相手を想って身を引こうとするワタルに決めつけないでと怒る夢主
――きみにはもっと相応しい相手がいるよ。 伏せた瞳をまだほんのり湯気の立つ紅茶に落としたワタルさんが言った。 本格的な寒さに分厚いコートを着込むようになった冬の初め、コガネシティにある少し寂れた喫茶店の奥の席に座った私達はその瞬間まで穏やかな口調で近況を伝え合いこの小さな幸せを噛み締めていた……はずだった。 私はチーズケーキを食べる手を止め顔を上げる。大事な事はいつだって相手の目を見て話すワタルさんが、俯いたままカップの持ち手を摘んでいた。飲もうとして、私の視線に気付いてためらっているように見える。 私は声を荒らげそうになるのをぐっと堪えて「どういうこと?」と聞き返す。反射的に怒りそうになった時の対処法はワタルさんから聞いたことがあって、その教えを実践したらたしかに今はまだ怒らずにいられている。 「きみを幸せにするのはおれじゃない」 のろのろと視線を上げて、ワタルさんが私を見た。強い芯を持った瞳が、この時ばかりは揺れているように見える。何にも染まらないはずの黒が何だかひどく頼りない。 なるほど、そうきたか。私はふつふつと湧き上がる感情を6秒数えながら押さえ付ける。押さえ付けようとした。 「私、ワタルさんに幸せにしてもらおうなんて一度も考えた事ありませんけど」 たった6秒如きで抑えられるほど、私のワタルさんへの思いは弱くない。煮えたぎるマグマが噴火するように、私の感情がその言葉をきっかけに一気に爆発する。 「どうせまたその辺りのラブラブカップル見て『ああいうのが幸せだ!』とか思い込んで勝手に一人で自己完結してるんでしょうけど、いつ、どこで、私が理想の幸せがあれだとかこういう幸せが良いとか言いました?私はワタルさんの隣に居れるならそれで充分幸せなんですけど」 喋り始めると、勝手に私の幸せを決め付けるワタルさんにどんどん腹が立ってくる。言葉が止まらない。 私の勢いに驚いたのかそれとも気後れしたのか、ワタルさんが「だが、」珍しく言い淀む。いつもの漢気は一体どこに隠れてしまったんだろう。その頼りない姿にますます苛立って、興奮した私は勢いのまま責めそうになる。拳をぎゅっと握ることで何とか堪えたけれど、ワタルさんの次の言葉次第ではその我慢も無に帰すだろう。 「だが、価値観の相違はどうしようもない」 「はい?」 「きみとおれとじゃ価値観が違いすぎる。おれの隣できみは幸せにはなれないよ」 何を言ってるんだ。手の平に食い込む爪の痛みでどうにか耐えているけど今にも大声で否定したくなる。口を開くのは6秒数えてから、我慢がまん、がまん…… 「何を今さらな事を言うんですか。確かに恋人なのにこっそりしか会えないのは寂しいしワタルさんの彼女ですって言えないのはちょっと嫌ですけどワタルさんの気持ちも分かるから納得出来てるんです。それを今になって…、ちょっと表出て下さいよ、私のポケモンで頭冷やしてあげますから」 ……出来るはずがなかった。 「分かった、分かったよ。この話はもうやめよう。おれが不用意だった。きみを怒らせるつもりはないんだ」 ワタルさんはこうも簡単に折れる人じゃない。それがこの手の話題に限っては謝る言葉こそ使わないけれど私の言い分を通す事が多い。きっとワタルさん自身も自分の言葉が正しいと言い切れないんだ。その癖こうやって時々暴走するんだから、本当にこの人は。 「怒らせてる自覚があるならもう勝手に色々決め付けないでください。次やったらコガネのラジオ塔行ってワタルさんの彼女は私だって放送しますからね」 ワタルさんをギロリと睨み付ける。でもこれくらい怒った姿を見せとかなきゃ、きっとまた暴走する。それなのにワタルさんときたら、 「それは参ったな」 困ったように眉を下げ頬を掻いて照れたように笑っている。 「だったらきみも純白のドレスが着たかったとか新婚旅行に行きたかったって数十年後に文句を言うのはよしてくれよ」 「そんなの言うわけ……えっ、あの、えっ?」 何だって? 今何だかとんでもない、有り得ない言葉が聞こえた気がして妙に心臓の鼓動が速くなる。 瞬きの多くなった瞳でワタルさんを見る。カップに残った紅茶を飲み干したワタルさんが静かに笑みを浮かべていた。