仲良しの後輩が声を掛けてきた女子学生に冷たい態度を取ったから思わず窘める。 ※チリ(→→→)夢主な関係で、この話の中で告白や明確なアプローチはありません。
「面倒くさ」 はああ、と呻くようにため息を吐いたチリは垂れる前髪を左手で抑えながら大きく口を開けてサンドウィッチを頬張った。 チリは学生時代の後輩だ。平凡なわたしと違ってあのポケモンリーグで四天王を務める自慢の後輩なんだけど、彼女の口調と態度にそれらしい威厳はあまり感じられない。 それは萎縮されたくないチリの気遣いで、そのお陰で卒業後も昔と変わらず仲良くさせてもらっている。けれど時々放つ凛とした空気は強者の風格を携えていて、それが自分の事のように自慢に思う。 そんな万華鏡のように一瞬にして変わりゆくチリの雰囲気に虜になってしまう人は数多く、アカデミーの宝探しの時期にもなると毒牙のような魅力に引きずり込まれる若者は後を絶たない。何とも罪な女性、それがチリだ。 広場のベンチに二人並んで腰掛け、チリが持ってきたサンドウィッチを食べる午後はのんびりと過ぎてゆく。「チリちゃん特製サンドウィッチ、ちょっとグレードアップしたってん」と自信満々に渡されたサンドウィッチは確かに美味しくて、一人で食べるのは大変かと思っていたのにもう半分を食べてしまっていた。自分でも時々作るけれどこんなにも美味しい事は滅多にない。 何か特別な材料でも入っているんだろうか、尋ねてみても「強いて言うならチリちゃんの愛情やな」とはぐらかされてしまう。今度チリの家にお邪魔した時にキッチンを覗いてみよう。何か見つかるかもしれない。 目の前のバトルコートではアカデミーの生徒が真剣にポケモン勝負を行っている。わたし達含む勝負の行く末を見守るギャラリーには一切関心を寄せず、ひたすら目の前のライバルを打ち倒さんと必死に勝負をしている。その姿にかつてのチリを思い出す。 彼女は学生時代からポケモンの腕に秀でていて、上級生も赤子の手をひねるように簡単に倒してしまった事が何度もあった。仲の良い後輩が強いトレーナーとして学内で有名なのは誇らしく、チリちゃんはすごいねと可愛がっていたものだ。 もっとも、チリは数年の年の差しかないわたしに子ども扱いされるのは嫌だったようで、ある日突然険しい顔をして「チリって呼んで」と頼まれた。曰く、ちゃん付けで頭を撫でられるのは自分のキャラに合わないから嫌なんだとか。じゃあ撫でるのをやめさせればいいのにと思った。けれど肩にもたれ掛かる彼女は今も変わらず頭を撫でて欲しそうだったから、この件について言及する事は今後もない。 「ねえ、チリはどっちが──」 「あの! チリさん!」 突然大きな声がして驚いていると、ポケモン勝負を見るチリの視界を塞ぐように女の子が立っていた。少年達と同じアカデミーの制服を着た少女は、つい先程までコートの反対側で勝負を観戦していた一人だった。チリが食べかけのサンドウィッチを置いて「どうしたんかな」感情を抑えた声で返事をした。見つめられた少女の頬が赤くなり、第一声の勢いが途端に萎んでゆく。 「何、やろか」 少女の後ろで勝負はクライマックスを迎えている。チリの興味は明らかに後者だから、少女を促す声が僅かにぴりりとしている。笑ってないチリは時々ひどく恐ろしい。その赤い眼光で睨めつけられると付き合いの長いわたしでも怯んでしまう。けれどその少女は視線の意味を考えるよりも見つめられている事実に夢中で頬を真っ赤に染めていた。 「わ、わたしっ! また挑戦するのでっ、よ…、よろしくお願いします!」 少女は開いた本を閉じるように勢いよく頭を下げ、その勢いのまま体を起こすとキラキラした瞳でチリを見つめ、そのまま走り去ってしまった。コート上ではウェルカモがニャローテの猛攻に耐えきれず地面に倒れて目を回していた。勝負は右側の少年の勝ちだった。 チリに視線を移す。眉間にしわを寄せてぶすっとしている。「何やおもろそうなん始まるで」と最初から見ていた勝負が最後の最後で邪魔されたのだから当然だろう。