【とどく流れ星】

「{{kanaName}}ちゃん、大丈夫?」
 ヌマクローの手当てに慌てるわたしへ声を掛けたのは、この数ヶ月の旅で白い肌をほのかに小麦色に焦がしたダイゴくんだった。


 子どもなら一度は夢見る存在、チャンピオン。わたしもそんな一人で、両親に何度も旅の話を聞いては二人の相棒達と何度もトレーナーごっこをして早く旅に出たいとウズウズしていた。
 だから、旅に出るのはトレーナーズスクールを卒業してからだ、と言われた時にはショックで両親なんて無視して勝手に旅に出てやろうとまで考えた。でもリーグ挑戦者が試合後インタビューで「スクールで学んだ事を活かしきれなかった」と答えていたのを見て家出はやめて、スクールに通うことを決めた。
 スクールにはわたしと同じ夢を持つ子ども達が通っていて、ダイゴくんもその一人だった。
 ダイゴくんはバトルのセンスがすごく良くて、その才能はスクールの中でも群を抜いていた。しかも家は大企業のお金持ち、おまけにアイドルみたいに可愛くて格好良い顔だからあっという間にクラスの人気者になった。もちろんわたしもドキドキした一人で、ダイゴくんと授業で同じグループになった時はいつも以上に張り切った。
 でも告白したいとか付き合いたいとか、そこまでの強い気持ちはなくて、テレビに映るアイドルに時めくのと同じような感覚だった。
 だってわたしはカレシを作るためにスクールに通っていた訳ではないし、そもそもダイゴくんだって女の子に興味がないみたいで、時々誰かが告白しても絶対に付き合うことはなかった。彼の頭はわたしと同じくポケモンとバトルのことでいっぱいで、だから余程の美人か天才的な腕前でもない限り、ダイゴくんの興味を引いて恋してもらうなんて絶対に不可能だったと思う。
 ダイゴくんはココドラとスクールに通っていた。大抵の子が博士から貰うポケモンを連れてくるから、そういう点でもダイゴくんは目立っていた。
 いつだったか、ダイゴくんの気を引きたい女の子がどうしてココドラなのかと訊ねたことがあった。ダイゴくんは「父さんと久しぶりに遊びに行けた時に出会った、大切なポケモンなんだ」と少し照れたように笑って、わたしはそんなダイゴくんをいいなと思った。一方で、わたしとミズゴロウも出会い方こそ平凡だけど絆はダイゴくん達にも負けてないんだから、とちょっぴり対抗心に燃えた。
 スクールでは何度か実践授業としてクラスメイトとポケモン勝負をすることがあった。わたしも一度だけダイゴくんと戦う機会があって、無敗を貫くダイゴくんに絶対に土を付けてやると意気込んでいた。
 けれどダイゴくんはタイプ相性も物ともせずまだ二、三戦は戦える余力すら残して勝ってしまった。ものすごく悔しくて、それから数日はダイゴくんが視界に入るのも嫌でしばらく避けてしまった。
 でも旅に出た今になってあの勝負を思い返すと、わたしとダイゴくんの力量の差は歴然だった。あの頃のわたしはダイゴくんに遠く及ばず、それどころかスクールの中でも平均的な生徒でしかなかった。
 つまるところ、賢くて強くて才能あふれるダイゴくんがわたしを意識したのはあのポケモン勝負の瞬間だけで、その他に仲良くなるきっかけもなければ嫌われるようなこともなく、卒業したら真っ先に名前を忘れ去られる程度の関係でしかなかった――――はずだった。


