怪我の功名だと微笑んだ

洋菓子店の店員夢主と常連客のミクリ
けれど本当は待ち遠しい」の続き

 きのみブレンダーが壊れた。こんこんと叩いてみてもスイッチを入れたり切ったりしてもうんともすんとも動かない。ミクリはとうとう訪れたその日に溜め息を吐いた。
 祖母から譲り受けたきのみブレンダーだった。優に半世紀は働き続けていたそれは度々不調を訴えては何度も故障を繰り返しながら今日まで動いた。前回修理に出した時、もう部品がないから次に壊れたら直せないと言われていた。だからこのきのみブレンダーは、もう動かない。
 ふと背中に視線を感じ、振り返る。ポロックを待つミロカロス達がそわそわと私を待っている。さて、どうしたものか。
 その時、頭に浮かんだのは洋菓子店の彼女の姿だった。最近は頬を赤らめ、なかなか目を合わせてくれなくなった、いつも笑顔の愛らしい彼女を。
 ひとまずきのみブレンダーの事は後回しにして、上質なポロックを求めコトキタウンへと急ぎで向かった。



「いらっしゃいま、せ……」
 ドアに提げたベルが鳴って反射的に挨拶をしたら、やって来たのが予想外の人物で頭が真っ白になった。今日は木曜日でもなければまだ正午にもなっていない。それなのに、ミクリさんがこの小さな洋菓子店にやって来ている。わたしは思わず「どうしましたか」と尋ねていた。
「ポロックが欲しくてね」
「ポロック、ですか」
 ミクリさんは少し眉を下げた顔で微笑んでいた。笑ってはいるけれど、普段のようなキラキラと輝いている印象は感じられない。陶器のような滑らかな肌はちょっぴり汗ばんでいて、ルネシティから此処まで急いで来たのが伺える。
 それでも、息を整え普段より大きく上下する胸を気付かせないよう振る舞う姿は、さすがスターと呼ばれるだけはある。ミクリさんはいつだってファンの前では理想の姿で在り続けている。
 そんなミクリさんが、汗をかき息を切らしてポロックを所望しているなんて、一体何事だろう。わたしは視線をミクリさんから、ポロックの入ったバスケットへと向けた。
 半年ほど前から販売をしているポロックは、店長のこだわり抜いたきのみで作られている。昨日も、ミクリさんには負けるけどポロック専門店にだって負けてないよと、自信満々な様子でポロックを語っていた。
 そんなポロックは、ポケモン用焼き菓子の隣にこっそりと並んでいる。店長ご自慢のポロックはしかし、何故か売上は振るわず気づけば棚の隅に追いやられてしまっていた。
 だから、そんな可哀想なポロックを、まさかあのミクリさんが欲しいと言うのが信じられなくて、次の言葉が出てこなかった。
「以前見た覚えがあるんだけれど、もしかして今日は販売してないのかな」
 慌ててポロックの置いてある棚へ案内する。もっとも、小さなお店だから数歩も歩けば目的地に到着だ。
 ポロックは味ごとにラッピングされていて、ポロックを入れたバスケットの中は色鮮やかだった。ミクリさんはその中のひとつ、青いポロックを手に取るとじっくりと眺めた。
 その横顔を盗み見る。瞬きする度に長いまつ毛が揺れていて、胸がざわついた。
「試食、しますか」
 あまりにも真剣な眼差しに、何か手伝える事はないかと考えていたら、自然と口に出していた。
 えっ、と驚いたような顔がわたしへ向けられる。それが何だか気まずくて慌てて目を伏せる。そして返事を待たずにバスケットから別の青いポロックを掴むとリボンを解き、ひとつ、手に取り出した。
 ミクリさんはポロックを摘むと躊躇うことなく口へと放り込んだ。少しの沈黙、そして、
「素晴らしいね」
今日此処へ来て初めての笑顔を見せた。
「此処へ来て正解だったよ。これで今日のコンテストも万全の状態で出場できる」
 安堵の息を零してミクリさんが髪をかき上げた。
 バトルの最中、跳ねた水飛沫で濡れた髪を同じようにかき上げるのを見たことがあった。その艶やかな所作に、体の内側が熱くなって心臓の音が外に漏れ出ていないか心配になるくらい煩くなった。
 今のミクリさんはあの時と違ってコンテスト用の衣装でもなければ舞台映えするメイクだってしていない。それでも、あの時以上にわたしの心臓は煩くて、悲鳴のような声が喉で大渋滞を起こしている。