災難だったねと声を掛けたら八つ当たりのように睨まれた。 「何なんやろな、ほんま」 サンドウィッチを狙って集まり始めたヤヤコマを手で追い払ってチリが食事を再開する。よく見るとわたしの食べているのと具材が少し違うようだ。今食べているのも美味しいけど、味が違うなら選ばせてくれてもよかったのに。気付いてしまったら味が気になってきた。 「面倒くさ」 はああ、と呻くようにため息を吐いたチリは垂れる前髪を左手で抑えながら大きく口を開けてサンドウィッチを頬張った。うまく噛みきれなかったトマトがサンドウィッチから引き抜かれチリの口の中へ収まる。唇に滴った果汁をペロリと舐め取り、ようやくわたしの視線に気付いて「何なん」と眉をひそめた。 「チリのも一口欲しいなあ、って」 「ほんま自分……。かわいー後輩がため息吐いてんねんからちょっとは心配しいや」 そう言いながらもこちらにサンドウィッチを向けてくれるから、わたしは遠慮なくかじり付く。けれど固めのバゲットは少し厄介でうまく噛みきれず、自分でもサンドウィッチに手を添えてぎゅっと噛んだ。その拍子に手に力が入りすぎてチリの手ごとサンドウィッチを少し握り締めてしまう。どうにか具材は飛び出さなかったものの、形は少しばかり歪になっていた。ひしゃげたサンドウィッチをチリが物言いたげに見つめ「で、味はどないなん」満点しか出さないわたしに点数を訊ねた。 「美味しいよ。でもこっちの方が好きかも」 「だからそっち渡したんやろ」 「もしかしてわたし、チリに胃袋掴まれちゃってる?」 「……{{kanaName}}の胃袋掴んでもなあ」 確かにそうだ。チリが掴むべき胃袋はとうの昔に卒業したアカデミーの先輩ではなく意中の相手だろう。チリからそんな話は一度も聞いたことがないけれど、昔からチリはわたしには教えてくれないからわたしが知らないだけでそういう相手はいるに違いない。 学生の時だってわたしが彼氏が出来たとちょっぴり自慢を含めて報告したらチリはとっくにその先まで経験していた。あの時は小さくないショックを受けて裏切られたような気持ちにもなってチリを嫌いになりそうになった。けれどチリはようやく彼氏の出来たわたしに親身になって相談を聞いてくれて、色々と──キスのタイミングやその先の行為に関する不安や手ほどきまでしてくれた。胃袋を掴まれるどころかチリはとうの昔からわたしのブレーンで、今さら胃袋の一つや二つ握られたところで『大事な後輩』が『とても大事な後輩』に変わるだけだ。 「さっきの子、チリに恋してたね」 「ん、あー、本人はそう思てるんやろな」 チリがわたしがかじったサンドウィッチを食べる。少し潰れたせいで食べにくいのだろう、その顔はわずかに険しい。わたしも自分のを一口食べて「あれは恋だよ」少女に思いを馳せる。 学生の時もあんな女子を何人も見てきた。チリに告白する女子はみんな瞳をキラキラと輝かせ、不安と期待に揺れる眼差しでチリを見つめていた。もっとも彼女らの恋が実ったことは終ぞなく、チリはわたしの知らない男子と付き合って、わたしが彼氏と別れた頃に同じように別れていた。それ以降も彼女が女性に興味を持った様子は見たことはない。 そんなチリからすれば同性、しかも子どもからの好意は煩わしい以外の感情はないんだろう。分からなくもない。 ただ、面倒くさいと一蹴してうんざりため息を吐くのは少しかわいそうで。わたしは妙にムキになって少女の肩を持ってしまう。 「それくらい、許してあげなよ」 「これでも優しくしたってるつもりやねんけど」 「もう少し笑ってあげるとか」 きっとあの子は後から思い返してチリの険しい視線に心を痛めるだろう。もちろん、彼女がチリの都合も考えずに喋り掛けた事は褒められた行為ではないけれど、それでも子どもの一度や二度の失敗は笑ってあげてほしい。それにあの子は未来のチャンピオンの可能性もあるのだし。 でもその考えがいけなかったらしい。 「は?」 