 きっとわたしは順調すぎる旅路にすっかり油断していたんだと思う。キンセツシティを東に抜けて119番水道をヌマクローで渡っていると、うっかりメノクラゲの群れに近付きすぎていた。慌てて逃げるけれどヌマクローは強烈な一撃を受けてしまい、どうにか対岸へ渡った頃にはすっかり体力を消耗していた。
 早く手当てしなくちゃ。急いでリュックの中を探すけど焦れば焦るほど目当ての物が見つからない。傷の手当てと体力の回復、それから顔色もすごく悪いから毒消しも必要かも。えっと、こんな時は、まず……
「{{kanaName}}ちゃん、大丈夫?」
 真っ白になった頭にわたしを呼ぶ声が響く。はっとして顔を上げる。草むらに立っていたのはうっすら肌を焼いた同年代の男の子だった。その子は連れ歩いていた空色のポケモンをボールに戻すとわたしの元へ駆け寄ってきた。
 そして「大丈夫だから」とわたしの肩をぽん、と叩いてヌマクローの傍に膝をつくと、自分のリュックから薬を取り出しあっという間に手当てをしてくれた。
「相棒が倒れたら動揺しちゃうよね」
 男の子がわたしの方を向くと小首を傾げて微笑んだ。その拍子に銀の髪が揺れる。男の子がわたしの顔を覗き込んで、透き通った薄い青の瞳にわたしの姿が映り込んだ。
「……あっ、」
 見ず知らずのトレーナーだと思った彼はダイゴくんだった。あの頃と違って動きやすい身軽な服装で、おまけに日焼けもしていたからすぐには誰だか分からなかったのだ。
「あ、りがとう……、ダイゴくん」
「嬉しいな。ボクの事、覚えててくれたんだ」
 わたしを心配して眉尻の下がっていたダイゴくんの顔がぱっと明るくなった。意外な反応にびっくりして「もちろん」と返事する声が上擦る。だって久しぶりとはいえ卒業してたった数ヶ月、クラスメイトでしかもスクールの人気者のダイゴくんを忘れるはずがないんだから。
 むしろダイゴくんこそ忘れていると思っていた。ろくに会話もしなかったし、始めの頃に交換した連絡先も今まで一度も使ったことがなかったから。
 そんなわたしに優しく声を掛けて助けてくれるなんて、ダイゴくんはトレーナーの腕だけじゃなくて人間性でもわたしより上みたい。すごいなあ。
「ところで、{{kanaName}}ちゃんはこれからどうするんだい?」
 ダイゴくんが立ち上がって膝に付いた砂を払う。よく見ると彼のズボンはあちこちに泥が跳ねている。大企業の御曹司のイメージには合わない姿だった。
 でも、ポケモンを最優先してズボンに汚れを増やすダイゴくんはスクールで姿勢良く授業を受けていた時よりも格好良くて、わたしの目を見て話をするダイゴくんに心臓がドキドキとうるさくなる。ちょっと話をしたらすぐに別れるのに、今は夢に向かって旅をしている最中なのに、心はわたしの都合を聞いてくれない。
「――――かい?」
「えっ?」
 考え込んでいたからダイゴくんの言葉を聞いていなかった。慌てて意識をダイゴくんに向ける。ダイゴくんがにっこりと笑った。
「ちょうど特訓相手が欲しかったんだ。ヒワマキまでボクと一緒に行こうよ」
 ダイゴくんが手を差し伸べる。
 考えるより先に腕が動いてその手を握る。ダイゴくんが嬉しそうに笑った。
「よろしくね、{{kanaName}}ちゃん」
 触れ合った手の平は模擬試合で交わした握手よりも熱を帯びていて、見上げた先の白い頬も日焼けのせいかうっすらと赤く染まっていた。

* * *

 スクールではジム挑戦の旅に備えて二泊のキャンプ練習があった。けれどたった三日で野営のスキルが完璧に身に付くはずもなく、そろそろ旅を始めて半年が経つけど未だに野営は苦手だった。
 二人旅最初の夜はダイゴくんの提案でキンセツシティに戻ってポケモンセンターに泊まることになった。ダイゴくんは「ヌマクローの手当てで使った薬を補充したいんだ」とそれらしい理由を言ったけど、本当はいきなり二人で野営するのが気まずかったから、だと思う。
 なのにポケモンセンターは今日に限って満室で、街には他にもホテルはあるけどお小遣いに余裕はない。残念だけどわたしは野営するしかない。
 ダイゴくんはどうするのかな、隣で悩むダイゴくんをちらっと盗み見る。でもキャンプ練習でダイゴくんが目立っていた覚えはないし、ヌマクローのちょっとした怪我の手当てに回復の薬を使える人がホテル代を出し惜しむとも思えない。明日の集合場所を決めてとっとと野営の場所を探した方がよさそうだ。
 わたしはまだ悩んでいるダイゴくんへ声を掛ける。けれど先に口を開いたのはダイゴくんだった。
「{{kanaName}}ちゃん、野宿でもいい?」
「えっ、あ、いい…、けど、」
 予想外の言葉に間抜けな声が出ていた。だってダイゴくんがそんなこと言うとは思ってなかったから。
 でもダイゴくんは、
「さっき良い場所を見掛けたんだ。暗くなる前に行こう」
 そう言ってわたしの手をぐいっと引っ張った。足が前に飛び出すのと同時に心臓も飛び跳ねる。
 ダイゴくんと手を繋いでるところをスクールの女子に見られたら大変だ、わたしは反射的にキョロキョロと周囲を見渡す。けれどこっちを見ている男の子達が見つかるだけで、友達の姿があるはずがなかった。
 ずんずんと大股で歩くダイゴくんに引きずられるように街を出てしばらく進むと、木立の中の野営にちょうど良い開けた場所に出た。ふぅと息を吐いてダイゴくんがやっと手を離してくれる。わたしもドキドキして荒くなった息をどうにか整える。
 妙に疲れたけど、野宿の準備は今からなのだ。ダイゴくんがキャンプが得意とは思えないけど、二人で準備すればいつもよりは早く出来るはず、頑張ろう。気合いを込めてぎゅっと握りこぶしを作った。
 けれど、わたしの予想は大きく外れる。


