チリが好きだけど絶対に本人に伝えるつもりのない夢主と、そんな夢主が悪い男に引っかかってると勘違いして本気で心配するチリ ※すれ違ったまま終わります。「未来を盗み出して」に続きます。
「なぁ{{kanaName}}、そろそろ本当の事言うてもええんちゃう?」 チリが食べるでもなく箸でつついていただし巻き玉子から顔を上げて目の前のわたしを見つめる。グラスの底にほんの僅かに残っていたカクテルを飲み干そうと大きく上を向いていたわたしは、突然向けられた真剣な眼差しに「な、何のこと」思わず視線を外し大袈裟に肩を竦めた。 「何の事か分からんの?」 冗談やふざけた空気を跳ね除けるような冷ややかな瞳と声だった。チリとはこうやって月に一度飲みに行くけれど、こんな風に真面目な顔をされたのは今日が初めてだ。 いつもはわたしもチリも次の日が休みだからと楽しく飲んで、飲んで、くだらない話で盛り上がってまた飲んで、二人とも良い具合に顔を赤くしてまた来月ねと次の約束を交わす。 けれど今日のチリは途中から飲むペースは落ちているし、かと言って食べる量が増えた訳でも口数が多くなることもなかった。気付いてはいたけれど、そんな日もあるだろうとさして気にもしていなかった。そうしたら、これだ。チリは今、神妙な顔をしてわたしを見つめている。 「ベイクジムに自分の言うようなスタッフがおらん事くらい、とっくの昔に分かってんねん」 険しい視線がわたしを問い詰める。面接テストでチリに当たった挑戦者が怖かったとボヤくのをしばしば耳にするのだけど、今ようやく理由が分かった。整った顔立ちの女性に一切笑顔も見せずに真顔で凝視されるとたしかにゾッとしてしまう。合格する為に綺麗事を並べた挑戦者なら尚さら、上辺だけの言葉を見透かされたような錯覚で気が気でないんだろう。 「いい加減自分の片思いに進展がなさすぎるから一肌脱いだろと思ったのに、一体どういう事なんやろ」 今のこの状況が非常に不味い事はよく分かった。チリは口調こそまだ抑えられているものの、言葉の端々に苛立ちを感じるし、机の上で組まれた両手は不快さを表すようにトントンと人差し指で手の甲を叩いている。よく見れば眉間にもうっすらとしわが寄っていて、今のチリから怒り以外の感情を見つける事は不可能だ。 わたしは逸らした視線を戻せないまま、必死に頭を回転させて言い訳の言葉を捻り出す。でも、この危機を脱する奇策は何も一つ出てこない。 「なぁ{{kanaName}}、どこまでがホンマなん」 声色が変わって、優しげな声になる。恐る恐る顔を上げるとチリと目が合った。わたしに向いた深紅の瞳は、心配そうにわたしを見つめていた。 始まりはいつだったかどんな話の流れだったか今となっては覚えていないけれど、お互いの気になる相手の話になった。ただしチリはリーグ本部の人間でわたしはベイクジムのスタッフだから、相手によっては誰だか分かってしまう。なので名前は伏せて野暮な詮索はしない事を約束して、学生時代の頃のような感覚でいわゆる恋バナをしたのだ。その時チリは随分と長考をして、そしてようやく「あー、そうそう!かわいい子がおってな」と多分間違いなく四天王のポピーちゃんの話をした。 「いないならいないって言えばいいのに」 「いやいや、大真面目に答えてんねんで? {{kanaName}}やから言うたのに、信じてくれへんの?」 「信じるとかそういう話じゃなくて、そもそもズレてるって話なんだけど……」 「それより次は自分の番やろ。何もないとは言わせへんよ」 チリはそう言ったけど、わたしも彼女と同じように無難な答えに逃げようかと考えていた。胸に秘めた相手はたとえチリにも、チリにこそ言えない相手だから。 けれどその時のわたしはたらふく飲んで酔っていて、普段なら働く理性がちょうど居眠りをしていた。 「好きな人、いるよ」 一度声にしてしまうと、今までの覚悟が嘘のようにどんどんと言葉が溢れてきた。止めたくても止まらない。そうして絶対に言わないと決めていた想いを、事実と嘘を混ぜ合わせて本人へ告白していった――…… 「もー、チリったら真剣になりすぎだって。毎回聞いてくるからちょっと大袈裟に言っちゃっただけじゃん」 真偽を確かめるような真っ直ぐな眼差しが辛くて逃げるようにグラスを掴む。でもさっき飲み干してしまったからグラスは空になっていた。誤魔化すようにチリがいじっていただし巻き玉子を口へ放り込む。 「じゃあメッセージの返信がめっちゃ遅くて数日待たされるって話は?」 「一度あっただけだよ」 あれはわざとではなく本当に忙しいタイミングだったんだろう、珍しくチリがごめんと何度も謝罪していたのを覚えている。 「他の女には愛想良いのに自分にだけそっけないってのは?」 「そういうコミュニケーション? 軽い冗談みたいな…、よくある事で、気にしてないよ」 チリとはそれなりに長い付き合いで、だから今さらご機嫌取りみたいな事はされないし、わたしもしない。その事を少し意地の悪い言い方をしただけだ。 「気持ちに気付いてる癖にしょっちゅう恋人作れって言うてくるってのは?」 「そもそも気付かれてないし、善意で言ってくれてるだけ」 まさに今がそうだ。チリに一切悪気はなく、彼女は真剣に親身になってアドバイスをくれている。 でもまさかわたしがでっち上げた架空の男性スタッフを調べるとは思っていなかった。わたしはただチリに彼女の事だとバレないように彼女の愚痴を言って、チリが自分の事だとも知らずに一緒に怒ってくれるのを楽しんでいただけなのに、チリって案外お節介焼きなのかもしれない。 「って事は自分が気になってる男の存在自体はホンマやねんな。嘘ついてまで隠そうとするって、じゃあ誰なん、それ」 「それは言わない、って約束でしょ」 チリがあからさまに不満そうな顔をしたけれど、これだけは絶対に言えない。だってわたしは女で、チリも女で、チリにとってわたしはどれだけ頑張っても親友にしかなれない。恋人になれる可能性なんて万に一つなく、もし白状したら絶対にチリを困らせてしまう。だから、これだけは何が何でも守り抜かなきゃならない秘密だった。 「チリちゃんにも言えへんの?」 元々誰かに話すつもりもないけれど、そういう訳でチリには絶対に言えない。わたしはごめん、と頭を下げた。 「{{kanaName}}、」 チリがわたしの名前を呼んで怒ったように、もしくは辛く悲しんでいるように眉根を寄せる。彼女は表情豊かな方であったけれど、こんなに寂しい顔をするのは滅多にない。 「誰にも言えへん男なんか、これ以上好きになったらあかん」 「そう、だよね」 けれどわたしはこれからもチリの事を好きでいて、それを隠して生きていくんだろう。恋に落ちたわたしは、そこから這い上がる方法も、その穴を塞ぐ方法も知らないんだから。 いっそチリがこっちに来てくれたらいいのにな。そんな有り得ない事を希いながら今日最後の一杯を注文する。