32℃で甘やかして

チョコレートを贈りたいのに当のチリがバレンタインを嫌がっている素振りを見せてモヤモヤする夢主

 最近チリちゃんの顔色が良くない。テンションも低くて近近寄り難いオーラまで出ている。どうしたんだろう、思い切って訊ねてみたら仏頂面をより険しくしてチリちゃんが深々とため息を吐いた。

「今年もバレンタインで大量にチョコ貰うんやで? 今からゾッとして顔も険しくなるやろ」

 苦虫を噛み潰したような、ひどくうんざりした顔だった。
 自分でも美人を自称するチリちゃんは毎年沢山のチョコレートを貰っている。去年、偶然にも顔を真っ赤にした女の子がチリちゃんにチョコを渡しているのを目撃したけれど、あの時のチリちゃんはうっすらと微笑みを浮かべてこっそり覗き見しているわたしまでドキドキしてしまった。

「チリちゃん、甘いのそんな好きちゃうもん」

 だったら期待させるような笑顔で受け取らなきゃいいのに。去年のあの子はきっと今年もチリちゃんにチョコを渡しに来るだろう。好きな相手がこんなにも迷惑がっているとも知らず。
 責めるようにそう言うとしかし「子供に夢見したるのも大人の仕事やからなあ」と大きなため息が返ってきた。告白されるならまだしも、チョコを渡されるだけなら受け取ってあげるのが大人の対応、ということらしい。確かに相手の気持ちを尊重するのは大事かもしれない。チリちゃんの言いたいことが何となく分かった。

「でもなぁ……」

 がっくりと肩を落とし項垂れる姿に少し同情する。けれど同時にわたしは窮地に立たされていた。
 どうしよう。わたしもチョコレートを準備しちゃっている。恋人のチリちゃんがこんなにバレンタインに頭を抱えてるなんて知らずに、毎日楽しく悩んでバレンタインを心待ちにしている。
 でもこの様子だとチョコレートは渡さない方がいいのかもしれない。わたしのチョコと名前も知らない少女のチョコは全く意味合いが違うけれど、チョコはチョコなのだ。無理して食べさせるような事はしたくない……わたしが恋人なのに、チリちゃんが絶対に受け取るべきチョコなのに。

「ほんま今から憂鬱や……」

 チリちゃんがもう一度ため息を零す。わたしはモヤモヤを抱えたまま「頑張って」と言葉だけの応援をした。



 そうして迎えたバレンタイン、案の定沢山のチョコレートを受け取ったチリちゃんは「人気者は困るなあ」なはは、と笑い声こそ上げていたけど目はちっとも笑っていなかった。チリちゃんの機嫌によっては渡せるかも、と僅かに期待していたけどこれでは渡せそうにない。
 その後も何度か様子を伺ったけれどやはり渡せそうな雰囲気は感じられず、午後の業務が半分ほと過ぎた頃にはすっかり諦めチョコレートの事もチリちゃんの事も考えずにひたすら仕事に励んだ。


「{{kanaName}}頑張りすぎ。ほら、帰るで」

 無心に業務をこなしていたら、突然ぽんと肩を叩かれた。わっ、と驚いて顔を上げるとチリちゃんが眉を顰めている。時計を見るととっくに定時は過ぎていた。

「でももうちょっとで終わるからチリちゃんは先に」
「あかん、今日はもう終いや」

 じとりと責めるような視線が痛い。受け止めきれず視線を逸らす。
 チリちゃんが怒っている理由に思い当たる節がありすぎた。格好つけてチョコを受け取るチリちゃんにモヤモヤして今日一日ずっと避けていたせいだ。何も知らないポピーちゃんにまで「チリちゃんとケンカしましたの?」と心配されたから、わたしの態度は相当不自然だったんだろう。
 でもだからって手首を掴んで睨みつけるのはどうなんだろう。ぎゅっと捕まえられた手首に視線を落とす。先に無視した自分が悪いのは分かっているけど、強引なチリちゃんにムッとしてしまう。

「ほな仕事終わるまで待つわ」

 ぱっと手が離れたと思ったら、チリちゃんが隣のデスクから椅子を引っ張り出してどかりと座った。長い足を組み、肘掛に頬杖をついて、赤い瞳でじっとわたしの姿を見据えている。じゃあ遠慮なく、と手を動かすけれど視線が気になるし気が散って作業も進まない。わたしは諦めて作業中のデータを保存して閉じた。チリちゃんがふうと息を吐いた。


 チリちゃんと並んで建物を出る。ずっと無視をしていたせいで何だか気まずく何の言葉も出てこない。チリちゃんも普段は案外無口な方だから、わたし達はどちらも口を閉じたまま足だけを動かしていた。けれどしばらくしてチリちゃんが口を開く。

「{{kanaName}}は今日チョコレート貰ったん?」
「……チリちゃんと違って貰わないよ」

 そう、わたしはモテモテのチリちゃんと違ってチョコレートを貰うあてなどない。チリちゃんも分かってるくせにわざわざ聞くなんて意地が悪い。つい返事がツンツンしてしまう。それなのにチリちゃんは揶揄いたいのか、わたしの顔を覗き込んでこの話題を続けようとする。

「ふぅん、貰わんでええんや?」
「貰う、って一体誰に……」

ムッとして強い語調で言い返してハッとする。目が合ったチリちゃんは一瞬視線を下に落とし、すぐに向き直って小さく笑った。

「口に合ったらいいんやけど」

 チリちゃんがはにかんで、目の前に紙袋が現れる。有名ショコラティエのロゴが印刷された紙袋だった。
 チリちゃんはバレンタインにうんざりしてて興味もなさそうだったから、自分が渡すことばかり考えていた。でも考えてみればチリちゃんも贈る側で、わたしは貰う側でもあって。わたしは跳ねる心臓を抑えながら手を伸ばした。けれどその瞬間、紙袋がひょいと持ち上げられる。

「ちょっと、チリちゃ」
「先に約束して」
「約束って…、何、を」
「チリちゃんにもチョコレート渡すって、約束して」

 今日一日ずっと待ってたんやで。じっと見つめる真紅の瞳は辺りの街灯の光を受けてまるで夜空の星のように見えた。わたしだけに煌めく赤い瞳が数度瞬く。何かか言いたげな瞳に、今日一日チリちゃんが不機嫌だった理由の一つが自分にあったのだと気付く。わたしは意地やら恥、それに照れなど色んな感情でパンクしそうな胸にいっぱいになりながら首を縦に振った。

「じゃあこれ、食べる時はチリちゃんのこと思い出してや」

 差し出された紙袋を受け取る。チリちゃんがどんな顔でどれだけチョコレートを受け取ったかなんて、もうどうでも良くなっていた。