「わぁ……」
 野営の準備はボクがするから{{kanaName}}ちゃんはポケモン達の食事をお願い、そう言ったダイゴくんは早かった。
 わたしがポケモン達に食事を用意している間にテントを張って焚き火も作っていたのだ。その手際の良さに見惚れているとダイゴくんはちょっと得意げな顔になって、続けてリュックから調理道具を取り出し料理まで始めてしまった。
 程よく使い込まれた鍋から食欲をそそる香辛料の香りが漂ってくる。もしかしてダイゴくんって何でも出来るすごい人なのかも、わたしは出来上がったカレーの美味にたまらず感服のため息を零した。
「ダイゴくんはすごいね」
「そんな事ないよ、石を取りに行く時にキャンプをした事が何回かあっただけだから」
 ダイゴくんは謙遜するけど、キャンプ練習で一番上手に作業していた男の子の何倍も手慣れている。
「でも×××くんよりダイゴくんの方がすごいよ」
 思い出したついでに名前を出してみたら何だか懐かしくなってくる。今頃みんなはどこを旅しているんだろう。
「えっ、{{kanaName}}ちゃんは×××くんと一緒に旅してたの?」
 このカレーもあのキャンプで作ったのより美味しい、と
舌鼓を打っていたらダイゴくんが驚いたように瞳を大きくした。気のせいかな、少し声が震えている気がした。
「ううん、キャンプ練習の時に×××くんがいばってたでしょ? それを思い出したの。こうやって一緒に旅をするのはダイゴくんが…、初めて、だよ」
 初めて、という言葉になぜか照れてしまってどんどん声が小さくなっていく。
 ダイゴくんの勢いに流されヒワマキまで一緒に旅することになったけど、元クラスメイトとはいえ相手は男の子、しかもあのダイゴくん。意識をした途端、全身に緊張が走る。誤魔化すようにカレーを食べたらそのまま顔を上げれなくなった。
 パチパチと焚き火の爆ぜる音が響く。わたしは何も話せなくなっていたし、ダイゴくんも何も言ってくれない。
 どうしたんだろう。ダイゴくんは今、何を考えてるんだろう。
「そう、なんだ…………ふふっ、あぁ良かった。ボクも{{kanaName}}ちゃんが初めてなんだよ」
 ダイゴくんのほっとしたような笑い声に釣られて顔を上げたら目が合った。ダイヤモンドのように澄んだ瞳の中では焚き火から舞う火花がキラキラと輝いていて、笑った口からちらりと見えた歯が白く眩しい。
――あっ。
 どくん、と心が大きく揺れ動いた。
 それから呼吸一つ分遅れて思考が動き出す。心の中に拡がってゆく波紋に名前を授けようと、頭の中の五十音表からその2文字を摘み上げようとする。
――だめ!
 わたしはチャンピオンを目指して旅をしている最中で、ダイゴくんだって同じ夢を抱いて各地のジムに挑戦していて、最優先すべきはポケモンとバトル。カレシとかレンアイなんかにうつつを抜かしてる場合じゃ、ない。
 だからこれは絶対に違う。かつてないほどの胸の高鳴りも汗が吹き出しそうなほど熱くなるこの身体も、全部ぜんぶ、すべて気のせいじゃなきゃいけない。なのに。
「そういえば知ってるかい? もうすぐ流星群が見えるんだよ。天気が良かったら一緒に見よう」
 楽しそうに笑うダイゴくんから目が離せない。どくどくと加速する鼓動を抑えられない。
 認めちゃダメだと意識すればするほど、わたしの瞳はダイゴくんを追い続けた。

