【はやる流れ星】

「そういえばさ、{{kanaName}}は言ってくれないね」
 それは唐突に向けられた不満だった。
 わたしはブラシでラグラージの背中をゴシゴシと擦る手を止めて首を傾げる。ダイゴは表情こそ笑顔を保っているけどその声には棘があり、少なくとも何か満ち足りていないのは間違いない。
 せっかくのデートなのに二人して各々のポケモンの世話をしていることが原因か、それとも約束していた手作りクッキーを忘れたことへの不満かもしれない。ただダイゴの先程の言葉から察するにそのどちらでもなさそうで、わたしは首を傾げ続けることしか出来なかった。ダイゴの顔から笑顔が消えて眉が少しつり上がる。
 かと思えば、
「まぁボクもそんなには言ってないけど」
 ほんのりと頬を赤く染めて気恥ずかしそうに視線を逸らしてしまう。わたしが言ってなくて、ダイゴもあまり言わなくて、そして恥ずかしくなるようなこと……何だろうと考えてみるけど何も思い当たらない。そもそもダイゴが照れるようなことが思い浮かばないからさっぱり見当がつかないのだ。わたしの首がさらに傾く。
「きみって時々とても鈍感になるね。スクールの時も難しい問題は解けるのに先生が雑談で話したちょっとしたクイズは答えられなかったしさ」
 ダイゴがため息を零す。ダイゴは今のごく限られた会話から答えを導き出してほしかったようだけど、そんなのサイキッカーじゃないんだから無理に決まっている。それを鈍感だなんて、ダイゴの方がよほど鈍感だ。
 それに今スクールの話は全然関係ない。というかどうしてダイゴはそんな事を覚えているんだろう。よりによってそんな恥ずかしい出来事を。スクール時代のダイゴとはただのクラスメイトで特別仲が良かった訳でもないのに、優等生は記憶力まで良いみたい。それならわたしもダイゴのことをもっとちゃんと覚えておくんだった。わたしばかりが一方的に言われて何だかすごく悔しい。
「ダイゴがもったいぶった言い方するからでしょ。ダイゴがこんなに意地悪だって知ってたら付き合──っ!」
 悔しさをにじませながら口を動かしていると、流石に少し言い過ぎだと自分でも感じた。それでも止まらない口が最後まで言葉を発する前に、
「{{kanaName}}、」
 ダイゴがわたしの手首を掴んだ。突然のことに驚いてブラシが手から転げ落ち、同様にびっくりしたラグラージがわたし達の方を振り返る。ダイゴが手入れしていたアーマルドの視線もこちらを向いている。
 ポケモン達がしっかりと見ている。それはダイゴも感じていたに違いない。けれどダイゴはそれらの視線を無視してわたしの唇に噛み付くようにキスをした。
 肩がびくりと震える。黙らせるようなキスに身体が反射的に拒否を示す。でもダイゴはそれすら抑え込むようにわたしを抱きしめもう一度唇を撫でる。さっきとは違って柔らかい感触が、優しく唇を包み込む。ダイゴはそれを何度も繰り返し、絆されてじれったくなったわたしの一瞬の隙をついて口の中へと舌をねじ込んだ。
 深くなる口付けに、漏れる吐息は湿度を増して熱っぽくなる。いくら此処がダイゴの家の裏でほとんど人が来ないとはいえ、真昼間にポケモンの世話を放り出してすることじゃない。特にダイゴはチャンピオンで、他のトレーナーのお手本となるような存在なんだから、せめて人目につかない場所がいい。
 でも当のダイゴはそんな事一切気にせずに舌を絡ませぐちゅりと唾液を混ぜ合わせるから、ポケモン達も気を利かせてビニールプールで遊び始めている。かくいうわたしもダイゴにしがみつくように腕を回して与えられる幸福をめいいっぱい享受しているから、ダイゴのことを非難できる立場ではないんだけれど。
 どちらのとも分からない唾液が糸を引いて唇が離れる。大きく肩を上下させダイゴが荒い呼吸をする。上気して赤くなった頬は扇情的で、これ以上クラクラしないように視界から外さなきゃならなかった。
「ボクは本気で{{kanaName}}の事が好きなんだ。だから冗談でもそんな言葉は聞きたくないな」
 強引なキスはともかく、確かにダイゴの言う通りだ。売り言葉に買い言葉だとしてもわたしの言葉は少々言い過ぎだった。気まずさと申し訳なさと唇に残る余韻を隠すために顔を背けたまま「ごめん」と頭を下げる。ただ、さんさんと降り注ぐ陽光にじわりと汗ばんだ首筋が目に入ってしまって、それはそれで気が気じゃなかった。
