↑new ↓old
(ミクリ) 「最近おじさまと〝仲良く〟してる?」 「んぐっ…」 最近ミナモに出来た、ガラルで有名なカフェのホウエン第一号店。ルチアちゃんに誘われて生クリームたっぷりのパンケーキを頬張っていたら神妙な顔をしたアイドルが首をこてんと傾け尋ねてきた。思わぬ言葉にふわふわのパンケーキが喉に詰まりそうになり、慌ててストローを咥えてアイスティーを吸い込む。ゴホゴホとむせながらもどうにかパンケーキを腹に収め、向かいのルチアちゃんへ視線を向けるとわたし以上に驚いて「だ、大丈夫?」と焦る瞳がこちらを向いていた。 「やっぱりケンカしてるのね? もしわたしに何か出来るなら何でも言ってね? お姉さまとおじさまにはいつでもラブラブでいてほしいから!」 うるうると震えるエメラルドグリーンの瞳がわたしとミクリさんとの仲を自分の事のように心配していた。その純粋な眼差しに、自分の勘違いが恥ずかしくなってつい視線を逸らしたら「えっ」と悲痛な声を上げられて。びっくりして視線を戻すといよいよ涙目になったルチアちゃんが「わたしが、」と思い詰めたような声を零した。 「わたしが、わたしが絶対におじさまと仲直り出来るようにするから! だから――」 「ち、違うの!」 暴走するルチアちゃんがこれ以上勘違いをしないように声を張り上げた。 「ちょっと照れただけだから。わたしはミクリさんとちゃんと、ちゃんと〝仲良く〟してるよ」 目の前のアイドルはコンテストだけでなく演技にも精通しているらしい。今にも零れそうな涙はどこに消えたのか、すっかり満面の笑みを浮かべて笑っている。 「そうなのね! ふふ、お姉さまとおじさまってちゃんと〝仲良し〟してるのね」 ああ、もう、やられた! このおませな少女は好奇心を満たすためにずるい言い方をして、見事に騙されてしまった。 楽しそうに口角を上げる少女は「じゃあこのイチゴ、お姉さまにあげる」と真っ赤なイチゴをフォークに突き刺してこちらへ向けた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ミクリ) 「この泥棒猫!」 目の前の女性がフィクションの中でしか見聞きする事がないと思っていたセリフを叫んだかと思ったらバシャッと何かを撒き散らされた。咄嗟に目を瞑って腕で顔を覆ったけれど彼女のグラスから撒き散らされたワインはわたしの顔を、ドレスを赤く汚して、おまけに空になったワイングラスまで投げつけられてガシャンと足元にガラスが飛び散った。 「アンタがいなかったら今ごろアタシが――!」 これだけしてもまだ足りないのか、興奮した彼女が怒鳴りながらわたしへ飛びかかってきた。訳が分からないわたしは目の前で女性が取り押さえられる様子を震えて見つめるしか出来なかった。 「怪我はないかい?」 汚れたドレスを覆うように、大きなジャケットが肩から掛けられる。わたしを睨んでいた瞳が現れた人物へ向けられ、悲痛そうに歪む。騒ぎに駆け付けてくれたミクリさんはわたしを背中に隠すと彼女へと声を掛けた。 「こんな事をしても私が君の好意に応える事はない。大事な友人に害をなす君を好きにはならない」 二人の間に何があったのか、はっきりとした事は分からないし、わたしは勝手に巻き込まれた被害者なんたろう。ただ、こんなに芝居めいた出来事の登場人物になったのだからせめてもう少し重要な役だったら良かった。 「友人、かぁ」 無意識に零れた言葉を隠すように口を閉じる。聞こえていたらどうしよう、心臓がどくどくと慌て始める。けれどどうやら周りの喧騒に紛れてミクリさんには届かなったらしい。話は終わったと振り返ったミクリさんは独り言を気にした素振りは見せず、改めてわたしの酷い状態を見て小さくため息を吐いた。 「着替えを用意しよう。こっちへおいで」 そう言われ、握られた手に従ってパーティ会場を後にする。このパーティはコンテストで活躍した人を讃える主旨で開かれているのに主役が出て行ってしまっていいんだろうか。そんな事を考えてさっきの出来事から気を紛らわせていたら突然ミクリさんの足が止まる。わっ、と慌てて立ち止まってミクリさんを窺うと唇で綺麗に弧を描いて微笑んでいた。 「この部屋好きに使っていいから汚れを落としておいで。