* * *

 ヒワマキシティを目指して数日、特訓と称して何度も繰り返したバトルは今回もダイゴくんの勝利で決着した。
 スクールで同じ事を学んで同じ時期に旅を始めたのに、差は縮まるどころかより広がっている。コドラにこてんぱんにされたヌマクローをボールに戻して肩を落とした。
「やっぱりダイゴくんは強いね」
 ダイゴくんのココドラはコドラに進化してますます強くなっていた。もちろん他のポケモン達もとても強くて、考えなしに力をぶつけても全く歯が立たない。相性だけでは勝てないんだ、と痛感する。
「ありがとう。でも{{kanaName}}ちゃんもポケモン達と息が合ってるから、少しでも気を抜いたら負けちゃいそうだよ」
 得意になっていばりもせず、かといって嫌味なほどの謙遜もしない。ダイゴくんはわたしの言葉に素直に笑顔を浮かべている。
 自分の言葉でダイゴくんが喜んでくれたと思うと胸がドキドキして、バトルには負けたのにわたしは嬉しくなっていた。まずい、まずい! 理性が必死に警鐘を鳴らす。
「それにしても、ダイゴくんの最初のポケモンがココドラじゃなかったなんてビックリだよ」
 うっかりニヤけた顔がバレる前に慌てて引き締める。
 わたしはダイゴくんが告白してきた女の子をスクール卒業まで避けていたのを知っている。気のある素振りをしただけの子にも過剰なほど距離を取っていたのも見てきた。
 だから気をつけなくちゃ、二人旅を早々に終わらせたくない。といってもわたしは友だちとして好きなだけ、気を付けることなんかないんだけど。
 視線をダイゴくんの隣に浮かんでいる空色のポケモンに向ける。クレーンアームのような形をしたポケモン――メタングこそダイゴくんの最初のポケモンだった。
「ダンバルの頃はバトルの授業に不向きだったからね。それにまだあまり人慣れもしてなかったから」
 ダイゴくんの微笑みに苦労が浮かぶ。メタングはダイゴくんの相棒に相応しい、強くて頼りになるポケモンにしか見えないけれど、これまで大変だったのかもしれない。
 わたしなんて初心者でも育てやすいヌマクローにすら手を焼いているのに。やっぱりダイゴくんはすごい。わたしはダイゴくんへの尊敬と好意をその手に込めて、本人に出来ない代わりにメタングをよしよしと撫でた。
「こうやって触れるのもダイゴくんのお陰だね」
 おやでもない人間が触れても嫌がらないのは、ダイゴくんの今までの育成の賜物だ。ダイゴくんにポケモンのことで右に出られる人間なんているんだろうか、チャンピオンですら敵わないかもしれない。
「どうかな。{{kanaName}}ちゃんがボクの大事な友達とは伝えたけど、心を許すか決めるのはメタング自身だから」
 大事な友達。
 あのダイゴくんがわたしのことを、ただの同級生でたまたま一緒に居るだけのわたしなんかのことを、大事な友達だと言った。
 そんなの、ズルい。みるみるうちに顔に熱が集まって耳まで熱くなる。わたしはトレーナーで、ダイゴくんは恋愛に興味がないのに、好きな気持ちが止まらない。我慢しようとすればするほど、ダイゴくんを意識しちゃう。
「ありがとう、メタング!」
 もう考えちゃだめ。無理やり笑顔を作ってメタングに抱き着く。ゴツゴツしてヒンヤリした鋼鉄の体がわたしの熱を吸い取ってくれた。
 ありがとう、もう一度お礼を言う。メタングは赤い瞳で不思議そうにわたしを見つめていた。

* * *

 ざあざあと降りしきる雨を子守唄に寝袋に入る。でもこれがダイゴくんとの最後の夜だと思うとぎゅっと胸が痛くなってうまく寝付けない。
 それでも無理やり目を閉じてメリープを数える。明日は早いから、早く寝なくちゃ。


