トマトに妬く

友人のチリちゃんにキスしたくなってしまう

 最近の自分は何だか変だ。恋人でも何でもない人を見てキスしたいだなんて、絶対におかしい。
 その相手は職場の同僚で友人でもあるチリちゃん。彼女のことを特別意識したこともなければ、チリちゃんから気のある素振りを見せられたこともないのに、無意識に視線が綺麗に動く唇を追っていて、その柔らかさを想像しては切なくため息を吐いている。こんな事――特定の人物にキスしたいと思うなんて、今まで一度もなかった。だから本当に困っている。

「キスしたい唇ってよう聞くフレーズやし、恋愛関係なくそういう気分になる事もあっておかしないやろ」

 リーグの食堂で向かいの席に座ったチリちゃんがスプーンを指し棒のように振りながら言う。リーグ職員のわたしと四天王チリちゃんのお昼時間が合うことはよくあることで、見掛けたらこうやって一緒に食べるのが習慣のようになっていた。
 今日も「元気ないやん、どないしたん?」と心配してくれるのは嬉しかったけれど、悩みの原因はチリちゃんなのだ。今日ばかりは見つからないよう身を潜めるべきだったと少し後悔する。わたしはふぅと小さく息を吐いた。

「ひとつ聞くけど、その人のことは好きなん?」
「う、うん。でも」
「でも恋愛としての好きかは分からん、と」

 確認するように向けられた真紅の瞳に悩みながらも頷く。わたしの悩みはそうではなくて――女友達相手に恋愛感情なんてあるはずがない――この馬鹿げた下心をどうやって吹き飛ばせばいいのか、なのだ。けれどそれを上手く伝えるすべを持っておらず、わたしはチリちゃんの言葉に頷くしか出来ない。
 そしてこんな時でさえ気を抜けば唇に目がいってしまって慌てて目を逸らす。早く何とかしなくちゃ。勘のいいチリちゃんにいつまでも隠し通せはしまい、気付かれたらきっと嫌われてしまう。

「ほなキス以外にしてみたいことは?」

 チリちゃんが昼食を食べながら会話を進める。わたしより口数が多いのどうやって食べているのか、彼女の方が食事が進んでいる。どうして、と不思議に思ったけれど、わたしが彼女の食べる姿を凝視しているせいだと気づいて愕然とした。恋愛感情がどうこう以前に自分の行動の気持ち悪さに申し訳なくなる。
 そんな暗い気持ちの中、チリちゃんの質問について考えてみる。当然だけどそんな事を考えたことはない。キス欲だけでもいっぱいなのだ、それ以外のことを考えてしまったらどうなるか分かったもんじゃない。
 それなのに、チリちゃんは人の気持ちも知らないで恋人とするあれこれを挙げていく。

「たとえば、手を繋いだり」

 それくらいならちょっと恥ずかしいけど友だちでも許されるし、したいかどうかと尋ねられたらしたいと答えるかな。でもチリちゃんっていつも手袋してるから出来れば素手で手を繋ぎたい。

「腕組んでみたり」

 これも学生時代に女の子同士でよくやってるのを見たから、恋愛感情関係なくやってもいい気がする。すらりとしたあの腕に自分の腕を絡めるのはちょっと緊張するけれど。

「ハグしてみたり」

 チリちゃんって結構スキンシップ多くて酔った時なんかはアオキさん達と肩を組むのをよく見掛けるし、そういう場でハグしているのも何度か見たことがある。わたしはしてもらったことがないけれど、チャンスがあるなら今度は自分から手を広げてみようかな。チリちゃん、受け止めてくれるだろうか。

「あとは……ってなんや、答え出たやんか」

 チリちゃんがちょっと呆れながら笑う。どういうこと、と聞き返すと言葉の代わりにスマホロトムを向けられた。インカメラになったそれは画面いっぱいにわたしの顔を映し出す。空調は暑すぎることも寒すぎることもないのに、画面の中の自分の頬はすっかり赤くなっていた。

「上手くいくとええな、チリちゃんも応援してるで」

 チリちゃんが最後に残していたプチトマトを一つ口に放り込む。友人の悩みを解決できた彼女はいたく満足そうに笑っている。
 チリちゃんは夢にも思っていないだろう、その恋の相手が自分であるということに。わたしは自分の皿にまだ残っているプチトマトに視線を落としため息を吐く。

「なんや食べんのかいな、じゃあチリちゃんが遠慮なく」

 プチトマトがあっという間にチリちゃんに攫われる。わたしの唇もいっそそんな風に奪ってくれたらいいのに。赤い身に自分を重ね、もう一度悩ましいため息が零れた。