その間に替えのドレスを用意しておこう」 ぼんやりしすぎていて何も見ていなかったけれど、いつの間にか会場のあるフロアから客室のあるフロアへ移動していたらしい。ミクリさんからルームキーを渡された。 「それから、」 部屋へ入ろうとした時、ミクリさんがわたしを引き止めた。ドアノブに手を掛けたまま振り返る。ミクリさんはまだ微笑んでいる。 「友人が嫌なら、何がいいんだい?」 力任せにドアを開けて部屋へと入った。背中でオートロックのドアがガチャリと鍵を閉める。顔には赤いワインはほとんど掛かっていないはずなのに、わたしの頬は赤く染まっていた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) 「どうやら、ボクはキミの事になると我慢が出来なくなるみたいだ」 眉を下げて困った顔を見せるダイゴさんが「ごめんね」と謝る。けれど言葉とは裏腹に強い力でベッドに縫い付けた腕を離す気配も、馬乗りになった体を起こす素振りも見せない。 「でもキミにも原因はあるんだよ」 ダイゴさんはぎゅうっと掴んでいた腕から力を抜いて、肌に指を沿わせるとわたしの手にするりと指を絡めた。 「いつも今日こそキミから誘ってもらおうって思うのに、キミが可愛すぎるから待ってられなくなる」 固く繋いだ手が熱い。降り注ぐ眼差しから劣情が零れ落ちてくる。思わず、頬が緩んだ。 「そんな風に笑ってられるのも今のうちだよ」 そう言って、ダイゴさんはぐっと顔を近づけてわたしの唇を奪う。夜はまだ始まったばかりだった。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) 「こんなところで奇遇だね」 今週のご褒美にと缶チューハイへ伸ばした手が止まる。まさかこの声は。振り返るとそこにはもちろんダイゴくんが立っていた。今日は会う約束をしてないのに、どうして近所のコンビニになんかに。 「疲れている時に頼るのがボクじゃなくてコレなのは面白くないな」 いつも爽やかな笑顔を振りまく整った顔が、お手本のように眉をひそめてわたしを軽く睨みつける。絵に描いたような拗ねた顔だった。それでもわたしの動かなくなった手の代わりに缶チューハイを掴んでカゴに落とすのだから、本当に不満を感じているわけじゃないんだろう。わたしがそんな風に拗ねたり甘えるダイゴくんに弱いからそういう態度を取るのだ。 「ボクはこれにしようかな。カゲツが意外とイケるって言ってたんだ」 そう言ってもう一本缶チューハイを取ってわたしの手からカゴを取り上げた。スナック菓子やチョコレート、ナッツ類とチーズといった酒のつまみがどっしり入ったカゴを見て、ダイゴくんはドキリとする笑顔をまた歪ませる。 「キミ、本当にボクを呼ぶつもりはないんだね」 咎めるような視線を向けられたかと思うと、ダイゴくんはスタスタと歩き出して隣の列へ向かう。そこにはもう買う物ないんだけど、そう声を掛けたら「キミのそういうところ、ボクは好きじゃないよ」と冷ややかな視線が返ってきた。ダイゴくんの好きなスナックを買ってないだけで大袈裟すぎやしないだろうか。 「あのねダイゴくん、」 カゴを持つ方の腕をくいと引っ張る。ダイゴくんは振り返らずに目当てのスナックを探している。 「家にあるから」 わたしの言葉はちょうどダイゴくんがスナックに手を伸ばすのと同時で、その瞬間、今までの不機嫌が吹き飛びキラキラ輝きに満ちた笑顔がわたしを振り返った。 「それってつまり、どういう事かな」 分かっているくせにわたしの口から言わせたがるダイゴくんは、スナックを掴み損ねた手をわたしへ向けて指を絡ませる。そしてわたしより高い背を少し屈ませ目線を下げるとわたしを見上げるように顔を覗き込んで口角を上げた。視線を逸らしても、顔を背けて離れない視線がずっとわたしを見つめていて逃げられない。 「ダ、」 「だ?」 「ダ、ダイゴくんがいつ来てもいいように」 用意してるの。白状させられた言葉は徐々に音を小さくしていき、最後の方はダイゴくんに届いたかどうかも怪しい。でもそんな心配は杞憂に終わって、ダイゴくんは絡めた指をぎゅっと握ると少し軽くなった足をレジへと向けた。 「キミのそういうところ、ボクは嫌いじゃないよ」 カゴの中で缶チューハイが揺れる。