ルージュに濡れる

ポピーに口紅について指摘されたチリと、そんなチリに口紅の色を奪われる夢主

「さっきポピーにな、『チリちゃんはおくちピンクにしないのです?』って言われてん」

 トイレでメイク直しをしていたらチリちゃんに出くわした。チリちゃんは手を洗いながらわたしが手に持ったルージュに目を留めると「そういえば」と口を開いた。乾燥を防ぐためにリップを塗っただけの唇が滑らかに動く。

「チリちゃんはしないって言ったのに納得してくれへんでな、『{{kanaName}}おねーちゃんはピンクでかわいいです』なんて言うんや」
 手の中のルージュを見る。ジムリーダー・リップがプロデュースしたブランドのそれは発色が良く色落ちもしにくくて、わたしのお気に入りの一本だ。それを可愛いと言うポピーちゃんはなかなか見る目がある。思わず頬がゆるむ。

「困ったことに、たしかに可愛いねん」

 チリちゃんが唸るように言った。決して可愛いものが苦手ではない筈だけど、なぜか難しい顔をしている。それとも自分には似合わないとでも思ったんだろうか。きっとチリちゃんにも似合うと思うんだけど。

「じゃあこれ使ってみる?」

 眉間にしわを寄せるチリちゃんへルージュを差し出してみる。ただルージュの貸し借りは断られる可能性も高い。差し出した手はいつでも引き戻せるようにしてチリちゃんを窺う。
 果たして、チリちゃんの眉間のしわが深まった。やっぱり抵抗があるようだ。こればかりは仕方ない。
 でも絶対に似合うと思うし個人的にも見てみたい。他に何か良い方法はないだろうか。

「あ、そうだ! 今度の休みにお店行って試してみる?」

 チリちゃんの可愛い唇が拝めてついでにデートの約束も出来て一石二鳥、最高の提案だった。わたしはにんまりと緩む頬を急いで引き締め、鏡に映る虚像から視線を外し隣に立つ本物のチリちゃんの顔を見上げる。
 チリちゃんは自分よりやや背の低いわたしを見下ろすと、

「こんな可愛いのに、今まで気付けてなかったんはうかつやったわ」

一層眉間にしわを寄せて顔を間近まで近付け、そのままわたしの唇を奪う。
 突然のことに驚いて、体を動かすことも声を出すことすら出来なかった。そして一呼吸遅れて彼女の大胆な行動に体が反応する。唇が柔らかな感触を認識し、その行動の意味を理解した肌はぶわりと熱を帯び、誤作動を起こしたロボットのように身体がぎこちなく後ずさった。
 けれどそれも再び迫るチリちゃんには何の意味もなく、わたしはいとも簡単にまたキスを許してしまう。
 今度は最初と違ってすぐには離れない。形を確かめ合うように唇は強く押し付けられ、輪郭を覚えるように柔らかな彼女の唇に食まれてゆく。逃がさないようにと頬に添えられた両手は気付けば片方は頭をぎゅっと包み込み、もう片方は腰を抱いている。
 視界の端に覗く鏡には蕩けた自分が映っている。それがたまらなく羞恥心を起こすのに、それでも体はチリちゃんを拒絶出来ない。こんな場所で――いつ誰が来るかも分からない職場のトイレでこんな事はいけないのに、肺いっぱいにチリちゃんを吸い、全身で感じるチリちゃんの熱にわたしは強い意志を持てなかった。

「こら、ここではあかんよ」

 突然、チリちゃんが体を離す。行く先を失ったわたしの舌がだらしなく外気にさらけ出される。はっと我に返って慌てて口を閉じるけれど、チリちゃんにはしっかりと見られてしまっていた。浅ましい自分に恥ずかしくなる。

「まあこんなもんで充分かな」

 そう言いながらチリちゃんが見るのは目の前の鏡。じっと見つめていたかと思うと薬指が唇を撫でる。そうやって唇からはみ出たルージュを器用に整えると鏡に向かって小さく頷いて「ほら見てみ」隣のわたしへ肩をすくめる。

「可愛くて困っちゃうやろ?」

 わたしの唇から色を奪ったチリちゃんが苦笑する。
 ああ、たしかに困っちゃう。チリちゃんが今以上に可愛くなるなんて、とっても困ってしまう。どくどくと鼓動を刻む心臓と共に頷く。

「ほな、色が落ちんうちにこの可愛いピンクをポピーに見せてくるわ」
「え、あ、まっ、待って」

 そそくさと立ち去ろうとするから、思わずその腕を掴んでいた。チリちゃんが振り返り、切れ長の瞳がわたしを射抜く。少し怖くて、けれどそれ以上に胸が焦がれていく。

「もっと、色……付けた方が、いいんじゃないかな、って」

 咄嗟に出た言葉だった。でも、唇を彩るピンクが物足りないのも決して嘘ではなくて。
 チリちゃんが鏡の中の自分を覗き込む。その瞳がわたしの言葉を吟味するように唇の色を確認する。そして、
「じゃあまた{{kanaName}}にお願いしよかな」
 艶やかな唇に弧を描いた。