月が待ち遠しい

チリちゃんに似合あいそうな下着を見付けてプレゼントする

(あ、これ可愛い)
 そろそろ新しいのが欲しいなと入ったランジェリーショップでとある下着が気になった。
 ブラもショーツもどちらも自分好みのデザインで、ちょうどサイズもある。これ買っちゃおうかな、と自分のサイズのものに手を伸ばしたその時、隣の列に吊ってあった色違いの下着が目に留まる。
(これ……)
 大好きなチリちゃんの顔が思い浮かぶ。この下着はチリちゃんによく似合いそうだった。
 今度会う時にこのお店に誘って似合うよと言ってみようかな。でも普段のチリちゃんはこういう下着は付けてないから断られそうな気もする。わたしは絶対に似合うと確信しているけど、頭の中のチリちゃんは一向に首を縦に振ってくれない。さて、どうしよう。
(だったら……)
 わたしはしっかりサイズを確認して二つの下着を手に取った。



 数日後、テーブルシティで働くわたしは『一緒にランチでもどう?』とチリちゃんに連絡をして快い返事を貰っていた。と言ってもチリちゃんは仕事柄決まった時間にお昼休憩が取れないことも多い。約束の時間に間に合わずまたの機会にと流れてしまう事もよくあった。
 今日は大丈夫かな、と待ち合わせたお店の前でチリちゃんを待つ。程なくして石畳をコツコツと鳴らす音と共に見知った姿が現れた。チリちゃんだ。嬉しくて思わず手を振るとチリちゃんの歩幅が大きくなった。
 チリちゃんは「よっ!」と顔まで挙げた手をひらひらと振って「相変わらず{{kanaName}}は時間を守るええ子やなあ」その手をぽんとわたしの頭へと乗せた。初めの頃こそ子ども扱いのような態度にムッと拗ねてしまっていたけれど、その言葉の裏に隠れる上機嫌な彼女に気付いてからは怒った顔を作るけど許してあげるようにしている。
 それでももっと素直な言葉が欲しいと思うこともある。いつもいつも茶化されたりはぐらかされるのはつまらない。でもそんなわたしの恋心はチリちゃんにはお見通しで、ここぞという場面ではストレートに気持ちをぶつけてくる。その度にわたしの心臓は今回こそ破裂するんじゃないかと心配になるくらい大きく跳ねるから、普段の彼女は案外これくらいが丁度いいのかもしれない。まったく、チリちゃんは恋人を手のひらの上で綺麗に踊らせるのが本当に上手だ。


 運良く席が空いて待つことなくお店に入ることができたわたし達は、いつものように各々好きなものを頼んだ。二人でご飯を食べる時のチリちゃんは絶対にわたしから先に注文させる。わたしの頼む品を聞いて、その後で自分の料理を店員に伝える。だからわたしとチリちゃんはいつも違うものを頼む。そして毎回必ず「一口交換しよか」とスプーン或いはフォークをわたしの口へと持ってくる。

「今日は朝からリーグがえらい賑わっててなあ」

 記憶とともに疲れも思い出したんだろう、チリちゃんが大きなため息を吐き出す。面接をしてバトルをして……と、挑戦者が多いとその分だけチリちゃんも忙しい。偶然とはいえ、そんな日に約束が重なったのが少し申し訳なくなる。けれどチリちゃんは本当に大変な時はきっぱり断ってくるから、今日のランチは丁度いい気分転換になっているんだろう、きっと。そう信じたい。
 いかに今日が疲れたかと語るチリちゃんに大変だねと相槌を打つ。話しぶりからすると午後も面接テストの予約がたっぷり入っているようで本当に大変そうだ。でもチリちゃんは、

「面接ん時は愛想良く笑ってるトレーナーが、実技になったら一変すんねん。あのギラギラした目見たらそん時だけは疲れも吹き飛ぶんや」

 ニヤリと笑う。垂れた瞳と対照的に持ち上がる口角は綺麗な弧を描き、心臓がにわかに加速を始めていく。綺麗な顔でそんな風に笑うなんて、チリちゃんは本当にズルい人だ。


 その後もチリちゃんと話に花を咲かせていたらあっという間に時間が過ぎていった。気づけばお昼休憩も終わりに近い。わたしは名残惜しそうにリーグの方へゆっくり歩き出すチリちゃんの背中を追って「チリちゃん、」声を掛けた。

「午後も頑張ってね」
「自分もな」
「あと、これ。チリちゃんに」

 差し入れ、と言って紙袋を突き出す。チリちゃんはほんの少し目を丸くして紙袋を見ていたけれど、すぐに笑顔になって「ありがとさん」受け取った。その紙袋はハッコウシティで今話題になってるチーズケーキで、以前チリちゃんも食べてみたいと言っていた。行列に並ぶのが面倒だと言う彼女の代わりに買ってきたのだ。健気な彼女の好意を受け取らないはずがなかった。

「あっ、で、でも大した量じゃないから、こっそり持って帰ってね」

 絶対に人前に出しちゃダメだから。袋の中を覗き込もうとするチリちゃんに慌てて付け加える。袋には先日買った下着も詰め込んであった。もしそれをチリちゃん以外の誰かに見られたら大変な事になってしまう。今ここで確認されるのだって困るくらいで――突き返される可能性もなくはないのだ――だから必然的にいやに過剰な念押しをしてしまった。

「別にみんなそない食いしん坊ちゃうで……?」

 そんなわたしをチリちゃんは当然不審に思うわけで、視線は袋の中へと注がれる。けれどわたしも視線を逸らさせようと「そういう意味じゃなくて、いや、でも、こっそり…、えっと、だからその…っ」まとまらない言葉を必死に振り絞った。けれどそれが更に不審を呼び、チリちゃんの眉間のしわがどんどん深くなる。