それはダイゴくんの瞳と同じ澄んだ青色をしていた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) 「それは駄目」 危ない事ではない限り否定しないダイゴくんが強い語調でそう言った。てっきり賛成してくれると思ったから驚いていたら、焦ったような気まずそうな顔が何かを言おうと口を中途半端に開いて少し無言になって、「ごめん、やっぱり駄目」と項垂れた。 「ダイゴくん、コンテスト嫌いだっけ?」 だから私の出てみたいって言葉に強く否定したのかしら。首を傾げてそんな事を言ってたかなと記憶を辿っていると、のろのろと顔を上げたダイゴくんが「そんな事ないよ」ふるふると首を振った。 「キミの事は全て応援したいと思ってるんだ。でもコンテストに出たら絶対にファンがつくじゃないか」 そんなに簡単にファンになってくれる人なんていないと思うんだけど、まったくのゼロということもないだろうから小さく頷く。ダイゴくんは珍しく視線を逸らして、ほんのり頬を赤く染めて今にも消えそうな声で言葉を続けた。 「……たらいい」 上手く聞き取れなくて首を傾げたらもう一度、今度はもう少し大きな声を出してくれた。 「キミが可愛くて素敵な女性だって事はボクだけが知ってたらいい」 だから、これだけは駄目。そう言って私を抱きしめたダイゴくんは何だか少し体が熱くて、彼にしては珍しい可愛げな嫉妬に「じゃあ出ない」と返して背中へ腕を回した。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) 付けっぱなしのテレビからワルツが流れてきた。何のCMだろうか、ミクリさんが最近人気の女優と踊っている。指の先まで優雅に包まれたその姿に思わず惚けた溜め息が零れ落ちる。本当にミクリさんは何をしてもさまになっている。 「そういえば、」 プツン、テレビを消してダイゴさんがわたしに視線を向ける。心なしか不機嫌そうな顔に見えなくもない。 「今度顔を出さなくちゃならないパーティがダンスパーティでね」 わたしの手を取って、その青く透き通った瞳でまっすぐにわたしを射抜く。清らかな水を閉じ込めたような瞳に怪訝そうな顔のわたしが映り込んでいた。 「練習しておきたいんだ。お相手お願いできるかな」 手を取って少し首を傾げて、わたしの返事も待たずにダイゴさんが立ち上がる。その瞳は色よい返事しか受け入れないと語っている。踊れないと断ろうとしても「大丈夫、ボクに任せて」と腰に腕を回す。 「ほら、ね?」 抱き合うほど近くなる距離に、瞳の中のわたしが頬を赤らめる。その熱が涼やかな瞳に伝わり、陶器のような肌もほんのりと色付いて組んだ手の平が熱くなる。 「今度はちゃんとドレスを着て踊ろうね」 ダイゴさんが、たどたどしい足取りでステップを踏むわたしに微笑む。きっと断っても逃がしてくれない。わたしを見つめる瞳はさっき見たミクリさんよりも艶やかでギラギラと輝いていた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ミクリ) 「おや、君は」 なぜだかそれが自分へ向けられた言葉だと気が付いて、フラフラした足を止め声のした方を見ればエメラルドグリーンの瞳と目が合った。 「こんなところで君達に会うなんてね」 絶えず微笑みを湛えてグラスに口を付けるのはミクリさん。隣にはトウカシティのセンリさんにムロタウンのトウキさんがいる。二人とも程よく頬が色付いていて、普段見掛けるピリリとした空気は今は鳴りを潜めていた。 よくあるチェーン店の居酒屋で、まさかミクリさんに会うとは夢にも思っていなかった。ジムを出る時にミクリさんも今日は飲むのだとは聞いていたけれど、もっと高級なバーだと思っていた。こんな庶民的な場所で、しかも出くわして、一緒に飲むなんて、数時間前の自分はどうすれば予想出来ただろう。 「それに、もう帰る所だったのに引き止めてしまったね」 申し訳なかった、とミクリさんが頭を下げた。慌ててそんな事ないと首を振り、一緒に飲んでいた友人の方を見る。どちらも楽しく飲んでいて帰りたい素振りは全く見せない。ここのお酒は弱いと文句を言って店を変えようとしていたくせに、調子良く「酔っちゃった」なんて言ってトウキさんたちに言い寄っている。謝るのはこっちの方だ。 