 今日は早く休んでその分明日の出発を早くしよう、と提案したのはダイゴくんだった。朝から降り続く雨に疲れたわたしを心配しての言葉だ。でも二人旅を始めてそろそろ一週間、ヒワマキシティはもう目前でこのまま進めば今日にも街に着く。わたしは大丈夫だと首を振った。
 けれどダイゴくんも頑固だった。すぐ近くにひみつ基地にもピッタリの横穴を見付けるとわたしを押し込んで出口を塞ぐように陣取った。そして、
「無理は良くないよ」
 リュックから乾いたタオルを取り出してわたしの頭に被せて、ちょっと乱暴にぐしゃぐしゃと髪を拭いた。
 タオルのせいでダイゴくんが見えない。でもぶつぶつと聞こえる「こんなに濡れてるのに」「急ぐ旅じゃないんだから」「体調管理はトレーナーの基本だよ」の小言からダイゴくんがすごく怒っているのが伝わってくる。
 申し訳なくてごめんと謝ると、ダイゴくんはぴたりと手を止め「風邪引かないようにしっかり拭くんだよ」わたしから大げさなほど離れていった。
 そうしてどこか気まずさを感じながら夕食を済ませ、ダイゴくんの言い付け通り寝袋に入る。
 でも眠れない。わたしは諦めて頭からメリープを追い出すと、隣で横になるダイゴくんのことを考えた。
 スクールの人気者だったのに意外にも今まで一人旅だったこと、御曹司なのに泥まみれになるのも構わず特訓に明け暮れること、キャンプが得意で突然石を掘り出しては楽しそうに解説してくれること、それから……
「わっ、ごめん、ボクのだ!」
 雨音だけが聞こえる洞穴に突然、電子音が鳴り響く。ダイゴくんが慌てて起き上がる気配がした。それから壁代わりにわたし達の寝袋の間に置いていたリュックが抱え込まれ、視界の隅にダイゴくんの姿がちらりと映り込んだ。
「××、どうしたんだい?」
 電話に出たダイゴくんはひどく優しい声だった。気付かれないように瞳だけ動かすと、嬉しそうに微笑む横顔が見えた。ずきっ、と心臓が痛む。
 ダイゴくんが仲良い友達を呼び捨てにしていると知ったのはこの旅の中でだった。スクール時代は夢を理由にダイゴくんを避けていたから全然知らなかった。
 今ダイゴくんが楽しそうに電話している××もわたし達の同級生で、けれどわたしと違ってダイゴくんが仲良くしていた数少ない女の子の一人。だからダイゴくんは彼女を呼び捨てにして、旅に出てから一度も会ってないと言うのに何度も話題に出した。
「ああ、明後日だっけ……こっちは天気次第かな」
 ズルいと妬むのが間違いなことくらい、ちゃんと分かっていた。でもわたしも、わたしだって短い時間だけど一緒に旅をしているんだから、あの子みたいに呼んでもらう資格がきっとあるはずで。
 ズルい、悔しい、羨ましい。わたしは会話を聞かないように耳を塞いで、そのくせあの子が何回名前を呼ばれたかを指折り数えていた。
 そうして彼女の名前を3回耳にした時だ。
「あのさ、明日早いからそろそろ……、うん、今{{kanaName}}と一緒にヒワマキに向かってて――」
 名前が聞こえた瞬間、考えるより先に体が動いて天井に向けていた顔がダイゴくんの方を向いた。
 目が合う。大きな瞳がより一層大きくなって、慌てたように視線を逸らされた。
「じゃ、じゃあっ、もう切るから」
 上擦った声は早口になっていた。ダイゴくんの耳から離れたポケナビから、困惑した声が漏れ聞こえる。でもダイゴくんはそんなのお構いなしに電話を切って「あの、」ランタンに照らされた瞳をわたしの方へ戻した。
「ごめん、つい勢いできみのこ――」
「別にいいからっ」
 謝られて訂正されるなんて、絶対に嫌だった。だから、意識が嫌だと自覚するより先に声が出ていた。
「わたしのこと、{{kanaName}}でも、全然いい、から……っ!」
 ここでやっと自分が言った言葉にはっとする。眉を八の字にしていたダイゴくんがえっ、と驚いた顔に変わっていた。その顔がまた表情を変える。
 けれどわたしは見届ける勇気がなくて、逃げるように背中を向けた。
 顔が熱い。心臓が胸を突き破ってしまいそうなほど大きく拍動している。ダイゴくんに{{kanaName}}と呼ばれて嬉しくて、もっともっと呼んでほしいからって、どうしてあんなことを大声で言っちゃったんだろう。恥ずかしい。なかったことにしたい。
 一緒に旅をしてるけどそれは本当に偶然で、ダイゴくんは他の子でもそう言っていたはずで、わたしは特別じゃなくて、だからこんな勘違いしたお願い、ダイゴくんはきっと、きっと……聞いてくれない。雨は凌げているはずなのに、視界が水中にいるように歪んだ。
「本当かい? だったらボクのこともダイゴって呼んでくれると嬉しいな」
 もしかしてわたしは夢を見てるのかもしれない。夢にしては体の熱も鼓動の音もやけにリアルだけど。でも声が出せないのは夢っぽくて、わたしはちょっと大げさに首を縦に振った。
「おやすみ{{kanaName}}」
「おやすみ…、ダイゴ」
 目を閉じる。夢の中でも寝れるんだ、なんて下らないことを考えていたらいつの間にか意識がぼやけていた。