 息を整え気を取り直して顔を上げる。スクールでは優等生で今ではチャンピオンに君臨するダイゴはしかし、まるで威厳のない穏やかな微笑みでわたしを見つめ返す。
 青く澄んだ瞳は旅をしていた頃に見上げた夜空で見つけた一等星のようにキラキラと輝いていて、たったそれだけなのにわたしの心臓はどくどくと鼓動を速める。スクールの頃から憧れて対抗心を燃やしていた相手が熱の篭った瞳を向けてくるのだから、きっと誰だってこうなる。そして同時に、わたしもダイゴが想ってくれるのと同じくらい、いやそれ以上に彼のことが好きなんだという実感が胸に染み渡っていく。
「それで結局、わたしがダイゴに言ってないことって何なの?」
 ダイゴの不満に話を戻す。わたし一人じゃ皆目見当もつかないから本人に聞いて、変なことじゃなければ言ってあげればいい。それでこの話はおしまいにして、ラグラージ達のお手入れを早く再開しよう。
「あぁ、今ボクが言った事だよ」
「今?」
 けれどダイゴは素直に答えを教えてくれる気はなさそうで、わたしは眉を寄せてダイゴの言葉を思い返す。わたしのことを鈍感だと言って、それからキスして無理やり黙らせて、その後…………
「あっ、」
 思い当たる言葉が一つあった。好き、だ。言われてみれば確かにわたしはダイゴに好きだと言ってない……気がする。いつもダイゴが先に「好き」と言って、それに対して「わたしも」と返していて、自分の口からその2文字を声にしたことはないのかも。
「やっと気付いたかい?」
 ダイゴがツンと唇を尖らせてわたしを睨みつける。怒った顔を装っている。でもどこかソワソワする心は隠しきれず、アイスブルーの瞳は期待するように煌めいていた。
「{{kanaName}}の口から直接聞きたいな」
 わたしを見つめる瞳、向けられる眼差しがあの日を思い出させる。ヒワマキシティのポケモンセンターで過ごした夜を、身体が触れ合うほどに傍に寄って視線を絡めたあの瞬間を。
 ああ、そっか。ダイゴはあの時からずっと待っていたんだ。それならダイゴがわたしを鈍感だと腹を立てるのも分かるような気がする。わたしはダイゴの期待を受け止めて口を開く。
「……好き、です」
 日常生活で意外と口にする機会のある言葉なのに、どうして伝える相手が好きな人になると途端に難しくなるんだろう。目が合ったまま言うのが恥ずかしくて思わず顔を逸らしてしまう。
 でも、
「ちゃんと目を見てよ」
 わたしの感情すべてを見透かして射抜くような鋭い視線がわたしを逃がしてくれない。もう目を逸らせない。
「好きだよ、{{kanaName}}」
 真剣な眼差しがわたしに注がれる。緊張で少し強ばった笑顔が妙に心臓をドキドキさせる。言わなくちゃ、この身体が恥ずかしさで爆発してしまう前に、早く伝えなきゃ。
「わっ、わたしも、」
──好き。
 果たしてその2文字はダイゴに届いたんだろうか。声と共に吐き出した息を押し戻すようにダイゴが唇を塞ぐ。
 何回目のキスだろう。甘く蕩けるキスはまるで魔法を掛けたようにわたしの中を幸せで満たしていく。唇を離して目を開けると、嬉しそうに頬を緩めるダイゴが照れたように笑った。腹の奥底から大きな感情がせり上る。好きなんて言葉じゃ到底伝えきれないそれをぶつけるように、今度はわたしから唇を寄せると、
「う、わっ!」
 パシャンッ、わたしとダイゴの横顔に勢いよく水が掛けられた。びっくりしているとラグラージがブラシ片手に近付いて来る。その目は母親が子供を叱る時のごとくつり上がっていて、その隣のアーマルドも何か言いたげにダイゴをじとりと見つめている。ダイゴはわたしから腕を離すと被害を免れたタオルをこちらに投げ渡した。
「本当はもっと言ってほしいけど、続きはしばらくお預けかな。まずは彼らの手入れを終わらせなきゃいけないね」
 ダイゴが残念そうに肩を竦め、わたしも手渡されたブラシを握り直してお世話へと戻る。
 けれど隣からじっと注がれる視線に顔を向けた瞬間、ダイゴが最後にもう1回だけ、とリップ音を響かせキスをする。濡れた髪に落とされた口付けはひどく熱っぽく、向けられた瞳は欲でギラギラしていて、わたしの心はかつてないほど逸るのだった。