「けれど、幸運の女神には前髪しかないと言うじゃないか」 頭を上げたミクリさんは変わらず微笑んでいた。どういう事だろう、酔いの回った頭でミクリさんの言葉の意味を考える。この席に座ってからわたしはミクリさんとしか話していない。ミクリさんもわたしの友人とは最初に挨拶を交わしただけで、それ以降はずっとわたしと話している。端の席に座らされたわたしの正面にはセンリさんがいるけど、センリさんは時々こっちに視線を向けるだけで会話には入ってこない。わたしはずっと、ミクリさんとだけ会話していた。 「この後、二人で飲み直さないかい」 女神には後ろ髪がない。わたしの返事は決まっていた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) 最近、ダイゴさんの視線がやけに冷たい。怒ったような、悲しんでいるような、諦めたような、おそらくダイゴさん本人も持て余した感情が視線から漏れ出しているんだろう。わたしが声を掛けるとはっとしていつものように笑うから、ダイゴさんには珍しく、自分の感情をうまく手懐けられていないこともすぐに分かった。 「沢山あるから、焦らなくていいからね」 張り切って作ってきた特製ポロックをダイゴさんのポケモン達へ振る舞う。それぞれの好みに合わせて作ってきたからきっとみんな喜んでくれるに違いない。好みを調べるのにずいぶん手間と時間が掛かったけれど、そのお陰で仲良くもなれた。もう最初の頃のように怖がってダイゴさんの傍で縮こまることもない。 「そんな事まで出来るようになったんだ……」 ダイゴさんの言うそんな事、というのはわたしの手からポロックを食べるということだろうか。メタグロスがポロックを咀嚼しながら赤い目をダイゴさんへ向ける。わたしもそれにならってダイゴさんを見た。 「ボクのこと放ったらかして」 怒ったような顔がわたし達を見ていた。 「ダイゴさん?」 目が合って、ダイゴさんが慌てて口を塞ぐ。ダイゴさんも今の無意識の言葉で気付いたんだろう、最近の不機嫌の理由に。その証拠に手で覆いきれず露になってる頬はみるみる赤く染まっていき、それは耳まで伝わっている。 「あの、ダイゴさんにもクッキーありますよ」 あーんってしてあげましょうか? 普段なら絶対に恥ずかしくて言えない提案も、肌を真っ赤にして項垂れるダイゴさん相手なら簡単に口に出来てしまった。 逸らされた瞳がそろそろとこちらに向けられ、 「その言葉、後で後悔しても知らないから」精一杯の強がりを見せられて。わたしは自分のポケモンにまでヤキモチを焼くダイゴさんへふにゃりと緩む頬で微笑んだ。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) 「あっ、」 デスクに着いてカバンを開けるなり大失態に気が付いた。会議に必要な書類が入っていない。さあっと顔から血の気が引くの感じながら必死に記憶を辿ってゆく。そうだ、カバンに入れようと思ってすっかり忘れていたんだ。どうしよう、始業時間まであと5分、取りに帰るにはあまりにも短い時間だ。 大失態に周りが見えていなかったわたしは、だからフロアに起こるざわつきに気が付かなかった。もっとも、気付いたところで気にもしなかったけれど。 突如、ぽん、と肩を叩かれる。びくりと体が跳ねて振り返ると忘れたはずの書類を差し出された。 「はい、玄関に忘れてたよ」 いつもの調子でダイゴが言う。わたしはお礼を言おうと口を開いて、彼の後ろで好奇に満ちた沢山の瞳を見付けて更に顔を青くする。 「ん、顔色が良くないね。今日は早く帰っておいでよ」 じゃあね、とひらひら手を振るダイゴがフロアから出て行ってしまう。始業時間まであと5分、同僚の質問攻めから逃げ切るにはあまりにも長い時間だった。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) そんなつもりはなかったのに。わたしはその瞬間自分に起きた変化に“それ”を認めざるをえなかった。 憧れのデボンコーポレーションの入社式、奮発して買ったスーツは社会人一日目のわたしにはずいぶんと不釣り合いだった。着心地の悪さにそわそわしながら入社式に参加すれば緊張も相まって胃がキリキリと痛んできて。