 これが夢ではなく現実だったと気が付くのは翌朝、ダイゴくん……ダイゴにうっすら頬を赤らめ照れた顔で「おはよう{{kanaName}}」と挨拶をされた時だった。

* * *

 少しだけ変化をした関係にソワソワと浮ついた心は、ヒワマキシティに着いても落ち着かなかった。そんな状態でジム戦に挑めばどうなるかは火を見るより明らかで、わたしはダイゴの勝利に続くことが出来ずあっけなく負けてしまった。もっとも、実力が足りないのも事実で、勝つには相当の特訓が必要だった。
 ここでお別れかな。ダイゴとポケモンセンターに向かいながら寂しくなる。でも元々がヒワマキまでの約束だし、わたしじゃダイゴの特訓相手が務まっていないのも感じていた。寂しいけどちょうど良いタイミングだった。
「ボク、きみの特訓に付き合うよ」
 どうやって切り出そうと悩んでいたらダイゴが先に口を開いた。思いのほか真剣な眼差しをしていて、こんな時でもドキリと胸が高鳴る。でも。
「ダイゴは勝ったんだから、トクサネに向かわなきゃ」
 わたしが負けたのは実力もないのにレンアイにうつつを抜かしたせい。そんなわたしが真面目なダイゴくんの旅を邪魔しちゃいけない。
 本当はまだ一緒にいたい。もっと仲良くなりたい。でもわたしもダイゴもトレーナーで、今すべきことはチャンピオンを目指して強くなること、恋なんかじゃない。
 それなのに、
「そうだけど、別に急ぐ旅でもないよ」
 ダイゴは少しムッとした顔で唇を尖らせるとわたしを睨みつけた。
「それに、すぐに出発したら一緒に見れないよ」
 わざとらしくつり上がっていた眉が、今度はしょんぼりと八の字に下がる。寂しそうな顔がわたしを見つめた。
 心臓が痛い。体が熱い。期待しちゃだめなのに、心が次の言葉を楽しみに待ってしまう。
「ねえ{{kanaName}}、明日はボクと特訓して一緒に流星群を見ようよ。せっかくの旅なんだから思い出も作ろう、ね?」
 そんなのズルい。恋は旅が終わってからでもいいのに、そんなこと言われたら恋心が止められない。これはわたしの勘違いで気のせい。ダイゴは友だちとして誘っているだけ。わたしもダイゴも今はトレーナーで恋する暇なんかない。でも、でも……!
「それ見たらダイゴは先に進まなきゃだめだから!」
 ニヤけそうになる顔をぎゅっと引き締めて、ニコニコ笑うダイゴを無理やり睨んだ。


