクしてわたしにお店のケーキを買ってくれるのもよくある労いだと言い聞かせる。勘違いで舞い上がるなんて恥ずかしい事は絶対にできない。 「あぁそうだ、今日はケーキもいいかな」 会計をしようとレジスターに向かっていた足を止める。どうぞ、明るい声で返事をしてショーケースの前にミクリさんを案内する。といってもここは小さなお店だから少し体の向きを変えるだけだったけれど。 顎に手を当てケーキを一つずつ見ているだけなのにそれだけで様になっている。 腰を屈め下の段までじっくりと見ているから視線はいつもより低くなっていて、普段は見ることのない伏し目がちの瞳に視線が奪われた。まつ毛の隙間から見える瞳はエメラルドのような輝きを湛えていて、宝石の輝きで手元や胸元を飾りたくなる気持ちが少し分かった気がした。 暫くしてぼうっとしてる場合じゃないと慌てて足を動かす。ショーケースの裏に回りトレイとケーキトングを手に取った。 それまで静かにケーキを眺めていたミクリさんが見計らったように「注文いいかな」と微笑んだ。わたしの準備が出来るのを待ってくれていたのだろう、ミクリさんはいつも優しい。 「このチーズケーキとモモンのみのタルトを一つずつ」 てっきり、当然のようにジムトレーナーへの差し入れを買うものだとばかり思い込んでいたから、たった二つの注文に思考が止まってしまった。 けれどそれも一瞬のことで、ショーケースのガラス戸を開けると形を崩さないよう二つのケーキを取り出した。こんなに素敵な人に恋人がいない方がおかしいのに、そんな事でショックを受けるなんて勘違いも甚だしい。 チーズケーキは老若男女問わず人気のケーキで滅多に売れ残る事がない。綺麗なきつね色が食欲をそそり、一口食べるとあっという間にぺろりと食べ切ってしまう。見た目の派手さはないけれど、だからこそ今も昔も親しまれているのだろう。 一方モモンのみのタルトは女子の人気が高い商品だった。薄く切ったモモンのみで作られた花がタルトの中で綺麗に咲き誇っていて、食べても良し、見た目も良しと女性がこぞって買っていく。恋人に何を買えばよいか迷っている男性がいればこれを勧めることも多い。もちろん男性が自分のために買うこともあるけれど殆どは女性が買っていく。だから、きっとこれも。 「そのタルト、最後のひとつのようだし君に残した方がよかったかな」 その声に、ケーキボックスを組み立てる手を止める。何のこと、と顔を上げるとミクリさんと目が合った。どこか楽しそうな笑顔に見えるのはわたしの気のせいだろうか。 「何か他にお勧めがあればそちらにするよ」 どうやらミクリさんはわたしがタルトを狙っていたと勘違いしているようで。慌てて首を振ってそんなつもりはないと否定する。それなのにくすりと笑って「隠さなくてもいいのに」なんて信じてくれないからもう一度強く否定して、 「彼女さんに買うならこのタルトが絶対いいですから」 だからこのまま買ってください、勢いに任せてそんな事を口走っていた。 しまったと思った時には既に遅く、ミクリさんは目を見開いて驚いた顔を見せていた。わたしは慌てて視線を逸らし、うまく力の入らない手で何とかケーキボックスを組み立てケーキを詰める作業に戻った。 余計なことを言ってしまった、早く謝らないと。けれど何て言えばいいのか分からない。だって、彼女に買ったのなら謝るのもおかしな話なんだもの。 二つのケーキを慎重にボックスへ詰め込むと意を決して顔を上げた。床に視線を落とし何か考え込んでいるミクリさんが目に映る。何をしても絵になる人、つい声を掛けるのを躊躇ってしまう。 それでも震えそうになる声で名前を呼んだ。その後に言うことは決まっている。会計をしますね、また来週お待ちしています、その時に是非ケーキの感想も教えてください。 けれどそれらはどれも声にはならなかった。かち合った視線が声を喉の奥へと押しやった。 ミクリさんの瞳は困ったように笑っていて、ゆっくりとまつ毛が揺れて小さな息が零れる。そして「それはね、」わたしの抱えたケーキボックスを指さした。 「師匠と食べようと思って選んだんだよ」 見つめた先のミクリさんは綺麗な翡翠の瞳を細め、色も形も良い唇にゆるやかな弧を描いていた。 格好いいよりも綺麗よりも美しいの言葉が似合う顔が、普段なら多くのファンに向けられるその顔が、この瞬間はわたしだけを見つめていた。心臓が痛いほど煩く鳴り、息をする事さえ忘れていた。時間が止まったような感覚に陥る。 しかし脳がミクリさんの言葉を理解すると途端に時が動き出す。ごうごうと体に血が巡る音が体の中に響いた。盛大な勘違いに身体中が熱くなる。 すみません、反射的に謝罪の言葉を吐き出すと逃げるように視線を逸らし硬直していた体を無理やり動かしてレジスターへと向かった。それはたった数歩の移動だったけれどひどく遠くて険しい道のりに感じて、いっそ店長が厨房から顔を出してお会計を代わってくれたらいいのにと、叶いそうもないことを願ってしまう。 「お会計、しますね」 目を合わせないよう視線を下げていたらふっと影が落ちてきて、目の前にミクリさんが立っているのだと分かった。視線をそのままに、上げないように気を付けてレジに品物を打ち込んでゆく。 けれど流石に値段を伝える時は顔を上げないといけない。 「そもそも、」 視線を合わせないよう気を付けて顔を上げる。でもわたしの目は吸い寄せられるようにミクリさんの瞳を見つめていた。 「大切な人がいるなら此処へ足繁く通わないさ」 ミクリさんの翡翠の瞳は陽の光でキラキラと輝く海のようだった。その海に溺れたい、息が続く限りその海に抱かれていたい、わたしは向けられる真っ直ぐな視線に目も心も奪われていた。 それから後のことは曖昧だった。いつものように代金を受け取りお釣りを渡して、いつものように入り口の扉を開けてあの背中を見送った。ミクリさんの言葉の意味を咀嚼出来た時にはもうその姿は空に消えていて、来週なんて永遠に来なければいいのにと扉の前で崩れ落ちた。