ツワブキ社長の挨拶はとても気さくで会場の空気がうっすらと和やかに染まっているのにわたしの心には厚い雲が掛かっている。この後も何人かの話が続いてその後さらに懇親会まである。ますます気が重くなった。 けれどわたしは次に出てきた人物に目を奪われ、全ての体調不良を忘れ、どくんと大きく鳴る心臓に身体が熱を帯びた。 祝辞のために壇上に立った人物は照明に銀髪を煌めかせ、よく通るはっきりとした声で祝辞を述べていく。胸元に着けているピンは社章かと思ったら違うようで、虹色に光る綺麗な宝石だった。着ているスーツは彼によく似合っていて、わたしなんかとは大違いで恥ずかしさすら感じる。自分とさほど歳の変わらない、おそらく2、3歳年上のその人は髪と同じ色の瞳で新入社員を見渡して綺麗な笑みを浮かべた。わたしは面食いでもなければ男探しのために就職した訳でもない。それでも、陶器のような頬がじんわりと暖色に染まり、きらりと光る瞳で射抜かれては堪らない。わたしは壇上の彼にあっという間に惹かれていた。 この人は一体どこの部署の何という方なんだろう。大きな大きな企業だけれど必死に働いて成果を上げれば彼と出会える日が来るのだろうか。 そんな事を考えていると、夜空に輝くどの星よりも輝くアイスブルーの瞳がわたしを射抜いて。 「――なんて、偉そうなことを言いましたがボクもまだまだ若輩者です。皆さんに負けないよう頑張ります」 ふっ、と見せた笑みは今までの綺麗な笑みとは違って挑発めいた光を灯していて、言葉の謙虚さとは裏腹に自信に満ち溢れている。心臓がとびきり跳ねる。 ああ、これは、そんなつもりはなかったのに。わたしはその瞬間自分に起きた変化に“恋”を認めざるをえなかった。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ミクリ) 想いを伝える言葉は甘美に溢れて幸せな気持ちにさせてくれるのに、いざそれを口にしようとすると途端に苦くなる。今もその言葉を口内で転がしては、舌先に感じる苦味にきゅっと口を閉じる。 「寝るならベッドを貸すから」 まだ目は閉じないで。ミクリの柔らかな声が身体に沁みる。 大きなテレビにはわたしの選んだ映画が映っていて、テレビの前のローテーブルには二つのグラスとナッツを入れた皿が置いてある。グラスはどちらもほとんど空で、傍にあるワインボトルもコルクを開ける前と比べて随分軽くなっている。 わたしが急に黙り込んだから、ミクリは酔いが回って今にも寝落ちすると思ったんだろう。多くの女性を虜にする端麗な顔立ちが、息遣いを感じられるほど近付いてわたしの顔を覗き込む。夏の青々とした木々を思い出す瞳が、不機嫌そうにも見えるわたしの顔を映していた。 「好きなの」 僅かに見開くミクリの瞳は、すぐにいつもの眼差しへと戻る。そして「それは良かった、このワイン、私も気に入ってるんだ」テーブルのワインへと逸らされる。 つい先程までワインが美味しいと話していた。だからミクリは今の告白をワインに対するものだと思ったんだろう。だって今の今までワインの話をしていたのだから。 いいや、そんなはずはない。ミクリなら、今の言葉の宛先を間違えるはずがない。つまり。それでも。 「ミクリ、わたし、」 あとほんの少し、わたしに勇気や覚悟があったなら。乾いた喉に苦味を押し込んで口を開く。 「わたし、」 「それ以上言っても、今は酔っぱらいの戯言にしか聞こえないよ」 押し出そうとした言葉が虚しく宙に消える。ゆるやかなカーブを描いて拒絶される告白と、口の中に広がる苦味で歪んだ顔は戻らない。 でも、今の言葉は一体。答えを求めるようにミクリの瞳を追う。 「君との思い出はすべて美しくありたいから、ちゃんと準備をしておいで」 そう言って、赤くなったわたしの頬にじんわりと熱くなった手を添える。 「ミ、クリ」 「もう寝た方がいい、ベッドを貸すよ」 ミクリは立ち上がり、頬を撫でる手も離れてゆく。 目の前に見える大きな背中、そこへ頬を寄せるのはまだ遠く、けれど舌先の苦味が消えたなら、幸福の味を噛み締めながら肌を寄せよう。 きっとそれは、そう遠い日のことではない。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) 何が起こったんだろう、突如反転した世界に頭が真っ白になる。