 天気予報によれば一昨日から降り続く雨も昼頃には止んで、夜には雲も晴れるはずだった。けれど夕方になっても分厚い雲は空に残り、最新の予報では明日までこの天気が続くと言っていた。流星群は見れそうになかった。
 おまけに、
「1部屋だけ……、ですか」
 今日に限ってポケモンセンターはとても混んでいた。空いているのは二人部屋が1つだけ。
 どうしよう、隣に立つダイゴを見る。真剣に悩むダイゴの横顔は格好良くてこんな時でもドキッとする。
 別に一緒の部屋でも構わないのに。わたしは恥ずかしくて口に出せない代わりに一歩ダイゴに近付く。そして期待を込めた瞳でダイゴを待つ。ダイゴがちょっと照れた顔をして「仕方ないね」と笑うのを。
 けれどダイゴが見せたのはお手本のような笑顔で、出てきた言葉もがっかりするものだった。
「ボクは野宿するよ」
 同級生で、昨日まで一緒に野営していても、わたしとダイゴはただの友だちだった。ダイゴの判断は多分間違ってない。わたしだって本当は分かってる。
 でも、
「ダメだよ!」
 綺麗事をしぶしぶ納得するより先に大きな声が飛び出していた。ダイゴが驚く。
 やってしまった、瞬時に悟る。でも、わたしの心は止まれなかった。
「ダイゴは明日出発するんだからちゃんとしたベッドで休まなきゃ! わっ、わたしは別に平気だから、だから…、ダイゴも部屋、使ってよ」
 あぁもう、最悪だ。ろくに言い訳も出来てなくて、これじゃあ一緒に泊まりたいって誘ってるだけじゃない。どうしよう、ダイゴが離れちゃう。今まで必死に気持ちを隠してきたのに、最後の最後で、こんな……
「……わかった。じゃあ…、一緒に使おうか」
 自分の失態に俯いていたわたしに、信じられない言葉が届く。びっくりして顔を上げると、ダイゴと目が合った。
「ありがとう、{{kanaName}}」
 ダイゴが照れた顔でにっこりと笑う。アイスブルーの瞳は照明の光を受けてうっすら暖かな色に染まっていた。