今まで何度か見た事はあったけれど、これ程までチリが怒ったのは初めてだった。感情が消え何を考えてるか分からない顔がわたしに向けられる。怯む、なんてものじゃない。ぞくりと背筋が震えあまりの怖さに反射的に視線が逸れる。行き場を失った視線はもう食べ終わるサンドウィッチを捉えるものの、ひしひしと感じるチリの視線に耐えきれずおそるおそる目を合わせた。うっすらと怒りの滲む顔がわたしを睨んでいる。 「あれは恋なんかやない。手頃な年上捕まえて恋に恋してるだけやん。なんでチリちゃんがそんなお遊戯に付き合わなあかんの」 そういうのはアカデミーの時だけで充分やねん。そう言ってふい、と逸らされた瞳はわずかに揺れている。深紅の瞳に影を落とすように瞼が下がり、瞬きの度に短めのまつ毛が揺れ動く。その先端に小さな雫が見えたような気がした。見間違いかもしれない。でもチリの横顔はこちらの胸が潰されそうなくらい悲しそうな顔をしていた。 「こっちの気ぃも知らんで勝手言わんとって」 年下で後輩のチリは昔から年上で先輩のわたしよりずっと大人びていた。たまに言い争いをする事もあったけど思い返せるすべてが発端はわたしだった。面倒見の良い彼女が自分から機嫌を損ねることはまずなくて、きゅっと唇を噛むチリなんて見たことがなかった。ごめん、咄嗟に口から零れていたけれど、反射で出た言葉には何の気持ちも込められていなかった。 考えてみれば、何だかんだで世話を焼いてしまうチリがたった一度ままごとの恋を向けられた程度で酷い態度を取るはずがないのだ。 四天王で実技も面接も行っているチリは子どもと接する機会が多い。わたしが知らないだけで、今まで何度も繰り返されたやり取りなんだろう。それに、思い返せばわたしは学生時代に女の子達に告白されて困っているチリを何度も見ている。 「告白する方はそれでけじめ付けれるんやからさぞ清々しいんやろなあ」と吐き出したチリはひどく疲れた顔をしていた。でもあの時もわたしは告白した彼女らに同情をして素っ気ないチリにモヤモヤしていた。わたしの恋はいつだって選んでもらう側で、チリのような選ぶ立場になった事がなかったから。人はどうしても立場が近い人に心を寄せてしまう。 「そもそもの話、女が女を好きになっても報われへんやろ」 「それは……、そんな事ないかもしれないでしょ」 チリはどんな返事を期待したんだろう。わたしの返事を聞いたチリが寂しげな顔を見せて笑う。わたしより何倍も恋愛経験のあるチリですら答えが分からないなら、わたしに答えられるはずもない。自分の無力さを痛感して逃げるように目を伏せる。 「」 チリが何か呟いた。でもそれは小さな声でうまく聞き取れなくて。急いで顔を上げて「なに?」と聞き返す。けれどチリはしばらく何も言わず、ぽつりと「綺麗事は聞きたないねん」と息を吐いた。 「それよかさっさと食べて次こそバトルコート使わせてもらうで」 そう言ってチリは一口で食べるには少し大きな塊を無理やり口の中へ放り込む。固めのバゲットを無心で咀嚼する姿はサンドウィッチと一緒に何かを飲み込んでいるようにも見えた。ぼうっと見つめているとチリが顔をしかめてわたしのサンドウィッチを指差す。早く食べろ、と言っていた。 『チリちゃん特製サンドウィッチ』を頬張りながらふと考える。もしチリが誰か──女性と付き合ったらこうやって彼女お手製のサンドウィッチを食べることも二人で出掛けることもなくなるのかもしれない。恋人が自分以外の女性と仲良くしていたら、わたしなら拗ねて喧嘩になりそうだし。 だから、そんな事ないとは言ったけれどチリに恋する女の子の恋が決して報われないようにと願わずにはいられない。どうか、どうかチリが誰もが羨む男性と結ばれて、わたしとずっとずっと仲良くしてくれますように、と。 「ソース、付いてる」 いつまでも手ぇの掛かる先輩やなぁ、チリがわたしの口元に付いたソースを指で掬う。そうしてソースの付いた指先を口に含んで「うん、悪くないな」静かに目を細めた。