必要最低限の家具しかないダイゴくんの家で、わたしはいつものようにベッドの縁に腰掛けていた。隣ではダイゴくんがつい先日採ってきたというめざめいしを手のひらで転がしていて。綺麗な色だなあと眺めていたらあることが気になって「ダイゴくん」と声を掛けたのだ。 「また爪の中に土が入ってる、せっかく綺麗な指なのにもったいない」 手を掴んでダイゴくんの目の前に持ち上げる。ほら、と顔をしかめ、そして、気づいたらわたしの体はベッドへと倒れ込んでいた。 「君はいつも自分勝手に飛び越えてくる」 わたしに覆い被さるダイゴくんの表情は影になっていてよく見えない。声色はいつもと変わらないダイゴくんで、しかしわたしの手首を押さえつける掌はひどく力んでいる。痛くはないけれど逃れることは出来ないと思わせる拘束だった。 わたしも馬鹿じゃないから自分の身に起こっていることは分かっている。でも、どうにも頭が理解を拒否している。だって相手はダイゴくんだから。バトルや石が好きで、恋愛なんて興味無い態度を貫いていたダイゴくんが、まさかわたしを押し倒すなんて、そんなの有り得ない。 「どうして君はボクなら平気だと思ったんだい? ボクは君よりも大きくて力もあるのに」 首を傾げたことで窓から差し込む陽光が頬に当たる。いつも笑顔のダイゴくんが悲しげな顔で笑っている。綺麗な顔だと思った。心が大きく揺れた人間特有の、こちらにまで伝播してくる強い感情がわたしの心を揺さぶってくる。 「このまま君に酷い事だって出来るのに、それでも君は」 言葉が途切れ、わたしを見下ろしていた瞳がゆっくりと閉じられる。ダイゴくんの泣いているところは一度も見たことはない。でもきっと今わたしが見上げているその顔が涙を流すときに見せるそれなんだろう。ぎゅっ、と胸が痛くなる。 閉じた時と同じようにゆっくりと瞼が上がり、アイスブルーの瞳が明かりにきらりと瞬く。零れ落ちそう、思わず拭い取ろうと手を動かして拘束されていたことを思い出す。ダイゴくんの視線がゆるりと手首へと動き、「ごめんね」と静かに解いた。 「これでも意識してくれないなんて、本当に君は嫌な相手だよ」 体を起こして深々と吐き出された息は案外重さを感じなくて、何かの冗談だったのかもしれないと再び頭が動かなくなる。そんなわたしにダイゴくんはもうひとつ小さな溜め息を吐いた。 「負けっぱなしは性にあわないんだ、必ず君には恋に落ちてもらうよ」 わたしに向けられた笑顔はいつもと同じはずなのに、何故か心臓が煩く鳴った。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) 新しい壁掛けカレンダーに予定を書き込んでいく。仕事の予定や細かな日常の予定、それから友人の誕生日などの私的な予定、それらを日付を間違えないよう注意して書き込む。そうやって順にカレンダーを捲っていくとある日付で手が止まる。 「そこにも印付けてよ」 わたしの作業を正面に座って大人しく見ていたダイゴがその日付を指さして上目がちにこちらを見つめてくる。 「ボクと君の大切な日だから」 いつもの爽やかなそれとは違う、ふにゃりとした笑みを零してダイゴが言う。そんな顔、ズルいじゃない。わたしは恥ずかしくて何も書けなかったその日付に小さな丸を付けた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (ダイゴ) 君はボクをそう呼んで年下扱いをする。ボクより少し早く生まれたからってお姉さんぶっているんだ。そんなのが罷り通るのは子供の間だけだというのに、彼女はいつまで経っても君の後ろにボクがついてくると信じて疑っていない。ボクはもう君の隣を、君の前を歩いてその手を引くことだって容易いというのに。 「だってダイゴ君はずっとダイゴ君でしょ」 そうは言うけれどボクらは初めて会った時よりもうんと大人になっている。背は君よりも高くなって力も付いた。ポケモンだってボクに適うトレーナーなんて見当たらない。それでも。 「そんな風にフラフラしてるからいつまで経っても彼女の一人も出来ないんだよ」 それでも、君がボクを真っ直ぐに見つめて笑うと駄目なんだ。ボクはいつまで経っても君に手を引かれ背中を追うちっぽけな子供になってしまう。