 必死で頬が緩むのを耐えるけれど、不自然に顔を逸らしたからきっと気づかれてしまっただろう。
「……そうだ。店長に尋ねたいことがあるんだ、呼んでもらえるかな」
 その声に、弾かれたように顔を上げると、二つの翡翠が真っ直ぐにわたしを見つめていた。そんな風に見られると、期待と不安が綯い交ぜになって身動きが取れなくなってしまう。
 わたしはまだ、この人が平凡な女を揶揄っているだけの可能性を捨てきれない。都合良く捉えてはダメ、と桃色に染まる妄想を強引に拭う。
 少々お待ちください、と厨房へ小走りで駆け込む。店長は予約のホールケーキを作っている最中だったけれど、すぐにミクリさんの所へ行ってくれた。わたしは少し離れた場所で、出来るだけ気配を消して立つ。
 ミクリさんはきのみブレンダーが壊れて此処へ買いに来たことを掻い摘んで話し、店長力作のポロックを絶賛し、最後に「使っているブレンダーは何処の製品ですか」と尋ねた。
「すまないね、うちで使ってるのもエビネのなんだ」
 そこは随分と昔に廃業した製作所。ミクリさんの顔色が翳る。今日のミクリさんは色んな表情を見せるから、一瞬足りとも目が離せない。
「そういえば、{{kanaName}}ちゃんの家のもエビネって言ってなかったっけ」
 突然呼ばれた名前にびっくりして返事する声が裏返る。店長のせいでミクリさんに変な所を見せてしまった、と視線で抗議するもどこ吹く風、店長は気にも留めずに言葉を続ける。
「店のが壊れたら譲ってくれるって言ってたあれ、ミクリさんに譲ってあげなよ、大丈夫だろう?」
 確かにそんな話をした事があった。厨房に置かれたきのみブレンダーは祖父が使っていた物と同じで、今は物置でホコリを被っている。最新型の全自動式とは違い、そのブレンダーは手動で、洗うのも面倒だから祖父以外に好んで使う人はいなかった。
「多分、大丈夫です」
 ミクリさんの瞳に煌めきが灯る。
「じゃあまた次に来る時に返事を聞かせて欲しい、今日のところはこれを頂いていくよ」
 壁に掛けた時計を一瞥し、ミクリさんは一息で言い切ると「会計、お願い出来るかな」ぱちりと片目を瞑ってウインクした。熱烈なファンなら卒倒してもおかしくない。
 わたしは急激に上昇する体温とじわりと汗ばむ肌に足をふらふらさせながら、どうにかレジへと向かう。けれど店長に制止され「レジは僕がするから商品を袋に詰めるの頼むよ」と、いつの間にかミクリさんから受け取っていたポロックを押し付けられた。
 その時のわたしは、ミクリさんと少しでも離れられる口実にほっとして、その指示を有難く聞き入れていた。
 もしその時、レジを挟んで店長がミクリさんに耳打ちしていたのを見ていたら、その声に気付いていたら、慌てて会計を変わっていただろう。
「お礼はデートにしてあげてね!」
 出来ないくせにウインクをする店長に、ミクリさんが躊躇うことなく「もちろん、そのつもりですよ」なんて返事をしているなんて露とも知らず、わたしは先程勝手に開けたポロックも併せてせっせと袋に詰めていた。
 そして会計が終わって妙に微笑みあっている二人のもとへ近寄ると、火照った頬に気付かれないよう少し顔を逸らして紙袋を手渡した。
「では、また」
 ぺリッパーが大きく羽ばたいて、あっという間にその姿は雲の合間に消えてゆく。いつもの癖で見えなくなるまで影を追っていたら、隣に立つ店長が意味深に笑っていた。



 ミクリは家へ帰るなり、買ってきたばかりのポロックを皿へと移しミロカロス達へと出してやった。一瞬、ミクリのお手製ではないと眉をひそめたが主人の穏やかな瞳に気が付き、ミロカロスはポロックを頬張る。
「どうせならいつもの焼き菓子も買えば良かったかな」
 ミクリの呟きに、ミロカロスが顔を上げ首を振る。彼女はあそこのクッキーが大好物だったが、あれが自身の美しさを妨げかねない事を知っていた。
 ミクリはそんなミロカロスの体を撫でながら「そうだね」と頷く。
「今日買ってしまったら次に{{kanaName}}に会えるのが来週になってしまっていたね」
 予想外の言葉にミロカロスは嘆息する。そして、皿に残った最後の一つを口に含むと、舌に残る渋みにもう一つ息を吐いた。