「あの、ほんとに、夜に食べてほしくて…、今じゃなくて、」
「わーったわーった、今は見やんから。後でゆっくり確認する、そうしてほしいんやろ?」

 空いた方の手がわたしの頭をくしゃりと撫でる。

「ありがとうな」

 チリちゃんが笑う。チリちゃんが笑うと、目尻を縁取るまつ毛が彼女の表情により柔らかさを与える。普段のきりっとした雰囲気とはまた違う彼女の艶っぽい表情に、わたしの頬はじわりと熱を帯びた。

「ほなまた」

 頭を撫でていた手が離れひらひらと揺れる。そうしてくるりと踵を返したチリちゃんを、彼女が角を曲がって姿が見えなくなるまで見つめていた。



 その日の夜、ベッドに横になっているとスマホロトムが着信で震えた。ディスプレイに表示されたチリちゃんの文字に慌てて飛び起き、ぐしゃぐしゃになった髪を大急ぎで撫で付け応答する。

『まいど! チリちゃんやで』

 彼女の溌剌な声がスマホロトムから飛び出す。今日一日忙しかったにしてはまだまだ元気な声をしていて、さすが四天王と妙な感心を覚えた。
 けれどその一方で画面には自分の顔しか映っていない事が気になっていた。いつもみたいにビデオ通話じゃない。ボタンを押し間違えたんだろうか。でもそれなら画面を見ればすぐに分かることだし、一体どうしたんだろう。まさか怪我でもして見せられないとか……。有り得なくはない。わたしは心配を声にする。

『そんなヘマせえへんて、ちょっと部屋が片付いてないだけやん』
「それならいつもの事じゃん」
『なっ! ひどいなー、いつもは片付いてるわ』

 とにかくこの話は終いや、とチリちゃんはビデオ通話にしない理由をそれ以上語らなかった。何だか煮え切らない感じがしたけれどこれ以上問い詰めても欲しい答えは返ってこないだろう。渋々頷く。

「それにしても、」

 スマホロトムを正面に姿勢を正す。自分の顔しか映らない画面に話し掛けるのは少し落ち着かない。チリちゃんが見てくれてると信じて出来るだけ可愛く映る角度を保って言葉を続ける。

「チリちゃんから連絡って珍しいね」

 そう言いながらも理由には心当たりが十二分にあった。もちろん、お昼に渡したあの紙袋だ。チーズケーキと、それを口実に無理やり押し付けた下着についてチリちゃんは連絡してきたんだ。何を言われるのか分からず緊張と不安で心臓が煩くバクバクと音を立てる。

『そんな事は……あるけど、それはチリちゃんが連絡しよか思た時に自分が掛けてくるんやろ』

 画面には相変わらずわたししか映っていないけど、チリちゃんがわずかに眉をひそめて肩を竦める姿が思い浮かぶ。強ばった頬から少し力が抜ける。

『差し入れ、ごっつ美味しかったわ。ありがとさん』
「どう、いたしまして」

 少しの沈黙を挟んでチリちゃんが言った。わたしは再びガチガチになる頬をどうにか取り繕って笑顔を作る。でも画面の中の自分はどう見ても笑えてなくて、自分こそ音声通話にすべきだったと今さら後悔をする。
 チリちゃんは今、どんな顔をしているんだろう。チリちゃんが見えないせいで色んな感情が胸の中で大混乱を起こしている。

『これ買うん大変やったやろ、よう並ぶわ』
「べつにそんな、行く用事があってついでに買っただけだし」

 嘘じゃない。ハッコウシティに買い物に行ってあのランジェリーショップに立ち寄って、そしてついでにチーズケーキを買ったことのどこにも嘘は紛れていない。
 そんな事よりチリちゃんはあの袋の中身を見て――チリちゃんの趣味とは少し違う、わたし好みの下着を見てどう思ったんだろう。ケーキの感想よりもそっちの方が気になって仕方ない。
 けれど自分から尋ねるのは何だか怖くて口に出来なくてチリちゃんの言葉を待つしかない。なのにチリちゃんは一向にチーズケーキの話しかしてくれない。もどかしくて、わたしの笑顔もどんどんぎこちなくなる。今チリちゃんはどんな顔をしてるんだろう。

『だからこれはお礼せなあかんなと思てんねん』
「い、いいよ。大した物じゃないんだし」
『いや……、これはちゃあんとお礼せなあかんやろ』
「チリ、ちゃん……?」

 顔の見えない状況で、ましてや電話越し、聞こえてくるのは彼女の声を真似た合成音声ではあったけど、たしかにその言葉で空気が変わった。
 理由は明らかだ。今からチリちゃんは紛れ込ませた下着のことに言及しようとしているんだ。いよいよその時が来た。画面の中の自分は明らかに引きつった笑顔を浮かべている。どうにかしようとするけど、上手くいかない。

『ふはっ、{{kanaName}}はおもろいなあ、見てて飽きへんわ』

 くつくつと喉の奥で笑う声がスマホから響く。チリちゃんは上機嫌の時によくこんなふうに笑っている。

『次の休みにチリちゃんとデートしよ。今日のお礼たっぷりさせてもらうわ』

 だから。
 チリちゃんが一呼吸置いて言葉を続ける。

『{{kanaName}}も頭のてっぺんから足の先までちゃんとオシャレしてくるんやで』


 約束の日、普段より広く開いたチリちゃんの首元には見覚えのあるストラップが覗いていた。