 しんと静まり返る真夜中、ふと目が覚める。朝にしてはあまりにも暗くて、ポケナビで時刻を確認するとまだ真夜中だった。
 寝なくちゃ。まぶたをぎゅっと閉じるけれど目が冴えて眠れない。水でも飲もうかな。わたしは二段ベッドの下で眠るダイゴを起こさないよう静かに体を起こした。
 部屋に入ってからのダイゴはいつも以上にわたしに気を使って必要以上に距離を取った。そのお陰で何もなく無事に消灯時間を迎え、そのせいで却ってダイゴを意識してしまい、眠りにつくまで色々と考えていた。
 ダイゴはチャンピオンになるまでポケモンが第一で恋愛や恋人は二の次なんだろう。それは今日までの彼を見ていてよくわかった。
 けれどここまで一緒に旅をして深まった友情の中に、いくつか種類の違う感情があったような気もするのだ。わたしのこと、実は好きなんじゃないのかな。微笑む彼を見てそう思ったのは一度や二度じゃない。
 それでも一緒の部屋で過ごすダイゴの態度を思い返すとやっぱり気のせいで、わたしが勝手に期待しているだけに思えてくる。
 わたしを覚えていたのも、二人旅に誘ったのもただの偶然、ダイゴが気さくでフレンドリーなのは彼の気質で特別でも何でもないのだ、と。
 ゆっくりと体を動かして梯子を掴む。薄暗い部屋の中で梯子を降りるのはちょっと難しい。視線を下げて足場を確認する。
 と、視線の先に光る何かが見えた。ポケナビの画面だ。よく見るとベッドに寝そべったダイゴがポケナビを使っている。
 起きてたんだ、そう思った刹那、梯子がギシリと音を立てた。ダイゴが振り返る。暗闇の中だったけれど、たしかに目が合った。 「ごっ、ごめん」
 慌てて視線を逸らす。ダイゴが何を見ていたのかは分からないけど、見ちゃいけないような気がした。でもダイゴは笑って大丈夫だよと返して、そしてベッドの上で膝をくずすとわたしを手招きした。
「何見てたの」
 冷蔵庫のペットボトルを一口飲んでダイゴのベッドに上がり込む。スプリングが軋んで音を立てた。心臓が今にも爆発しそうなほどドキドキとうるさい。
 平然を取り繕って声を掛けてみたけれど少し上擦ってしまった。ダイゴが小さく笑った。この部屋に入って初めて見た笑顔だった。
「明日から1人だと思ったら寂しくなっちゃってさ、見返してたんだ」
 画面にはメタングとヌマクローが写っていた。旅の途中でダイゴが撮っていた写真だ。そういえば撮った写真を見せてもらったことはなかった。だから興味が湧いて「見てみる?」の言葉に頷いてポケナビを受け取った。
 画面に注目するけど、実際は意識のほとんどが隣りのダイゴに集中していた。さっきまで悲しくなるくらい遠く離れていたダイゴがすぐ真横にいる。鼓動がどんどん大きくなる。
 こんなに近付いたこと、今まで一度もなかった。心臓が痛い。画面を覗き込んでくるダイゴの息が肩にかかる。背筋がそわりと震える。写真を説明するダイゴの声が耳に当たる。全身がマグマのように熱くなる。
 ダイゴは今、どんな顔をしているんだろう。気になって仕方ない。
 でも目を合わせる勇気がない。わたしは視線を画面に固定したまま、次の写真を見る。
「…………え、」
――何、これ。
 現れたのはわたしの写真だった。笑ってメタングを撫でている。でもいつ撮ったんだろう。ダイゴがわたしを撮る時はいつも声を掛けてくれたけど、この写真は全然記憶にない。写真の中の自分も、カメラには気付いていない。
「あっ、後でデータ送るよ」
 ダイゴがポケナビを触って次の写真に進める。
 けれど次もわたしの写真、しかも今度はわたしだけが写る写真だった。
 なんでこんな写真……、何も言えないでいるとダイゴが無言でポケナビを取り上げ枕の下へ隠してしまう。
 部屋の唯一の光源がなくなって視界が暗闇に戻る。同時に全力疾走したように心臓が激しく暴れて息が荒くなる。
 もしかして、気のせいじゃないのかも。ダイゴもわたしのこと、好き、なのかも。
 期待が体を動かす。わたしはダイゴに顔を向けた。
「……ぁ、」
 少しでも動けば触れてしまいそうな距離にダイゴの顔があった。これだけ近いとさすがにダイゴの表情がはっきり見える。真剣な眼差しがわたしを見つめていた。
 目が離せない。瞳がゆっくりと近付いてくる。反射的に目を瞑ると刹那、唇に何かが触れた。
 びっくりして目を開けるとまたダイゴと目が合う。熱っぽい瞳が、わたしを見つめていた。
 もう一度、今度は自分の意思で目を瞑る。少しして、わたしの唇にダイゴの唇が触れて離れる。でもすぐにまた唇が重なる。何度かそれを繰り返して目を開けると、うっすら頬の赤くなったダイゴが見えた。
 ダイゴが手を伸ばしてわたしの頬を撫でる。熱を持ったはずの指先はそれ以上に真っ赤になった頬をほんの少し冷やしてくれた。
「好きだよ、{{kanaName}}」
 ダイゴがまた唇を寄せてくる。わたしを求めてくる。夢とかトレーナーとか、そんな下らない意地はどうでも良くなっていく。
 わたしはダイゴに身を委ねると、とろけるような甘い幸せを二人で分かち合った。


「本当に大丈夫? やっぱりもう一日くらい」
「もう、大丈夫だってば!」
 翌日、街に残りたがるダイゴを無理やり見送った。最初はどうにかして残る理由を探していたダイゴだったけど、腰のボールが揺れてやっと本分を思い出してくれた。
 ダイゴがわたしを見つめる。そして、
「じゃあ、リーグで待ってる」
 悪戯っぽく笑うと一度も振り返ることなくまっすぐに進んでいった。


 その後を追うようにわたしもジム挑戦を続けた。一人旅に戻って少し寂しかったけど、それを見計らったようにダイゴが時々連絡をくれたから一人でも頑張れた。
 わたしより先を行くダイゴはその後も順調に旅を進め、わたしが何とかバッジを8つ集める頃には本当にリーグのてっぺんに辿り着いていた。ダイゴはすごいなあと感心していたら新チャンピオンからメッセージが届く。
『サイユウで待ってるよ』
 無茶言わないでよ。思わずため息が零れた。でもなぜか憎めない。わたしは終わりにしようとしていた旅をもう少しだけ続けることにして、ダイゴの待つサイユウシティを目指した。


 結論から言えば、今まで一度もダイゴに勝てなかったわたしがチャンピオンに勝てるはずがなかった。久しぶりの再会なのにこてんぱんに倒されちゃった。
 でも試合が終わった途端、ダイゴに押し潰されそうなくらい力強く抱きしめられたら何だか全部許せてしまって。
 わたしもダイゴの背中に腕を回すとぎゅっと抱きしめ返した。